18.白昼夢
《ジークヴァルト・リーデルシュタイン》
必要な者達以外、使用人達は下がらせた。その方が彼女も話しやすかろうと思ってのことだ。
残ったのは席についている貴族と、その側近達。そして給仕のために、ハインツの執事と使用人の女一人を残らせた。
あの使用人は元準男爵令嬢でアードラー商会に恨みがあり、ハインツが重用している者だ。この場にいても問題はない。
ジークヴァルトは目の前に座る銀髪の少女を眺めた。
春の花に囲まれた庭園に用意されたこの席に着いてから、彼女についての追加情報をハインツから聞いた。
彼女は宗教国家エルーシアに接する国境沿いの、一部では霊峰とも言われるゲーアノルト山脈の麓の村の出身であること。
彼女が村に帰りたがっていること。だがそれは親や村人に会うためではなく、一緒に過ごしていた狐に会うためだということ。
そして、彼女には名前がない。
彼女に親がいなくとも、その村で産まれたのなら名前くらいはつけられたであろう。
ならば彼女はいつ、どこで生まれ、どこから来たのか。
一緒に過ごしていた白い狐、とは?シルバーフォックスのことなのか。
(あれは上位魔獣だろう。一体何が何やら。本当によくわからん娘だ。)
知らず識らず笑みが漏れていたようだ。
気づくとリュディガーが楽しそうにこちらを見ていた。
(またこいつは。余計なことを考えているな。)
少し前。庭園に咲く花を眺めながらハインツの報告を聞いていた時。向こうの通路から誰かがこの一角に入ってきたのが視界に入り、視線をそちらに向けた。
それは可憐な銀色の少女だった。
ジークヴァルトは目を奪われた。一瞬、白昼夢でも見ているような心地になった。
春の花達に誘われて、おとぎ話の妖精でも迷い込んできたのかともぼんやり考えた。
その銀色の妖精は涼し気な白と青のワンピースを着ていて、使用人を伴っている。そう言えば彼女に会うためにここにやって来たことを思い出した。
物珍しい白銀の髪は春の陽光に煌めいて、真っ白な雪のようにも、青みがかった月光のようにも見える。
素肌は白く陶器のようになめらかで、柔らかそうな頬はほんのりと赤みがさしている。
瞳は玻璃のように透明に澄んでいて、見つめられると吸い込まれそうだ。
小さな唇は今そこに咲いている淡紅色の花よりも艷やかで美しい。
(…あれが人を殺せるものなのか…)
我に返って次に考えたのはそれだった。だがそれは紛れもない事実だと報告は受けている。だとすれば決して見た目に惑わされてはいけないということ。
銀髪など初めて目にしたから、妖精などと馬鹿げた妄想を抱いたのだろうか。
ふと、彼女が紅茶を飲んだときの表情を思い出して、また口の端が上がるのに気づいた。
(本当におかしな娘だ。)
「では君の話をしよう」
すると彼女は真っ直ぐにこちらを見た。
こんな風にジークヴァルトを、正面を切って見つめる者は少ない。
(こんな瞳は見たことがないな。)
いつも自分に向けられる瞳には熱があることに、ジークヴァルトは気づいている。そしてそれに、日々うんざりしている。
時に度が過ぎる無礼者には、高位貴族ならではの魔力差で威圧でもして青ざめさせ、その鬱陶しい熱を冷まさせてやりたいほどだ。
それは大人も子供も女も男も大して変わらない。
恋情、劣情、陶酔、憧憬、そして嫉妬でさえ。
嫉妬とは憎悪ではあるが、裏返せば羨望であり、自分もそうありたいという欲望だ。
ジークヴァルトにとって、種類に差はあれど醜い欲に囚われた熱であることに違いはない。それを己に向けられることは、全く以て厭わしく、煩わしい以外にはない。
だが目の前の少女は、清々しいくらいに真っ直ぐにジークヴァルトを見つめた。その美しい青銀の瞳を見つめていると、囚われるような感覚を覚える。
「どういった話をお望みでしょう」
目の前にいるのは子供だ。だが目を逸らさぬ度胸にその口調に至るまで、まるで大人を、それも手強い相手を前にしているような気分になる。
ジークヴァルトは、それにまた口の端が上がる思いがする。
(外見にも、歳にも似合わず、なんとも小賢しい娘だ。)
「そうだな。では君の住んでいた村での話を。覚えているのはいつ頃からのことなのだ?」
(まずはこの娘がどこから来たのかを知らねばなるまい。)
すると彼女は少し思案する。
「そうですね……いつごろからなのかはよくわかりませんが…」
彼女は村でのことを話し出した。
一番古い記憶で覚えているのは、村長の家で家畜のように扱われていたこと。家畜と同じように、家畜小屋で蹲って眠っていたこと。
村の長の家族に使役されて、主に家畜の世話を任されていたが、事あるごとに役立たず、穀潰しと殴られる毎日。
飯は残飯。呼び名は、“おい”。“お前”。
いつからそこにいたのかは覚えていない。
ただ村人には、「お前は山で拾った」とか、「山から来た」などと言われたことがある。
そしてある日、山に山菜か果実か何かを取りに行かされた時に、白い子狐と出会った。
それからは村に帰らずに狐と狩りをしながら山で暮らした。
彼女は淡々とそんな話をした。
異様だった。
こんなにいたいけな少女が、そんな悲惨な境遇をまるで他人事のように話すのだから。
「…………」
この場には側近達を含め多くの貴族が集まっていたが、誰も声をかけることができない。いつもは物腰柔らかく気遣いを見せるリュディガーでさえ。
そこでジークヴァルトが尋ねることにした。
「つまり、その狐に会いに帰りたいというのが、今の君の望みか」
「はい」
「その白い狐は……どの程度の大きさだ?」
「大きさ、ですか?出会った頃はほんとに小さくて……猫程度だったのですが…」
彼女は手をその大きさに幅を合わせて動かしながら考えて、狐を思い浮かべたのか、微笑んだ。
「今では私より大きいくらいでしょうか?その背中にも乗れるくらいです」
この娘より大きいくらいか。それでもまだ小さいようだが、恐らく…
「まだ幼体と考えられるか…」
「幼体…?まさか、白い狐って……シルバーフォックスですか?」
ハインツが驚きの声をあげた。
「あの辺りに生息しているか?」
「いえ……あの辺は最近、魔獣被害の報告はなくて、軍の討伐作戦もここ数年は行われていなかったくらいなのです。…国境付近なので不思議ではあったのですが。まさかそれでなのか……シルバーフォックスと言えば“冬山の王”と呼ばれる魔獣。北の山奥の方にいるとは聞きます。本当にそこにシルバーフォックスがいたとすれば、幼体であっても脅威には違いありません。魔獣はその縄張りを避けるでしょうし、残った魔獣も駆逐されるでしょう。さらに成体ともなれば、どれだけの強さになるのか…」
「シルバーフォックスは魔法にも長けてると言うからね」
リュディガーが目を細めた。魔術師団の軍団長として、その脅威の度合いでもはかっているのだろう。
シルバーフォックスは冬山の王と呼ばれる程、強力な魔獣の王なのだと聞く。
成体ともなれば牙や爪などの物理攻撃だけではなく、魔法も多彩に扱う。それこそ村一つ、街一つなど壊滅させるのは容易だろう。
だが滅多なことでは山から下りたという報告はない。遭遇報告すら稀なのだ。そのため、実際の強さはわからないことの方が多い。
シルバーフォックスは北国では神聖視され、脅威の魔獣として知られる。山奥に生息する強大な力を持つ魔獣同士の勢力争いで、王と呼ばれる存在なのだから。
本来国境付近は大都市に設置されている結界石の魔獣への忌避効果の範囲外であるため、魔獣が多く生息するものだ。だがその国境付近の山脈であるにも関わらず、近年の魔獣被害報告もなく、魔獣討伐作戦も数年間行われていなかったという。
つまり北東にあるゲーアノルト山脈にシルバーフォックスが棲息していたために、他の魔獣が棲み着けなかったという可能性は十分にある。
(ゲーアノルト山……エルーシアに続く山脈だな。エルーシアの地から来たのか?この娘とともに?…この娘を追って?…いや、まさかな。)
「まさか、本当にシルバーフォックスか…」
ハインツは少女を見て呻いている。
「白夜はいい子ですよ?とても賢くて優しい子です」
彼女は慌てた声を出した。
(白夜と名付けたのか。魔獣を名付けるとは。)
「だが優しいのは君にだけかもしれぬ。村人には到底捕まえられぬだろう。本当にシルバーフォックスならば、だが」
「ほんとですか?じゃあ白夜は無事ですか?」
「恐らくな」
良かったぁ…と少女は小さな声をこぼした。心から安堵したような笑顔だ。
「だがそれが本当にシルバーフォックスで、君を探しているとなると、別の問題が浮上する」
「え?」
「そうだね。そんなに君と仲良しなら、心配して、君を探しに山を下りているかも」
「もしそうであれば、麓の村など、壊滅…」
同意したリュディガーに付け加えたハインツが、途中でその言葉を止めた。彼女の動揺に気づいたようだ。
この娘を一人で村まで行かせる訳にはいくまい。先ほどの話の通りであれば、一人で帰らせて村人に見つかれば、また捕まって売られてしまう。
送らせるならば、シルバーフォックスと戦う可能性もある。だが討伐する訳にはいかないとなると、軍や魔術師団は動かせない。それらがシルバーフォックスなどに遭遇すれば、脅威と見做して必ず討伐せねばならなくなるからだ。
つまり魔獣の王を相手に、こちらは公然と戦力は集められないということ。
だがその前に聞いておこう。
「もしそうなっていたら、どうする?」
「え?」
「君の言う狐が、村人を襲っていたら」
彼女は少し怯んだ瞳をしたが、それはほんの一瞬のことで、すぐにまた強い光を宿す。
「お言葉ですが、それは人間が悪いのです」
「何?」
「あの子はそんなに無鉄砲ではありません。道理を弁えています。ですから、もしそうなっていたとしたら、先に手を出したのは人間です。“やられたらやり返す”。生きる上で当然ではありませんか。…それとも、やられたままでいろと?」
強い瞳だ。可憐な少女の瞳とは思えない程に。
「なるほど、道理だ」
「閣下…」
「ハインツは言い返せるか?」
すると血気盛んなハインツには珍しく、困った顔をした。
「…そういう訳にはいきますまい」
「確かに。それもまた道理だな」
ふっと笑いが漏れた。
(ならばこんなことをしているうちにも動かねばな。この娘を探して人里に下りて、被害が出る前に。)
「ヴィクター」
「はっ」
「彼女を村まで送らせる。準備を整えろ。護衛も幾人か選んでおけ。…エーリヒはいつ戻る」
「恐らく午後には」
「そうだな。…戻ったら連絡するように伝えておけ。私はもう少しこの娘と話すことがある。それからお前の代わりの側近を呼べ。戻ったエーリヒでも良いぞ」
「は」
ヴィクトールは主命を遂行するために離れていった。ジークヴァルトの後ろに控えるのは護衛騎士のみとなった。
「閣下、私が行きましょうか?」
ハインツが期待のこもった目でこちらを見る。…シルバーフォックスが見たいに違いない。
「執務はどうした?イザークが泣くぞ」
ハインツの後ろで、側近のイザークがそわそわしている。
「いやいや、数日くらい問題はあるまい、な?」
ハインツがイザークを振り返り、軽く背中を叩いた。
「いえ、無理です、ハインツ様。まだ前回の商会取り締まりの事後処理も済んでいませんし」
「だ、そうだぞ」
ハインツがくぅ…と悔しそうにしている。
「私も見たいなぁ。シルバーフォックスか。なかなか会えないよね」
「お前が行くくらいなら私が行くぞ」
「ジークが?」
「閣下、ならば私も同行いたします」
(全く…)
ジークヴァルトはわくわくしていそうな表情のハインツを呆れ気味に見た。
「リュディガーは休みが取れるのか?」
「うーん。数日なら、なんとかなるような、ならないような…」
「リュディガー様、お止めください。軍団長なのですから、そんなに安易に王都を離れられません。そもそも不用意に王都を出たら、あらぬ憶測をされますよ?」
リュディガーの後ろに控えた側近が主を諌める。リュディガーが出かける際にはいつも同行する護衛騎士のレオンハルトは、相変わらずの無表情を貫いているが。
「あはは。…やっぱりだめかな、ヴィーラント」
(確かにな。)
魔術師団の軍団長がお忍びで王都を離れるなど、隠したってすぐにバレるに決まっている。どこにでも噂好きの耳目はあるものだ。
(ならばそれは私も一緒か。残念なことだ。)
「閣下の領地に遊覧のついで、という口実ではいかがですか?」
ハインツはまだ諦めてはいないようだが。
またまた貴族の名前が。
リュディガーの側近達ですね。
レオンハルトは護衛騎士。
ヴィーラントは副官です。
ジークヴァルトの後ろに控えた護衛騎士はギルベルトです。次話で出します。
大体みなさん榛色や亜麻色の髪色をしています。色素の薄い茶髪です。
補佐官は護衛官より少し暗めの髪色です。
◆追記◆
画像はお茶会に現れた女主人公のイメージ
生成AIで作成