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176.忍び寄る影

《ヴィンフリート・シュレーゲル》




 黄昏の頃、王都のグリューネヴァルト侯爵邸から戻ったヒューイットが帰宅の挨拶をしに来た際に、先方であったことの報告を受けた。

 現在、執務室にはヴィンフリートと側近のヨハネスが残っている。



「なぁ、ヨハネス。私は早まったかな」

「上位神聖魔法の使い手は必要だったかと。…ですが、このままいけば、望みが叶うのでは?」

「……そうだな。これが単純な商談であればな。だが、私は弟の不幸を望んでいる訳ではない。……あの子には幸せになってもらいたいさ。いや、あの子にも、か」

 ヴィンフリートの瑠璃色の瞳は憂いを帯びている。


「まさかファーレンハイト嬢がそのような……お人柄とも知りませんでしたからね」

「いや、貴族令嬢などは誰も大差ないさ」

 それまでの憂いを皮肉な笑みに変えて、ヴィンフリートは自らの側近を見返した。

「それはヴィンフリート様の偏見では?」

「ん?……ははっ」




 息子は帰るなり憤りを隠さずヴェローニカの身に起きたことを話し、早く彼女を邸宅に引き取りたいとヴィンフリートに提案していった。

 そしてしばらくしてヒューイットの側近のクラウスが再びやってきて、ヴェローニカに言付けられたと、食事の話をして下がっていった。

 どうやら珍しい料理を馳走になり、それがとても美味で他にもレシピがあるので貴族向けのレストランなどを検討してみるのはどうかと昼間に話していたようだ。

 全く、商才逞しい子だ。



「ファーレンハイト嬢がそのような様子だと、腹いせとして神殿側に思わしくない情報が伝わる可能性があるな。隣領の辺境伯家の令嬢だからと、もっと友好的かと踏んで指名したのだが。……目算が甘かったな。子供も嫉妬の対象になるとは。……あれは自領の損益も考えられないのか……」

 

 ヴィンフリートの声に珍しく不快さが滲み出た。

(だが、続き部屋か……。やはりエーリヒは…)

 顎を掴んで思案する。



「エーリヒ様は学院時代から女性人気がありますからね」

「私の弟だからな」

「左様で」

 ヴィンフリートとヨハネスは含み笑いをしながら見つめ合った。


「……いや、冗談を言っている場合ではないな。エーリヒの執事に連絡をとれ。協力は惜しまないと言ってやれ。それと状況確認だ。護衛は足りているか。警備体制を見直すよう危機管理を促してやれ」

「は」




◆◆◆◆◆◆




『ふむ……やはり、少し足りぬな』

「じゃあ、やるね」


 ヴェローニカは声を潜め、眠っているエーリヒに手をかざして、願いを込めた。体の中の隅々まで傷や痛みを想像し探し当てて、それを治していくイメージ。

 仄暗い部屋の中、身体の周りに魔素の光が集まってきて、小さな手のひらからキラキラと虹色の光がこぼれ落ちていく。そしてそれがエーリヒを包んでいき、身体の中に吸い込まれるように消えていく。



 リオニーとクリスティーネの神聖魔法を見て、何となくコツはつかんだ。それでも二人の放った淡い魔力の光とは違って、これは恐らく魔素の光だ。だから厳密には神聖魔法とは言わないのかもしれない。

 昨夜はいつものように歌を歌いながら願いを込めたが、今夜は隣部屋にクリスティーネが滞在している。だから騒がしくはできない。



『姫が神聖魔法を使えるようになったのなら、もうあのかしましい女はいらないのではないか?』

 ユリウスが後ろで見守りながら、念話で話しかけてきた。極力音を立てないように、ユリウスとツクヨミは念話で話している。だがヴェローニカはユリウスとしか念話はできないので、小声で最小限を話している。


「…………」

 ユリウスの声には不快感が込められていた。だがヴェローニカは黙って神聖魔法を使い続ける。初めて使う魔法だ。しかも人に対して。今は集中したい。

 それでも経過はツクヨミが視てくれるので、とてもやりやすい。

 私も体内魔素が視れたら、治療が捗るのにな。



『そろそろ良いだろう』

 ツクヨミの声に、ヴェローニカは頷いて魔素を止める。

 あとは近くにあった盥で水を絞り、エーリヒの汗を拭いてあげた。

 浄化をかけてあげたらスッキリするのかな。明日リオニーに聞いてみよう。もしかしたらもうリオニーがしてあげているのかもしれない。


「氷が欲しいな…」

 ボソッと言うと、

『そなたができるのではないか?』

「……できるかな?」

『やってみればいい』

 ツクヨミは尻尾をゆらりゆらりと揺らしながら言う。



 氷…氷…

 どうやって魔術師は氷を出してるんだろう。ああ、大気の魔素から作るのね、きっと。

 大気の魔素か…。雷の魔素が静電気なら、氷の魔素は……水蒸気から作るのかな。それとも、盥の水を凍らすの?

 盥の上で手をかざしながらヴェローニカは想像する。すると、手のひらが光り出した。盥の中の水がピキピキ…と凍り始めていた。


「あ!」

 やりすぎた。

 あっという間にカチンコチンに。

「ああ…」

 これでは水が絞れない。迷いがあったからか。

 ぷっと後ろでユリウスが小さく吹き出した。

 ヴェローニカはそちらを横目で見て、少し口を尖らせる。



 ユリウスの適性は風だから、これを溶かしてもらうことはできないし。ここで初めての火魔法を試すのもちょっと気が引ける。

 よし、ちょっとだけ水を……

 またヴェローニカは盥に手をかざしてイメージする。ほんのちょっとだけ、今回はちゃんと水蒸気を水に。

「ほぅ…」

 ちょっとだけ氷の上に水たまりができた。

 エーリヒの額のタオルをとって、できた水を含ませ、絞り直す。そして再びエーリヒの額の上に冷たくなったタオルをのせてあげた。




――少し前――

 ヴェローニカの泊まる二階の客室のバルコニーからツクヨミを抱いて空を飛び、昨夜のようにエーリヒの部屋のバルコニーに着くと、そこにはユリウスが佇んでいた。


 昨夜ヴェローニカとツクヨミがエーリヒに治癒を施したと聞いて、本来は睡眠が必要ないユリウスは今夜も来るのではないかと先回りをして待っていたようだ。

 コンラートに話して入口から入ることも考えたが、三階に上がってクリスティーネと鉢合わせすることは避けたかった。これ以上、コンラートに迷惑をかける訳にはいかない。

 そして昨夜と同じくバルコニーからエーリヒの部屋に入り、治癒を施したところだ。

 これで今夜も安心して眠れる。




「帰ろ」

 ヴェローニカがツクヨミを抱き上げると、ユリウスはコクリと頷いて先にバルコニーに出る。ヴェローニカも部屋を出ようとしたとき、ふと、後ろ髪を引かれるようにエーリヒを振り返った。

「おやすみ、エーリヒさま」


 ゆっくりと静かに出入り口を閉めて、またバルコニーから飛び立った。



 庭園の片隅から、黒尽くめの誰かがそれを見ていたとも知らずに。




◆◆◆


《コンラート・ネーフェ》




 ヴェローニカとツクヨミとユリウスがエーリヒの部屋を出てしばらくすると、コンラートがリオニーを伴って部屋に入ってきた。

「…………」

 間接照明のみのあたたかな光に包まれた静かな寝室に、何か人の気配が残っているような気がしたのだが、気のせいか。どうやら神経質になっているようだ。

 コンラートは心を落ち着けるようにひとつため息をつく。




 散々だった。本当に今日は。

 先ほどのクリスティーネとの悶着のあと、コンラートはヴェローニカのいた部屋を使用人達に清掃させ、整えさせている間に侯爵に連絡を取った。

 本当に婚約話があるのかの確認である。


 辺境伯からはどうやら以前から打診はあり、今回治療を依頼する際にも改めて婚約の申し入れがあったようだ。しかしそれはあくまでファーレンハイト辺境伯側の意向が強く、侯爵はエーリヒの意志を尊重するとの姿勢を保っていた。ただ今回は治療をお願いする立場として、はっきりとした拒絶もできなかったようだ。



 だがすでにあれだけの騒ぎがあって、実際にあの部屋からヴェローニカを追い出してしまったのだから、今さらやはり客室に滞在しろとは……言いづらいというよりは、彼女が納得しない。

 コンラート的には、エーリヒの意向が何よりも重要なので、隣部屋はあくまでヴェローニカの部屋なのだ。今でもそう思っている。

 では何故そうしないのかというと、彼女が上位神聖魔法の使い手だからだ。何はなくともまずはエーリヒを回復してもらわないといけない。全てはそれからなのだ。




 リオニーがベッドサイドの魔導灯を点けた。

 今夜も主は眠りについたまま。

 コンラートがエーリヒに仕えるようになってからというもの、これほど無防備な姿を見たことなどなかった。一体いつになれば目覚めるのか。

「リオニー。頼む」

「うん。ツクヨミ様みたいには詳しくわからないけど、痛みがあるかとか、炎症があるかくらいなら、もうわかると思うわ」

「十分です」


 先日エーリヒに身体スキャンはできないのかと叱責されたリオニーは、エーリヒが教えるとは言ってくれたものの、忙しい主にそのようなことはお願いできないと、診察で立ち寄った侯爵家お抱えの医者に指南を受けた。まだ十全に使いこなせる訳ではないが、神聖魔法が使えるリオニーには、習熟しやすい分野だった。



 リオニーはエーリヒの肩に触れた。そして慎重に身体スキャンをして身体に支障がないかを探す。


「あら?……なんとも、ないみたい。夜の治療の後に診たときはまだ炎症が残ってたんだけど……ちょっと待って、コンラート、もう一回やってみるから」

 少し焦りながら、さらに慎重に身体スキャンを試みる。

 そんなリオニーを見ながら、コンラートも何か手伝えることはないかと、サイドテーブルの盥を見た。

「……?」

 盥の中身がほとんど凍っている。水はほんの少しだけだった。



「リオニー……ここに誰か来ましたか?」

「え?」

 コンラートははっとして、すぐさま続き部屋の扉に近づいて、ゆっくりとドアノブを回した。


(良かった。ちゃんと閉まっているな。……当然か。もう何度も確認したのだから。)

 ここを開け放しておくわけにはいかない。ここの鍵は今、コンラートの胸元にある。

 コンラートはその鍵を服の上から確かめるように押さえた。



 次にバルコニーに近づいてノブを回した。

 開く……

(ここも閉めた方がいいか。まさか隣からツクヨミ様やユリウス様のようにクリスティーネ嬢がバルコニーを飛び移るとは思わないが。)

 コンラートはバルコニーへの出入り口の扉の鍵を閉めた。そしてまたエーリヒのベッドサイドまで戻る。


「コンラート、やっぱり大丈夫みたいよ。エーリヒ様、今は痛みはないみたい。熱も引いてる」

「そうか。……神聖魔法が効いたのか。良かった……」

「…………」

 リオニーは少し首を傾げているようだが、容態が安定しているならば安心だ。

「じゃあ、今日のところは戻ろう。今夜は問題はないようなので、朝になったらまた来ます。それまでは、エーリヒ様のお部屋は鍵をかけますから」

「はい」


「何かあれば連絡を。鍵を持っているのは私だけですから。また状態が気になった時は遠慮なく申し出てください。付き添います」

「うん。わかったわ、コンラート」

「それから、クリスティーネ嬢とエーリヒ様は二人きりにしないように気をつけてください。皆にも徹底を」

「うん。そうね」

 コンラートとリオニーがいくつか確認をしていると、突然続き部屋の扉がガチャガチャと鳴り出した。

 その音に二人は身体をびくりと波立たせて振り返る。



「何よこれ!どうして開かないの?!」

「クリスティーネ様。鍵が掛けられているのでは?」

「なんでよ!私は婚約者なのよ?どうして鍵なんてかけるのよ?……またコンラートね?もぉ、本当になんなのよ、あいつ!せっかく今夜はエーリヒ様と添い寝しようと思ったのに。ひどいわ!」


(……添い寝……)

 コンラートは呻き声が出そうになって、思わず口元を押さえた。


(そんな事態になれば、エーリヒ様は……逃げ場がなくなる。)

 だとしてもエーリヒは意に反することになど絶対に従わないだろうとは思ったが、自分の知らぬ間にそのような事態にまんまと嵌められたと知った時の主の怒りをコンラートは考えたくもなかった。



 扉のドアノブは今だガチャガチャと乱暴に回され、クリスティーネの苛立った声がしばらく扉向こうから聞こえた。


「…………」

 コンラートとリオニーは息を潜める。しばらくすると、ようやく静かになった。

(やっと諦めたか。)

 二人は同時に細いため息をついた。



「もう……信じられない。何なのあれ……」

 リオニーは顔をしかめて不快感をあらわにしている。

「何が婚約者よ。エーリヒ様が何も言えないと思ってやりたい放題ね。神聖魔法を盾にとって、卑劣だわ」

「…………」

(神聖魔法を盾に……)

 そのせいで、あれだけエーリヒが大切にしているヴェローニカを守ることができないことにコンラートは懊悩する。



 二人で視線を交わし頷くと、寝室から出て鍵をかけた。

 ヴィンフリートの協力も得られたコンラートは、邸宅の警備体制の見直しを執行し、エーリヒの部屋の前には今夜から寝ずの番を置くことに決めた。




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