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168.この想いの正体は(3)

《エーリヒ・グリューネヴァルト》




 エーリヒは自室のベッドの上にヴェローニカを寝かせて彼女を見守っていた。

 ヴェローニカのはめていた魔術具の指輪を外すと、紺色だった髪が見る間に白銀色に輝く。汗ばんだ額に張り付いた銀色の髪と頬の涙の跡や血の跡が目に入り、適当な柔らかい布地をとって魔法で水を含ませ、それを優しく拭き取ってやった。

 着ているアイボリーの淑やかなドレスにも血が飛んでいる。それを見ているとどうにも心が痛む。




 何故だ?

 ヴェローニカは何故あんなことを言った。


 秘密を明かす必要がないというのは、私の出自のことだろう。

 白夜に従う必要などない。

 それは国盗り、王位簒奪のこと。


 だが……やっと自由になれる、愛する方を呼べるとは、なんだ?幸せになれとは……

 まるで私が婚姻するかのような言い草だ。

 私がいつそんなことを……

 誰かに何か吹き込まれたのか。



「…ん?…あいつら…ここに来る気か…」


 ユリウスと黒猫の気配が近づいてきて、騒がしく廊下を駆け抜け、隣のヴェローニカの部屋に入り、バルコニーに出た。

 エーリヒが自室のバルコニーの方を見ていると、ユリウスと黒猫が隣のバルコニーから飛び移って来たのが見えた。


「奴らには人払いも鍵も意味がないな…」

 呆れながら視線を外し、ヴェローニカを見守っていると、カチャリとバルコニーへの出入り口が開けられる音がした。



「エーリヒ……姫は?」

 それなりに気を使ったような声量で、バルコニーへの出入り口を開けたユリウスが話しかけてきた。

「…………」

 無言のままのエーリヒなどお構いもせずに、ツクヨミはユリウスの開けた扉の隙間から、するりと部屋に入ってくる。そしてベッドに上がって、眠るヴェローニカの頭の横に香箱座りで座った。

 エーリヒはそれを無言のまま見つめる。



『なんだ。文句を言わんのだな』

「言ったら出ていってくれるのか」

『内容によるな』

「…………」

 ユリウスもゆっくりと部屋に入ってきた。

「ツクヨミよ、本当にヴェローニカはこのままでも大丈夫なのか?何も問題はないのか?」

 ベッドの側までやってきたユリウスが黒猫に尋ねた。


『逆に問うが問題とはなんだ?…身体的な問題は何もない』

「では、精神的には問題なのか?」

『通常ではないが問題はない。この子は心を乱したくないがためにそうしたのだ。そうやって精神の安定を図った。望みの通りなのだから問題はあるまい』


 するとユリウスは嘆息した。

「そうか……やはりか。最近姫の様子がおかしいとは思っていた。自己暗示をかけていたからだったのだな……やっと納得した。……あれからエーリヒのことは自分からは一切口にしなくなったからな。だが、確かに憂いなど忘れて穏やかではあった」



「私のことを…?あれからとは何だ。憂いとは?…ヴェローニカに、何かあったのか?」



 ユリウスと黒猫の会話の内容を不審に思ったエーリヒは二人に問いかけた。彼らは何やら視線を合わせている。念話で会話でもしているのか。

 どいつもこいつも……なんだというのだ。



 私が知らぬ間にヴェローニカに何かあったのか?彼女はこの侯爵邸で日々をつつがなく暮らしているとばかり思っていたのに。

 ユリウスも事情を知ったふうな顔に見える。ずっと彼女の傍にいるからか。こいつがヴェローニカに支障がある事態を知らないままでこんな平静でいられるはずがない。ならば然程深刻な状態ではないということか。

 だが、私のことを話さなければ心が穏やかでいられるとはどういうことだ。それではまるで……私が、必要ないかのようだ。いや、それどころかまるで私が……彼女にとっての害毒であるかのようだ。



『…なんと言えば良いかの。こういうことは吾が言うことでもないが……あの感じだと、過去の夢を見たようだな。この子は時折、夢で近い過去世を思い出しているようだ。うぬのこととそれが重なったのだろう。であれば心を殺せば、今生は穏やかに過ごせると思ったようだ』


「過去世……私のこと?…とは、何だ?心を殺すとはどういう意味だ。一体何の話をしているんだ」

『ま…うぬも男だからの。…責める気はない』




「ん…」

 ヴェローニカが身悶えした。ぱちりぱちりと瞼が開く。


「…エーリヒ…さま…?」

「ヴェローニカ…」

「ユリウス……ツクヨミ…」

「ヴェローニカ、大丈夫か?」

 ヴェローニカは起き上がりながら視線を巡らせ、隣にいた黒猫を見つけると手を伸ばした。

「ツクヨミ、大丈夫ですか?」

 身体を起こして黒猫を抱き上げた。

「首輪……ありませんね。良かった…。どこも痛くありませんか?」


『大丈夫だ。心配するな。あの程度の雷魔法では吾は傷つけられぬ。そなたがあの石から吾を庇うように握っていたしな。それよりもそなたの方だ。気分はどうだ?』

「え?…なんともありませんよ?エーリヒ様に治してもらいましたから」

『そうか』

 ヴェローニカは幸せそうに黒猫を抱きしめ、頬ずりする。



「ふふふ。やっぱり毛がつきます。いい匂いです、ツクヨミ……あれ?ここは?」

 抱きしめた黒猫に顔を埋めていたヴェローニカはやっと周囲のことに気が回ったらしく、部屋をきょろきょろと見回し始めた。

 部屋の基本的な内装はヴェローニカの部屋とあまり変わりはないが、この部屋の寝具やカーテンなどの色味は深い紺色をベースにしてアクセントに金色をあしらっている。彼女の部屋は熟成した赤い果実酒のような色味がベースなので、すぐに別の部屋だとわかるはずだ。



「ここは私の部屋だ、ヴェローニカ」

「エーリヒ様の?」

「君はあの場で倒れたんだ。それで連れ帰って来た。本当にどこも問題はないのか?」

「そうですか…。申し訳ありません。私は大丈夫です。さっきの首輪を外したせいでしょうか?皆さんに迷惑をかけてしまいましたね」

「君が起きたことはちゃんと伝えさせる」

「ありがとうございます」


「…………」

「…………」

 エーリヒが無言になり、ヴェローニカもそれを無言で見つめ返した。



「あ、すみません、エーリヒ様。ありがとうございました。もう部屋に帰りますね」

 ツクヨミを抱きしめたままベッドから下りようとしたヴェローニカをエーリヒは引き止めた。

「ヴェローニカ…」

「?……はい」

「……お前ら、もう出て行け。ヴェローニカと話がある」


『二人で話が進むのか?』

「余計な世話だ」

『ふん、そうか。余計な世話か。ならばゆくぞ、木偶……いや、ユリウスか』

 黒猫はヴェローニカの腕の中から出ると、ベッドからトタンと下りた。ヴェローニカは少し寂しそうな顔をする。

「何?私もか?」

「良いのだ。小僧は何もわかっておらぬ。わかっておらぬ者同士、どうせ二人じゃ堂々巡りだ。執り成してやろうとも、余計な世話だと言うのだから放っておけ」



 黒猫は気分を害したような口ぶりで、とことこと部屋の出口に向かう。それを目で追ってから、ユリウスはヴェローニカを見た。

「姫、二人で大丈夫か?」

「何故ですか?行ってしまうのですか?ユリウス…」

 ヴェローニカが二人きりになることを不安そうにするのを見て、エーリヒは内心少し動揺した。今までとは明らかに彼女の反応が違うと。



「不安なのか?」

 ユリウスが気遣わしげにヴェローニカの頬に触れる。

 エーリヒの胸に嫌な感覚が広がった。

「不安?……よく、わかりません……でも何か、落ち着かなくて…」

「エーリヒ…ヴェローニカが不安がっている。魔素が動揺しているんだ。私が傍にいてはだめか?」


 こいつの前で話せと?

 一体何を?



「…………」

 何故だ?何が起きている?

 どうしてヴェローニカは心を殺したのだ?何故自分に暗示をかけた?

 過去の夢?…過去世の、前世の心の傷か?それが私とどう関係あるというのだ。あれから養子縁組の話さえしていないというのに。



「ヴェローニカ…大丈夫だ。何かあれば声をかけろ。どこにいてもちゃんと聴こえるから」

 ユリウスがヴェローニカの傍に屈んで話しかけている。

「本当ですね、ユリウス…」

「ああ、本当だ。おまえが声をかけたらすぐに来る」

「…はい…」


 なんだ、これは。何を見させられているんだ。

 これでは、まるで……


 ユリウスがヴェローニカの頬をなで、二人で微笑み合っている。

 エーリヒが忙しくしている間に、二人の関係には何か変化があったのか。

 沸々と苛立ちが増す。

 そしてユリウスは黒猫の後を追い、部屋を出ていった。




 ヴェローニカはベッドの縁に腰掛けて、同じくベッドの縁に腰掛けているエーリヒを見上げる。

 そしてふいにベッドから下りようとした。


「待て、どこへ行く、ヴェローニカ」

 彼女の腕を捕らえてくいと引いた。ほんの軽くだったが、彼女の身体は小さく軽かったので、そのままエーリヒの膝の上にぽてっと倒れてきた。

「あ…ごめん、なさい、エーリヒさま…」

 膝の上で横たわり狼狽える彼女を抱き上げて、ひょいと改めて膝に乗せた。



 彼女はエーリヒの膝の上で不思議そうに瞬きをして見つめる。その青銀の瞳が少し不安そうにも見える。

 先ほどユリウスを見つめていた瞳とは違った。

 あれは、安心していた。信頼していた。頼っていた。

 何故今は、そんなにも不安そうな瞳をしているんだ。



「エーリヒさま…?」

「なんだ」

「あの……どうしたのですか…?」

 水晶のような無垢な瞳が見つめてくる。わずかに首を傾けて。

「…………」



 なんて聞けばいいんだ。

 あの言葉が鍵なのは間違いないが、あれの意味を聞くと、また気を失ってしまうのだろう。そうならないようにしながら、自己暗示の原因を探り、それを解くなんてできるのか。

 ヴェローニカは自己暗示をかけたことは忘れているとあれは言っていた。その核心に触れようとすると気を失ってしまうのか。

 つまり、当たり障りのない会話しかできない。


 私達の状況は何も進展しないということか。


 堂々巡り……とは、こういう状態のことか。


「はは…」

 気づくと笑いが漏れていた。




 だが……やっと。……やっとだ。

 やっと、二人きりになれた。

 ……ふたり……きり……?




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