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162.心の鍵(1)

《ヒューイット・シュレーゲル》




「叔父上…」

 ヴェローニカに近づいた人影を見て、ヒューイットは呟いた。


「エーリヒ……いつ、ここに」

 エーリヒはユリウスの呼びかけも無視してヴェローニカの前に跪き、彼女の両手を優しく包むように掴み上げると、その手のひらの傷を目にしてピクリと眉をしかめた。そしてヴェローニカを見つめる。


「何をやっている、ヴェローニカ…」

「…エーリヒ様…」

 こんなエーリヒの不機嫌そうな低い声をヒューイットは初めて聞いた。



 エーリヒはヴェローニカを見つめて顔をしかめ、再び視線を彼女の手のひらに落とすと、その手のひらは淡い光に包まれた。

(治癒魔法?…あれ?でも叔父上の適性は……風魔法だったんじゃないかな?でも水癒は水魔法の派生魔法だし。神聖魔法が使える訳はないし。)



「君が、“優しい人には優しい世界であって欲しい”と願っているのは理解する。だが、“君が危険に晒されるのは容認できない”と、あの時にも言ったはずだ」



 エーリヒはあっという間に彼女の手のひらの治療を終えると、黒い革手袋を外しながら侍女を呼びつけて何かを受け取り、それで彼女の手のひらを丁寧に拭いてあげた。拭き終わった布地は彼女の血で真っ赤だった。


「ありがとうございます。エーリヒ様」


 ヴェローニカはエーリヒに微笑んでお礼を言ったが、そのまま彼女の頬に大人の大きな手のひらがなめらかに触れた。

 ヒューイットはそれを見て、ドキンと胸が波打ったのを感じた。そして締め付けられるような嫌な違和感を覚える。



 エーリヒの大きな両の手のひらは、ヴェローニカの小さな頬を容易に包み込んで、涙の跡を指で優しく拭いながら、また淡い光に包まれる。どうやら走り回っていた青白い光が、彼女の柔らかそうな頬をも傷つけていたようだ。

 彼女は従順に目を閉じて、エーリヒの治療を受けている。

 その間に輝くようだった銀髪は、徐々にまた紺色へと戻っていった。

 しばらくそんな風に優しく頬に触れたあと、「他に傷はないか」と自然に首元にも触れ、細やかに確認する。



「あとは大丈夫か?」

 粗方の治療を終えて、ようやく少し落ち着いた声でエーリヒはヴェローニカに尋ねた。だがまたすぐに顔をしかめる。

「なんだ、これは…」

「え?」

「何故我慢している、ヴェローニカ」

 エーリヒは血を拭った布を手渡した侍女を振り返った。

「リオニー」

「は、はい!エーリヒ様」

 侍女のリオニーはエーリヒの険のある声を感じとり、ビクンと身体を硬直させる。

「お前は身体スキャンはできないのか」

「…も、申し訳ありません」

 エーリヒが一際眉をしかめた。

「…わかった。今度教えてやる。覚えておけ」

「え?…あ、ありがとうございます」

 リオニーは畏まって礼を言ったが、教えてもらえることに少し驚いていたようだ。



 再びヴェローニカに向き直ったエーリヒは、自分が跪いていた目の前にある脚を見ている。

「身体中に炎症があるようだが……特に膝が痛むのか?」

「え?…はい。でも大丈夫です。ただの成長痛ですから」

「大丈夫ではない」

「え?」

「君は今後、“大丈夫”と言うのは禁止だ」

「……え?」

 ヴェローニカの小さな膝にスカートの上からエーリヒが手を当てると、また淡い光に包まれる。

(叔父上……すごいんだな。)



「…黒猫…」

『なんだ、小僧』

「…しばらくはお前がヴェローニカの状態を視てやってくれ。侍女が神聖魔法を使える」

『…ふん。うぬに言われんでもこの子の面倒は見てやるわ。…これもとれたことだしな…』

「…………」




「自分の仕事は終えて来たのか?エーリヒ」

 上座の方から声がかかり、エーリヒはそれをゆっくりと振り返った。

 横から見えた表情が、主を見る目ではないような気がした。少なくとも屋敷にいる使用人達はそのような目でヒューイットやその父親を見ない、と。



「このようなこと……伺ってはおりませんでしたが」



 エーリヒといえば、会うたびいつもその端整な容貌に貴族らしい笑みを浮かべていた。部下に指示を出す姿も堂々としていつでも凛々しく、それでいて爽やかに微笑み、叱る時でさえも笑みを浮かべていて、少し混乱するくらいだ。エーリヒに叱られた側はいつも恐縮しているので、やはり叱っているのだなと思ったものだ。



 エーリヒは優秀なのだとよく聞いていた。

 ヒューイットやヴィンフリートのような金髪ではなく、少しくすんだ淡い亜麻色の髪と瞳。

 金髪は高位貴族の象徴。そのためエーリヒを軽んじて陰口を言う使用人達もいるようだが、ヒューイットは何事もそつなく器用にこなす叔父を尊敬していた。ヴィンフリートもよくエーリヒを褒めていた。

 だが、貴族の手本のようなその穏やかな笑みが、今の彼にはない。それどころか、いつも涼しげだったその亜麻色の瞳は、不穏な光を秘めているように見える。



「…そうだったかな。少し手が空いたものでな。こちらに来てみたんだ」

「わかっていてわざとはぐらかすということは、どうやら後ろめたいことをしたという自覚はあるようだ」


 ヒューイットはエーリヒの言葉にヒヤッとするものを感じた。自分の仕える伯爵に対して、これでいいものなのか。



「エーリヒ。いくらお前でもジークヴァルト様に対し、不敬が過ぎるぞ」

 ジークヴァルトの後ろの護衛騎士が低い声を出した。憤りを感じる声だ。

「ギルベルト……事情も知らぬのなら、黙っていろ」

「なんだと?」

 エーリヒの礼を失した言葉に、ギルベルトは目を剥いた。ところがそんなギルベルトの腹立ちをエーリヒは歯牙にもかけない。


「このようなことをして、一体何を釣ろうと?…ハインツ卿、いくら捕らえても小物では許しませんよ」

「…エーリヒ卿…」

 エーリヒに見据えられたハインツの声が、珍しく少し狼狽えている。


 何をそんなにエーリヒは怒っているのか、ヒューイットにはわからなかった。



「ヴィンフリート兄上。あなたも噛んでいるとは。ヴェローニカの信頼を悪用するつもりなのですか」


 エーリヒは次にヴィンフリートを見据えた。いつもの二人と雰囲気が違う。



「ふふ。エーリヒ。お前もそんなに感情的になれるんだね。少し感動したよ」



 ところが意外にもヴィンフリートの声は、エーリヒの感情とは対照的だったことにヒューイットは少し呆気にとられ、そして安堵もした。

 何が原因かはわからないが、二人が対立することをヒューイットは望まない。



「お前の懸念はわかっているよ。私も彼女のことは心配している。だが……いつまで隠し通せると思うんだ?」



 エーリヒの追及にもヴィンフリートは揺るがない。微笑む余裕すらある。



「彼女を大切にするあまりに彼女の自由を奪ってはいないか?子供とは可能性の塊だ。大人が思うほどか弱くはないし、じっとしてもいられないんだよ。…しかもこれだけの逸材だ。どんなに覆い隠そうと、その光はいつか漏れる。今ならまだ、どこから狙われるのかわかりやすい」



「…………」

(すごい。あの叔父上がお父様に言い返せないでいる。)



「いずれは起こるのなら、対策をして待ち構えればいいとは思わないか?…お前もそれくらいわかっているはずだ」

「…まだ万全ではありません」

「万全か。…なるほど。それで最近忙しくしているんだね。だがそれを相手は待っていてくれるだろうか」

「誘き寄せたのはそちらでしょう」

「まあ、それはある。だが……私が言いたいのはそちらじゃない」

 ヴィンフリートは長い脚を組んで、肘掛けに頬杖をつきながら妖しく微笑む。



「お前は言い寄る女の対処法しか知らない。自分で追い掛けたことがないからだよ」



 ヴィンフリートの言葉にエーリヒは訝しげな表情を浮かべた。




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