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158.隷属の首輪(1)

《ヒューイット・シュレーゲル》




「いや、驚いたよ。あんな風に考えていたんだね。…ニカは優しい子だね」

 リュディガーがふわりと笑って、ヴェローニカの頭をなでた。新緑のような萌黄色の瞳が優しく細められて彼女を見つめる。

 なでられている彼女はというと、少し戸惑っているようだ。



 その戸惑いの理由は何となくわかる。優しいという表現が合うかというと、何か違う気もする。

 確かに彼女は優しい。でも、優しいというよりも、また違う、別の“何か”だろう。

 ヒューイットから見た彼女はとにかく眩しい。そして眩しくて力強い。

 その強さが少し怖くもあるし、頼もしくもあって。あまりにまばゆくて目を細め、逸らしたいのに、目を離せずに見惚れ、心惹かれる。




 孤児院経営予定者達の集まりは、先刻すでに解散した。悪しき慣例として前任者から譲与されるはずだった彼らの権利は、リーデルシュタイン伯爵の権限のもと消滅した。

 その後、机と椅子の並んだ堅苦しい会議室のような広間から、貴人を遇する応接室に移動し、今はソファーにゆったりと寛いで、訪れていた高位貴族の皆様と午後のお茶の最中だ。

 今日もヴェローニカが手土産のケーキや菓子類を持ち込んだようで、テーブルの上には近頃見慣れた、しかし他では見たことのない多様なデザートが並べられていた。



 ヒューイットは何か内容の濃い物語の本を一冊読んだあとのような虚脱感というか、どこか現実感なくぼうっとした心地でソファーに座ってヴェローニカを眺めていた。

 彼女がいつも連れている黒猫、ツクヨミというらしいが、あの子はいつものように彼女から離れずに膝の上で寛いでいる。


 ヒューイットも触りたいと思い何度か手を伸ばしたことがあるが、いつもするりと避けられてしまう。寛いでいる最中で避けるのが面倒な時は、長い尻尾でシタンシタンと叩くふりをして威圧するような雰囲気を出す。だが出した手を引っ掻いたり、噛んだりはしない。優しい子のようだ。

 そのツクヨミがヴェローニカの手になでられている。とても優しい手つきだ。

(僕も…あの手になでられたい…)




「ヒューイット様?」

「え?」

 気づくとヴェローニカがこちらを見ていた。少し気遣うような、長いまつげに縁取られた清らかな青銀色の瞳だ。

 今は紺色をしているが、本当の彼女の髪色はその瞳のように清らかな青銀。魔導シャンデリアの光に当たると、煌めくリーヌス湖の水面のようにキラキラと光をまとって白銀色に輝く。

 初めて会ったあの晩餐会で見た彼女の姿がヒューイットには忘れられない。あれ以来ずっと、屋敷に来る時はいつも魔術具で髪の色は紺色にしているから、なおさらなのだろうか。



 先ほどまで大の大人達が寄ってたかって、しかも他人の陰からこそこそと非難し、それを彼女は堂々と一人でやり込めていた。こんなに小さくて頼りなく見える儚げな少女が。

(僕に、あんなことが……できるだろうか。)

 ヒューイットは膝の上の拳を知らず識らずのうちに握り締めていた。



「大丈夫ですか?…気分が悪くなりましたよね…?」

「え?…どうして?」

「え?…それは…私が…」


「大丈夫だろ?ヒューイット」

 隣に座っていたヴィンフリートが息子の肩を抱いて声をかけた。

「あ、はい、お父様。大丈夫です」

 返事をして彼女を再び見ると、一瞬寂しそうな瞳をしていたような気がした。でもそれはほんの一瞬で、すぐにいつもの貴族風のにこやかな笑顔を見せている。

(どうしたんだろう。)

 そのほんのわずかな違和感に、なんだか自分でもわからない正体不明の気持ちが込み上げてきて、もやっとした。




「ヴェローニカ」

 伯爵に声をかけられて、ヒューイットを見つめていた青銀の瞳はそちらを向いてしまう。

(あ…)

「はい。ジークヴァルト様」

「君が孤児院を買収した上で経営したいと言っていると聞いた時には驚いたが……今日の君には……もっと驚いた。だがあれは少しばかりやりすぎだったのではないか?…なぁ、リュディガー」

「そうだね。本当にニカには驚かされてばかりだよ」


(ニカ……ヴェローニカの愛称か。伯爵様達とも親しいんだな、ヴェローニカは。)



「お見苦しい所をお見せして申し訳ございませんでした」

 ヴェローニカはソファーから立ち上がって、周りにいる高位貴族達に正式な謝罪をした。

 たおやかな品のある振る舞い。伏せた視線、胸に置かれた小さな手のひら、白いスカートを摘む指の先までもがお手本のように美しい。ずっと見ていたいくらいだ。今日の彼女の装いは、淑やかなアイボリーのワンピースドレス。彼女にとても似合っている。

 彼女はあれだけ意地悪をされた大人達にも、帰り際にはしっかりとこのような敬礼をして、礼儀を示していた。大人達もちらほらと彼女に見惚れている者もいたようだった。



「礼儀作法を身に着けたんだね。所作がより綺麗になったよ、ニカ」

「ありがとうございます。リュディガー様」

「確か、今はエーリヒ卿の所にいるのだったね」

「はい。そうです」

「じゃあそこで習ったんだね」

「はい。他にもいろいろな授業を受けることになりました」

「へぇ」

 可憐な微笑みを浮かべながらヴェローニカがソファーに再び座ると、黒猫はまた膝の上を陣取ってくる。




「あの、団長……そろそろ僕を紹介してくださいよ」

 リュディガーの隣に座っていた金髪で紫色の瞳の男性だ。

 紫眼というのはとても珍しい瞳の色らしいことはユリウスの時にヒューイットは聞いていた。


「ああ、ごめんごめん。この子が話していたヴェローニカだよ。ニカ、私の部下のフェリクスだ」

「それだけ?あ、えーと……魔術師団第三軍所属のフェリクス・ミュラーです。えーと、僕は紫眼でして、魔素が視えるんですが……ずっと、ずーっと我慢してたんですよ、団長」


「軍団長ね。そこ、うるさい人がいるから正確にね、フェル」

「ああ、はい。僕はそんなのどうでもいいんですけど。それより先輩、何なんですか、一体?凄すぎません?」

 フェリクスは目移りするようにキョロキョロとしている。主にヴェローニカの方とユリウスの方を見ているようだ。

「何が?フェルしか魔素は視えないんだから、わかりやすく言ってよね」



「待て」

 リュディガーとフェリクスの戯れのような会話を流されるように聞いていたが、途中で涼やかなジークヴァルトの声が制した。


「ハインツ、不要な者は下がらせろ」

「はい、閣下」

 ジークヴァルトの指示通り、ハインツがいつも連れているイザークともう一人の部下、それと給仕のメイドの一人を残して、あとの部下は下がらせた。

 ヴィンフリートとヒューイットの従者はいつも連れている側近と護衛騎士しかいない。


「閣下、こちらは副官のルーカスです。いつもは王都門に勤務しています。ヴェローニカに関してもユリウスに関しても全て承知です」

 ルーカスが武官らしくジークヴァルトに礼をした。

「そうか。……ではミュラー、続けよ」

「あ……は、はい。伯爵閣下」



 姿勢を正したフェリクスがヴェローニカの方とユリウスの方を交互に見ている。

「あの、えーと……あの方は、紫眼なのでしょうか…?」

 魔素が視えるというのはどういう視界なのだろうとヒューイットは想像してみる。ユリウスの外見は完全に人間なのだが、本当はマリオネットであるから、人間とはどこか違って視えるのだろうか。




「お待ちください、ミュラー卿」

 突然ヴェローニカがフェリクスを止めた。そしてジークヴァルトに向き直った。

「ジークヴァルト様。どういう意図でこの方をお連れになったのかをまだ教えていただいていません」

 するとジークヴァルトはふっと笑った。

「連れて来たのはリュディガーだぞ、ヴェローニカ。リュディガーの部下だと言ったであろう」

 ヴェローニカは一度ぱちくりと瞳を瞬かせた。


「そういう意味で私が言ったのではないとご存知で、そのような意地悪を仰る意味もわかりませんが……敢えて申し上げますと、リュディガー様は勝手な行動をとるとは思いませんし、この場を支配しているのはジークヴァルト様ですから。私はユリウスの主です。彼が不利になるような状況は、どのようなことであれ承服しかねます。ですから先に、ミュラー卿をお連れになったその意図を教えていただければと思います」



「ふふっ、わかったわかった…」

 ジークヴァルトは吹き出して拳で口を押さえたあと、その手をひらひらと返し、もう止めよというジェスチャーをした。

「警戒心が強いな、ヴェローニカは。…何もしないさ」

「ニカ。ジークが意地悪を言うのはね、ニカの反応を面白がっているからだよ。君がどう返事をしてくれるのか楽しんでるんだ。本当は久しぶりに君に会えて嬉しいんだよ。意地悪な大人だけど悪く思わないでね」

「おい、リュディガー…」

 ジークヴァルトがわずかに苦い顔を見せた。



「ジークが説明するとまたニカを刺激しそうだから私から説明すると、まずここには信頼していい側近達しか残していない。それから、君やそこの、ユリウス…?彼の状態を一度魔素が視えるフェリクスに視てもらおうと思ってね。エーリヒ卿からは君達のことはある程度聞いてはいるけれど、視てもらうと何かわかるかなと思ったんだ。ニカ達に危害を加えるつもりは、一切ないから安心して」



 リュディガーが穏やかに微笑みながらヴェローニカに説明をした。

 リュディガーは魔法のエリート集団である魔術師団の一軍を率いるという軍事的な立場ではあるが、周囲を和ませ、安心させる物腰の柔らかさがある。

 対照的にジークヴァルトにはその目を奪われる他の追随を許さない美しさとカリスマ性、誰もが従わざるを得ない尊き血統、それにより支配的な雰囲気と絶対性がある。

 二人共まだ若いが、社交界ではすでに中心的人物で、王家にも近い重要な位置にいる。



「そうですか。わかりました。……ユリウス、いいですか?不快であれば言ってくださいね」

「わかった」

 ユリウスは笑みを見せた。今日は心穏やかなようだ。

 すでにあの晩餐会で彼の激情は見ているので、ヒューイットはもう彼を侮ることも見くびることもない。



(主か…。本当にヴェローニカはしっかりしているな。僕はクラウスに、同じようなことを言えるだろうか。いや、違う。僕はクラウスの主なのか。守られるだけじゃなくて、守る気持ちも持たなければならないんだな。それが主か。…守るべき者達のために、清濁併せ呑む度量の深さや本音は明かさぬ強かさ、か。…ああ、もっとヴェローニカと話したい。)

 ヒューイットが一人考えている間に、彼らの話は進んでいく。




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