153.孤児院再建会議(1)
ハインツの邸宅にお呼ばれしたのでワクワクしながら久々に午後に行ってみると、案内された広間には仕立ての良い格好の大人達が席についていた。扉を開けて中に入ると彼らの視線が一斉に集まり、威圧感を受ける。
今日は私の孤児院買収と経営、そして子供達を預かることについての話し合いだと思っていたのだけれど。
貴賓が通される広間には、高級そうな調度品と大きな会議机が並べられていて、上座にはまだ誰も座ってはいないようだが、下座には貴族と思わしきおじさん達。
では私の席は最下座かな。でも座っていいのかもわからない。
下座の端の方でしばらく待機しようと移動すると、おじさん達が訝しげな視線を送ってきた。
「なんだ、あの子供は?」
「このような席に子供を連れてくるとは」
「従者が多いので、高位貴族のご令嬢かもしれませんよ。あまり表立って非難するのは…」
「む…そうか。だが一体どこの娘だ」
ひそひそと私を不躾に見ながら、聞こえよがしに陰口を叩いている。
こういうの、あれだな。「こそこそしてないで、文句があるなら面と向かって言ってみな!」って思ってしまうのは、喧嘩っ早いと言えるのだろうか。
でも皆思うよね?え?思わないの?
そうか。私、短気だったのね。これでもだいぶ抑えているのにな。
でもここ、身分制度がある。そんなことは言ってはいけない。顔にも出してはいけない。
今まで恵まれてたのか、あれで。ここも生きづらい国だな…
『姫、大丈夫か?』
ユリウスが念話で話しかけてきた。何故念話なのだろうと思ったが。
『大丈夫ですよ、ユリウス』
私も念話で返すと、ユリウスの表情が緩む。
最近ユリウスに血を与えた結果、また少し進化したようなのだが、そのうちの一つがこの念話だった。
ユリウスからの念話は彼のスキルなので今までも可能だったが、私からの念話も返せるようになったのだ。だがこれはユリウスと私の間だけのことのようなので、眷属としての繋がりがより深まったということなのだろう。
どうやら以前よりも私の存在を強く感じられるようになったとのこと。視界から外れても、どの辺りにいるのかがわかるらしい。
いつでもユリウスと話せるのは嬉しい進化だ。他にも魔素金属の強度が上がったりしたそうなのだが、もっと血をあげて、どんどん進化して欲しいな。私としては子供の成長を見守る気持ちでいっぱいなのだ。
「お嬢様が下座なのですか?納得がいきません」
ヘリガがぷんすか状態である。
「このような会議のような形式だとは聞いてはいなかったのですが……来る日を間違えましたか?それとも場所を間違えて案内されたのでしょうか」
「聞いて参ります」
その態度と表情に不快感を滲ませたヘリガが、部屋を退室していった。
そのまま立って待っていると、近くに座った貴族のおじさんが話しかけてきた。
「君はどこの家門のお嬢さんなのかな?今日は会議のために集まっているはずなんだがな。…それなのに猫まで連れてくるとは…」
確かに。ツクヨミまで連れてきてしまったのはまずかったか。でもこの子は甘えたがりのようであまり私から離れたがらないし、ハインツとの面会だと思ってやってきたこちらとしても、面食らっているところなんだが。
「こちらの身分を明かす前に、そちらはどなたなのですか?」
ただの嫌味かと思って笑って誤魔化そうと思ったら、意外にリオニーが喧嘩を買ったような受け答えをしたことに少し驚いた。こういう担当はヘリガだと思っていた。
「何?」
「言えない家門であるならば、こちらもお答えしかねます」
「何だと?私はカスナー男爵家の者だ。こちらはノイマン子爵様縁の方だぞ。ほら、明かしたぞ。お前達は一体どこの家門だ」
「こちらはグリューネヴァルト侯爵家です」
「な?!…グリューネヴァルト侯爵家…」
「グリューネヴァルト侯爵家と言えば……グリューネヴァルト商団の関係者なのでは?」
「ヴィンフリート様のか…」
下座に座ったおじさん達が一様に動揺を表した。まるで黄門様が印籠を出したときみたい。
でも家門名を出して良かったのかな。迷惑がかからないかな。
「リオニー、いいわ」
「はい、お嬢様」
リオニーがしおらしく礼を示して控える。
彼女は案外、役者なのね。
雰囲気が悪くなってしまったし、ヘリガが戻ったら出ようと思っていたのだけれど、もう退室してしまおう。
「どうやら場所を間違えてしまったようですね。皆様のお邪魔になるようですし、失礼いたします。…ご機嫌よう、皆様」
私はわざと丁寧にカーテシーのような礼を見せて、ツクヨミを抱き上げてから優雅に見えるようにゆっくりと出口に向かった。
「お、お待ちください、お嬢様。こちらがご無礼を致しました。お詫び申し上げます」
咄嗟に謝罪してきたのは、話しかけてきた男爵家の人じゃなくて子爵家の人だった。
「私はノイマン子爵家のダニエル・ノイマンと申します。どうか非礼をお許しください」
彼が謝意を表すと、初めに話しかけてきた男爵家の中年男性が止めに入った。
「ダニエル殿、本当に侯爵家の者達かは、まだわかりませぬぞ」
「しかし…」
「このような会議の場に子供が来るなど、おかしいではありませんか」
「ふむ…」
ま、いいけどね。面倒くさいし。
私はにこりと作り笑いをしてそのまま部屋を出ようとしたが、侍女達はそうはいかなかったらしい。
「お嬢様に対してなんと無礼な…」
ウルリカがポキポキと指を鳴らし始めた。
え…ウルリカ…?
仕方なくリオニーに助けを求める視線を送ると、ニコリと微笑んでいて、ウルリカの行動に無言で賛同しているようだ。
え…リオニー…?
こんなときに我先に怒髪天を衝くのはユリウスなのに、とユリウスを振り返ると、逆にユリウスは落ち着いているようだ。表情はあまり穏やかとは言えないが。
私自身を貶された訳ではないからだろうか。子供なのは事実だし。さっき大丈夫かどうか確認したからかな。それともこの前の商店街での出来事のせいで慎重に……あれ?なんか心当たりがたくさんあるな。
「ウルリカ、大丈夫よ。落ち着いて」
もしかしたらこの短気具合は主に似てしまったのだろうか。これは猛省しなければ。
不意にガチャリとすぐ側の扉が開いた。皆の視線がそちらに集まると、そこにはここしばらくで見慣れた人物が佇んでいた。
下座のおじさん達が息を呑んだ気配を感じる。そしてガタガタッと皆が慌てて席を立った。
上位身分の者を前に、悠長に座っている場合ではない。
「こ、これはこれは……ヴィンフリート様っ。まさかヴィンフリート様じきじきにお出ましになるとは。本日は何故わざわざこちらに…?」
ところがおじさん達の声を無視して、ヴィンフリートはこちらに視線を向けると、甘やかに微笑んだ。これは周囲に薔薇の花が咲き誇るレベルだ。
「やぁヴェローニカ。今日も可愛いね」
その言動はまるで、軟派なお兄さんである。
「ご機嫌よう、ヴィンフリート様」
「礼なんていらないよ。君と私の仲じゃないか。水臭いな」
「え…」
おじさん達はヴィンフリートの親しげな様子に驚いている。
「どうしたんだい?何か問題かい?…どうやら私の可愛い娘に、誰かちょっかいをかけたようだね…」
「娘?!」
ヴィンフリートの発言に驚いたのは、こちらも一緒である。かろうじて声に出なかっただけで。
「娘のように可愛がっている子なんだ。本当に養女として迎えたくてね。ゆくゆくは息子の嫁にとも考えているのだが…」
「お、お父様…」
戸惑った声が聞こえてヴィンフリートの後ろを見ると、そこには小さなヴィンフリート、ヒューイットがいた。そしてヴィンフリートの従者達がその周りを固めている。
「こんにちは、ヴェローニカ」
「ご機嫌よう、ヒューイット様」
普段のお茶会で会うヒューイットとは違って、少し緊張気味の面持ちである。
大人達に囲まれているのだから当然か。
「一体誰かな?私の可愛い娘を虐めていたのは…」
「い、いえ、虐めるなど滅相もありません、ヴィンフリート様…」
「はて……君にファーストネームを呼んでいいと許可した覚えはないのだが、君は誰かな?」
表面的には優しげな口調のようにも思えるが、その声はどこか威厳があり、底が深い碧海のような瞳は全く笑っていない。
上位者の不快感を敏感に感じ取った男爵家の男性が、ヴィンフリートの冷ややかな眼差しにわずかに後ずさる。
「も、申し訳ありません、シュレーゲル閣下。え、えーと…私、は…」
「まぁ、いい。これからは気をつけたまえ」
「は、はい。失礼いたしました」
下座のおじさん達が皆畏まっている。
身分制度ってすごいな。明らかに年嵩の者達であろうが、相手が上位者ならばちゃんと従うのだから。
この世界は、長幼の序よりも身分が全てなのだ。
それは一見すると、危ういようにも見受けられる。
しかし真の英雄や賢者が舵をとるならば、その組織は民主主義よりも優れている。支配者の恣意的な権限の肥大を危ぶまれることばかりに目がいくが、独裁のいいところは即断即決ができるところだ。
その点、平和的な印象の民主制は一つひとつの採決に時間がかかり、その責任も薄まる。だから会議中に寝たりするおっさんがいる訳だ。
そして多ければ正しいとは限らない。ただ単に声が大きいだけだ。その結果、マジョリティ(社会的多数者)は増長しやすく、マイノリティ(社会的少数者)は畏縮しやすくなる社会的背景が形成される。
多数決の世界とは実のところ、全く平和的ではない。
帰するところ、君主制も共和制も、どちらかが正義――人の道にかなっている。正しい意義や解釈である――という訳ではなく、一長一短である。
要するに、世界は秀でた英雄や賢者という、“選ばれし者”を求めているということだろうな。中身のないただの偉そうな奴じゃなくてね。
表立った軋轢を生じさせず、しかし自身の威厳も保つ。それが自然にできるヴィンフリートに敬服のほかない。
飴だけでも鞭だけでもダメなのだ。
そして自分を主張し過ぎても、卑下し過ぎてもいけない。
こんな風に自我が肥大し過ぎず、かつ自尊心を保つ生き方を体現してくれる模範となる大人など、私の周りにはいなかった。
屈伏させようとする力に抗って、強くなった気でいたけれど、自分の尊厳を守ることすらできなかった。
何年生きようが、所詮生きただけ。いくら生きても学ぶべきものが多い。
つまるところ人間の尊さとは、長幼よりも、その人自体の徳の高さだ。
こういう人を、親に持ちたかったな。
「ヴェローニカ、君はこちらに座りなさい」
ヴィンフリートが上座を示した。
「いえ。私は今、退出しようとしていたところで…」
伯爵であり、大商団主のヴィンフリートが出席する会議など、ますます私はお呼びでない。と思ってそう言うと、ヴィンフリートが再び冷淡な青い瞳を下座に向けた。視線を向けられた者達は目に見えてびくついている。
「何か言われたのかい?」
「…いえ。私が部屋を間違えたのです」
そう言って下座を振り返り、にこりと微笑んだ。
おじさん達のその表情は、声なき悲鳴が聞こえるようだ。
可愛く笑ってあげたのだが…
「間違えてはいないよ。今日は君のための集まりと言ってもいいくらいだ」
私のための集まり…?
きょとんとしたところで、また来客があった。
《続く》
良いタイミングでヴィンフリート様が。
次のお客様は…?
画像はヴィンフリート。