150.ヒューイットとのティータイム〜金策の日々〜
ヴェローニカはその後、目標の孤児院買収と経営のために精力的に動いていた。
午前は家庭教師が日替わりで訪れている。
今までの貴族マナーの授業の頻度は減り、替わりに王国の歴史や一般教養に簡単な魔術理論、ダンスレッスン、算術などを学ぶ。
同じ年のヒューイットも家庭教師を呼んで学んでいるが、授業内容や学習量に個々の差はあれど、これは貴族学院に入学する前準備としての一般的な貴族子女の生活のようだ。
ところで周囲には難関だと思われていた算術はどちらかと言えば理系女子だったヴェローニカには易しい問題だったので、その空いた時間は地下鍛練場での護身術の修得に少しずつ励むことにした。先生はもちろんユリウスや侍女達だ。
といってもすぐに強くなれるわけでもなく、まずは体力づくりや軽い体捌きから。ユリウスや侯爵邸の使用人達のような達人の域までの道のりは長いのである。
でもそのおかげで少しは身長も伸びたような……気がしないでもない。
午後はヴィンフリートの屋敷を訪れ商会の者達と商談や進捗の話をしたり、孤児院買収についての相談や商会副本部長のシアナに連れられての市場調査というリオニーが喜ぶイベントの他、工房、孤児院の見学などの目的のために王都を散策。
予定がない時はヒューイットと一緒の授業を受けたり、のんびりとティータイムを過ごした。
ウイスキーを作るための蒸留器製作も職人達が蒸留の仕組みを理解することで試作を繰り返し、このままいけば完成まで順調のようだ。
これで計画通りに成人を迎える頃には美味しいウイスキーが飲める。…と美味しい紅茶をヒューイットと一緒に飲みながらヴェローニカはほくそ笑んだ。
今日のお茶菓子は大好きなベイクドチーズケーキ。
クリームチーズや生クリーム、バターなど少しおぼろげだったが材料と作り方を料理長のロータルに伝えて、彼なりに改良を加えた一品を手土産にシュレーゲル伯爵邸に来ていた。
「んー。とろける……ほんとに美味しいね、これ。お父様も好きだって言ってたよ。ね、クラウス?」
「そうですね、ヒューイット様」
ヒューイットのみならず、ヴィンフリートも気に入ってくれたようだ。
とろりとしたチーズの口どけとほんのり塩味のきいたビスケット生地とのバランスに、今目の前ではとろけるような笑顔でヒューイットがチーズケーキを頬張っている。
天使だな。これは天使の微笑みだ。
「…なんだか楽しそうだね、ヴェローニカ」
「ふふ。わかりますか?ヒューイット様」
「クラウスから聞いたんだけど、平民区で食べ物のお店を出してるんだってね。どんな食べ物があるの?こういうケーキ?」
「うふふ。それはですねぇ……」
商店街では、店先に出した出店がどんどんと種類を増やしていた。
何せ食べたい軽食が多い。
まずはポップコーンのヒットを皮切りに、やる気になった商店街の皆さんに考えていた食べ物の提案と作り方を教え、それに必要な足りない食材の確保と調味料の開発を行う。これでお馴染みのソースやマヨネーズの登場だ。
マヨネーズの作り方はメジャーだよね。卵黄と酢は入れるものの、実はほぼほぼ油という乙女の天敵。でも皆を虜にする魅惑のクリーム色。
ソースは以前ハンバーグを作った時に簡単に作っていた。肉汁で作ったグレービーソースにワイン、香味野菜と果実の酸味を加え、胡椒をピリリと利かせたソースをまた改良してみました。
そして必要な海鮮類の捜索と港町からの運搬の工夫。カツオもどきを燻して鰹節を作ったら、ついにたこ焼きが食べられるのである。
ちなみにたこは見た目のグロテスクさに今までキャッチアンドリリースされていたそうだ。ここでも悪魔生物扱いされていたとは。もったいない!
なお完全な鰹節を作るには結構な月日がかかるので、まだカチンカチンの鰹節ではない。まあ、雰囲気である。
風魔術師がいたら乾燥も早くできるのだろうか。残念ながらヘリガは火魔術師でウルリカは水魔術師。リオニーに至っては貴重な神聖魔術師である。食欲のために侯爵邸の風魔術師の使用人を呼ぶのも申し訳ない。
と思ったのだが、王都まで運んでもらったまだ柔らかい鰹節をダメ元でウルリカに水分調整をお願いしてみた。
卵の浄化を初めて試みたリオニーのようにウルリカも「食べ物の水分を抜くなんて、考えたこともなかった」と言いつつ興味深そうに試してくれた。
…まさかの成功である。
何度か試したら意外と簡単に水分を飛ばせたようだ。当分消費する分を作ってもらい、これは見本として、通常はもっと時間をかけて焙乾を行ってもらうようにして、晴れて鰹節は出店で使用可能となりました。しかもこれで美味しい出汁もとれるの。
昆布やわかめも田舎の漁村では食べていたようなんだけれど、やはりたこやいかと一緒で敬遠されていたみたい。
協力してくれた商会の皆様、たこを怖がっていた港町の漁師さん達、ありがとう。でもこれからは捨てることなく売ることができて喜んでもいたよ。
「もしかしたら平民は魔法が使えないのと、魔法が使える貴族はこのような仕事には携わらないから発達しない技術なのかもしれませんね」
そう話すとヒューイットは感心するように「ヴェローニカはすごいね」と目を輝かせて聞いてくれる。
すごいのはヒューイットの方だ。本当に素直で優しくて、そして褒め上手。なんでも褒めてくれる。
親には褒められたことなんてなかった。テストで百点を取ろうが、成績で一番を取ろうが。
嬉しいものだな。これは癖になりそう。
彼は将来有望ですね。大切に育てなくては。
バルツァー商会率いる荒くれ者達の妨害もすっかりなくなったことで商売が自由になり、出店は店先以外にも移動もできる屋台形式へと発展していった。比較的安価で美味しい軽食の屋台は、商店街を離れて下町の方まで移動する。
初めはグリーベル商会のクヌートもバルツァー商会への対処は面倒だったようだが、商店街が活気づいたことで結果として商売繁盛に繋がって、今となってはご機嫌だとシアナから聞いた。
豊富な種類があり、珍しくも美味しい食べ物を出す屋台は王都の民や観光客に受け入れられ、王都をモデルケースにまずはグリューネヴァルト領、そして他の都市にも展開されていく。
各地で売上は上々なようである。
ちなみにちょっと様子を見に商店街に寄ってみると、何か英雄のように歓迎された。その盛り上がりようはシュタールのハインツ凱旋パレード(偽)を彷彿とさせる。
全く現金な商人達である。
それには商店街の治安が良くなったことについての感謝もあるのだが、あくまでヴェローニカは儲かっているから皆がほくほく顔なのだと思っている。
「胃袋が満たされ、舌も満足し、さらに懐が潤うというのは良い事です。これぞ世界平和ですね」
「世界平和…?」
キョトンとした可愛らしいヒューイットの後ろで、側仕えのクラウスが優しい表情で笑っている。
ユリウスは今日も隣に座って寛ぎ、ツクヨミは膝の上で眠っている。もうすっかり彼女は外出時にもれなくついてくるようになった。
「ヒューイット様も機会があったらお忍びで行ってみてください。簡単な軽食ばかりではありますが、本当に美味しいんですよ。ね?」
後ろに控えたヘリガとリオニー、ウルリカに同意を求めると、侍女達は笑顔で頷いてくれた。
侍女達も初めは行儀が悪いと言いつつも、今は平民を装っているのだからと綿あめやポテト、肉まんを頬張りながら、毎日が縁日のような賑わいを見せる商店街を一緒に歩いた。
するとまたユリウスに早く食べさせてあげたいという思いに駆られる。残念ながら前回の吸血による進化でも、まだ固形物を食べることはできなかった。
前回の吸血での進化は、地下鍛練場で見せたようなユリウスの身体能力の強化に繋がったようだ。指先からの魔力の吸収と放出。それと魔素金属の体で刃物のような簡易的な武器を象る形態変化だ。
王都の外に気軽に出ることができるのなら、魔獣討伐時に魔力吸収が独自にできてとても重宝しそうなスキルだ。
しかし当分のヴェローニカの目標は、ユリウスと一緒に食べ物が食べられるようになること。それを達成するまではと、また血をあげようとしても、日々の成長痛を気にしてユリウスは首を縦には振ってくれない。
血をあげて早く成長して欲しいヴェローニカと主を傷つけたくはないユリウスとの争議の末、せめてひと月に一度にしようということになったのだが。
それで本当に足りるのだろうか、甚だ疑問だ。というわけで、納得できなかったヴェローニカがまたゴリ押しをして、ユリウスは再び彼女の強情さを思い知る。
しかし三度目の吸血でもまだユリウスが食を味わうには至らなかった。固形物の消化吸収と魔力変換はなかなかハードルが高いらしい。
主の願いも叶えるはずなのに。もしかしたらユリウスは飲食よりも強くなることを願っているのかもしれないな。
ヴェローニカは隣で優雅に紅茶を飲むユリウスを眺めた。さすが元公爵令息である。何気に所作が美しい。
そしてそんな平穏な日々が過ぎたある日、ハインツから面談のお誘いが届いた。
孤児院買収の目処が立ち、経営の後任について相談するという報せだ。それはヴェローニカが孤児院を経営しようと思い立ってから、はや半月以上が経っていた。