148.コンラートの鬼胎(1)
《コンラート・ネーフェ》
「ヴィンフリート様は……ヴェローニカ様をヒューイット様の婚約者にとお考えなのかもしれません」
「何?」
不安そうな顔で話すヘリガにコンラートは思わず問い返した。
そのような展開になるなどとは思ってもみなかったのだ。シュレーゲル伯ヴィンフリートは大商団主であり、今や伯爵の地位にある。ヒューイットはその後継者なのだ。まさかそこまでヴェローニカを高く買っているということか。
するとリオニーもヘリガに同意する。
「そうね。あの場にヒューイット様を呼んだのもそうだし、ティータイムにも呼ばれたし」
「そうか。確かに年齢的にはお似合いだな。だが、ヴェローニカ様の様子はどうなのだ?ヒューイット様はお美しく成長されていると聞くが」
「それはもう、お二人は天使の集いのように絵になります」
相変わらずのリオニーの反応を無視してコンラートはヘリガとウルリカを見た。
「そうですね……普通だと思います。特に一目惚れだとか、見惚れるだとかはないように思われます。ヴェローニカ様の方は、ですが」
「つまりヒューイット様は惹かれつつあるということか?」
確認するようにコンラートがヘリガに尋ねると、今度はウルリカが答えた。
「そうだな。ヒューイット様は好意的なようだ。普通に仲良くお茶をしていたぞ。ヴェローニカ様の方が見た目はお小さいのだが、まるで姉と弟のような様子だ」
「姉と弟か」
「ヴェローニカ様がヒューイット様に諭すようなお話をされていた。やはりあの方は素晴らしい」
「何の話をされていたのだ?」
ウルリカはヒューイットが晩餐の夜にユリウスにした発言やそれを謝罪したこと、王家の仕打ちを知ったヒューイットが王家を批判するのをヴェローニカがうまく諭したことなどを話した。
それを聞いてコンラートは自然とため息をついていた。惜しいな……という思いが胸をよぎっていた。
「本当にヴェローニカ様がエーリヒ様と同じようなお年頃であればな……このように悩むこともないのに」
「もし…ヴィンフリート様が強硬な手段に出たら…エーリヒ様はヴェローニカ様を手放すと思いますか?」
「どうだろうな。…あの様子だとエーリヒ様は譲らないとは思うが、ヴェローニカ様がそれを望むのなら話は別だろう」
「…プロイセでも領主の娘にエーリヒ様は言い寄られていたのだとヴェローニカ様は言っていました。その気になればエーリヒ様はいくらでも女性は選べるし、そうなればヴェローニカ様は、ご自分がここには邪魔な存在なのだと思っているようなのです」
ヘリガは視線を落とし、深刻な顔をしている。
「そうか…それはまずいな。そういう思いから身を引いてしまって、本当の思いとは別にあちらへ行ってしまわれかねないということか」
コンラートはまたため息をついてこめかみを押さえる。
(ヴェローニカ様がここから離れる条件が揃いつつあるということか。)
「それに……コンラート。これは、ヴェローニカ様の勘違いなのかもしれませんが…」
「…………」
まだ何かあるのか、とコンラートはヘリガの言葉を待った。
「エーリヒ様は恋人の存在を否定してはいなかったと仰ったのです。私達が知らないだけなのではないのかと」
「…………」
その話を聞いてコンラートは顎を掴んで心当たりに思いを巡らせる。
(恋人か。エーリヒ様は女性に淡白な方ではあるが、それはないとは言えない。我々がエーリヒ様のプライベートの全てを知っているとも思えないからな。)
「それはあの夜の話か?」
「よくはわかりませんが、ヴェローニカ様はこちらに来られてからはまともにエーリヒ様にお会いする時間はなかったはずです。ですから、旅路での会話だったのではないのでしょうか?」
「ふむ…だが、それを確かめる訳にもいかないだろう。エーリヒ様に恋人がいようとも、主人の色恋沙汰は我々がとやかく言うことではない」
「それは…そうなのですが……それでは、ヴェローニカ様のお立場はどうなるのですか?」
「……まあ、それについては保留だ。エーリヒ様はとにかくヴェローニカ様の身の安全をお望みだ。我々は全力でお守りすれば良い。しばらくエーリヒ様は伯爵……ジークヴァルト様からの極秘任務で王都を離れることが多くなるそうだ」
「そんな…」
(エーリヒ様はお忙しくて、まだヴェローニカ様とのお時間はとれそうにない。何やらこの間のように頻繁に王都を離れる特殊任務がおありのようだし、アレクシオス殿下への警戒もある。これからもしばらくは邸宅を空けることになるだろう。その間に不手際などないように心しておかなければ。)
「それと…お前達が商店街で拾ってきた黒猫なんだが…エーリヒ様が仰るには、普通の猫ではないらしい」
昨夜ヴェローニカの部屋に入ったエーリヒに黒猫が話しかけてきたという話を侍女達に話した。
多言語を理解するようなので、長い年月を生きている魔獣か、白夜のような神獣であるかもしれないと。だが魔獣や神獣にしては魔力があまり感じられないのも事実。
「しゃべる猫ですか?なんと!」
「尊いのはわかったぞ、リオニー」
リオニーの次の言葉をウルリカが落ち着き払った態度でツッコんだ。
「こちらの言葉を理解するような素振りでやたらに賢いとは思っていましたが。猫が話すなど、どういうことでしょうか。ただの猫ではないなら…魔獣?…ですが、敵意は感じられませんし、魔力も脅威に思ったことはありませんが」
「黒猫はどうやらヴェローニカ様の前では普通の猫のふりをしていたいようだとユリウス様は言っていた」
コンラートは今朝ユリウスから念話で聞いた話をする。
「ヴェローニカ様に危害を加えないのであれば、それでもいいですが…」
「黒猫はユリウス様のように大気の魔素が視えるだけでなく、体内魔素も視えるようだ。ヴェローニカ様の不調も黒猫が教えてくれた」
魔素が見えるのは魔物の特徴なのだろうか。ユリウスは死んでゴーストとなった時分から魔素が視えるようになったと聞いた。
「コンラート。黒猫の名前はツクヨミとヴェローニカ様がおつけになったぞ」
「ツクヨミ?」
コンラートはウルリカに聞き返した。
聞き慣れない名前だ。
「月の神の名前らしい」
「そうなのです、コンラート。ヴェローニカ様は古代語も書けるのですよ。やはり天才です」
ヘリガの声が一変して明るくなる。
ヴェローニカに関してはヘリガはリオニーのようになることが度々ある。
「古代語を?」
「白夜に教わったと言っていましたが」
「教わって書けるようなものなのか?」
「…そうですね。ツクヨミという字はとても難しい字でしたが、全く淀みなくすらすらと書いていました。古代語だという認識もなかったようです」
「もはやあの方は、何から留意すべきなのかわからなくなってきたな…」
「ヴェローニカ様はやはり素晴らしいということです。ヴェローニカ様をヴィンフリート様に奪われないようにするにはどうしたらいいかを考えなければなりません」
「ん?…うーむ」
「コンラートはヴェローニカ様が奪われてもよいのですか?」
「それがエーリヒ様の御心に添うならな」
「ブレないわね、コンラート」
ヘリガの問いかけにコーヒーを飲みながら平然と答えるコンラートに、リオニーは呆れ顔になる。
「だがヴェローニカ様の仰った通りだろ。お前達は本来エーリヒ様の愛するお方を守る立場だ」
「だから!だから言っているのではありませんか、コンラート!エーリヒ様がヴェローニカ様を大事に思っているのはわかります。ですがそれはヴェローニカ様が単に幸せになれば良いのですか?保護されれば良いのですか?ならばヴィンフリート様のもとでもヴェローニカ様は幸せになれるでしょう。今以上に商団も潤うでしょうし、ヒューイット様のあの様子なら婚約もあり得ます。ですがそれで良いのですか?エーリヒ様はヴェローニカ様を自分の手で幸せにしたいのではないのですか?他の男に渡したくないのではないのですか?それをエーリヒ様に伺えと言っているのです!」
突然のヘリガの剣幕にコンラートは困惑する。
「…だが、ヘリガ……ヴェローニカ様はまだ…」
「ええ、八歳ですとも。まだ幼いです。であればもうヒューイット様に幸せにしてもらうということでよろしいのですね?」
「…………」
「よろしいのですね?」
「…いや、それは…」
(そんなことを私に聞かれても。)
『面白い話をしているな』