143.魔晶石の色
《エーリヒ・グリューネヴァルト》
アレクシオスが王位継承権を剥奪された。
思ったよりも王妃側の対応が早い。王都孤児院の強制捜査に介入してくるとは。それだけプロイセの実験施設を荒らされたのが気に食わなかったか。一人だけ高位貴族並みの魔力と魔法を秘めた実験体がいたが、それを奪われたからだろうか。
“あの襲撃はアレクシオスの仕業”だと、王太子側には思わせることができた。さらにプロイセの実験施設から得た情報より、昨夜またハインミュラーの別の隠し施設を襲撃したため、相当王妃の鬱憤は溜まっているはず。今回の騒動は、その報復と発散、そして警告のためかもしれない。
だがこの後も、これまで実験施設で得た資料をもとに、他の施設を襲撃する予定だ。急がなければ施設を移され、証拠資料も隠滅されてしまうだろう。
だが今後は、アレクシオス失脚後の王妃側の動きと、アレクシオスの反撃を警戒しなければならない。
王太子は既にチェックメイトだと思っているのだろうが、アレクシオスはもうあとがない分、捨て身の攻撃に出る可能性もある。
エーリヒは久々に帰ってきた侯爵邸の自室で、ため息をつきながら、ドサリと気だるげにソファーにかけた。
これからもハインミュラーの実験施設を襲撃するとなると、必ずあの最新型感知魔導具があるはずだ。それを探知できるのは、今のところエーリヒのみ。つまりこれからも各地の実験施設襲撃には、エーリヒ自ら足を運ばなければならない。
最近妙に身体がだるい。魔力の使いすぎだろうか。
どうせもう出自を明かすのだからと、今まであまり使わなかった魔法や魔力量を酷使しすぎているからかもしれない。いくらなんでも少し休息が必要だ。
自分でもわかってはいるのだが、何故かエーリヒは日々、焦りを感じていた。こうしている今も迷霧に囚われたように落ち着かない。
ふと、隣部屋に続く扉に視線を向ける。
もう眠っているだろう。
商店街での騒動を聞いて、心配していたのだが。
「……」
ヴェローニカの隣で眠ると、何故か寝付きも良く、翌朝の身体の調子が良かった。だがあそこは、侍女達が封鎖したと聞いた。何故突然そのような行為に及んだのかまでは聞いてはいないが、ヴェローニカを思ってのことならば、仕方がない。
もしや彼女が望んだことだったのだろうか…
ただ疲れて帰った一日の終わりに、話はできずとも、せめて愛らしい寝顔を見たいだけだったのだが。
幸せそうに眠る彼女を見ていると、晴れずにいた不快な焦燥もいつの間にか穏やかになり、疲労感もあってか、そのまま隣で眠ってしまうのだ。彼女もそれに気づいていたということか。
もっと気遣わなければならなかったのだ。
彼女は、本当は子供ではなく、淑女なのだから。
「そうか。…なんということだ…」
エーリヒは顔を覆った。
扱いが難しい。
愛情不足で育ったために、もっと愛情を注いでやりたいが、彼女は触れると、いつも戸惑う。
自然に、罪悪感なく愛情を受け入れられるように、慣れさせるべきかと思っていたが……恥じらいもあるか。
だが……もうずっと顔を見ていない。声を聞いていない。
最近、商団を持っている兄上と知り合い、今日も屋敷を訪ねたと聞いた。
いろいろな商品の開発や商談をしているのだとコンラートからは報告を受けている。利益をこちらに回そうとしているとも。
彼女の性格上、世話になっている対価だと思っているのは、想像するに難くないが。
しかも、孤児院を買収して経営するだと?
「相変わらず、思いもよらないことを考えつくな…」
効率よく利を求めておきながら、必要以上に恩を返し、目に見える弱きもの全てを、その小さき腕に抱こうというのか。自分に向けられる無償の愛は否定しておいて。
もっと貴族街の店で買い物をしてくれていいのだが。
貴族御用達の店には、これから市場調査と称して訪れる予定ではあるようだが、私用では全く足を運んではいないと聞いている。本当に必要なものは揃っているのだろうか。
女とは、買い物が好きな生き物ではないのか。着飾りたいという欲は、ヴェローニカにはないのか。それとも遠慮しているのか。
そうなのだろうな。もう少しコンラートに言っておくか。
だがもしかしたら、こちらで用意しないと自ら買いに行ったりはしないのかもしれない。
しかし、好みもサイズも、何もわからないな。
贈り物、か…
それを渡した時の彼女の笑顔を思い浮かべた。
何がいいだろうか。やはり装身具などの宝飾品だろうか…
そう言えば何一つ自分で贈り物などしたことがない。そういった手間なやりとりなどはいつもコンラートに任せきりだった。
女性とは、どういったものを好むものなのか。
いや、ヴェローニカは…
一般的には自分の髪や瞳の色、魔力の色の魔晶石――宝石――を使った宝飾品を贈ったり……するようだが。
いや、あれは恋人に贈る物だったか。
宝石とは、宝飾品用の魔晶石の総称だ。
魔晶石は鉱山に漂う魔素の属性によって、様々な色に染まる。
採掘された魔晶石は品質により、魔力を込める魔石か魔法を込める魔法石かに用途が分かれる。
品質は透明度や硬度が高いほどに高く、込める魔力に魔晶石が耐えられるかどうかだ。透明度の高さは不純物の割合に比例し、その不純物が魔晶石に込められる魔力や魔法の妨げとなる。硬度は魔素の質に影響を受け、魔晶石の耐久性に繋がる。
宝石となる魔晶石の場合は、見た目に美しいものが選別される。天然の魔素に染まった魔晶石の美しい色合いが変化しないよう魔力を定着させる刻印魔法をかけ、細工師が美しく輝くよう磨き上げ、宝石に仕上げている。
とりわけ恋人や妻に宝石を贈る場合は、魔素や魔力が空の無色透明の魔晶石……俗に水晶と呼ばれるものに自分で魔力を込める。
ひとえに赤と言っても様々な赤があるように、例え魔法の属性が同じでも、厳密には一人ひとりの魔力の色合いには、指紋のように微妙な違いが出るもの。その自分だけの魔力色に水晶を染め上げて加工したものを、愛する人に贈るのだ。
私の魔力を身につけて、いつでも私が君の傍にいると思ってくれと。
これを見て、私を想ってくれと。
私の色に染まってくれと。
そして…
彼女は私のものだ。手を出すなと。
いわゆる、独占欲の表れ。
エーリヒは外したマントの飾り紐についた、白濁した淡い亜麻色に輝く宝石を眺めた。
「これは……私の色、という訳ではないしな」
魔導灯の光が回折し、それはわずかに虹色にも見える。その遊色効果の輝きは、ヴェローニカの指輪の虹色の輝きにも近いようだ。
貴族が自分の魔力色の宝石を身に着けているのは、それを取り急ぎ、自分の大事な相手に贈るためという意味合いもある。改めて宝石を用意している間に、大切な人が他の者に奪われるようなことがあってはならない。
だがそれが必要になる日が来るなどとは思ってもいなかったエーリヒは、そんなものは端から持ち合わせてはいない。
そもそもエーリヒは自分の魔力を隠蔽し、偽装して生きてきたのだから。そしてこのままずっと、本来の自分を隠して生きていくのだと、思っていたのだから。
ならば本来の色である黄金の魔力を込めた魔晶石のアクセサリーなど、作っておく訳がないのだ。
疲れた身体をソファーに預け、襟元を緩めながら、ぼんやりとヴェローニカの寝室へと続く扉を見つめる。
今頃彼女はあの愛らしい寝顔で、穏やかに眠っていることだろう。
いつもの癖で探知魔法をかけた。ほんの少し、彼女がそこで安心して眠っているのを感じたかった。
会えなくとも、自分が彼女を守っているのだと。安らぎを与えているのだと。
いつものように感じたかった。
ただ、それだけだった。