139.商談(2)
「えーと。ユリウス卿。では、ヴェローニカお嬢様が仰る蒸留酒というのは作れるということでしょうか?」
「私は作り方まではわからないが。姫が言うのであれば可能なのだろうな」
「おお…」
ユリウスの言葉を受けて、クヌートの目つきが変わった。やる気が上がったようだ。
「ではお嬢様、この蒸留の仕組みを職人に伝えておきますね」
にこやかに蒸留の仕組みの説明や絵を描いた紙を大事そうにしまい込む。
「クヌート、お前、相変わらずだな。姫を侮るのなら、私もそろそろ限界だぞ」
「え…。いえ。滅相もございません。誤解ですよ、ユリウス卿」
ユリウスが不快感を表したのを覚って、クヌートが焦りだした。
当然だ。昨日の現場にクヌートもいたのだから、ユリウスがどういう存在なのかを彼は知っている。
「誤解かどうかはバレていると言っただろうが」
「いえ!本当に侮ってなど…。ただ……やはり、お嬢様の年齢や生い立ちなどを考えるとどうにも不可解で…」
「まあ……そうだろうな。だがそれについては、姫は聖女だから……神の世界の知識があるのだと言っただろ」
「…聖女、ですか…」
そうなのだ。あのあと、私の出自についてあの場で話を聞いた。どうやらこの銀髪は隣国のエルーシアでは聖女と言われる存在らしい。しかももしかしたら皇族の生まれかもしれないと。それはまだ確定ではないのだが。だから危険を避けるために話さなかったらしい。
別に親になど期待はしていないし、陰謀絡みかもしれないとなればそれ以上詮索する気はない。血筋が尊かろうが、結局は孤児で暴力に塗れ困窮した幼少期を過ごしていたことには変わりない。今更すでに味わった辛苦は消えないのだから。
聖女ね…。
でも私、呪い属性なんだよね?それって聖女とは言わないのでは。自分でもわかる。根に持つタイプだと。恨み言なんて、ずーっと忘れられないもんね。それこそ死んだ後も。……いや、笑えないわ。
それはさておき、聖女とは往々にして神聖系統なのでは?
それとも神聖も呪術もイケるクチ……ああ、なるほど。祟り神系統なのね。妙に納得。
「まあ、そういうことで今は承服しておけ。姫に協力すれば稼げるだろ」
「あはは。ではまた商談があればよろしくお願いいたします、お嬢様」
「…………」
現金な笑顔だな。ちょっとつついてやろう。
「私の精神衛生上、これからはシアナと相談いたしますね。シアナ、クヌートを追い抜きましょうね」
「え…」
「まあ、ヴェローニカお嬢様ったら。…それはいいですね。うふふ」
副本部長のシアナは妖艶な大人の微笑みを見せた。
そしてまたもや焦りだしたクヌートを後目に、先ほど思いついた女性用商品の話をシアナにし始めた。
シアナとの話が盛り上がって、今度シアナと貴族街の服飾店や宝飾店、化粧品店などを見に行くことになった。それには控えていたリオニーも大喜びである。
買い物ではなく市場調査みたいなものなんだけどね。
◆◆◆◆◆◆
「ヴェローニカはすごいね。お父様達と商談をするなんて」
「いえ。そんなことはありませんよ。ヴィンフリート様はお忙しいので、すぐに退席されましたから」
今はグリーベル商会の者達も帰り、ヴィンフリートの御子息のヒューイットの勉強の休憩も兼ねて、一緒にお茶の時間だ。
ヒューイットは先ほどから、ちらりちらりとユリウスを窺っている。
それはいろいろと気になる存在だよね。
「ユリウスのことが、気になりますか?ヒューイット様」
「え?…あ、うん…」
ユリウスは同じソファーの隣に座って寛いで紅茶を飲んでいる。いつもなら後ろにいる侍女達と今日もついて来ているディーターと一緒に控えているのだろうけれど、ここでは自身の正体や身分を明かしたので、初めから堂々と私の隣に座ることにしたようだ。
魔素の事もあるだろうけれど、ユリウスなりにこうやって私を守ろうとしているのかもしれないな。
「その…、ユリウス卿。昨日は、僕が軽率な発言をしてしまって……その、申し訳ありませんでした」
ヒューイットが立ち上がってユリウスに謝罪をした。
まさかユリウスをしきりに気にしていたのが、昨日の発言を気にして謝りたかったからだなんて……ヒューイット、なんていい子。
私は口元を両手で覆って感動し、ユリウスはどうするのかを見守る。
「なんだ、そのことか。…そなたはそのように習っただけなのだから、気にすることはない。結局のところ、悪いのは王家だからな」
「ユリウス卿、そのようなことをヒューイット様に仰るのは…」
ヒューイットの後ろに控えた側仕えが狼狽えた。
そうね。ヒューイットはまだ子供なのだから。大人の事情はまだ難しいわよね。
「……ではあとでそちらで良いように言い含めておけ。私は知らん」
そうね。当事者のユリウスにフォローさせるのは可哀想だわ。良いように話しておけというのは一見……いや、一聴すると冷たいようだが、それを許してあげるのだから、彼の優しさだとも言える。
「クラウス、何がいけないのだ?」
「…その、王家を批判するような言動は……よろしくありません」
クラウスは素知らぬ顔をするユリウスを気にしながらもヒューイットに進言する。
上位者のユリウスを前にして、主のための忠言なのだからクラウスは良い側近だ。
「だが……ユリウス卿の話が本当なのであれば、悪いのは、王家だろう?」
「しかし、ヒューイット様…」
クラウスと呼ばれたヒューイットの側仕えがおろおろとユリウスを見るが、ユリウスは我関せずだ。
クラウスも言いたいことはあるのだろうが、ユリウスを前には言いづらかろう。ここはユリウスの主である私がフォローすべきだろうか。
「ヒューイット様」
「…なぁに?ヴェローニカ」
クラウスを振り返っていたヒューイットが、ソファーに座り直して正面を向いた。
私は目の前にあったクッキーを一枚手に取り、ヒューイットに見せた。
「こちらは、どんな形に見えますか?」
「え?…何を言っているのだ?ヴェローニカ。…それはクッキーだろ。形ならば、丸だ」
「そうですね。…では、これはどんな形に見えますか?」
「…?線、か?」
クッキーを縦にして見せたので、ヒューイットからは丸いクッキーの側面が見えている。
「そうです。でもこのクッキーは同じもの。見る者の見る角度や考え方、思い込み、主観によって、いろいろに見えるのですよ?」
「…うん。そうだな…」
素直にヒューイットは頷いた。
私と同じ年なら八歳か。擦れたところのない、とてもいい子だな。このお屋敷で大切に育てられたのだろう。
「プロイセについても同じです。ユリウスの見たものと王家の考え方、立場によって掲げる正義は違うのです。確かに事実はレーニシュ=プロイセ側から見たものでしょう。でも、“勝てば官軍、負ければ賊軍”。時代の権力者とは、自分達の思い通りに歴史などいくらでも改変できるのです。例えどんなに汚い手段で戦いに勝利したとしても、勝てばそれは正義となるし、逆にどんなに清廉だとしても、負ければ悪に塗り替えられることもある。それが歴史です。ですからどんな時も一方だけの考えを鵜呑みにはせず、多角的な物の見方も身に着けなくてはなりません」
「それではやはり、王家が悪いということではないか」
ヒューイットが若者特有の潔癖さで眉をしかめてそう言った。
「でもここはヴァイデンライヒ王国。公に王家を批判してはなりません。ヒューイット様やシュレーゲル家にも危害が及びかねない。クラウスはそれを危惧しているのですよ。ですからその思いは、心の中に留めておくのです」
胸を押さえてヒューイットに伝えた。
「…そうか。…だが、それでは…」
悲しそうに眉根を寄せて、それでもヒューイットは思いを語ろうとする。間違いは正したい。その廉直な思いを。
「そうですね。それでは悔しいですよね。…それでもヒューイット様はこの家の嫡男です。いずれヴィンフリート様の跡目を継ぎ、この家を守るお立場になります。ならば守るべき者達のために、清濁併せ呑む度量の深さや本音は明かさぬ強かさも必要です」
「清濁あわせ呑む?」
「そうです。正しさも強さも優しさも賢さも人には必要ですが、何より人は強かに生きねば。正直なことは美徳ですが、それだけではいずれ小狡い者達に足元を掬われますよ。正しいことを正しいと言いたい気持ちはわかりますが、それはそれで癪でしょう?ヒューイット様」
なんだか年寄り染みて説教臭くなってしまった。これが老婆心というやつかな。
でもヒューイットは天使のように可愛くて、何より性根が真っ直ぐでいい子だ。だがただのいい子ではいずれ誰かに傷つけられそう。残酷ではあるが今から少しずつ世の中の汚さを教えて、免疫をつけてあげねばなるまい。
でもヒューイットの素直さや優しさは守ってあげたいな。母性本能がくすぐられる。
こんな子が自分の子供だったら、迷いなく抱きしめられそうだから不思議なものだ。
うん。子供ならできる。だって猫にはあんなに抱きしめてキスをして愛情を注いでいたもの。できない訳じゃないんだ。私は庇護対象なら抱きしめられるということか。うんうん。
今も膝の上で蹲る黒猫をさわさわとなでながら頷いた。
ヒューイットはまだ難しい顔をしていたが、クラウスを見ると少し安心したような呆けているようなそんな顔をしている。
でもユリウスには悪いことを言ってしまったと思ってそちらを見ると、穏やかな顔をしてこちらを見ている。超然としている様子だ。
「ユリウスはすごいですね」
「ん?何がだ?」
「私が当事者なら、そんなことを言われたら怒り狂っています」
「ふはっ、なんだそれは。言っていることがめちゃくちゃだ。ははっ」
「私は罪は相応の罰を受けるべきと思っています。本音と建前は違うということです」
ユリウスには私の前世の故郷の話もあとでしてあげよう。それで同じように私もプロイセのこと、悔しく思ってるよって、共感してあげたい。
ユリウスには、つらい話だろうけれど。