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138.商談(1)

 翌日の午後、再びグリューネヴァルト商団総帥を務めるヴィンフリートの屋敷を訪れた。

 ここは、グリューネヴァルトの敷地内の別棟ではなく、商団で利用している貴族街のシュレーゲル伯爵邸で、とてつもなく広い豪邸だ。



 元々ヴィンフリートはグリューネヴァルト侯爵家の次男として若いうちから家門の持つ商会で商売のノウハウや経営を学び、業績をあげて商団の総帥を務めるまでになった。その過程で侯爵家で持っていたシュレーゲル子爵位を継ぐ。そして彼の手腕によって商団は大きくなり、王国の経済活動を左右するほどの影響力を持つようになった末、その功績を認められて伯爵へと陞爵したという。

 そのため、貴族達には商売で成り上がった“商爵”と揶揄されることもあるのだとか。


 だがそれは生まれで世襲されることが決まっている爵位よりも、掛け値なしの自力が評価されてこそのものなのだから、真実尊いものだ。僭越ながらそう意見を述べると、ヴィンフリートはまた可笑しそうに笑った。

 結構な笑い上戸のようである。



 ともあれ、昨夜の晩餐の場で、エーリヒ側へのロイヤリティを認めてくれればこちらで直接商談を進めることを提案してみた。結果、自分の分の取り分を交渉し、そこからあちらへ回すことになった。

 何故エーリヒ側に回すのかと言われたが、お世話になっているのだから、宿代や食費に人件費、迷惑料だと言ったら、ヴィンフリートはなんとも言えない顔をしていた。


 これでコンラートは本来のエーリヒの執事業務に専念できるし、私も商会の実働する人々と直接意思疎通することができて、齟齬がなくなる。

 ヴィンフリートには今後の事業展開の構想と、新たな商品を開発するのに必要な器具の開発や紹介して欲しい工房、施設などを見学する案内など必要なものの話をしておいた。



 それから、あの商店街で他の店舗でも出店を出してもらうことになった。

 どうやらポップコーンがあの騒ぎのあと人気になったようである。そして味付けに使われた醤油やカレー粉、キャラメルなども売れているとか。狙い通りにその店本来の商品も注目されて売上は伸びそうである。

 これで貴重な調味料を仕入れてくれるお店の存続は確保できたね。



 それにしても。あんな無法者達の騒ぎがあったというのに、なかなか逞しい人々だ。商売人魂だろうか。今後もあらゆる屋台の美味しい食べ物を各店に紹介し、商店街と食文化を発展させてあげようと思う。

 人を雇って売上を伸ばしたら、王都以外でも展開させてフランチャイズ化し、どんどん利益を上げるのだ。そしてそれを孤児院に投入しよう。ヴィムやロッテや孤児院の皆を幸せにしてあげるのだ。

 そのうちそこで孤児院の皆を雇うのもありだな。



 そして何より蒸留酒を作りたい。

 グリューネヴァルトの邸宅では、主に果実酒くらいしかなくて、蒸留酒というものがなかったから。

 私が成人になるころには、是非ともウイスキーが飲みたいのだ。施設の準備と商品開発、熟成期間を考えると、早めに着手しなければならない。


 ここではだいたい十五、六歳でデビュタントという社交界へのお披露目がある。それが成人の儀のようなものだ。

 貴族が通う学院は、専攻する過程や単位取得の早さによって卒業年に個人差があるらしく、だいたい十五歳で卒業したらデビュタントを行う。でもそれまでお酒が飲めないなんてことは特にないらしい。


 貴族はルールに緩いな。

 学院でも夜会が開かれるそうだが、アルコールも多少出されるそうだ。

 それはもしかしたら主な酒類が果実酒やエール…いわゆるワインやビールだからかもしれない。もっと酒精が強いウイスキー類が今のところはないから。


 グリューネヴァルト商団で保有するぶどう畑や小麦畑、醸造所もあるようなので、なんとか蒸留装置を作って、そこのお酒を蒸留酒にしてやる。

 十五歳頃に飲めるとすると、蒸留酒が安定して生産できるようになってから五年は熟成できるかな。



「ふふふ」

 紅茶を飲みながら、同じく琥珀色をしたウイスキーを想像していると、向かいに座っていたクヌートが引きつった。



 ヴィンフリートは多忙なので、ある程度の構想を話したらあとは退室し、詳細は残ったグリーベル商会の王都の幹部であるクヌートとその部下達と話し合っていた。

 今やクヌートは昨日の侮るような態度は見られず、慇懃なものになった。その代わり何か奇妙なものをみるような目というか、敬遠しているというか。


 だが一緒に連れている副本部長シアナの好感度は良さそうで、これからこの女性が担当窓口になるなら一安心だ。

 担当が女性なら、女性用の商品展開もしてみたくなってきたな。化粧品とか香水とか下着とか。想像が膨らむ。

 せっかくこの世界の女性達は美形や可愛い人が多いのだから、前世で無駄にあった雑学知識を活かしたい。



 買い物する時には成分が何か見比べたり、テレビや本で見たことを調べたり、知りたいことは追求せずにはいられなかった。ただそれだけだったのだが、そんな厄介な性格が役に立ったようだ。

 大人になったらネットで簡単に調べられるようになったけれど、子供時代のように疑問に思っても聞ける大人も調べる手段もない時は本当に歯痒かったな。

 …つらかった私のなぜなに期。知りたいのに、なんの疑問も解消されない。

 小中と図書委員長になって、よく放課後に図書室にいたのが懐かしい。あの時間は唯一平穏だった。


 夕焼けが何故赤くなるのかを知った時の感動たるや。もっと早く知っていれば、もっと世界の真理も知ろうと思えたのかもしれないな。



 だが学校の成績が満点でも、社会に馴染めなかったら人生失敗ではないのか。

 …私のように…


 私は人と比べると真面目でつまらなくて羽目を外さない、四角四面の枠にはまった性格だったんだろう。多分そういうところが皆苦手だったのだと思う。

 門限も何も、兄弟達の中で私は女だからと寄り道は許されなかったから、考え方になんの遊びも余裕もなかった。


 子供の頃から、周囲に敬遠されているとよく感じていた。何を考えているかわからないと学校でも思われていたようだし、それは祖母にも言われていた。

 家では祖父は話しかけてこない。父は出会うと怒るか殴る。母はまるで意思がない人のようだった。


 周囲には陰で孤高の人だとか、住む世界が違うなどと揶揄されているのも知っていた。

 自分達がやりたくないからと学級委員なども押しつけられたりして。

 ただの孤独な一人ぼっちよりも、人が周りにいるはずの中での一人ぼっちはなかなか堪えるものがあるのだなと思ったものだ。

 その結果なのか、今やひとりは気楽なので案外好きなのだが。



 危ない危ない。また愚痴りたくなってしまった。子供時代とか元彼とか。私の周りにはろくな男がいなかったな。



 一度深呼吸をして気持ちを切り替える。そして今日の外出にもついて来ていた黒猫をなでて、気持ちを落ち着けた。彼女は膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしている。

 隣に座っているユリウスを見つめた。目が合うと、彼はふわっと笑った。紫水晶のような瞳が美しい。

 ユリウスは今までの人達とは全然違うな。

 そりゃあ経験した人生の重みが違うものね。思えば幕末の志士や戦国武将のようなものだ。私の愚かな過去と比べるなんておこがましいわ。


 私には勿体ない。本当にあの夜に出会えたのは奇跡だし、不思議な縁だな。

 …でも、ユリウスにとっては、本当はどうなのかな…本当は、人としてもう一度生まれ変わりたいんじゃないのかな。


 結局人は、愛を求めて生きているものだから。

 私とは、違って。



「考え事は終わったか?」

「…うん…」

 やはりバレている。気恥ずかしくて、紅茶を手に取る。


「姫が話していた蒸留酒というのは、飲んだことがある」

 紅茶を飲んでいると、ユリウスが意外なことを言った。

「え?そうなんですか?ユリウス」

「本当ですか、ユリウス卿」



 クヌートが今日イチ食いついた。

 さっきまでの私の話には懐疑的な目で聞いていたくせに。

 わかってる。子供より大人の方が信用度が高いよね……しかも公爵令息。うん、クヌートがだんだんわかってきたさ。現金で打算的な商魂たくましい人物。さすが商会王都本部を仕切っているだけあるね、徹底してます。



「ああ。ウイスキーだろ。酒精が強くて美味かった。おそらく上流階級のみに嗜まれていた希少酒だ。今はないのか。…プロイセの醸造所が焼け落ち、職人も皆死んだのだろう…無差別攻撃とは愚かな…」

 ユリウスの表情に憂いが混じった。



 昨日帰ってから、プロイセの戦については実は本で読んでいたことをユリウスには伝えた。その本はだいたいヒューイットが言った内容で、王家側の視点でまとめられていた。

 ユリウスが話してくれるなら、私はいつでも話を聞きたいと思っていることも伝えておいた。

 昨日もユリウスはただ淡々と起きたことだけを掻い摘んで話してくれただけだった。それは今まで知っていることばかりだった。


 心の深いところはまだ、傷だらけなのかもしれない。

 特にユリウスのお兄さんの話は……昨日ユリウスがあの場で話していた分だけでも複雑そうだったから。

 ユリウスの心の柔らかい部分を土足で踏み荒らしたくはない。




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