136.晩餐への誘い(5)
《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》
「ヒューイット、この子はヴェローニカだよ。ヴェローニカ、私の息子のヒューイットだ。君と同い年のはずだ」
「……」
ヒューイットはヴェローニカを見て目を丸くし、緊張気味に顔をわずかに赤らめた。
「お父様……この子は?」
「ああ、うん。ヴェローニカ、良かったら指輪を外して、君の本当の姿を見せてやってはくれないかな。私も君の髪色を見てみたい。ここには君に敵対する者はいないから」
ヴェローニカは少し戸惑って、同じテーブルに座っているヘリガやリオニー、ウルリカ、ディーターを見回し、最後にユリウスを見上げた。
「姫が決めればいい」
(やはりこいつは商人だけあって情報を持っているな。本当はそんなことをしてやる必要などないと思うが。)
ヴェローニカは左手にはめていた魔術具の指輪を外した。闇色の髪が見る間に色が薄くなり、魔導灯のシャンデリアの下、光り輝く白銀色になっていく。
「わぁ…」
ヒューイットが感嘆の息を漏らし、一層顔を赤らめる。ヴェローニカに見惚れて目を奪われている様子だ。そしてそれは隅の方に佇むクヌートも同様だった。目を疑うようにヴェローニカを凝視している。
どうやらクヌートは知らなかったようだ。ヴェローニカの素性を。
「銀色……初めて見ました」
「そうだな。美しいな。…ヴェローニカ。良かったら息子と仲良くしてくれないか。これから気兼ねなくここに遊びに来るといい。同年代の話し相手も必要だろう。まあ、できれば私の娘になって、ここに一緒に住んでくれると嬉しいのだが……君と商売の話をするのは楽しそうだ」
「…商談、ですか?」
「そうだね。他にもいろんなアイディアがあるのだろう?私なら君の話を理解し、必要なものを揃えてあげられる。そしてさらなる利益を生み出せる。損はさせないよ?」
「娘…?僕の、妹になるのですか…?」
戸惑いの声をヒューイットが上げた。
「なんだ?ヒューイットはヴェローニカと兄妹になるのは嫌か?」
「……えと、でも…」
「勝手に話を進めるな。姫の意見も聞かずに。…そなた達も、何故黙っているのだ。姫が他所の娘になってもいいのか?まあ、それで困るのはエーリヒだけか。私は姫がどこへ行こうとついていくからな」
「え?姫…?」
ヒューイットはユリウスがヴェローニカを姫と呼んだことを不思議に思ったようだ。
ユリウスに指摘され、ようやくヘリガが口を開いた。
「あ、あの、シュレーゲル卿。大変申し訳ないのですが、ヴェローニカ様はエーリヒ様の大切なお方です。そのような話を進められては困ります」
「だが奪われたくないのなら、未だに養子縁組をしていないのは何故だ?王都に来てからしばらく経つ。時間はあったはずだ」
「それは…」
ヘリガが言い淀む。
「それは私が望んでいないからです、ヴィンフリート様」
狼狽えるヘリガを助けるようにヴェローニカが口を挟んだ。
「何故だい?」
「…理由が必要なのでしょうか?」
「聞きたいな。君が娘になってくれたら私も嬉しいからね。でももし本当に君がそれを望んでいないのなら、それが何故なのか知りたいし、理由がわかれば何か別の方法を模索できるかもしれない」
「私が今までどこでどうやって暮らしていたかは、ご存知ですか?」
「…それは……ある程度は聞いている」
ヴィンフリートはヒューイットを見て、少し言葉を濁した。
「表現が難しいのですが。私は……家族が……綺麗に言えば、怖いのです」
「綺麗に言えば…?では、そうでなければ…?」
「……」
ヴェローニカは俯いた。魔素が激しく乱れる。
(ヴェローニカ…)
「……それは……有り体に言うと、この場には相応しくはないので……控えさせていただきますね」
俯いた顔を再び上げたとき、ヴェローニカは微笑んでいた。だがユリウスは今だざわめく彼女の魔素に心を痛める。
「…そうか」
ヴィンフリートもヴェローニカの様子を察して、わずかに眉をひそめた。
「どちらにせよ、養子縁組など私には恐れ多いことですから。聞かなかったことにいたします」
「恐れ多いことなどないよ。君は、まだ自分の出自を聞いてはいないのかい?」
「…え?」
(こいつ、そこまで知っているのか。)
「どうやら本当にまだ知らないようだね。…エーリヒは何故言わないのかな」
ヴィンフリートは顎に手を当て、見極めるような目でヴェローニカを見つめた。そして同席している従者達を見回して、その表情を読み取っているようだ。
やはりエーリヒの兄だ。
食えない雰囲気をユリウスは感じる。
「君。…君が一番ヴェローニカに対して執着を感じるね。周りは皆、知っているようだけど、君はどう思う?何故ヴェローニカに本当のことを言わないのかな」
ヴィンフリートはユリウスを見据えた。今まで見せていた朗らかな表情ではなかった。
「……」
ヴェローニカがユリウスを振り向き、見上げている。少し戸惑っているようだ。
ヴェローニカにとって、家族とは、親とは、血の繋がりとは、とても繊細な話題のひとつなのだから。
(余計なことを……)
「…何も知らないくせに勝手に踏み荒らすな…」
ユリウスが低い声で応じると、ヴィンフリートの後ろに控えた護衛が剣呑な雰囲気を見せた。
「ユリウス様……相手はエーリヒ様の兄上で伯爵閣下です。控えてください」
隣に座していたヘリガが諌めてくる。
「関係ない。私の主はヴェローニカだ。私が従い、頭を垂れるのはヴェローニカのみ。…我が姫の心の安寧のためなら……私は王だとて殺す」
「……穏やかじゃないね。それは謀反を公言しているのかな」
「謀反?はは!謀反か。…そうだな、それはいい……もう、人間の相手は面倒だ…」
「ユリウス様、それ以上は…」
敵意を見せ、声音を変えたことに慌てた侍女達をユリウスは睨んだ。
「何が問題だ?身分か?この中の最高位はあれか?ヴィンフリートだったな。伯爵で、実家は侯爵か。…ふん。ならば私の家門の方が身分は上だ。何の問題もないぞ」
「え…」
「私の家門は公爵家だ。当主は兄だが。…だが身分などより確かなのは、私はこの中の誰よりも強者だという事実だ。…なんなら、今すぐお前達を皆殺しにもできるぞ」
ヴィンフリートの護衛がユリウスの発言に気色ばみ、腰に帯びている剣に手をかけた。
「なんだ、やるのか?主の危機には剣を抜く。それは騎士である私とて同じこと。我が姫の平穏のためにこうしているだけだ。だがよく考えろ。……敵対するのなら、お前がその剣を抜くよりも早く、私はお前の主を殺せるぞ、護衛」
ユリウスの不穏な発言に、広間が一気に殺気立った。
「ユリウス」
ヴェローニカの静かな声が緊迫していた部屋に響き渡り、その場の皆が息を潜めた。
(さすがにヴェローニカを怒らせたか……だがもう何もかも面倒だ。全てが煩わしい。このまま姫をさらって王都など出て行こう。きっとそれが一番いい。姫にはあとで謝れば…)
緊張感が漂う中、ヴェローニカだけがゆっくりと椅子の上に立ち上がった。目線がユリウスよりも上になり、その突然の行動に意表を突かれて見上げていると、彼女がユリウスの頭をそっと胸に抱き寄せた。
不意の出来事にユリウスは戸惑う。
「相変わらずユリウスは、露悪的ですね…」
「ヴェローニカ…」
「もういいです、ユリウス。そんなふうに悪ぶらないでください。…また、誤解されますよ?」
「……悪ぶる……?」
「違うのですか?」
ヴェローニカの小さな手のひらがユリウスの髪をなでる。その優しい手つきは、血を飲んで膝枕をされた時のことを思い出した。そして先ほども、バケモノだと呼ばれたユリウスをこんなふうになでてくれたばかりだ。
自分もそれに応えるように、ヴェローニカの背中に腕を伸ばし、包み込む。
「……私は……これ以上おまえが悩み苦しむのは見たくない。ただ心穏やかでいて欲しいだけだ。…おまえにとって親や家族はあまり触れたくない話題のはずだ。おまえに我慢を強いるくらいなら、全てを壊したっていい」
「親?私の出自の話ですか?…ユリウスは何か知っているの?」
「……」
ヴェローニカは抱きしめていたユリウスの頭を離して、小さな両手を頬に添えた。そして天使のような笑顔でユリウスを見つめる。
「それなら大丈夫です。ユリウスが、いてくれれば。私は心穏やかでいられます」
「……本当か……?」
「本当ですよ」
「っ……そうか…」
ユリウスは感極まり、ヴェローニカを再び抱き寄せた。ヴェローニカもまた微笑みながらユリウスの頭を胸に抱きしめる。
だがそこで、しんと静まり返っていた広い食堂に不機嫌そうな声が響いた。
「全く……人騒がせな。…ユリウス、と言ったね」
ヴィンフリートの声だ。
(そうだ。今は二人きりじゃなかったな。)
水を差されたことに軽い苛立ちを感じる。ヴェローニカを抱きしめていた腕を緩め、ユリウスは冷めた視線をヴィンフリートに送った。
ヴェローニカも彼を振り返る。