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133.晩餐への誘い(2)

《クヌート》




「クヌート」

「はい、お嬢様」

「あなたの言いたいことはわかりました。あなたの管轄する庶民の区画で、騒ぎを起こして悪かったわ。煩わせてしまったようですね。何か損害はありましたか。それでしたら補償をいたします」



(補償……損害賠償か。子供のくせに、なかなか考えているのだな。だがそれを払うのはグリューネヴァルト侯爵家だろ?そんなことまで許されているのか、この子は。…だがそれはまずいだろう。役人に多少握らせたから、厳密に言えば損害がないこともないが。どうせバルツァー商会と対立するのは避けられないのだ。それに今回は、何故かあの面倒な奴らがあっさりと引き下がったからな。ここは立てておくべきか。)



「…いえ。特にはございませんでした。…お嬢様にこのようなことを申し上げても、詮無きこととは思いますが。…実はこの辺りは最近まで、アードラー商会が不当に管理しておりまして。王都を拠点とする我がグリーベル商会でも少々手を焼いていました。それが例のシュタールの大捕物でアードラー商会には強制捜査の手が入り、かの大商会も今やもう虫の息ですから。今は成り行きを座視していたところです。そこに敵対していたバルツァー商会が、これを機にアードラー商会の勢力地を手に入れようと逸っているようです。確かに面倒事ではありましたが、今回は……何故か怯えておりまして。そちらの侍女の方々も協力してくださいましたので、意外とすんなり治まりました。不当な申し立てをしていたのはバルツァー商会の方だという証言も見物人から多く得られまして。…何やら不可思議なことも言っていましたが…」



(あの商会は高慢で乱暴な奴らだから、いつもなら仲裁をするなど面倒だが、何故か今回はとても聞き分けが良かった。…というより、怯えていた。あれは何だったのか。見物人達も何やら興奮気味で要領を得ないことを話していたが……侍女達がそれを誤魔化そうとでもしていたような雰囲気も。)



「損害がないのであれば一安心です。では今日のところは帰らせていただきますね。何かあれば、後ほど連絡してください」

 少女は黒猫を抱いて、少し気だるげにゆるりとソファーから立ち上がった。


「あ、お待ち下さい!ニカ様」

 クヌートは立ち去ろうとする少女を引き止めた。まだ重要な話をしていない。

 少女は少し冷めた目でこちらを見ているようだ。どこか子供らしくない雰囲気を感じる。

「…………」

「実は私の主人がお嬢様を晩餐にご招待したいと。これからご案内いたします。これは大変名誉なことですよ」

 クヌートは畏まり、主の意向を伝えた。


(このような子供にわざわざ総帥閣下が配慮なさるとは。過分とは思うが。まあ、弟君の引き取られた少女だからな。興味がおありになるのだろう。)



 すると少女は黒猫を抱いたまま、きょとんと首を傾げる。

「それは何故ですか?」

(は…?)

「え…?何故…とは」

「何か誤解があるようです。私はグリューネヴァルト侯爵家に籍を置く者ではありません。私と誼を繋げても、あなた方は特に何も得るものはありませんよ?」


「…………」

 何を言っているのだ、とクヌートは面食らう。

 グリーベル商会は王都でも権威ある有名商会だ。それを束ねる立場であるクヌートの誘いをこんなにもあっさりと断るとは。そのグリーベル商会の、いや、他にもいくつもの商会を統轄する我が主人の招待なのだぞ、と。

 侯爵家の娘でも養女でもないなどということは知っている。だが、誼を繋げるとはなんだ?それはこちらのセリフだ。ただの平民の小娘がこのような誉れを断ると言うのか。黙ってついてこればいいものを。


 根っからの平民であるクヌートには、少女の態度が理解できない。平民孤児がまさか口答えをするとは。それもどこか認識が食い違っている、常識が違うとでも言うように。



「こやつが悪い」

 それまで黙って隣に座っていた紫眼の男が、口を開いた。

「え…?」

「こやつは先ほどから姫を試すような気配がある。姫を子供と侮っている。私にはわかる。視えるからな」

「見えるとは…?何が見えるのですか?」

 クヌートは目を見張り、そして訝しむような目で紫眼の男を見た。


(姫?姫とはなんだ。平民の娘を“姫”と呼ぶのか?貴族が?)

 クヌートは少し混乱する。


「そなたの周りの魔素だ。そなたは姫を軽んじている。損害はなく、今回の礼も言った。ならばもう用はない。これ以上、姫を煩わせるな。不愉快だ。帰るぞ、ディーター」

 彼は立ち上がって、立っていた少女を黒猫ごと抱き上げる。どうやら彼を怒らせてしまったようだ。

 少女は黒猫を抱きしめて眠るように目を閉じ、紫眼の男にそのまま身を委ねた。



(このまま帰られるのはまずい。子供だと侮りすぎたか。)

「お待ち下さい!」

「…しつこいぞ、そなた」

「ですが……我が主人がお待ちなのです。どうか、お越しいただけませんか」

 クヌートは焦り、貴族に畏まる。


「知ったことか…」

 紫眼の男が苛立ったような声を出した。

 まさか貴族がここまで平民の娘に従順とは思わなかった。自身の処遇に多少の鬱憤すらあるかと思っていたのだが。全くの誤算だ。



「クヌート。もしかしてお前の主人て…」

 見かねたように隣にいたオレンジの瞳の男が声をかけてきた。

「はい。グリューネヴァルト商団、総帥ヴィンフリート・シュレーゲル伯爵です」

「ああ、そう……なるほどね」

「誰だ」

「えーと。エーリヒ様の兄上だよ。二番目の。いくつか商会を持ってると聞いてる。今、王都にいたんだ」


(良かった。この方はヴィンフリート様をご存知のようだ。何故こちらの方は知らないのだ。エーリヒ様に仕えているのではないのか。)


「わかりました。お伺いさせていただきます」

 少女が招待を受けてくれるようだ。クヌートは内心、安堵のため息をついた。

「ありがとうございます」

「良いのか、姫」

「…大丈夫です。…ヘリガ、コンラートにそう伝えておいてください」

「はい、お嬢様」

 少女は紫眼の男に抱き上げられたまま、再び目を閉じた。




◆◆◆◆◆◆




 移動の馬車の中でヴェローニカは目を閉じ、ずっと眠ったふりをしていた。黒猫を胸に抱きしめて、ユリウスの膝の上で。

 普段ならこのようなことはしない。ましてや他人の目がある中なのに。



 彼に抱きしめられるのは、最近は慣れたからなのかとても落ち着く。それに体温も感じられるようになって、彼のぬくもりが温かい。

 いや、初めからそんなに緊張は感じなかったような気もする。必要とされているのがわかるからかな。ユリウスには魔素が必要だから。


 ユリウスにとって、私の価値は明確だ。



 そしてふわふわな柔らかい黒猫を抱いているのも、幸せ。

 これは人肌恋しいという感情だろうか。触れられるのが煩わしいはずの私が。

 それとも彼らは人ではないからか。だからこんなにも心地良いのか。


 他者のぬくもりを求めるなんて。

 どうしてだろう。最近、心が弱くなってしまったようだ。いや、もとに戻ったのか。

 人といるのは、疲れる、と。


 人の視線は苦手だ。

 悪意とか、好意の欠片もない無遠慮な好奇心とか、妬みとか、人はそんな負の感情ばかりで、側にいると心が病んでいく。

 また何もかもどうでもよくなってきた。

 このままユリウスと逃げたいな。



 ユリウスも感じたのなら、私の勘違いではなかったのね。

 でも、それはそうよね。あの様子だと私が平民だと知っているのだろう。もしかしたら奴隷として囚われたことも知っているのかな。そして子供だから難しいことを言ってもわからないと侮っているのね。


 ちょくちょく見せるそれが癇に障った。よほど今回の処理が面倒だったのだろうか。損害はないと言っていたのは気を遣ったのか。

 クヌートが言っていた、「バルツァー商会の者達が怯えていた」というのは、先ほどの仕打ちが灸を据える結果になったということだろう。なら当分、商店街の皆には迷惑をかけないといいけれど。

 それもいつまでもつのか。



 愚か者とは反省を活かさないからこそ、愚か者なのだ。だからこそ彼らは、総じて暴力的なのだ。

 定期的に痛みを与えないと忘れてしまう生き物。だから彼らも弱者を従わせる時にそうするのだ。ならばやはり彼らの道理に則って、“しつけ”をするしかないのか。


 本当に面倒なことだ。

 まるであの前世の父親の言う道理を肯定するようで、気が乗らない。



 同じことを何度も言うのは好きではない。

 同じ過ちを繰り返す者は、好きではない。

 一度は許そう。人は完璧ではない。間違えるのは当然だ。失敗から学べばいい。

 しかし、過ちを認めずにそこから何も学ばないのは、罪だ。



 本当はコンラートを通してお世話になっている商会のようだから、他にも話をしてみたかったけれど、向こうはそうではないらしい。

 もしかすると、私の無茶振りは全てグリーベル商会に向かっている……ということはないだろうか。それならこの対応も納得はできるかも。

 子供の遊びにつきあってられないと思うくらい迷惑をかけているのかな。だとしても、いずれ利益を上げれば、少しは見方を変えてくれないかな。


 歯に衣着せぬユリウスをいつもなら少し窘めるところだけれど、今日はもう、早く帰って蹲りたかった。




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