表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/211

124.それぞれの執務室(1)

《クリストフ・ハインミュラー》




「殿下!」

 急を要する案件のためノックもお座なりに王太子の執務室に入ったが、中には誰もいなかった。一瞬何事かとも思ったが。すぐに、あぁ、またか。と思い至る。思えば扉前の護衛騎士も気まずそうに立っていた。


(せっかく王太子の側近となったのに、この扱いとは。)


 クリストフは王太子の執務室の奥にある扉を苛立たしい気持ちで見つめた。

 いつになったらあそこから出てくるのか。指示待ちをしている場合ではない。だが邪魔をすれば不興を買うだろう。こちらで勝手に処理するのと、どちらがマシだろうかとクリストフはしばし考える。

 クリストフは左腕に装着したバングル型の通信の魔術具を起動し、プロイセ領主の側近に連絡を取った。




『これは、ハインミュラー卿。どのようなご用件でございましょうか』

「ハイネマン卿は」

『主人はただいま執務中にございます。少々お待ちいただければこちらから折り返しをさせていただきますが、簡単にご用件を伺えればと…』


(何が執務中だ。どいつもこいつも。本当に執務中ならさっさと取り次げば良いのだ。)


「…そちらの拠点と連絡が取れない。何か聞いてはいないか」

『拠点…。いえ。何も伺ってはおりませんでしたが。…作業中で手が離せないなどでは…』

「そんなわけがあるか。連絡をしても皆が応答しないのだぞ。折り返しもない。…つべこべ言わずにハイネマン卿に知らせて拠点の様子を探るように伝えよ」

『は。かしこまりました』


(どいつもこいつも使えない…。もしやまたグリューネヴァルトのあいつではあるまいな。)




 エーリヒ・グリューネヴァルトはジークヴァルト・リーデルシュタイン伯爵の懐刀だ。あいつがしばらく前にプロイセの街中を探っていたことは、プロイセ領主のハイネマン伯爵から聞いていた。報告を聞いたときは焦って警戒させていたが、翌日にはあっさりと素通りしていったとも聞いた。

 一体何をしていたのかと思っていたら、その日のうちにシュタールの捕縛事件が起きた。あれで我らは大打撃を受けたのだ。捕まった奴らの証言のせいでアードラー商会はついに追い込まれた。あれではもう手の施しようがない。せっかくあそこまでの大商会に育て上げたものを。



(これ以上の庇い立てはこちらも危ない。せっかく使い勝手が良かったのだが…だが他にも商会はある。プロイセをやられるよりはまだ。)


 クリストフはため息をついて頭を押さえた。

 最近は頭が痛くなることばかり起こっている。これ以上の面倒事を起こさぬよう、先日叔母である王妃に釘を刺されたばかりだった。だがクリストフは、自分に言うよりも息子を叱責をしてくれと言いたかった。そのようなことは口が裂けても言えないが。



(奴らは子供を探していたようだが、一体誰を探していたのか。まさかあの拠点まで見つかったのではあるまいな。)


 あそこには経過の良い試作品が一体いる。我がハインミュラー公爵家の秘匿刻印を刻んでまだ生きている貴重な一体だ。


 あの刻印は身体に負担が大きすぎて、実際には安易に施せないものである。なんとかしてその負担を克服し、実用できるようにしたいとクリストフは考えていた。そのための刻印の改良やかけ合わせなどを試している最中で、他の研究施設を先駆けての成功例だ。それだけ金と時間を費やしている。

 シュタールで大きな捜索があった後だ。今はまだ動くのは目立つかと素材調達を止めて様子を見ていたのだが。

(まだまだ耐久テストも必要だし、やはり念の為もう拠点を移すか…)




ガチャ…

 執務室の奥の扉が開いて、クリストフはそちらを見た。だがジルヴェスターではない。

「…………」

 クリストフは無言で踵を返して、自分の執務室に戻ろうとする。

「クリストフ様。どうされたのですか?」

 背中に声をかけられた。足を止めて舌打ちを堪える。


「殿下にご用があったのでは?」

「…そうだが。いらっしゃらないようなので後ほどまた来る」

「お急ぎでしたら、私がお呼びしましょうか?」

「…お休みと思い、代わりに措置はしたところだ。その結果の報告後でかまわない」



 再び足を踏み出そうとして、クリストフはそれに失敗する。

「クリストフ様が殿下の代わりに指示を出したのですか?…殿下はそれをあとからお聞きになって、どうお思いになるでしょうか…私はクリストフ様が心配なのです」


(僭越だとでも言いたいのか?この野郎は。貴様のせいだろうが、男爵家風情の卑しい男娼めが!)


 わざとらしく気遣うような声に、クリストフは振り返ってその男を睨みつけた。



 クリストフの高魔力を示す金色の髪とは違って、魔力量の少ない中位下位貴族に見られる淡い青色の髪を肩で結わえた華奢な体躯の青年だ。しかしその顔立ちは美しく、中性的でどこか妖艶な雰囲気を持っている。榛色の瞳は強い光を宿しているようでいて、男のくせに女々しく伏し目がちで儚さがある。

 結わえた髪の流れるその首筋に赤い痕を見つけて、クリストフの苛立ちがさらに増し、眉間にしわが寄る。



「そんな目で見られると…怖いです、クリストフ様」

「私に流し目をするのは止めろ、ギュンター」

「流し目だなんて…そんなこと…」

 フランシス・ギュンターは傷ついたように媚態を示して悲しげに眉を寄せた。

 クリストフはもうこれ以上話す気はないと言いたげに侮蔑を込めた目で睨めつけて、執務室を出た。




「…………」

 クリストフが出て行った扉を、フランシスは冷ややかな視線で眺めた。

 それは先ほどまでの態度とは別人と思えるほどに、酷薄な榛色の瞳だった。


 フランシスはチラリと天井の隅を見る。そこには本棚の上に潜んだ蜘蛛型の魔導具がこちらを見ている。

 この執務室の映像と音声は全てあれでフランシスまで筒抜けだった。

 クリストフはどこかに連絡を取っていたようだが、会話の内容は遮音されていたためにフランシスは把握できてはいなかった。



「チッ…」

 舌打ちをして、執務室の奥の休憩室へと戻ると、ベッドの上で王太子ジルヴェスターが身体を起こしていた。その体形や筋肉ともに均整の取れた美しい裸体を晒して、入ってきたフランシスを朱い眼が見つめている。


「起こしてしまいましたか?殿下」

「ああ……」

 ジルヴェスターは気だるそうに金の前髪をかきあげる。その容貌は国王に似て麗しい。だが朱い瞳は母方の祖母の家系のようだ。



「何かあったのか…」

「いえ。…それが…執務室に気配があったので様子を見に行ったのです。クリストフ様のようでした」

「…クリストフが?…何と言っていた」

「代わりに措置はした…などと言っていましたよ?……殿下を差し置いて…」

 フランシスはそれまで穏やかな声で話していたが、最後に困ったように眉を寄せた。

「…ふん……あれは母上の言いなりだからな」

 ふぅ…とため息をつきながら、「放っておけ」と言い捨てた。


「それより……こちらへ来い、フランシス」

 ジルヴェスターはフランシスへと手を伸ばす。

「…はい、殿下」

 従順に返事をしたフランシスは微笑みながらベッドへと近づいてシーツに滑らせるように手をつき、ジルヴェスターの手のひらへ頬を寄せた。




◆◆◆◆◆◆


《アレクシオス・フォン・ヴァイデンライヒ》




「殿下、監視対象の一つであるプロイセ領主邸に動きがあったようです。尾行させます」


 首席補佐官のベルノルトがソファーでくつろぐアレクシオスに報告をした。通信の魔術具から連絡を受けたようだ。



「ああ。そうしてくれ。…ジークヴァルトとエーリヒの方はどうなった?」

「執務室にこもっているのか、本日は二人とも姿は確認できていません。最近シュタールの事件処理で人手を増やしたようで、他の者らの出入りも増えたため、把握するのも難しく。執務室にいるとは思うのですが…」


「一体いつになれば奴らは動くのか」

「慎重になっているのでは?」

「早くしないと兄上は拠点を移動するのではないか?…エーリヒめ。ヤツ好みの女を与えてやったというのに突っぱねおって。…やはりもう少し匂わせてやれば良かったか。確証が得られれば奴らもまんまと自軍を動かすはず。いや…動かすのは諜報機関か。だがそれでもあそこには侵入者を感知する魔導具がある。あれに気づくのは困難だ。自慢の諜報機関もすぐに侵入がバレて、兄上達との戦争が始まるな。今から楽しみだ!はははっ!」

 アレクシオスは愉快そうに笑った。



(あの魔術師団の最新型魔導具があちこちにあるせいで、下手に研究施設に近づくと先に気づかれる。厄介な代物を作ったものよ。…だがその代わり見つけた各拠点の周辺を張っているからな。何か動きがあればすぐにわかる。いずれ奪ってやるさ。実験の成果をな。)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ