122.ディーターの療養(2)
《ディーター・ロンメル》
「あー…なるほどね」
ディーターは仄暗い瞳をして呟いた。
「ん?」
「いや…さ。だからエーリヒ様はヴェローニカ様に執着すんのかなって思ったの。だってもやもやすんじゃん。いいから黙って守られとけよって、思うじゃん?」
「だから、言い方…」
リーンハルトはまた呆れたように青い瞳を細めた。
だがディーターは何故かもやもやしてしょうがない。いや。イライラ、と言うべきか。
ディーターは自分が人とは少し違うことをわかっている。
たまに無性に嗜虐的な気持ちになる。
傷つけたい、壊したい、メチャクチャにしたい、何もかも…
そんなときはイライラしてたまらなくなる。やたらむしゃくしゃしてきて、ついには破滅的な気分になってくる。
何がきっかけなのか、どっちが先なのかは、よくわからないが。
眠りに落ちる前に、ついさっき玩具をひとつ壊して当面の欲求不満は解消されたばかりのはずなのに、なんでまだこんなにイライラするんだろうか。その後の戦闘が不完全燃焼だったからもあるだろうが。
(あんなに可愛く笑ってるのに、心ん中はぐちゃぐちゃなのか、あの子。)
ディーターは苛つく気持ちを鎮めながら、頭の後ろで手を組んでベッドに寝転がる。目を閉じるとさっき部屋に来たばかりのヴェローニカの笑顔が見えた。
「あーあ……あいつら…、やっぱり俺が殺したかった…」
「え…?ディーター…?」
「あ、ごめん。声に出てた…?はは…」
つい低い声が出て、目を開けて笑ってごまかしたが、リーンハルトの顔が引きつっている。
だが、ディーターは最近のイライラの原因の一つがようやくわかった気がした。だがわかったところで、もう対処はできない。何故なら奴らはもう死んでいる。あの街道で。
(ああ……すっきりしない。)
その後リーンハルトが去り、部屋で休んでいたディーターが気だるい身体を起こしてお昼に食堂に下りて行くと、ヴェローニカを上座にユリウス、コンラート、リーンハルト、侍女三人が席について食事をとっていた。
(え…給仕は?なに主と一緒になって食ってんの?)
きょとんとその食事風景を見つめてディーターは立ち止まる。
「あ。ディーター。もう歩いても大丈夫なのですか?では一緒にどうですか?味見をしてみてください」
ヴェローニカが笑顔で話しかけてくる。
「味見?」
見れば何か白い食べ物を皆が食べている。
(スープか?)
スープボウルの中には白いスープと具がいろいろ入っているのが見えた。
「ディーターは病人とは少し違いますが、こういう時はやはり“うどん”かとも思ったのです。…あれも美味しいのですよ?でも醤油は食べ慣れないかと思ったの。迷った末に、これをロータルに作ってもらいました」
(俺に…?……いや、うどん?てなんだ?)
「休んでいるかと思ってあとで運ばせようと思っていたんだ。今用意する、ディーター」
コンラートが待機していた使用人に指示すると、すぐに食事が運ばれてきた。
ディーターも席について、置かれた器を見るとそれは白いドロッとしたスープだった。
「…………」
「ディーター?もしかして、もっとお肉っぽいのが良かったですか?まだ重いものは消化に良くないかと思ったのです。それなら夜はロータルにハンバーグを作ってもらいましょう」
(ハンバーグ…?)
なんだか良くわからないがとりあえず食べてみよう。
スプーンを持ってすくい、口に入れた。とろっとしていてミルクっぽい味が濃厚でうまい。チーズも溶け込んでるな。
「クリームシチューと言うらしいぞ。ブロートにつけるとうまい。しかも見ろ、ディーター、この白いブロート。すげー柔らかいんだ。知らないうちにいろんな料理が増えてるみたいだぞ」
リーンハルトは少々興奮気味で、ヴェローニカの前でも言葉が乱れている。
いつものライ麦の黒めのブロートの隣に白いふわふわなブロートがある。手にとってみると、なるほど柔らかい。
「果実で上手に酵母菌が作れたのでロータルにパン…ブロートに入れてもらいました。どうですか?ディーター」
「え?…これ、ヴェローニカ様が作ったの?」
「作ったのはロータルですよ」
「いや…そうじゃなくて…」
「ヴェローニカ様はいろんなことをご存知で、いろいろ試させてもらってるんですよ、最近は。どんどんレシピが増えていってるので、ディーター様もリーンハルト様もどうぞ食事にいらしてください」
ここの料理長ロータルが食堂に来てそう言った。ディーターは任務が終わってもあまり侯爵邸に戻らないからだろう。
「じゃあ夜はハンバーグでお願いしますね、ロータル」
「ああ、さっき言ってたあれですね。わかりました」
クリームシチューとやらには根菜類や肉がゴロッと入っていて、食べごたえがあってうまかった。当然おかわりした。
そしてまずい薬を飲んだあと、食後には不気味な黒い水が出てきた。
「え…なにこれ?泥水?」
「馬鹿っ!ディーター!」
リオニーが咄嗟に怒り出す。
「それはコーヒーというものですよ、ディーター。大人にしかわからない苦味のある飲み物です。お子様舌のディーターは砂糖とミルクを入れると良いでしょう」
ヘリガは優雅に黒い泥水…コーヒーを飲んで言った。
ディーターも少し飲んでみる。
「にが…」
どんな味かわからなくて少しびっくりしたが、なんだか香ばしいようないい香りがするし、苦味というよりコクがあって悪くない気がする。
食後にはいいかもしれない。
これもヴェローニカの好きな飲み物らしい。
いつの間にかグリューネヴァルト邸ではヴェローニカの味が蔓延していたようだ。
こないだ食べたパスタもヴェローニカが教えてくれたと言っていた。なんでそんなことを知っているのだろうか。不思議な少女だ。
そう言えばエーリヒが、ヴェローニカが行使したとされる大魔術の発動時に彼女が発したという呪文のような言葉について、“神の世界の言葉”と表現していた。もしや神の世界というものがあって、ヴェローニカにはその世界のことがわかるということなのか。
ヴェローニカは美味しそうに愛らしい笑顔でコーヒーを飲んでいる。
あれを見ている分には、心が傷ついて歪んでいるようには見えない。まるで愛されて大切に育てられたお姫様だ。
「そうでした。ヴェローニカ様。砂時計の試作品が出来上がったのですが…今お持ちします」
コンラートが立ち上がって何かをヴェローニカに持ってきた。
「わぁ!できたのですね、コンラート。素晴らしいです。とても綺麗な色の砂ですね」
「はい。ヴェローニカ様が色をつけると良いと仰っていたので」
コンラートは手のひらサイズの小さな細工物をひっくり返して置くと、中の水色の砂がさらさらと下の容器に落ちていくのが見えた。他にもピンクの砂や、黄色などがあった。
「こちらが三十秒で、こちらが一分です。紅茶は二分とおっしゃっていたので二分用も作ったのですが、少し大きくなってしまいました。さほど邪魔にはならないとは思いますが」
「ふふ。一分をひっくり返して使うのが良いでしょうか」
「それもありですね。使用してみて問題なければ、予定通り領地で紅茶の淹れ方を実演して販売してみます」
「売れると良いですね。他にもキッチンタイマーとして野菜などの茹で時間の目安に使うなど、使用目的を想像しやすいように説明すると良いですよ。時計は魔石を使う分、庶民には少し高価な魔導具ですからね。その代わりになると思うのです。貴族用には細工を美しくして、紅茶の淹れ方レシピの説明文を添付すればお屋敷でも紅茶を淹れるのに使ってくれるでしょう」
「そうですね。そういたします。それからこのペン先ですが…」
何やらコンラートと仕事の話をしている。何かを売り出すらしい。一体どういうことだ?
賑やかな昼食を終えて部屋に戻ると、ベッド脇のサイドテーブルに花を活けた花瓶が置いてあった。赤みがかったオレンジ色の花弁が美しく重なった大きめの花だ。
赤みのあるオレンジとは、ディーターの瞳の色。髪色も同じく、明るい緋色だった。
「俺の色…」
(ヴェローニカ様…か?)
ディーターを気遣ってくれる人間といえば、ここではリーンハルトかコンラートくらいだが、二人がまさかディーターの部屋に花を飾るわけがない。
近くで見てみると、甘い香りが漂っている。
(花ってこんなに香るんだ。すげー…花弁がたくさん重なってて綺麗な花だな。花をこんなにじっくり見たの初めてかも。)
「なんか、落ち着く…」