12.大人達のお話(1)
《フォルカー》
「あっはっはっはっ…」
執務室にはこの部屋の、いやこの邸宅の主であり今回フォルカーの新たな雇い主となった、ハインツ・クライスラー子爵が呵呵大笑し、その快活な笑い声がしばらく前から響いている。
それは夕食後の応接室での子供達との会話を、フォルカーとその場にいた使用人から聞いた結果であった。
(いや、本当に参った。あの子は全く子供らしくない。確か前に会ったときのラウラがあのくらいの歳だったが……あんな感じじゃなかったぞ、絶対。)
前回フォルカーが里帰りしてからもう二、三年程が経ったはずだ。王都からさほど距離も離れていない街なのでいつでも帰れるという思いから足が遠のいていた。
兄の娘も今は十歳くらいになるだろうか。きっと男の子よりはませた話し方をするだろうが、それでもあの子があんなことを話すとは思えない。
しかもあの後、
「当然彼らが与えた損害は彼ら罪人達の私財で補償し、自らの所業を省みるよう被害者と同じ目に合わせるのが彼らにふさわしい罰ですね。その結果死ぬのでしたら、本人が悪いのですから。その程度の覚悟もなく罪を犯すことが、まず大きな間違いなのです。そのように懲罰を与えられるのなら、少しは犯罪率も下がり、世界の秩序も保たれると思うのですが…」
と、続いたのである。
あの愛らしい容姿で優雅に紅茶を飲みつつ首を傾げながら、罪人に対する刑罰にまで平然と私見を展開するとは。
とても見た目通りの子供とは思えない言動に、その場にいた大人達は全員絶句であった。
「くっくっ……フォルカー、本当にその娘はそんなことを?」
「は、はあ…」
クライスラー子爵は赤い髪を小刻みに揺らしてひとしきり笑った後、愉快そうに果実酒のグラスをまた呷った。どうやら余程の酒豪のようだ。
「面白いことを言うものですね、閣下。子供にも親同様の人権を求めておいて、クズは人じゃないから情けは必要ないだとか、罪人は容赦なく死ねとは。しかも被害者と同じ目に合わせて苦しみ抜けとはな。ふっ……言うことは過激だが、まぁ気持ちはわかる」
ようやく笑いが収まったようだ。子供の発言だとすれば笑い事ではないと思うのだが。
これまでに接した様子から闊達な性格が窺えるクライスラー子爵は軍部の有力者で、その勇名は傭兵界隈でも人気が高い。
年齢は三十歳前後で男盛り。その燃えるような紅の髪や瞳は、火魔法に長けている証なのだという噂を聞いたことがある。
軍部による辺境の魔獣掃討作戦では手にした炎の大剣で魔獣を次々と切り捨て、範囲魔法で辺り一面を火の海にして魔獣を燃やし尽くすのだという。
その活躍により伯爵への陞爵は近いとも言われている。
「フォルカー」
「は、はい閣下」
ソファーの側に立っていたフォルカーの背筋が自然と伸びる。この部屋で最高位の貴族である伯爵閣下に声をかけられて緊張しない訳がない。
ジークヴァルト・リーデルシュタイン伯爵は王都の民の間でも有名だ。
何より耳目を惹くのは、まずその美麗な外見。
見事な金色に美しく流れる髪から覗く晴れた日の空のような淡く澄んだ青い瞳に長いまつ毛が影をつくり、整った眉に高く通った鼻筋。まるで神々の彫像を見るかのように見目麗しく、それは色気さえ漂わせていてそこらの女性よりも遥かに美しい。
かと言って線が細い訳ではなく武勇の聞こえも高い。高位貴族ゆえに魔力も高く、魔法の才能もあるという。まさに時代の寵児というやつだ。
そして何より血統も高貴。
王族に連なる王位継承権を持つリーデルシュタイン公爵家の嫡男であり後継者である。
年齢もまだ若く、学院を卒業して数年と聞くからこれで二十歳前後であろう。だが隙がなく侮れない風格が漂う。
フォルカーよりも数歳若いはずなのに、大貴族というのは本当に恐ろしいものだ。
「その娘は本当に平民なのか?出自について何か聞いてはいないのか?」
「あ、いえ。まだそう言った話は」
(そう言えばまだ名前も聞いていない。失敗した。)
「閣下の仰る通りですね。容姿に言動。とても平民とは思えない。銀色の髪に瞳はこの国では見ない容姿です。金髪であればまず間違いなく高魔力を誇る高位貴族の生まれなのでしょうが……銀髪とは……北方諸国の特徴でしょうか?」
クライスラー子爵がリーデルシュタイン伯爵に同じた。
確かにここ、ヴァイデンライヒ王国では銀色の髪と瞳をした容姿など見たことがなかった。
フォルカーは職務上、幾人かの貴族を知っているが、その中にもいない。
大抵、貴族は高貴な血統であると金髪で、瞳の色は魔法の適性を表していることが多いらしい。特に珍しいのは、金眼や紫眼ということだ。銀や青銀など聞いたことがない。
庶民であれば尚更である。大体がフォルカーのように茶色い髪と瞳をしていることが多い。
「主君。よろしいですか」
伯爵の後ろに控えた側近のひとりが、涼し気な声で発言の許可を求める。
平民に多い茶髪よりは色素が薄く明るい琥珀色というか、金髪にも似た少しくすんだ亜麻色の髪と瞳をした端整な顔立ちの上に怜悧そうな若い貴族だが、細身にしては上背や肩幅もあり、筋肉質な体格と油断のない身のこなしや視線がただの文官とは思えない。腰元に装着した剣帯には、短剣のような短杖のような物を装備している。
もうひとり後ろに控えた黒髪の若い側近とは違って、護衛騎士であるのかもしれない。
黒髪の側近も同じく聡明そうで切れ長の瞳に眼鏡をかけているが、そちらの端整さはまた異なり、見るからに文官ぽくて神経質そうだった。
「なんだ、エーリヒ」
「確認したいのですが……白ではなく、銀なのでしょうか?」
「白……?違うのか?」
「ええ」
伯爵と側近の視線がフォルカーへと向かう。どちらも美しさに迫力があり、高位貴族の威圧感を感じて思わずごくっと息を呑む。
「ええと……白ではないと……白銀というか、青銀というか…」
「では違うようですね」
「何がだ?」
「いえ。…昔、特殊魔法を受け継ぐ白髪の希少な血族がいたようなのですが。それではないようです」
「特殊魔法……精神系統や呪術系統魔法か」
「はい」
「なるほどな。それであれば奴隷として売られていたら厄介な適性だったな」
伯爵と亜麻色の髪の側近が話し合っている後ろで、黒髪の側近が息苦しそうに喉元に触れた。
「ですが、銀髪ならば隣国のエルーシアの皇族や高位貴族にいると聞いたことがありますよ。それでも珍しいようですが」
宗教国家エルーシアは隣国ではあるが王国北東に位置する険しいゲーアノルト山脈を越えた先の国で、あまり情報は入ってこない。ましてや皇族や高位貴族となるとフォルカーにはさっぱり門外漢だった。
「エルーシアか。ではそれについてはヴィクター、お前が調べよ。その娘の身元と関係するかもしれぬ」
「はっ」
伯爵に命じられた黒髪の側近が胸に手を当て畏まった。
それを受けて子爵が尋ねる。
「ではそちらの血統かもしれないと?」
「可能性は否定できないだろう。何せ王国では銀髪など聞いたこともないのだからな。であればあとは他国としか思えん」
「左様ですね」
「何にせよ、一度話をしてみないとな」
伯爵はソファーに深く腰かけて手を組み、思案するように目を細めた。何をしても目を引く美しさだった。
「他に何か情報は?」
水晶のように澄んだ水色の瞳がフォルカーをとらえた。視線を向けられただけで緊張してしまう。
「いえ、特には。彼女は今日の午後になってようやく目覚め、まず他の子供達の安否を知りたがったので、食事をさせてから子供達のいる別棟へ向かいました」
フォルカー的にはその前後の会話で少女に何度か手厳しくされたが、それは話すことでもないだろう。本当にあんな幼い子供に痛いところを突かれた。
(というか、あれは子供と言えるのか。あの雷が落ちる前にも、あんな小さな少女の威圧感に呑まれるだなんて…)
「ふむ」
伯爵は頷きながら、次にソファーセットの側のフォルカーの隣に立っているこの邸宅の使用人の女性を見た。伯爵の視線を受けたその使用人は、胸に手を当て目を伏せてから発言した。
「皆様の仰る通り、お嬢様はとても幼く愛らしい外見をしておりますが、その中身はまるで成人女性のように利発です。それも一つひとつの身のこなしが貴族の淑女のような気品さえ見て取れます。飲食時の所作も美しく、他の子供達の中にいて際立ちますし、とても教養のない孤児とは思えません。子供達とも同じように戯れますが、少し俯瞰しているように見受けられます。言葉も巧みで大人のように難しい言葉や表現で流暢に話しますし、やはり年相応にはとても見えません」
フォルカーは隣に立つ使用人女性を眺める。ただのメイドだと思っていたが、どうやら違うらしい。さすが子爵邸の使用人だ。
右手を胸に当て畏まっている。これは貴族がする礼儀作法だ。平民の自分などには馴染みがない。先ほどもお仕着せのスカートを軽く摘んだりして貴族令嬢がする挨拶をしていた。どうやら貴族に対する礼儀作法がしっかりと身についているようだ。
(俺も見習わねばならんな。今後もここに仕えるなら。一応やってはいるのだが、あのように堂に入るには至らない。)
ここは広い王都でも外郭周辺の王都門にも近い子爵の邸宅だ。
王都は高く分厚い外郭に守られ、平民区と貴族区に内郭で分けられている。王都正門である南大門から入ると外郭側が平民区で、中央の大路を奥へ進めば川を隔てて貴族門があり貴族区、緩やかな上り勾配を進んだ奥は堀を隔てて龍神門があって、高台の上は王宮がある王城区画となる。
クライスラー子爵は各王都門と外郭の内と外、つまり王都平民区と郊外の治安を守る王都警備隊の指揮をとる指揮官である。そのため貴族では珍しく平民区である外郭周辺に広い敷地を持ち、邸宅を構えていた。
雇われている使用人達は暗めの茶髪が多いのでフォルカーと同じ平民なのだろうが、皆動きが洗練されていて優秀であり、下位貴族に仕える使用人達のように浮かれた噂話などをしているようなところは見たことがない。きっと守秘義務を課せられているに違いない。
「ふむ……ますます不可解な存在だな」
伯爵は涼しい表情で脚を優雅に組み直す。
何とも絵になる光景だ。このような男性を前にすれば女性は皆一瞬で恋に落ちるのだろう。
(男の俺でも惚れそうだな。)
「不可解といえば、魔法陣についてですが……何かわかりましたか?」
「どうだ?エーリヒ」
子爵の質問を受けて伯爵は自らの側近の一人、エーリヒを見上げる。
「申し訳ありません。只今調査中です」
エーリヒは手を胸に当てて慇懃に主に答える。
「見当もつかないのか?」
「いえ……概ね予測はついているのですが、何分資料は王立図書館の禁書の類になりそうですので閲覧許可待ちでした」
「禁書…」
その言葉に深刻さを滲ませて子爵が呟いた。
なんだか雲行きが怪しそうだ。
魔法陣というのはあの夜の落雷の後に地面に残されていた円形の複雑な図形のことだろう。
あの凄まじい光と、直後に轟いた耳をつんざく大きな雷鳴。あの瞬間、本当に死んだと思った。
しばらく耳を塞いで地面に突っ伏していたが、それまで絶えず轟いていた雷鳴は落雷の後は鳴りを潜め、小雨がぱらぱらと天から降ってきたことに気づいて辺りを見回してから起き上がると、それはロルフも同じだったようで、自分があの雷で無事だったことに心底驚いているようだった。
ところが辺りの様子がおかしいことに気づくと同時に、周囲から襲撃者である黒尽くめ達が集まってきた。あわや戦闘になるかと思いきや、配下の一人がフォルカーを見知っていて、まずは状況の確認を優先してくれたのだ。
襲撃者達の正体はここにいる伯爵と子爵の配下達であったのだが。あの時はもう今度こそ終わりかと思ったものだ。
「明日には閲覧許可も下りるかと」
「そうか……それで?」
伯爵は容赦なく自分の側近に先を促す。
「推測段階でお知りになりたいと…?」
「そうだな。予測はついていると言っただろう?お前の見解は参考になる」
「左様ですか…。では裏が取れていないのであくまで推測にはなりますが」
エーリヒはにこやかに説明を続けるが、どこか緊迫した空気を感じるのはフォルカーだけだろうか。
「配下の者からの魔法陣の写しを拝見しましたが、あの中には古代文字や図形が見受けられるようです」
ようやく貴族が登場しました。
おさらいすると、
ジークヴァルト・リーデルシュタイン伯爵(小公爵)。
ハインツ・クライスラー子爵。
エーリヒ……家門名はまだですね。護衛騎士兼補佐官。
ヴィクターはヴィクトールの愛称です。補佐官。
どちらもジークヴァルトの部下です。