116.湖畔の廃教会(5)
《ディーター・ロンメル》
「あとは任せたぞ。私は向こうの止血もしなければならない。室内の通信魔導具や記録媒体も見落とすなよ。ログが残っているだろうから全て押収だ」
「あ、でも平民は?」
「そうだな…。優先順位を守れるならくれてやってもいい。お前の出番がなかったからな」
「はい」
「だが一人は残しておけ」
エーリヒは部屋を出ていった。
ディーターは作動中の遮音の魔導具を机の上に置いてから拘束された男を見た。
この男は両腕がなく、両足は枷がついていてもう身動きはできない。
それにこの枷には魔術刻印を制御する機能があって、装着されると魔術刻印がある者は魔力がうまく練れなくなる。早い話が魔法が使えなくなるということだ。
(ポケットの中の魔導具は取り出したし、イヤーカフはとったし。ピアスは着いてないか。足……もないな。あとは…)
ディーターは男の襟元をビリッと引き裂いて首を露わにすると、「これもか?」と、着けていた首飾りを引きちぎる。
「く、くそっ」
どうやらこれが最後の魔導具だったらしい。
男をベッドの脚に括り付けるようにもう一度枷をはめ直し、所持していた小型の魔導具類と、机の上にあった置型の通信魔導具や研究に使っていたのだろう魔導具類を廊下に運び出す。
せっかくの証拠品だ。いない間に何か悪さされたら困る。
「じゃあ、おとなしくしてろよ」
室内に見落としがないか確認してから、その部屋を出た。平民の処理にかまけてヘマでもしたら大目玉である。
廊下に出ると、向かいの部屋の扉も開いていて中の様子が窺えた。
エリアスはエーリヒに言われた通りに、寝ている男の両腕を斬り落としていたようだ。
遮音の魔導具を起動させているので部屋内の音は何も聞こえないが、泣き叫ぶ様子の男にエーリヒがまた謎の神聖魔法らしき光を斬り落とされた腕にかざしている。
あの様子を見ると、水魔法による簡易的な治癒魔法程度の効果などではないようだ。エーリヒに向けられるエリアスの尊敬の眼差しに、ディーターは顔が引き攣る。
(ほんとにエーリヒ様は何種類魔法が使えるわけ?化け物なんだけど。身体に刻印なんか見たことないけど、実は隠蔽した魔術刻印だらけなのかな?)
神聖魔法の適性者は希少で、そのほとんどが神殿に人材を取られている。戦闘の場にも必要な人材であるはずなのだが。
代わりに水魔法の使い手は多く、体内の水分に影響を与えられるからか、水癒という解毒や傷の小回復程度はできるので、戦闘の場では回復役としても重宝され、それで補っている状態だ。
その隣の部屋の前を通ると、リーンハルトも危なげなく任務をこなしたようだ。早速先ほどエーリヒに言われた通りに自分の魔法で止血を試みている。
(俺だけ出番なしか。つまんないな。)
ディーターは今までの緊張感もなく、警戒せずに一番奥の部屋の扉を開けた。
すると中には男が二人起きていて、扉を開けたと同時に振り返った。遮音の魔導具を各部屋で使っていても、人の気配に感づいていたようだ。
(普通に油断して歩きすぎたな。まだ逃げていなくてよかった。鬼ごっこもありだけど、ちょっと面倒だもんね。)
ディーターは腰の双剣を握り、ニヤリと笑う。だが口元は隠しているので緋色の瞳が不気味に細められたように平民の二人には見えた。
「やあ、まだ起きてたんだ?」
「だ、誰だ?…ベルント様のお知り合いですか?」
「ベルント?誰それ」
「お前、まさか、侵入者か?」
聞き覚えのある声だ。やはり先ほど子供の墓穴を掘っていた奴らに間違いない。
ディーターの口元が上がる。
「ねぇ、殺っていいのは残念だけど一人だけなんだって。…どっちがイキたい?」
そしてディーターの虐殺が始まった。
数分後…
「はぁ…。すっきりした」
ディーターは血溜まりの中で床に倒れる二人を見下ろし、仄暗い笑みを浮かべた。
エーリヒの命令通り、片方は死を免れている。
右手を持ち上げて、笑みを浮かべながら魔剣に滴る紅い血を眺め、袖のシミに気づいて己の身体を見下ろした。
服が返り血で汚れてしまった。
(もう少しスマートに殺った方が良かったかな。いやでも、やっぱ少しずつ斬り刻んでいった方が愉しめるよな……でもスカッとするのはもっと派手に斬り落として…。うーん…迷うな。)
「あんなの見せられたら、滾るよね…」
ディーターは昏い目をした。思い出したのは先ほどの無惨な子供の死体だ。
「最近いろいろと欲求不満だったからな…」
双剣をくるりと持ち直し血を払って、腰の鞘に戻す。そして二人の側にしゃがみ込み、生きている方を拘束し、持ち物を探る。すると部屋の奥の方でカタカタと微かに物音がした。
(あ…いっけね。そうだった。)
薄暗い部屋の奥を見ると大型動物を入れるような檻があって、子供達が三人、その中で声もあげずに息を潜め、固まって震えていた。
「ごめんごめん。怖がらせちゃったね。一応俺は助けに来た側だからね。もう大丈夫だよ?今開けるから」
「…っ…」
慌てて声をかけたが、どうやら手遅れのようだ。一歩足をそちらに向けたとき、子供達の体は見事にビクッと波打った。子供達は明らかにディーターに怯えている。
(あーあ。子供がいるの、すっかり忘れてたや。)
ふぅと諦念の息を吐いた。
「俺のことが怖いならもう行くよ。でもあとで他の人が助けに来るから、安心していいよ。ここの悪い奴らは皆捕まえたから。こいつらで最後だったの。そのうち家に帰してもらえるから、もうちょいそこで待ってて。んじゃあね」
ディーターは子供達に声をかけてバイバイと軽く手を振り、扉を開け放したまま、また元の大部屋へと戻って行った。
廊下を引き返して行くと、エーリヒはリーンハルトのいた部屋でまた神聖魔法をかけている。
リーンハルトの治癒魔法では不十分だったのか。両腕を斬り落としたのだ、仕方あるまい。
エリアスが自分が担当した部屋の入口で警戒していたので、一番奥に子供達が檻の中にいることを伝えて、ディーターは大部屋に向かった。
扉を開けて中に入り扉を閉める。その時ぼんやりと、そう言えば扉は開け放しておいたはず…という思いがチラリと脳裏をよぎった。
任務も終わりが見えてきて、完全にディーターは油断していた。
突然バチッと激しい音がして、全身に痛みが走り、硬直し、痙攣する。
「っ!?」
一瞬で身体の自由が奪われた。声すら出ない。
(なんだ、これ?身体中がものすごく痛い。…身体が動かな――)
次の瞬間、腹部に飛んできた強い衝撃と熱いような冷たいような鋭い痛みを感じて、気を失いそうになる。その勢いのまま後ろに吹き飛ばされて、背中が強かに壁に叩きつけられて、手放しそうになった正気を取り戻した。
一体何が起きたのかよくわからなかった。身体中の筋肉が硬直し痙攣して、自分の意思では全く動けない。これじゃ状況も確認できない。その間も全身に凄まじい痛みを感じる。特に腹部の痛みは危機感を覚えるほどに。
(マジ?これ、死ぬやつ?)
しばらくするとやっと硬直が解けて、ふわっと全身から力が抜けた。それまで奥の壁に叩きつけられたまま張り付いていた身体が、足の力が抜けたことで壁に背中を預けたままズルルッと床に崩れ落ちた。糸が切れた操り人形のように。
「ガハッ」
床に座り込んで、上半身を折るように前のめりになって血を吐いた。腹に感じていた激しい痛みの正体。視界に飛び込んできた情報に愕然とする。
痛くて当たり前だ。腹に大きなつらら状の氷が刺さっている。吐いた血反吐がぬらぬらと自分の腹に深く刺さったその氷、アイススピアにかかっていた。
今しがた叩きつけられた壁にも血がベッタリと下にこすれて残っていた。
(なんだこれ。一体どうなってんだ…)
「はぁ、はぁ、っ…ゴホッ…」
ディーターが荒い息をつき、血を吐きながらも顔を上げて部屋の中を見ると、そこには子供が一人立っていた。
「ははっ!ざまぁみろ!」
子供の後ろで嘲笑っていたのは、先刻エーリヒに両腕を斬られた貴族だった。ベッドに括り付けられて座り込んでいたはずなのに、いつの間にか枷から解放されている。それどころか何故か肘下半分の部分から斬り落としたはずの右手が生えている。だがそれは片腕だけのようだ。左腕は斬られたままで、その腕はなかった。
この子供がやったのか。ということはこの子供は神聖魔法が使えるのか。それも欠損再生の上位魔法を。
だがそれでもさすがに一辺に欠損部分を再生できるわけではないらしい。欠損部分が大きい場合、数日をかけて再生しないと体力を大幅に消耗し、術者も患者も身体に負担がかかる。利き腕だけを先に再生させたということか。
(そう言えばこいつらは皆、魔術刻印の実験台なんだった。子供にも枷をかけるべきだった…)
しくじった。ディーターはそう思った。
「お前らがこいつに勝てるわけがない。こいつの魔力は高位貴族並みなんだ!しかもかの貴重な最上位魔法の雷属性が使えるんだぞ!私は天才だ!天才なんだ!…どいつもこいつも錬金術師と馬鹿にしやがって!雷魔法が使えるなら最強だろうが!あはは!あはははっ!」
「マ…ジか…」
(さっきのあれ、雷魔法か?王国に数人しかいない紫眼しか使えないっていう上位魔法。しかも神聖魔法に氷魔法まで使えるのかよ…なんなんだ、ふざけんなよ。)
だがいくら欠損が再生しても、腕を斬り落とされて失った魔術刻印までは戻らないだろう。つまりあの貴族の魔法は怖くない。せいぜい使えて下位の魔法だ。
(でも…せっかく枷が外れたってのに逃げもせずにここにいるとは…馬鹿なやつ。)
エリアスが廊下を監視していて逃げられなかったのかもしれない。この子供を連れて強行突破も出来そうだが、この貴族はこの子供の魔法を当てにしていたんだろう。まだ遮音魔導具が作動しているこの部屋に入ってきた奴から、一人ずつ始末しようと。このまま逃げたら命は助かっても研究資料は奪われるからか。
マッドサイエンティストというやつだ。
だが、そうは問屋が卸さない。ここにはエーリヒがいるのだから。
ディーター達のエーリヒへの信頼は絶対である。
どうせ逃げても周到なエーリヒの探知に引っかかるのだろうから、逃げても逃げなくてもエーリヒに目をつけられた時点で詰みである。
だがディーターはまだ自分の力でやれるところまでやってみたい。
痛いのは嫌だが、この高鳴る興奮は、生きているって感じがする…
「はっ、はは!…何が天才だ…バーカ」
「あ?なんだと貴様!」
(良かった、こいつが馬鹿で。逃げられてもどーせエーリヒ様に捕まるだろうけど、そんときは俺がしこたま怒られるんだよ!!)
魔導具も魔術具も全て没収済みだったので、まだ外部に連絡は取れていないはずだ。ならば何も問題はない。
ノープロブレム!