115.湖畔の廃教会(4)
《ディーター・ロンメル》
エーリヒと護衛騎士の四人は廃教会へと近づく。
足音や気配には注意を払ってはいるが、気配を覚られないようにエーリヒが魔法で対処しているとも事前に言っていた。それがどんな魔法なのかはディーターにはよくわからない。
今ディーターの思考を占めるのは、鼓動が高鳴り、血が巡り、身体がうずうずしているという自分の状態についてだった。
心臓の搏動を普段よりも感じる。こんなときはいつも、生きていると実感するのだ。
(はぁ。やば。興奮する。)
首から口元を覆い隠す黒いマスクの下で、ディーターはいつの間にか唇が弧を描いていた。
腰にある双剣の柄を握りしめる。そしてまた指を目一杯開いてから、その一本一本を剣の柄に這わせるようにして、グリップの感覚を確かめる。
自分の主属性である火魔法が通りやすい、剣先が少し湾曲した短剣タイプの魔剣だ。
短剣にしては刃渡りが少し長めなので、その分取り回しがしづらくはなるが、ディーターは火魔法適性者による特性で身体強化が得意なので、長さも重さも問題はない。
むしろ火魔術師の魔剣使いは、ハインツのように身体強化を駆使して大剣を振るう者が多い。だがディーターは彼らのようにガタイがいい訳ではないので、小回りの利く身体で威力よりも手数を優先させた双剣の戦闘スタイルをとっていた。
廃墟の中は暗く視界が悪いが、目元にはモノクル型の暗視魔導具を着けているため、片方の視界は確保できている。だが一応しばらく入口で目を慣れさせる間に廃墟内の雰囲気を探る。
部分的な身体強化に長けた魔力操作の熟達者は、視力を強化させることでまるで魔導具のように、望遠や暗視ができるらしいが、そんな器用なことができるのはこの中ではエーリヒくらいだ。案の定顔を隠すためのマスクはしているものの、眼鏡型魔導具の類は一人だけ着けていなかった。
ディーター達護衛騎士の先頭はいつも、索敵できるリーンハルトだ。だがエーリヒが言うには風魔術師であるエリアスの方が索敵の適性が高いらしい。
突入前の待機時間中に、「リーンハルトばかりに頼らずにエリアスも訓練しておけ」とアドバイスを受けていた。
それと風魔法を使った飛び道具などの暗器も勧められていた。風刃は長距離攻撃だと魔力が拡散して威力が落ちるからだ。
「投げナイフや弓、投石も風で軌道修正すれば戦闘の役に立つ。鏑矢のような飛ばすと音の出る武器も威嚇や牽制には有効だ。そういった組み合わせを風魔法で応用するといい」と。
エーリヒを崇めるエリアスは、二つ返事でやる気になっていた。
だがリーンハルトとしては自分が索敵の適性がないと言われたように感じたのか、少し表情を曇らせていた。エーリヒもそれに気づいたのか、「お前は水魔術師なのだからまずは治癒や解毒魔法を伸ばすと任務の助けになる」と言われていた。
確かに治癒や解毒をリーンハルトに任せられるなら、より安全を担保できて、ディーターも無茶ができるというものである。
他にも魔力量に懸念があることに対して、「魔法は威力が高ければいいということではない。要は出力は小さくても有効打であれば良いのだ。何も一撃必殺にこだわらずとも、敵の動きを妨害して他の者をアシストすれば良い。自分がやられたら嫌だと思う所を狙ってやってやれ。リーンハルトは器用だからできるはずだ」と。
そう言われたリーンハルトも気力を取り戻したようだ。
エーリヒのアドバイスが的確なので、「エーリヒ様、俺は?」と期待を込めて聞いてみたが、エーリヒは少し眉を寄せて、「ディーターは……とりあえずいいんじゃないのか。好きにやれば」と。
「ええ……俺だけテキトーじゃない?エーリヒ様…」とディーターが嘆いたのは言うまでもない。
だがそのあとにはちゃんとフォローしてくれて、「セオリー通りの動きは相手も読みやすい。ディーターは自由で予測不能なところが売りなんだから、型にはまらなくていい。努力したいならば身体強化をもっと部分的にもできるようにしたらどうだ?普段の生活でも身体強化をするようにすれば筋肉に負荷がかかって身体が鍛えられるし、身体強化が各部位でもっとスムーズにできるようになる。身体が出来上がればさらに強化を強められるし、魔力量も少しずつ上がるだろう」と。
なるほど。参考にしよう。
結局のところなんだかんだと皆、エーリヒを尊敬しているのである。
今回エーリヒは戦場を俯瞰できる後方に位置し、サポートに回っている。
まるで保護者に見守られているようだとディーターは思う。
主エーリヒは時に恐ろしい存在ではあるが、味方であるならばこれほど頼もしい存在はいない。
地下へ下りる階段は、この廃墟の中のエーリヒに示唆されていた辺りで見つかった。そこには壊れかけた神像があり、わかりにくいその後ろに扉が隠されていたのだ。
リーンハルトがその扉を開ける。鍵がかかっていないのは、あの感知魔導具を過信しているからだろう。中の様子を見て、ハンドサインを出す。突入だ。
階段を慎重に下りて行くと、入口は暗かったが階下まで下りれば所々に魔導灯の灯りが壁に灯っていた。
事前にエーリヒに聞いていた情報によると、地下空間に部屋は五つ。廊下に並ぶ右側の三つの部屋のうちの二つの部屋に貴族が一人ずつ。
その向かいの左側は一番広い部屋で、魔力の弱々しい子供達三人と高位貴族と貴族が一人ずついる。
一番奥に少し広い部屋があって、子供達三人と平民の大人が二人いるらしい。
平民の大人は先ほど見た、子供の死体を埋めていた奴らだろう。
間取りまでわかるなんて楽だなとディーターは思いながら、自分の担当する左側の大部屋の前にエーリヒと待機した。
リーンハルトとエリアスは一人ずつ、貴族がいる右側の部屋へ。エーリヒとディーターは一番広い、高位貴族と貴族が一人ずついる左側の部屋へ。
貴族が、特に高位貴族が、瀕死の子供達とこんな深夜まで一緒にいるのは、もしかしたらまだ起きて何やら良からぬ作業中なのではないだろうか。
その高位貴族が、子供達に魔術刻印を施しているゲス野郎に違いない。
ディーターは身体中を巡る脈動を心地良く感じながら、遮音の魔導具を作動させて、リーンハルト達とタイミングを合わせて扉を開けた。
扉の隙間から大部屋の明かりが漏れてくる。やはり起きて作業中なのか。暗視用のモノクルをはずして、ディーターは部屋の中を覗いた。
部屋にあるのはベッドがいくつか。半裸の魔術刻印だらけの小さな身体がそこに横たわり、それぞれの身体に数本の管が繋がっている。
そして机。作業台のようだ。見たこともない様々な器具やガラス瓶が並ぶ。ガラスの瓶の中には気味の悪い何かが液体の中に浮いている。
やはりこの部屋で実験を行っているようだ。だが、貴族はどこだ?もう少し扉を開けないと奥まで見えない広い部屋だ。
扉の隙間から部屋を覗きながら眉をしかめていると、エーリヒが交代しろと合図を送ってくる。
入れ替わると、リーンハルト達がそれぞれ開けた部屋の中へ入っていくのが見えた。向こうは部屋の明かりがついていない。眠っているのか。
エーリヒが隙間から中を覗く。そして中の様子をチラリと確認したのちには堂々と扉を開き、入って行った。ディーターは内心、「え?」と驚きながらもあとへ続く。
部屋に入った途端、前にいたエーリヒの姿が消えた。
エーリヒはひとっ飛びで一番奥のベッドの前に佇んでいた人物の背中に襲いかかる。
次の瞬間には男の口を押さえて魔剣を掲げていた。魔力はまだ流していない短剣の状態だったが、あの状態でも素材は魔素金属だと聞いているから、斬れ味はすこぶる良いだろう。
「ここで何をしていた」
男はエーリヒに口を押さえられているので、「んー!」としか話せない。いきなり背後から現れたエーリヒに動転しているようだ。
「手を離すが、良く考えて話せ」
そう言うと、エーリヒは押さえていた男の口を離す。
「お、お前は誰だ。どうやって入ってきたんだ。警報には何も反応はなかっ――」
そこまでしゃべった男だったが、その後は「ギャアア!」と悲鳴をあげていた。
エーリヒが男の左腕を斬り落としていたのだ。エーリヒの手には短めの魔剣が光り輝いている。相変わらずの見事な斬れ味だ。肉も骨も何の隔たりもなく一気に断ち斬り、ボタリと落ちた手首が床を転がって、その斬り口からは血がボタボタと流れる。転がった手首には通信用の魔術具が着けられていた。
「良く考えて話せと言ったはずだ。余計な真似はするな」
どうやら男はバングル型の通信具に魔力を流そうとしていたようだ。
右手で斬られた左腕を押さえて膝をつき、もう悲鳴しかあげられず、何も話せるような状態には見えない。
「これでは何も聞けないではないか。……だから良く考えて話せと言ったのに」
そう呟いて、続けてエーリヒは涼しい顔で右腕までもサクッと斬り落とす。その所業には一切の容赦がない。
「ギャア!もう止めてくれ!うあぁ…」
「お前が質問に答えないのが悪い」
そう言って、痛みに蹲る男の斬り落とされた先のない腕を片方掴むと、エーリヒの手元からパァッと光が放たれてそれまで流れていた血が止まった。
(え?何あれ?どゆこと?神聖魔法?)
「拘束しておけ」
「あ、はい」
(いやでも手首ないんだけどな。)
ディーターは仕方なく手枷を取り出して、とりあえず両足首につけた。やはり腕も邪魔なので、後ろ手にして肘上で枷をつけた。
腕の切断面は血だらけだが見事に塞がっている。
そして他にも魔導具を持っていないかを探る。
その間も男は床に転がりながら痛みに暴れて呻いていた。止血はされてもまだ痛むようだ。
「どうやら高位貴族ではなかったようだ」
高位貴族ではないとは?エーリヒも間違うことがあるのか。
「わかるか。この子供の魔力が大きい。どうやら大きめの魔石を埋め込まれてそう感じるようだな」
エーリヒが示したのは、男が佇んでいたベッドに眠る少年だ。
「な…なんでそれを知ってる……お前は、何者なんだ?どこの連中だ?アレクシオスか?…まさか、またクライスラー……リーデルシュタインの若造か?」
血だらけの床に伏せたまま、血の気の失せた顔で力なく男は尋ねる。エーリヒに神聖魔法をかけられて、少しは痛みが落ち着いてきたか。
「そういうお前はどこの家門だ?」
「…………」
「先ほど教えてやったというのに、まだわからないのか。両腕では足りなかったようだな」
エーリヒは光の魔剣を男の目の前に出した。
「ひっ!ま、待ってくれ!」
(あは。こいつほんとにエーリヒ様を知らないんだな。顔を隠してても光の魔剣は有名なのに。こんなとこに引きこもってるからか?)
「足も斬り落としておくか。取り調べにはいらないだろう。…だが移動には不便になるか。…なら軽いように短くしておくのも手か」
(わぁ…。ウケる。本気か脅しかわかんないや。神聖魔法が使えたらずっと拷問できるじゃん。おもしろ。)
「ま、待て!待ってくれ!話す!話すから!」
エーリヒの目は微笑んでいるようだ。ディーターも顔がにやけるのが止まらない。
本当は自分がやりたかったが、仕方がない。獲物は早い者勝ちだ。
「…………」
「どうした?早く言え」
「…ハ、ハインミュラー家だ」
エーリヒが「ふっ、そうか」と嘲笑を漏らした。
「お、お前達……こんなことがハインミュラーにバレたら、ただでは済まないぞ」
(ハインミュラー……王妃の実家の公爵家だな。ジークヴァルト様の予想通りになったな。だとすると秘匿してる魔術刻印もいろいろあるだろうな。その実験か。毒物も扱うし、マジでくそだな、あいつら。)