113.湖畔の廃教会(2)
《リーンハルト・マイアー》
「なぁ。穴掘るの面倒だから、湖に捨てようぜ。重石つければ浮いてこねぇよ」
「だがなぁ…。ちゃんと処理しねぇと見つかったらまたうるさいぞ。ただでさえシュタールのことでいろいろ面倒臭くなってんだからよ」
「チッ。ここは他と違って女の楽しみもねぇし、貴族は偉そうでうるせぇしよ」
「おい、やめろよ。あっちは魔法を使うんだぞ。…どこで聞いてるかわかりゃしねぇ」
男はキョロキョロと周りを気にする素振りをしている。
(正解…)
日が沈んで廃墟から出てきた二人の男達の跡を追うと、何かを肩に担いで運んでいた。ぶつくさと愚痴りながら、林の中に布に包まれた大きな荷物を運んで、穴をせっせと掘り出す。そしてしばらくの時間をかけて大きな穴を掘り、その中に持ってきた荷物をドサリと投げ捨て、埋め直して廃墟に戻って行った。
距離はあるが二人の会話はしっかり聞こえていた。これはエーリヒの風魔法によるものだ。
エーリヒはいつもこのような方法で会話を盗み聞いているらしい。そしてこちらの音や気配は悟らせないようにもしている。
エーリヒの能力は本当に隠密行動に向いている。
すごいとは日頃からリーンハルトも思っていたが、今日は本当に驚かされてばかりだ。何せいつもなら、同行していたとしてもこのように手の内を見せるようなことはしなかったはずだ。今まではなるべく目立たないように、エーリヒは自分の能力を誤魔化していたようなところがあった。
それが何故今日はこのように能力を見せてくれるのか…?それだけここが危険だと言うことなのか?他に何か心境の変化でもあったのか?
リーンハルトは引っかかりを覚えた。
彼らは土を掘る道具を林の入口に隠していったので、それを使って埋めていた場所を掘り返すと、出てきたのは布に包まれた子供の死体であった。
「これは…」
男達の会話から、ある程度の予想と覚悟はしていたが、リーンハルトは無惨な男児の死体を見て呻いた。
先ほどエーリヒが探知していた、“瀕死状態の子供”のうちの一人なのだろう。夜になるまでの間に命を落としたということか。
リーンハルトは顔をしかめた。見るに忍びない。エリアスは無表情で殺気立っている。さすがにディーターもわずかに憐れみの表情を浮かべていた。
エーリヒは子供を包んだ布をめくり、遺体を調べようとしている。
「エーリヒ様っ、私がやります」
エリアスが慌てて子供を調べ始めた。だがエーリヒはそのまま躊躇なく子供に触れる。そしてどうしてそう判断したのかはわからないが、「毒などではないようだな」と呟いた。
頬に触れ、瞳を開いて覗き見る。エリアスが魔導具の小さな明かりをつけて、エーリヒの行動を補佐した。
…光が当たっているのに、瞳孔は開ききっていて反応しない。
エーリヒの手が男児の首に触れる。頸動脈を計っているのだろう。
エーリヒはさらに続けて口の中を見た。
「なん…でしょうか?」
子供の舌に何かの模様がある。
「魔術刻印だな。…これは隷属刻印か?」
「舌に、ですか?」
唖然とするエリアス。
その様子を見ていたリーンハルトとディーターも眉をひそめざるを得ない。そして自分達も屈んで子供に触れる。
包まれている布を剝ぎ、粗末な服の袖をめくると、手の甲、手のひら、指、腕には余すところなく無数の魔術刻印が施されている。
「これは尋常じゃない数ですね。こんなの拷問と同じでは」
リーンハルトは幼い体に刻まれた刻印をなぞりながら呟いた。
魔術刻印を刻むということは、魔力を通す魔力回路を無理矢理身体に作り出すということだ。
貴族ならば元から魔力と魔力回路がある程度あるので、あとは魔法の制御、出力調整や補助魔法のための新たな回路、魔法陣を隠蔽して出力先の腕に施すことが多い。
だが対象は平民の子供。魔力を通したこともない身体にどうやるのかはわからないが強引に回路を刻んで魔力を流すのだ。
しかもこれほど全身に渡って魔力を。想像しただけで苦しみが伝わってくる。
そりゃ死ぬだろう…とリーンハルトは顔を歪めた。
「あいつら、一体何をしているんだ」
エリアスが怒りを滲ませた。
エーリヒは無言で子供の遺体を眺めて思案しているようだ。
「これ、脚にまであるよ。うわぁ…」
ディーターは脚の方を調べながら顔をしかめている。
「つまり、奴隷を使って魔術刻印の人体実験をしているということか。効果や安全性を試すために」
「…………」
(そうなるだろうな。可哀想に。)
魔術刻印は魔法を扱う者のほとんどがその体に施している。それをすることで今ある魔法適性を高めたり、魔力操作能力を高めたり、新たな属性を植え付けたりする技術である。
リーンハルト達護衛騎士や戦闘向きである騎士、魔術師達は皆が施しているものだ。
だがそれは本人の適性に合わせ厳選されたもの、少数だ。刻印は大きな苦痛を伴い、そして施す施術によっては先述したように死に至る場合もある。
成功すれば恩恵は大きいが、失敗すれば苦痛と死が待っているということだ。
だから大体は安全を担保された信頼ある術式を、家門の専門錬金術師が刻印する。そして魔法の威力や操作性をあげるのだ。
さらには、家門によっては独自の刻印の術式もある。つまりそれは秘匿性の高い技術ということ。そのため体の表面の術式が見えないように施される。そうすることで死体となっても術式の秘密を守ることができるのだ。
秘匿性が高いものでなくても、多くの者が魔術刻印を隠蔽して施している。手の内を隠蔽する意味合いと、単純に体に刻印を刻む行為があまりよく思われない傾向にあるからだ。何故なら刻印魔法は、奴隷を支配する方法として現在も使われているからである。
先ほどエーリヒが言った隷属刻印はその一種で、魔力の流れを他者が操ることでその者を操る刻印だ。昔あった傀儡人形を操る傀儡師が使った技術からきていると言われていることから別名、傀儡刻印とも言われている。
「右腕は火魔法…左は水…風に、こちらは強化術式か…基礎元素の全属性を入れ込むなど、相性も何もない。無茶をする」
「でも、この子は平民の子供ですよね?魔力も弱いし、魔法も使えないのに、こんなことしたって意味はないんじゃ…」
リーンハルトが刻印を読み解いているエーリヒに問う。
「魔力はなくても刻印の組み合わせの安全性をはかるには使える。回路さえあれば強引に魔力を直接通すことはできるからな」
「…そんな…」
エーリヒの非情な答えにリーンハルトは言葉をなくす。
エーリヒは子供の服のお腹の部分をめくる。腹部にも何やら目的のわからない魔術刻印が刻まれている。そしてさらに上へとめくっていく。
「…………」
「これ、切開した跡ですね」
胸の真ん中、心臓の横辺りに大きな傷跡がある。そしてその傷跡を中心に、魔術刻印の回路が刻まれている。
エーリヒはしばらくそれを見つめていたが、腰の短剣を抜いて、魔力を流し始めた。
「え?エーリヒ様?」
「え、ちょっと…」
リーンハルトとディーターが驚きの声を上げ、エリアスはそれを見て固まっている。
エーリヒは出力を小さくした短剣状の光の魔剣を切開跡に当てた。
「…………」
三人は目を見張ってそれを見守る。
スッと音も抵抗もなく綺麗に子供の胸が裂かれていくのをただ黙って見守っていた。
血は思ったより溢れてこない。既に死亡しているからだろう。
もう日没後で林の中は鬱蒼として暗く、夜空には三日月が昇っていたが、やはり明かりとしては心許ない。だがエーリヒの光の魔剣に照らされることで、切開内部がよく見えた。
その中に、何かがキラリと光るものがある。魔剣の光に反射するような光沢のあるものが胸の中にあった。
「魔石だ」
エーリヒが言った。
「え…ま、魔石?」
ディーターが狼狽える。エリアスとリーンハルトは衝撃で声も出せなかった。
(子供に魔石を埋め込んだのか?…それで魔力を供給しようって?それじゃ、まるで…)
「人間を魔導具扱いとは…胸の辺りの刻印はまるで魔導具の回路のようだ。…魔力を使い切って捨てたのか……いや、使い切ったから死んだのか?」
エーリヒは立ち上がって短剣を納め、口元を押さえてまた何かを考えているようだ。
「エリアス、魔術刻印を書き写しておけ。特に何の術式かわからないものをだ。あまりに数が多い。おそらく特殊魔法の術式もあるんだろう。体のどの部分にあったのかも記せ」
「は」
「リーンハルト、ディーターは穴を埋めておけ」
「「は」」
「…教会というのはここのことなのか、それとも、組織のことを指しているのか…」
エーリヒはひとり呟いている。