110.孤児院訪問 そのあと(2)
《ハインツ・クライスラー》
「きゅうけい……とは?」
イザークが質問した。それまでの怒りは収まり、心からの疑問だったようだ。
確かにハインツも聞いたことはなかった。刑というからには、罪に対する刑罰なのであろうが。はて?
「ふふっ。男性器をちょん切るのですよ。そうしたら、そのような悪さはもう二度とできませんからね。…ご検討するのはいかがでしょうか、クライスラー卿?」
ヴェローニカは口元を隠していた手はそのままに、別の手を上げて指をハサミにし、チョキンと切る風にして、無邪気に微笑んで首を傾げた。
発言の内容とその愛らしいしぐさのギャップに、ハインツは「ぶはっ」と吹き出してしまった。
「…ゴホッ…いや、すまない…」
「いえ。恐縮です」
ヴェローニカは柔らかに微笑んで、優雅にソファーに座り直した。
ああ。なんなんだ、この子は。
というか、この歳で何故そのようなことを知っているのだ。一体どこの国の刑罰なんだ。いくら奇跡の聖女と言えど、いろいろおかしいだろうが。
見るとイザークも何やら笑いを堪えてか、赤くなって目を見張っているし、ユリウスも肩を揺らして笑いを堪えている。あちらも魔力が漏れるほどの怒りはもう収まったようだ。もしかしてこのために言ったのか?…あ、いや、あれは本気だな。
向かいのソファーに座った侍女達や側に控えるマリエルやフォルカー、ロルフも何やらそれぞれに我慢中のようだ。
ハインツは顎を押さえて口元をほぐした。
「ゴホン…ああ。では、あとの処理はこちらでやろうと思う。良いか、ヴェローニカ」
「はい。子供達から証言が取れると思いますし、孤児院の方にも証言してくれる子がいます。…あそこは教会で、孤児院なのに、あのような宝飾品を身につけられるほど稼いでいるのです。どうやら麻薬も使用しているようですし、徹底的に洗って、断罪してあげてください。…賠償金もガッポリとってくださいね」
「ふっ。そうだな。徹底的にやろう。なあ、イザーク」
「はい。ハインツ様」
「あ、あとは念の為、視察担当者にはこの情報は伏せてくださいね。あくまで念の為です」
ヴェローニカは内緒話をするように、口元に人差し指を立ててみせた。
「む…?そうか。周到だな。わかった。そのようにしよう」
さぁて、今回は何が釣れるかな。
ハインツは王都郊外の警備も管轄しているので、王直轄地の関所や各王都門の管理も任されている。
そして昨日から秘密裏に貴族専用の門を通行させた集団がいくつかある。そろそろ捜索班もこちらに帰投するころだ。
報告によれば、けっこうな収穫があったらしい。
あちらに負けずにこちらもやらねばな。
◆◆◆◆◆◆
「ではヴェローニカ様、参りましょう」
マリエルに連れられ、別棟への渡り廊下を行く。
もう子爵邸の客分ではなくなったので、マリエルは私を名前で呼ぶことにしたようだ。
すると後ろについてきていたフォルカーが隣に並んできた。
「おい、ニカ。あれはちょっと…いくらなんでもひやひやしたぞ」
「え?そうですか?…フォルカーさんは心配性ですね」
素知らぬ顔で笑顔の受け答えをしておこう。
本当は私もちょっと疲れてしまったのです。あまりにも濃い一日でしたから。お説教ならノーサンキューなのです。
「相手がクライスラー子爵だからあれで済んだんだぞ。俺とは違うんだからな。それはわかってるのか?」
ああ。そうか。初めの頃はいろいろとフォルカーには毒を吐いてしまったからね、ここで。きっとまた胃の痛い思いをしながら、私の暴言を見守っていたのですね。うふふ。ご愁傷さまです。
「わかっていますよ。ありがたいですね。理解のある寛容な大人の方は」
「…………」
笑顔で返したのだが、フォルカーは苦い顔だ。
言いたいことはわかりますよ。貴族に対して言い過ぎだ、死にたいのか?ですよね。私も別に死にたい訳ではありませんよ。
でも……
すると今度はロルフもフォルカーの隣に来た。
「ニカちゃん。ニカちゃんの言うことは正しいとは思うけど…やっぱり心配だよ。他の貴族にはあんな言い方はだめだよ?」
「…そうですね。ご心配ありがとうございます。ロルフさん」
「お前、俺と随分対応が違うな…」
ますますフォルカーは苦い顔だ。
「ふふ。そんなことないですよ?…でも……また言ってしまうかもしれませんね。極力気をつけますが」
「いや、反省してないな、お前…」
「フォルカー」
「え?…あ、はい」
私の後ろを歩いていたユリウスに声をかけられたフォルカーは恐縮している。何か怒られると思っているようだ。
「姫に対して“お前”はやめろ。馴れ馴れしいぞ。…私でもたまにしか言わん」
「…あ…はい……え?」
フォルカーはユリウスの言に、ええ?そっち?という顔をする。
ユリウスに絡まれたフォルカーをよそに、回廊脇の庭園を歩きながら眺める。
この道は以前も通ったことがある。少し懐かしい。
ここは相変わらずお庭が綺麗。しかも魔導灯でライトアップされてる。素敵。
…フォルカーはまだ絡まれている。ユリウスはどうしても“お前”呼びが許せなかったらしい。
もう外は暗くなってきた。早く帰らないと厨房の人達に迷惑をかけちゃうな。
ハインツとの話が終わったあと、ヘリガ達は帰りを促したのだが、私は子供達が気になって会いに行く許可をもらった。
不安になってはいないだろうか。孤児院に移ってやっと落ち着いたと思っていたはずなのに。
「ニカ!」
別棟の応接室に入ると、ヴィム達がいて、私の名前を呼んで近づいてきた。皆を見回す。やっぱり不安そうな顔をしている。
「ニカお姉ちゃん」
「ロッテちゃん。またしばらくここで暮らそうね」
「お姉ちゃんも?」
「私は……」
「ロッテ。ニカはもう帰るところがあるんだ。だから…」
ヴィムがロッテに言い聞かせようとしているけど、なんて言えばいいのかわからないようだ。
私もなんて言っていいのか、わからない。
私の立場もまだあやふやだ。
安全だと聞いてやってきた孤児院だったのに、またここに戻ってくるはめになった。でも今の私に何ができるだろうか。何の資格もないのに、貴族のふりをしている私に。皆と同じだったはずなのに。
私はヘリガとリオニー、ウルリカと、そしてユリウスを振り返った。
それでも私には、今はこの人達がいる。皆、私の味方をしてくれる。なんて恵まれている環境なのだろうか。その分だけ、今は何かができるはずだ。
「とりあえずあの場所を大掃除して、悪い虫を追い出したら、またあそこに帰るのか、それとも別の場所がいいのか、また考えよう。私もまた会いに来るからね」
「本当?」
ロッテの頭をなでながら話す。
今はこんなあやふやなことしか言えないけれど、いつかこの子達も幸せな場所に辿り着きますように。
私は一番後ろにいた女の子を見た。泣きそうな顔をしている。声をかけてあげたいけれど、これは繊細なことだから、皆の前で何か言うのは憚られる。
どうするのが正解なのかわからない。ただマリエルには事情を話して、見守ってあげて欲しいと伝えてある。私にしてくれたみたいに、優しくしてあげて欲しいと。
それから男の子達は、フォルカーとロルフにお願いしておいた。やっぱり同性の大人の方が相談しやすいだろうから。
しばらく皆と話して、帰り際にロッテや女の子達を抱きしめてあげた。あまり自分からこういうことをするのは慣れていないけれど、気持ちが伝わればいいなと思う。
「ロッテちゃん。また、来るからね」
「絶対だよ?」
「うん。…皆これから孤児院でのことをお話聞かせて欲しいって言われると思うから、皆は本当に思っていることを話していいからね。ここの人達はちゃんと皆を守ってくれるから、怖がらなくていいよ」
皆にマリエルらを紹介して、何かあったらこの人達に話してみてと伝えた。少しでも不安を取り除いて欲しいから。
「じゃあ、またね、ヴィム」
「ああ。…また、助けてくれてありがとな、ニカ」
おお。ヴィムにお礼を言われた。
「なんだよ、そんな顔して。前にもお礼くらい言っただろ」
「そう、ね。…うん。そうだったわ」
「お前なぁ…」
ヴィムに睨まれた。
「そうだ、ヴィム。リュカは大丈夫かな。何か心配なことはなかった?」
「リュカ?…ああ、あの黒髪のやつか。あいつしゃべんねーからな。よくわかんないやつ。いっつも一人でいたぞ」
やっぱり。でも私もそういうタイプだったから、リュカの気持ちはわかる。
「何か問題抱えてそうだった?」
「さぁな。…ニカはあいつと話したのか?」
「うん。またねって話したよ」
「ふぅん…。あいつ絶対しゃべらなかったのに。お前、誰とでも仲良くなんのな」
「誰とでも仲良くなるなんてできないよ。相手が仲良くしてくれるからだよ?」
「…………」
なんだかまた睨まれた。解せぬ。