11.普通のお話
食堂兼応接間の大部屋に残ったのは、私とヴィムとフォルカーだ。大きなテーブルのある方では、まだ使用人達が夕食の食器を片付けている最中ではあるが。
他の子供達はすでに寝室へと移動している。
まだまだ元気は有り余っているようで、二階からはキャッキャとはしゃぐ声にドタバタとわずかに騒がしい音が聞こえる。さらわれて奴隷にされるなどという極限状態から解放され、ようやく家に帰れると知った反動だろうか。
そう思うと、この騒音もなんだか微笑ましい。
「…………」
上階の楽しそうな雰囲気とは相反して、案の定目の前のヴィムはムスッとした表情だ。
やはりツンデレは扱いづらい。
だが私はツンデレだろうが子供だろうが、容赦はしないのである。
一生を終え、ある程度酸いも甘いも経験した私にとっては全てが等しくただの人だ。
上でも下でもないのである。
正直な所心情的には、大人だろうが子供だろうが、貴族だろうが平民だろうが、王様だろうが奴隷だろうが。そんなものは何も関係がない。
老いている、生まれが尊い、たったそれだけで敬意を強要してくる輩になど、弁える礼儀なんてない。礼とは強制されるべきものではないはずなのだ。
尊敬に値する人に礼儀を弁えるのは人として基本的なことだし、どんなに偉かろうが年をとっていようが、唾棄すべき人間も確実にいるのである。
よく取り沙汰される、身分も平等も男女同権もない。
一人ひとりが別の人間であって、別の価値観があり別の善悪を持っている。ここに至るまでの条件が別々なのに、同じである訳がない。
差別を推奨しようという訳ではない。だだの明白な事実。“平等”も“同権”もない。あるのはただ“相違”と“対等”。互いに違うことを認め、個として尊重するということである。
ただそれだけだ。
空気を読まない人間の真骨頂を見よ。
「なんだよ、話って」
ヴィムは不機嫌そうにして目を合わせようともしない。
「ロッテちゃんには聞かれたくないんでしょ?だから残ってもらったの」
「別に、なんでもないって言ったろ。しつこいな」
しつこいとな。…酷いな。
ヴィムはソファーに座って面倒くさそうにそっぽを向いた。
こうやって見ると、やっぱり皆茶髪なんだな。目の前にいるヴィムもミーナもリーナもロッテも、他の子供達も黒髪に近い暗めの茶髪だ。
「皆が帰ったら、ヴィムはどうするの?」
「え?」
「ヴィムとロッテちゃんは家に帰るの?」
「…………」
ヴィムは明らかに顔を顰めて俯いた。
「家に、帰ってもいいの?」
私の言葉にヴィムは顔を上げ、ようやくちゃんと視線を合わせた。その表情はわずかに訝しげであり、狼狽えてもいる。
「それはどういう意味だ?」
それまで黙ってソファーに座って様子を見ていたフォルカーが口を挟んできたので、そちらを見た。
ああ、この人は普通の人か。
「子供達がさらわれてきたことは聞きましたよね?」
「ああ」
「でも親に売られた子もいるんです」
するとフォルカーは少し顔を曇らせた。
「ああ、そうだろうな」
「そんな子達が家に帰ったら、どうなると思いますか?」
「あ?そりゃあ……普通に迎えてくれるだろ」
「普通って?」
「…喜ぶ、だろ?子供が帰って来たんだから。親だって……きっと事情があったんだ。好きで子供を手放したりするもんか」
「ふっ」
「?」
フォルカーはわずかに目を見張る。
あ、いかん。鼻で笑っちゃった。
いやだって。“好きで子供を手放したりするもんか”…だと?やめてくれ。虫酸が走るから。また真っ黒な毒を吐いちゃうとこだったじゃないか。
…だったら産むんじゃねえよ。って。
「おっさん、売られた俺らが帰っても喜ぶ訳ないだろ」
「お…?」
ヴィムの“おっさん”発言にフォルカーは反応したが、それよりもヴィムの怒りを滲ませた声に気づいたようだ。
やはりヴィムとロッテは家族に売られたのだ。
だからこの話はロッテには聞かせたくなかった。多分ロッテも知ってはいるだろうけど。
優しいな、ヴィム。ちゃんと立派なお兄ちゃんだ。
「じゃあヴィムは家には帰らない?」
「そうだな。できればそうしたいけど…」
「じゃあ、孤児院とか…救貧院とか…どこか養ってくれる場所を探さなきゃね」
王都に孤児院てあるんだろうか。そこはフォルカーに聞いてみよう。
「孤児院て王都にはありますか?」
私はフォルカーに向き合うと、何故かぎょっとした表情だ。
「おいおい、ちょっと待て。家に帰らないつもりか?」
「え?もしかして孤児院てないんですか?」
「いや、そうじゃないが…本気で帰らないつもりなのか?」
ヴィムは胡乱げな顔でフォルカーを見ている。
「てゆうか、おっさん誰?」
「おっさんじゃない!」
あ、そこ否定するんだ。
まあね、二十代におっさんはないよね。でも子供には大人の歳はわかりにくいものなのだよ。許してあげてね。
「この人は傭兵なんだって。名前はフォルカーさん」
「ふーん。で?なんで傭兵がここにいんの?」
ヴィム、容赦ないな。優しいのはロッテにだけか。徹底してるな。
「それは護衛とか警備のためだ」
「だからなんでここで俺達の話聞いてんの?」
それもそうだね。
ヴィムと一緒にフォルカーを見る。
「…お前達の話をここの主に通す役目もあるからな」
それもそうだ。うん。要は監視だな。
「主って?」
「それは答えられない」
そうなんだ。
「なんで?」
「それはだな…」
フォルカーが言い淀んだ。
私よりもヴィムの方が“空気を読まない検定”上段者だった。てか、私は敢えて読まない派だが、ヴィムは空気?知ってるぞ、吸うんだろ?派だな。絶対。
これは普通の大人のフォルカーには対処は難しいだろう。助け舟を出すか。
「ヴィム。そこは納得しよう?あの悪徳奴隷商と敵対してるんだよ。私達みたいな子供には教えられないこともあるでしょ?それにこんな風に皆を保護してくれたんだし」
「そうか。…そうだな」
よし。いい子いい子。
案外素直に納得してくれて、なでなでしてあげたい気分である。自分より小さな女の子にそんなことをされたら、この子なら絶対に払いのけるのだろうが。
すると話をしていた私達に、使用人の女性がお茶を出してくれた。
白濁した茶色い液体。ミルク入りだろうか。
「ありがとうございます」
「いいえ。どうぞ」
ニコッとお姉さんが微笑んだ。明るい茶髪で落ち着いた雰囲気の綺麗なお姉さんだ。
出されたお茶を飲んでみると、濃い目の紅茶にミルクと砂糖が入っているようだ。
ものすごく濃いミルクティーだな。チャイ風かな?
「あ、それでフォルカーさん、孤児院ですけど…」
「いや待て。子供は普通親元に帰るべきだろ?孤児院は確かにあるけど、あそこは親がいない子が行くとこだぞ。…あまりいい場所とも言えないんだ。わざわざ行く所じゃない。家があるなら帰った方がいい」
「親ならいない」
ヴィムがフォルカーに強い目を向けた。
「いやでもさっき」
「親は死んだ。……魔獣に、食われた」
「…………」
何も言えなかった。そう言えば前にも魔獣の話を聞いたけど、それはヴィムからだった。そんなことがあったのか。
「そうか……それは災難だったな。だが、家に誰かはいるんだろ?両親ともに亡くなったのか?妹と二人で暮らしてたのか?」
「父さんも母さんも死んだ。畑に出てる時に襲われて。それでおじさんの……父さんの兄貴に世話になることになったんだ。けどあいつら俺達を邪魔者扱いして……父さんに金借りてたくせに、俺ん家に残ってた金も物も養育費だとか言って全部取ってったくせに、俺達まで売り飛ばしやがって…」
極悪人じゃん。罪悪感ないのかよ。
ヴィムも大変だったんだな。両親を亡くして、親戚にそんな扱いを受けて。最終的に奴隷として売られるなんて。両親に愛されてた分だけ辛かっただろう。そんな中、妹のロッテを一人で守ってきたんだ。
それでは亡くなった両親も浮かばれない。
畑仕事中に襲われたなんて。
人を捕食するような獰猛で大きな生き物なのか、魔獣というのは。それは脅威だな。
生息域とかはどうなってるんだろう。普通に街の周りにいるのだろうか。
私の住んでいたクルゼ村の周辺には魔獣なんていなかったと思う。だからか村を囲む柵なんて壊れたままだったし、村人達に外敵への危機感は感じられなかった。
猪やうさぎ、野犬はいたようだけど、私はめったにそういった危険動物には山の中で出会わなかったからピンとこない。前世での山と同じような意識で暮らしていた。
村人も魔獣に襲われたなんて話は、覚えている限り聞いたことがなかったし。あの山には魔獣はいなかったのだろうか。魔獣とは普通の獣とは見た目が違うのだろうか。
気にはなるが、とにかく今はヴィムとロッテの今後の身の振り方だ。
「フォルカーさん。これでも家に帰ることを勧めますか?」
「…だが…」
え?まだ納得できないの?この人、どれだけ優しい環境で育ったんだよ。
…いや違うか。奴隷制度がある国なのだ。孤児院なんて施設は、おそらくきちんと整備された環境ではないのかもしれない。だったら家に帰った方がいいということか。
そしてきっと子供は親に、大人に従うべきという理念がこの世界には根付いているんだ。
…そんなもの、糞食らえだ。
「自分達の財産を奪い、邪魔者扱いして、しまいには売り飛ばしたような奴らの元へ帰れ…と、フォルカーさんは言うのですか…?孤児院よりはそれでもマシだろうと?」
「…それは…」
フォルカーの顔がまた強張った。どうやら私のことが苦手になってしまったらしい。
そうか、傭兵のくせにこの人は、“普通”で“いい人”なんだな。
そして、“普通の人”だから、“見て見ぬふり”をする。それが彼の賢い選択。
そんな“普通の人”達だけで作った保身のための一般常識を、私は今も昔も否定し、抗おうとする。
それは“事なかれ主義”の“普通”の方々には、“空気が読めない”って嫌われますよね。ええ、わかります。
頭では、わかっているのですよ、私だって。
あの家で、私だけが、愚かだった。
だから兄弟の誰より殴られた。
それが、どうした。
だってしょうがないじゃないか。
気に入らないんだからさ。
だから私は、敢えて、読まない。
「このまま家に帰らせたら、そういう人達はまた売りに出しますよ。断言します。再び売られて奴隷にされるよりは、孤児院の方がまだマシだとは思いませんか?」
フォルカーを見据えて硬い口調で話すと、
「…生活が苦しかったのかもしれない」
と、フォルカーは眉をしかめた。
「そうですね。そうかもしれません。でも子供二人を売ったお金で、一体どれだけ賄えるんでしょうね。そのお金は子供二人の命と本当に釣り合う値段なのでしょうか?そもそも子供だからと私達の命を、何故その人達は勝手に売るんでしょう?私達を売った代価を受け取るのが、何故私達自身ではなく、他人なのでしょうか?一体、何の権利があって人間を売り買いするの?私達は家畜じゃないんですよ?」
フォルカーを凝視して、目を大きく見開いたまま首を傾げてみせる。
いやいや私、この人に苛ついてどうするよ。これじゃまた単なる八つ当たりだ。この人がヴィムの伯父や伯母な訳でもないし、この人が子供を売った訳でもない。ましてや私に危害を加えた訳でもない。
ただ……生活が苦しかったら子供を売っても仕方がないと言える社会に生きている普通の大人なのだ。
“常識”に対して抗ったっていいことなんかない。“常識”という圧倒的多数に呑み込まれるのが多数決の正義なのだ。
これは一人ひとりの“意識”の問題だ。それが当然と思って生きている人間に言ってもわかる訳がない。
強張ったフォルカーの顔に気づいてふぅとため息をつき、心を落ち着けるように視線を逸らした。
「いや……お前の言ってることもわかるが。…権利って言っても……そういうものじゃないか。だって親がいなけりゃ子供は生きていけないだろ。それまで育ててやってたんだし。だから親が売ると決めたなら、可哀想だが、他人は文句は言えないものなんだ…」
「はっ!」
さっきよりも大きく吹き出してしまった。この部屋にいる者達の視線が一斉に向けられたのを感じた。
ああ、これは誤魔化せないな。
…まあ、いいか。
「ふふっ……つまり自分の力では生きてはいけないのだから言うことを聞けと?売られても文句を言うなと?……誰が食わせてやっているのかと言いたい訳だ……へぇ……相変わらず。どこの世界も勝手に産んでおいて恩着せがましいことだ……狭量な事この上ない…」
そう言ってたな、あいつも。
そうか。そうだな。それがここの常識か。
ならば私は、異端でいい。
「親は子供を産んだかもしれませんが、子供は親の所有物ではないのですよ。大人だろうが子供だろうが、一人ひとりに意思があるのですから、人権があって然るべきです」
少し落ち着こうと紅茶を一口含んだ。
甘いな。食後はもっとすっきりしたのが飲みたい。
「そもそも子供というのは、小さくか弱いから大人が自由にしてもいいのではなくて、小さくか弱いからこそ庇護されるべき存在なのですよ。そしてただ食事を与えていればいいという訳でもなく、自立できるように教え導くのが大人の役目です。愛情と手間をかければかけるだけ、大人になった時に応えてくれるのですから。そんなこともできない、やりたくないと言うのなら……無責任に産むなよ……って話ですよ」
部屋の中はシンと静まり返っている。ヴィムやフォルカーどころか使用人達も物音一つ立てない。
いつの間にか、夕食の片付けは終わっていたようだ。それなのに何故まだ退室していないのか。
生意気な発言だろう。大人に対してこのようなことを言うなんて。でも、これが私の本音だから。取り繕ったってどうしようもない。
「ああ、そうそう。例外はありますよ」
忘れてた。これはとても大事なことだ。
「この間のようなクズどもには、人権など一切必要ありません。人権というのは人に対する権利ですからね。クズには情けは必要ない。全ての罪人はすべからく、苦しみ抜いて死ぬべきです。…それが自ら招いた結果なのですから」
私はフォルカーに向かって、「至極公平でしょう?」とニコリと微笑んだ。
空気を読むのも大事ですね。
修得困難な特殊スキルかな。