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103.暗示(3)

《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》




「ねぇ、コンラート」

「はい」

「明日は外出してもいい?」

「どちらへ行かれるのですか?買い物でしょうか?」

「ううん。…その前にクライスラー卿にお伺いしたいことがあるのだけれど、連絡はとれますか?」

「ええ。どのようなご用件でしょうか?私が連絡いたします」

「では…」


 ヴェローニカは、ハインツの屋敷で預かっていた身寄りのない子供達は孤児院に移ったのか、移ったのなら一度その孤児院の様子を見に行きたいとハインツに伝えて欲しいと言った。

 コンラートは少し不思議そうにしながらも了承し、退出していった。




「本当に身体は大丈夫か…?」

「ええ。大丈夫よ、ユリウス」

 ヴェローニカはユリウスを見下ろして微笑む。そしてまた頭をなで始めた。

 優しい、穏やかな笑顔だ。嘘ではないらしい。

 あまりの飢餓感に血を吸いすぎることを恐れていたが、差し支えないようで安心した。

 ユリウスの瞳はもとの紫色にすでに戻っていた。



「あれ……ユリウス…」

「ん?…どうした?」

 髪をなでていたヴェローニカの手のひらが、前髪を払って額に触れ、次に頬に喉元にと触れた。

 小さいが温かくて柔らかな、優しい手のひらだ。

 その思いやりが感じられる触れ方が心地良くて、ユリウスは目を閉じた。


「やっぱり。ユリウス、体温があるわ。…今までは冷たかったのに」

「…………」

 驚いてすぐさままた瞳を開ける。

「ほんとか?」

「うん。…自分ではわからない?」

「いや……さっき、熱くなったような気は…したが……そう言えば起きてからは体が熱いような気はしていた。喉が渇いたような…そんな気分になったのは、いつぶりか…」


「うふふ。…こうやって少しずつ人間らしくなっていくのね、ユリウス。喉が渇いたってことは、水分がとれるようになったのかもしれないわ。あとで試してみましょう?きっとそのうちパスタも食べられるようになるわ。…楽しみね」

 ヴェローニカが本当に嬉しそうに微笑んだ。彼女の魔素が喜んでいるのが視える。

「…………」



(ああ…もしかして、昨日のことで血を飲ませようと思ったのか……てっきりエーリヒのことで自棄になっているのかと思ったんだが…そうじゃなかったのか。)



 ユリウスの胸に何かこみ上げるような感覚を覚えた。目元が少し熱い気がする。

(なんだ…涙まで出るのではあるまいな…それはさすがに要らぬ機能だぞ。)

 この体勢ではわずかに気恥ずかしくなり、何か話題を変えようとしてしまう。


「さっきの話は…捕まっていた、子供達のことか?」

「え?…うん。ユリウスは話を聞いたのね?」

「ああ。…姫が、奴隷にされたと聞いた」


 ユリウスは膝枕をされながら腕を上げ、ヴェローニカの柔らかな頬に触れた。するとその手に優しく彼女の手が重ねられ、微笑まれた。


「大丈夫よ、ユリウス。そんなに心配しないで。私にはもう、ユリウスがいるもの。…私はもう、ひとりじゃないわ」

「…………」

 その言葉にユリウスは血を飲んだときのように満たされるものを感じた。



「ああ。…私が、姫を……おまえを守る……ずっと、おまえの傍にいるから…」


 私は一生涯、おまえの傍を離れない。




◆◆◆◆◆◆


《コンラート・ネーフェ》




 ユリウスにヴェローニカの血を与えるなとエーリヒからは命じられていた。

 先ほどユリウスの異変を感じていたコンラートは、まさかとは思っていたが、すでに遅かった。

 だが、あのような状態のユリウスに血を求めるなと言っても無理なような気がする。


 食堂を出ていく際のユリウスはもう焦点が合っていなくて、息切れでもするように動揺し、受け答えもろくにできていないようだった。

 ただ、ヴェローニカが血を吸われても健康上の問題はなさそうに見えたのが救いか。エーリヒには叱責を受けるだろうが。



 コンラートの目には二人はとても仲睦まじく見えた。ソファーの上で気だるげなユリウスを膝枕して微笑みながら、恋人か子をあやすように優しく頭をなでていた。

 あれが八歳の愛情表現にはとても見えない。

 だがあれは人ではない。信じられないが、あれは人形なのだ。であれば必要以上に二人を引き離すわけにもいかない。あの体を維持するのにヴェローニカの魔力と魔素が必要なのだから。ヴェローニカの言ったように、食事の代わりと思うならば必要な行為だ。


(エーリヒ様にもあのように接するのだろうか。)


「聖女か…」


 その一言で全てが片付くのだろうか。

 ふと、ヴェローニカを連れてエーリヒが邸宅へ戻ってきた日を思い出す。



 馬車から降りたエーリヒは、中にいた白銀の髪が輝く可憐な少女を手慣れたように抱き上げた。そして優しく抱き寄せる。そのまま降ろすのかと思いきや、エーリヒは彼女を抱きしめたまま邸宅へと入っていった。


 エントランスホールから二階へ。立ち止まらずに三階へと進み、用意しろと言われていた邸宅の主の夫人の部屋へ向かって中へ入った。そして軽く部屋を案内してバルコニーへ向かうと、二人でしばらく眼下の庭園を眺めていた。抱き上げた彼女の耳元で囁きながら、もう数年仕えたコンラートでさえ見たこともないような穏やかな笑顔を浮かべて。

 エーリヒの笑顔は見慣れている。だがあれはいつもの、心を覆い隠すような上辺だけの笑顔ではないのは、見ていて明らかだった。



 紅茶を淹れてコンラートが声をかけると、エーリヒはソファーへやってきて初めて彼女を下ろし、一人がけの上座に置いたはずのエーリヒの分の紅茶を持って、彼女を座らせたソファーのそのすぐ隣に当然のように座ってそれを飲み、そしてまた彼女をとろりと艶めいた蜂蜜色の瞳で見つめる。

 それを見て、コンラートは少し呆れたくらいだ。こんな主は見たことがない、と。よほどこの少女を大事に思っているのだと。



 昨夜エーリヒから、明日からプロイセで捜索しなければならないことができたから数日は帰れないと連絡を受けた。護衛騎士達も連れて行くと。

 やはり忙しそうで、昨夜の女の件や、侍女達の件などを話すことはできなかった。

 帰ったら話すことにはなるのだろうが、それを知ったエーリヒはどうするのだろうか。



 ヘリガ達が怒るのもわかる。

 エーリヒがヴェローニカを大事にしていることもわかる。

 わかるが……相手は八歳だぞ。それに操を立てて女を断てというのか。

 それではあまりに主が哀れだ。




◆◆◆◆◆◆




「ごめんね、ユリウス」


 やっとユリウスが血を飲んでくれた。

 膝の上で穏やかに眠るユリウスの紫色の髪を優しくなでる。


「ごめんなさい…」


 こんな風にしたのは、私だから。

 ユリウスにだけは拒まれたとしても、嫌われたとしても、ちゃんと傍にいないと。

 ユリウスが血を欲する限りは。



 私、少し自分の力の使い方がわかってきたみたいなの。

 さっきあんな風になったのは、私のせい。

 ごめんなさい、ユリウス。

 急に理性を失って怖かったよね、きっと。


 でもあれはただ、あなたがいつも我慢しているものを少しだけ引き出しただけなのよ。

 今は血を飲んだから、もうそんなに簡単に理性を失ったりはしなくなるから。

 だから、まだあなたの傍にいさせてね。



 あなたは私の眷属なんだって。

 きっと私が生んだ子供のようなものね。

 だからあなただけは、どんなに私の心が醜かろうと、どんなに私を厭い拒もうとも、私を捨てたりはしないのよね。


 子とは、親には抗いがたいものだから。

 切り離したくても、簡単に切れる縁ではないの。

 そうでしょ、ユリウス。



「私が血をあげ続ける限り、あなただけは…」

 私を、ひとりにはしない。



「酷い親ね…」

 この血であなたを縛りつけようとしてる。



 でもその代わり、私があなたを守るわ。

 私は、自分の親とは違う。

 自分で生んでおいてあんなふうに暴力をふるったり、蔑ろにしたりなんかしない。

 ちゃんと私が生み出した命には責任を持つわ。

 だから安心して私の血を飲んで、早く成長してね。



 私が欲しかったものは、家族でも、恋人でも、ないのかもしれない。


 だって、愛を奪うために醜くなれそうにはないけれど、あなたを守るためなら……いくらでもなれそうだから。



 私はユリウスの紫色の美しい髪を優しく、優しくなでる。

 それを見ているのは黒猫だけ。眠るユリウスの胸の上で前脚を畳んで蹲り、時折ふわりふわりと優しく長い尻尾を揺らす。

 この懺悔を聞いているのは、黒猫だけ。

 とても、穏やかな時間。


 今はゆっくりおやすみ。

 私の、ユリウス。




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