第3話 転機②
聞こえてきたのは鳥のさえずりだった。
重たくなった目蓋を開くと、窓からうっすらと太陽の光が差し込んでいた。
どうやら眠ってしまったようだと、奏は部屋を見渡すがリズはいない。一度も戻ってこなかったのだと思えば、ズキッと心は痛むが、泣き叫んだからか思ったより心はスッキリしていた。
「さーて、これからどうするかなぁ。」
一人呟いて、とりあえず身支度をする。
泣いて腫らした顔を洗って、服を着替える。そしてアクセサリーケースを開けて、その中からいくつかを手にして袋に詰め込んだ。
「じゃあ、行きますか!」
奏は気合いを入れ直して部屋を出る。誰かに見つかったら連れ戻されると思ったが、幸いなことに人と出会うことはなく、門の前まで辿り着くことができた。
「さすがにいるよねー。」
ため息と共に独り言をこぼしつつ、門を見れば甲冑かと思うくらいに重装備をした男が2人、門の前に立っているのが見える。
門は車が4台並んでも余裕ではないかと思う程に広く造られていて、壁は10メートル程の厚さがある頑丈な造りをしていた。
そして見張りはこちら側を見ているのが2人に、反対側の街の方に2人だった。
さて、どうしたものかと奏は悩むが、ここ以外の抜け道はない。とりあえずはフード付きの外套を羽織ってはいるが、さすがにフードを目深に被ってここを抜けることは出来ないだろう。
なら、一層のこと堂々と通ってみるかと開き直り、フードを下ろして奏は真っ正面から門に向かって歩くことにした。
見張りの騎士は奏に気がつくと、こちらに走ってきて問いかけてくる。その顔には驚きが顕著に現れていた。
「こんな早くにどうされましたか?奏様。」
やはり顔は知られているらしい。だが、クリストフォロとのことはまだ知らないのか、捕らえようとする様子はない。
「おはようございます。ちょっと外に用事があって…」
濁した言い方に騎士は困ってしまい、もう一人見張りをしている男に声をかけて、こちらに来るように手招きした。
後から来た男は落ちついた雰囲気で、まさに騎士らしい動きで挨拶をした。
「イザック様。奏様の外出について、連絡を受けていますか?」
若い方が聞いて、イザックと呼ばれた騎士は顎に手を当てる。
その表情は聞き覚えがないと、言っているようだった。
「あ、あの!じ、実はクリス様とお会いする約束をしていて…」
「クリストフォロ殿下がどうして…」
疑問はもっともだ。だって、嘘だし。
と、思いながらも奏は恥ずかしそうな顔をして見せる。
「最近、私たちのことが噂になって、お城でなかなか会えなくて…。今日はお休みを頂いて…その…で、デートの約束をしているんです。」
「クリストフォロ殿下は本日、遠征前の大事な会議があるはずだか?」
「そ、その前に時間を作ってくださると、約束してくださいました。業務が忙しいにも関わらず、城内で会うのは難しいからと街に出掛けようと、お誘いしてくださって…」
奏の言葉に若い騎士はうんうんと頷いている。自分にも似たような経験があると言う様子は、初々しく思える。そんな様子に少しだけ良心が痛むが、背に腹はかえられないと奏はじっとイザックを見つめる。
「だからここを通していただきたいのです。」
「うーん…殿下がそんな事をするだろうか?」
「イザック様、恋ってそう言うものですよ!普段なら出来ないようなことも、恋人のためにやってしまうものなんです。」
「そ、そうか?」
熱の籠った言葉にイザックは気圧されて半歩、身を引いた。そこをズイッと詰め寄る若い騎士。
「そうなんです!」
「…」
「応援しましょうよ。2人が結ばれることは、この国にとって利益しかないんですし。」
「むぅ…」
「それに、貴族街なら治安も良いし、問題ないですよ。」
「だがなぁ…」
「イザック様。そうやって若者の大切な時間を奪ってはダメですよ。」
人差し指をピンと立てて、熱弁する若い騎士は生き生きして見えた。
その勢いに根負けしたのか、イザックは大きなため息をついてから奏の方を見る。
「今回だけですよ。」
「ありがとうございます!」
お礼を言われた方は満更でもない様子で、鼻を指で掻いた。
こうして、奏は無事に貴族街へと下りることが出来たのだった。
貴族街は整備された道に、規則正しく家が並んでいる。家々は造りも色もほとんどが同じ。赤い屋根に白い壁と、まるで分譲住宅で同じような家が並んでいるような感じだ。
「意外ね。貴族街というから、もっと豪華だと思っていたのに。」
もっと土地を広く使って、大きな家と広い庭があって犬なんかが走り回っているようなイメージだったのだが、どうやら本の読み過ぎだったようだ。
奏が街の事をこんなにも知らないのには理由がある。なぜなら自分の足で歩くのが初めてだからだ。
正確には、街に下りた事はある。だが見たことがないと言う意味では、間違いではない。
魔物討伐のため、国領土内への遠征には一度出掛けている。だけど移動は馬車だったし、混乱を避けるため馬車の中から外を覗くことは出来なかったのだ。
こんな形で訪れることになるとは思ってもいなかったが…
「さてと、まずはこれを売りにいかなきゃ。」
袋の中にアクセサリーが入っていることを確認してから、奏はそれを売れる店を探す。
もちろんまだ店など開いてない時間だが、店というのは準備を必ず行うものだ。つまり人はいると言うこと。
奏は道に並ぶ店の看板を見上げて歩き、アクセサリーが売れそうな商店を探す。
幸いなことに異世界の言葉は理解できた。まるでバグを修正するように自然と読めるようになったのだから、不思議で仕方なかったが、こればっかりは神にでも聞かなきゃ分からないだろうと、真相を知るのは諦めている。
「あっ、あった。」
奏はアクセサリー店を見つけて、迷わずその扉を叩いた。
店主らしき40代くらいの男性が出てきて、奏の頭の天辺から爪先までを見る。見定められたのだと気付いた時には、どうやら店員は奏がこの店に分不相応だと思ったようだ。
鼻で笑って扉を閉めようとするので、奏は足を挟み込んでそれを妨害した。
「すみません、見てもらいたいものがあるんです。」
そう言って袋を見せれば、男は黙ったまま扉を閉める手を緩めた。
店の中は売り物屋らしい構えになっていて、アクセサリーがガラスケースに入って並んでいる。
「すごい…」
前の世界なら、人生で絶対訪れないと断言できるくらいの、高級な感じがする店だ。
「で、どれです?」
「これなんですけれど...」
接客で培った営業スマイルを無愛想な店主に向けて、奏は袋から一つのアクセサリーを取り出した。
それは真っ赤な宝石が散りばめられたネックレスで、ロヴィーノから着けるようにと渡されたものだった。女性の嗜みなのだとか。
だけど、奏の黒髪に白い肌にはこの赤が似合わなくて、公の場に出るときにしか着けていなかったもの。
「ハァ…偽物をいくらで買い取れと?」
疲れたように言う店主に、なんとなく予想をしていた奏はそれを袋に戻す。
「では、これは?」
代わりにと今度は、真珠のような石で作られたイヤリングを、手に取り店主に見せた。
そのイヤリングはゴッタルディが、何かの時に役立ててくれと渡してくれたものだ。
すると今度は目の色を変えて、奏の許可を得てからそれを手にして色んな角度からそれを鑑定した。
しばらく眺めてからキラキラした目でイヤリングを見る店主は、だがそれを隠すように冷たい眼差しで奏を睨み付けた。
「これはどちらで?」
「言えないわ。」
「盗んだものじゃないのか?」
「はい?」
店主はあろうことかイヤリングを、自分のポケットから取り出した袋にしまってしまう。
「ちょっと!なにするんですか!?」
「盗難品は届け出る決まりでして。」
「なっ!だから盗んでないって!もらったものなんです!」
「もらったものだって?」
「は、はい!」
「盗んだやつは皆そう言うんだ!」
「あっ!ちょっと!」
「通報されたくなかったら、さっさと消えろ!」
店主は箒の柄を奏に向けて振り回すと、奏を無理やり店から追い出した。
バンッと扉が乱暴に閉められ、鍵がかかる音がする。
「ちょっと!泥棒!返してよ!!」
バンバン扉を叩くがもちろんびくともしない。
騒がしくしたせいか、周りの家から人が出てきて奏に対して不審者を見るような目を向けた。
これ以上、ここにいるのは得策じゃないと、奏はそそくさと逃げるようにその場を後にした。
「どうしよう…」
先立つものがなければこれから生きていけない。だが、どうやってお金を稼いだら良いかも分からない中で、奏は途方にくれるしかなかった。手元にあるのはほんの少しの銀貨と、銅貨が10枚ほど。こんなお金では宿に泊まるのも難しいだろう。
とぼとぼとあてもなく歩いた奏は、貴族街の終わりにある壁の前にたどり着いた。
この国は城壁が2つある。先ほど通った門がある城壁は、城のまわりだけを囲んでいる。そして今、奏が向かっているのが街の終わりにある壁だ。どちらも同じくらいの厚みがあり、構造はどちらも似たようなものだ。どちらの壁の中にも宿直所や武器庫があり、魔物の襲撃に備えている。大きな違いと言えば、街の終わりにある防御壁には砲撃のための大砲なんかが設置されている。
特に呼び名はなく、奏は混乱を避けるために城側を第一、街側を第二と呼び分けていた。
だが奏は第二城壁に近づいて初めてその異様さに気づいた。
近づくにつれて街が簡素になっていくのだが、異様だったのは門の先に見える街の外の景色。
奏の想像では遠征の時に見たような、草原や森などの景色が広がっていると思ったのだが、門から見えるのは人が住んでいそうな家々だった。
ただそれはこの貴族街の建物とは比べ物にならないくらいに粗末で、ボロボロに見える。
「これは…」
声にならなかった。驚いて気付くと奏はふらふら門へ近づいていた。
「君、ここは危ないよ。戻りなさい。」
「お気遣いありがとうございます。えっと…出るのに何か手続きは必要でしょうか?」
「いや、出るのに必要はないが…戻るのが大変なんだ。なぜ、貧民街へ?」
「貧民街?」
奏が怪訝な顔をすれば門番は奏が知らないことに驚いた様子だった。
「私たち貴族とは違って、国の保護で何とか生きてる奴らが住んでるところさ。生きるためなら何でもするって奴らで、貧民街は治安も悪いんだ。
私は貧民街に行ったことはないが、貴族が飼い慣らしてる奴らもいてな。たまにこっちに入ってくるんだが…臭いし愛想もないし、何考えてんだが分からない奴が多い。だから、行くのはお勧めしないよ。」
「人が住んでるのねっ。」
「まぁ…それはそうだが。なぜ、わざわざ貧民街に行く必要があるんだ?」
「えっ、えーと…」
門番に問われて奏は戸惑ってしまう。
お金もなく、あてもなくここに来ただけで、でもこの先にその庶民の街があるなら、まだ希望があるかもしれない。
だがそれを素直に伝える訳にもいかず、どうしようかと考えあぐねていると「おー、ここにいたか。」そう背後から声をかけられた。
怠そうな声に奏が振り返ると、そこには40代くらいに見えるスラリとした男が、片手を上げて近づいてくる。良く見れば、服から出て見える腕や足は筋肉がガッシリとついていて、剣こそ携えてはいなかったが、傭兵のように見える体つきだ。
「ヴィオラ。勝手にいなくなるなよな。」
「え…」
「前にも言ったが、貴族様の街から出るには、身分証がないとダメだって言っただろう。ほら、忘れてたぞ。」
突然投げられた物を奏はなんとか受け取る。手に収まったそれは、金属で作られたカードみたいなものだった。
そこにはヴィオラと刻まれていて、その他に書かれているのは、性別だけと証明書にしてはお粗末な物だった。
「申し訳ないです。騎士様。こいつ忘れっぽいみたいで。ほらヴィオラ、身分証を騎士様に見せて。」
男に言われるままに、奏は手にした身分証をかざすと、騎士の男はそれを奪うように取り上げて、まじまじと見る。
「確かに身分証だな。ったく、紛らわしいな。」
先程とはうってかわって、横柄な態度を見せる騎士に奏は驚きつつも、返された身分証を丁寧に受け取った。
「税金喰らいの貧民が貴族に、迷惑かけるなよな。」
「本当に申し訳ない!ほら!ヴィオラも。」
男に頭を無理やり押さえつけられて、謝罪を強要される。
「…申し訳ありませんでした。」
奏が渋々謝罪を口にすると門番は「フン」と鼻をならしてから定位置へと戻っていった。
「…なにを偉そうに。」
門番がいなくなってから、男は吐き捨てるように言ってから奏から手を離した。
そしてスタスタと歩き始めてしまい、奏はその後を追う。
「あの!ありがとうございました。」
そう奏が声をかけたのは、門を通りすぎて騎士の声が届かない程離れてから。
少し先を歩いていた男が声に反応して奏の方を振り向く。
「おうよ。困ったときはお互い様だ。」
「これ、お返し…」
「ああ、いらねーよ。それは嬢ちゃんが持ってな。」
「でも、それじゃあ元の持ち主が困るんじゃ…」
奏が戸惑うと、男は困ったように頭を掻いた。
「それは俺の妻のもんだ。」
「なら…」
「もう死んじまった。」
「え…」
奏は言葉を失くす。
「気にすんな。ここじゃあ日常茶飯事だ。」
「な、なら尚更持っていないと…」
「良いんだよ。人の役に立つなら、あいつも喜ぶだろ。」
遠い目をする男は、少しだけ悲しげに笑った。
「なぁ嬢ちゃん。名前は?」
「えっと……あ、アリアです。」
奏は聖女だと気付かれるのは得策ではないだろうと考えて咄嗟にそう答える。
男は特に気にした様子もなく、人懐っこい笑顔を見せて手を差し出した。
「俺はジャンだ。よろしく。」
「よ、よろしくお願いします。」
「なんか訳アリなんだろ?」
「え、ええ…まぁ」
「これも何かの縁だ。こんな街だが案内してやるよ。」
「へ?あ、ありがとうございます。」
願ってもない言葉に奏はふたつ返事で、奏は案内をお願いしたのだった。