第1話 過去
人は生まれながらにして、優劣がはっきりとしていると思う。平等などあり得なくて、天質があるかないかで、その人生は薔薇色になるかどうかが決まるのだ。
もちろん全ての人が自分の欲しい天質を得られるわけではない。人が羨むような天質を持ちながら、それとは全く違う人生を歩む人もいる。
そんなこと奏も分かっている。だけど、彼女が他人の天質をどうしても羨んでしまうのは、彼女の人生がそう思わせるものだったからだろう。
まずはそんな奏について語ろう。
性格は地味で目立たず、休み時間には机で本を静かに読んでいる。そんな少女だ。これが清楚系の美少女ならば、注目の的で人気者にもなるのだろうが、奏はそういうタイプではない。
いや、実際はそうなりえる未来もあったのかもしれないが、それは彼女の生立ちがそうさせなかった。
奏には同じ年の幼馴染みがいる。
名前は愛美。薄茶色のサラサラなボブショートで、お人形のように奇麗で可愛らしい顔立ちをしている。交友関係も広く、天真爛漫な彼女の周りにはいつも人が集まっていた。
普通ならこんな幼馴染みがいるなんて羨ましいと、思う人間も多いだろうが。奏は違った。
いや、彼女を幼馴染みにしたら皆が奏のように思うだろう。
愛美の幼馴染みということが人生で最大の不幸だと断言できる。
最初は小学生の時だった。
奏は恋をした。それは初恋と呼ばれるものだが、奏の初恋はレモンのような爽やかなものではなかった。
クラスの人気者でスポーツ万能なカッコイイ子でもなく、自分と同じような地味で目立たない子を好きになった。彼に惹かれたのも本の趣味があったからに過ぎない。
話が弾み、居心地が良かった。いつも放課後は図書館に行って、好きな本をお互いに交換して意見を交わしあう。そんな関係だった。
だけど、それは突然に終わりを告げた。
彼と愛美が仲良さげに、手を繋いで歩いているところを見かけてしまったのだ。
そうして奏の初恋は呆気なく終わった。
それからだ。奏が好きになる人の全てが愛美に奪われた。
初めは偶然だったかもしれない。奏もそう思うようにしていたし、狭い学園生活では好きな子が被ることだってあるだろう。
だが、それは偶然とは呼べないものになっていった。ある時は部活の先輩の知り合い、またある時は習い事で知り合った男子等、どう考えても愛美が知り合う機会なんてないような人もいつの間にか愛美と仲良くなっていた。それを愛美に抗議すれば、エスカレートして今度は友好関係も奪われた。あることないことを吹き込んで孤立させられたのだ。
そしていつの間にか、奏のそばには人がいなくなった。
惨めな気持ちだった。
いじめられる訳ではなかったが、学校でひとりというのは、孤独で仕方がなかった。
だけど、それも学生時代で終わる。そう思い続けて、奏は何とかひとりで頑張ってきた。
そしてそれは叶い、居酒屋のホール歴3年で副店長。これが奏の経歴となった。
明るくて皆でワイワイと楽しく働けるような店舗だった。意見も言いやすい環境で、皆で店舗を良くしていくのは達成感があり、奏は遣り甲斐も感じていた。
そんな環境で過ごしたからか、奏は明るくなったし、恋人こそいなかったが、人生を謳歌していた。だけど、それも愛美によってぶち壊された。
彼女はある日突然、バイトとして奏のいる店舗にやって来たのだ。
愛美は仕事を覚える気がないのか、何度も同じことでミスをして反省をしない。メモを取ったらどうかと提案しても、何かしらの理由をつけてやらない。
そんなことが続いて、愛美が来て初めての年末。
店舗従業員で忘年会が開かれた。忘年会そのものはとても盛り上がり、奏も愛美の事など気にせず、色々な話をして騒いで楽しんだ。
そんな飲み会の帰り。一人じゃ危ないと店長が駅まで送ると言ってくれて、奏は彼と二人きりで歩いた。
とは言っても、そんな遅い時間ではないため、人通りは多い。年末で忙しそうにしているサラリーマンや、同じように忘年会の帰りなのか騒いでいる人達が行き交う。
「奏さぁ。」
奏の隣を歩く店長は、こちらを見ることなく口を開いた。奏の歩幅に合わせているのか、店長はゆっくりとした足取りのまま言葉を続ける。
「あれはよくないぞ。愛美のことばかり注意してるだろ。」
「え…」
「俺は悲しかったんだよ。」
そう言う店長は酒臭いだろう白い息を吐き、悲しそうな顔をして、はじめて奏の方を見た。
その顔はいつもの優しい店長の顔ではなかった。
「お前は仕事が出来るって評判だったんだ。上からも評価されてる。」
「…」
「だけどな、上に立つからには後輩をちゃんと育てないと、ダメだろ。」
奏は何も返せずに、前を見て歩いた。視界がボヤけて、ライトがキラキラと光って見える。
「幼馴染みなんだってな。…だからって、あんなあからさまな態度はダメだろ。」
「あからさまって、怒鳴り付けているわけではなく、指導しているだけです。」
やっと言葉を返せた奏の気持ちに、店長は気づいていないのか、不満そうな顔をした。
「そう見えないから話してるの。分かる?」
店長の言葉に、全く思うところがない訳ではない。確かに忙しいときには、ぶっきらぼうになってしまうことも、ないとはいえなかった。
それが奏の心に罪悪感を生んでしまったのだろう。それ以上彼女は何も言えなかった。
「…分かりました、気を付けます。」
「おう。」
ふらつく足取りの店長。その少し後ろについて歩いていると、徐に店長がこちらを見るので涙を隠すようにサッと拭った。
「もっとやり方があるだろう。それを見つけてこそ、上に上がれるんだ。」
「やり方って…」
もう止めて。
そう思っても店長の言葉は止まることなく、奏の心を削っていく。
「あれじゃあ、愛美が可哀想だ。」
―なんで……
「…いつも愛美ばかり。」
―いつもそうだ…
「…私だって」
「ま、まぁ、人それぞれ悩みはあるだろからな。だけどそれを仕事に持ち込んだらダメだ。なっ。」
やっと奏の心情を察したのか、切り替えるように明るく店長は言った。
「じゃ、まぁそう言うことでよろしく頼むよ。」
そして逃げるようにふらつく足取りで、ひとり駅へと続く階段を降りてしまった。
奏も同じ電車だったが一緒にいたいと思えなくて、後を追うことはしなかった。
―どうしてこうなるのか。
愛美の仕事は目に余った。だから、注意をした。でも直らなかった。
―ならどうすれば良かった?
自分が全てを我慢して、愛美の仕事もこなして、目立たなければ良いのか。
だけど…と奏は思う。
そんなのおかしいだろう。と。
「酒の席で説教なんてするなよ……」
そんな言葉が溢れたら止まらなくなり、ブツブツと不満を溢しながら当てもなく歩く。すれ違う人々が奏の方を、嫌悪の目で見て避けていく。でもそんなことはどうでも良かった。
「なんでいつもいつも!愛美に奪われなきゃいけないのよ!おかしいじゃない…」
愚痴はどんどん悪化していき、歩くのすら億劫になって奏は立ち止まった。
そして、呪いのような言葉が口から出る。
「愛美死ねば良いのに。」
連日の残業と酒でふらつく足。立っているのも嫌になって、奏は道端に座り込んだ。
その時だった。
奏の目には周りがパァッと明るくなったように感じた。それはドラマで犯人が捕まるシーンにありそうな、眩しいライトを向けられる感じの明るさだ。
夜中なのに不思議だと思い、奏は座り込んだまま視線を上げる。
するとそこには天井があった。外を歩いていたはずと思えば不安になり、顔を右左と大きく動かして辺りを見渡す。
岩がボコボコとむき出しで温度を感じない壁に、明かりにしては心許ない燃える木が所々にかけられている。
「…な…にここ?」
不安と眩暈に襲われてうつ向くと、床が淡く光輝いていることに気づいた。粉のように細かい光の粒が舞っているような、そんな不思議な現象。
なにかのイルミネーションでも見に来ているなら、幻想的で感動するところだが、今の状況でそんな感情は沸いてこなかった。
不安と恐怖。
そんな2つの言葉が頭を支配する中で、何かが動いたことに気がつく。
それとほぼ同時にその何かは、叫び声をあげた。
それが感嘆の声だと、パニックになっていた奏には理解できなかった。
「おお!!聖女様だ。」
「成功だ!」
奏は声にビクリと身をすくめる。
教室くらいはある部屋に、10はいるだろう人影を見つけた。しかもその全員がローブにフードを被っている。なにかの儀式でも執り行われているような、そんな宗教的な怪しい集団にしか見えなくて、いつの間にかそういう会場に来てしまったのだと奏は思った。
彼らは何かに喜んでいるようだったが、それが何に対することなのか奏には皆目検討もつかない。これはヤバイ所に来てしまったと、戸惑いに奏がうずくまったまま動けないでいると、その中の一人が近づいてくる。
「ご気分、悪くないですか?」
男性の優しい声が耳にふわりと届く。フードを目深に被っていて顔は見えないが、藁にもすがる思いだった奏の不安な心はその声を聞いて少しだけ落ち着きを取り戻した。
「あの…わ、私、気が付いたらここにいて…」
「はい、それは私たちがあなたを召喚しましたから。」
「へ?召喚した?」
聞きなれない言葉におうむ返しになってしまうが、男が何を言ったのか理解できなかったのだから仕方がない。
―召喚?私を?今そう言った?
疑問がダーッと並び、頭がはてなで埋まる。
そんな混乱している奏に、男は腰を屈めて手を差し出してくる。今度は何?と不振に思えば、男は奏の機微に気付いてフードを下ろした。
さらっとした髪が落ちて肩にかかる。見事な金髪碧眼に、奏は口をパクパクさせてしまう。鼻筋の通った綺麗な顔立ちは、日本人でないことを物語っている。
「大丈夫。安心して。」
そう言って男は再び、手を差し出した。
違和感しかない中で、不思議と彼に対しては嫌な感じがしなかったので素直にその手を取れば、優しく引き起こしてくれる。
「痛む所などはないですか?」
問われて奏は体を見回し、手をグーパーしてみるが痛みなどはない。酒もいつの間にか抜ていて、疲れていたはずの体はスッキリしていた。
置いてきぼりなのは心だけ。
「大丈夫みたい…です。」
「それは良かった。では、まずお部屋にご案内いたします。」
奏は背を向けようとした男の腕を掴む。
「あ、あの…」
「クリストフォロと申します。」
「く、クリスト…?」
「クリスとお呼びください。」
「あ、私は奏です。あの、ここは?」
「ご説明はお部屋でいたします。」
クリストフォロはそう言うと、奏の手を優しく外して背を向けるとゆっくり歩き扉に向かう。そして、扉の近くにいた魔法使いの姿をした男の一人に声をかけた。
「もう一人の聖女様も別室にお連れしてください。」
クリストフォロの言葉に男は「ハッ!」と、騎士みたいな返事をして奏とすれ違う。それにつられて奏は振り向き目を疑った。
もう一人の聖女。つまり聖女はニ人。
本来なら、訳の分からない状況で、同じ境遇の人間が居ればこれほど心強いことはない。
だけど、奏は絶望した。
-どうして、こんな…
こんな運命、あまりにも酷だろう。
だって倒れていた女性はどう見ても、愛美にしか見えなかったのだ。
―それから3年の月日が過ぎていった。