ハワイ篇 死にかけた弟
A・LO・HA!
みんな大好きハワイ!
例に倣って作者一家も太平洋に浮かぶ火山の島へ。大自然を全身に感じた7日間。
Hāele pū!(さあ行ってみよう!)
小学生最後の海外はハワイに決定した。
ハワイといえば旅行のど定番であり、日本人にも馴染みの深いリゾート地である。
紫のハワイアン航空に乗って、ホノルルまで約8時間の空の旅。機内食にはロコモコ丼が登場し、今のところトップオブ機内食である。3月25日という春休みの中途半端な時期に行ったのだが、さすがは南国、半袖で正解だった。
ハワイ島に着くと、温かい風が肌を滑り、いきなりハイビスカスが出迎えてくれた。
ハワイといえば火山が有名である。
我々一家はキラウエア、マウナ・ケアの2つの火山を冒険することになった。まるで異星の地だったキラウエアの話は改めて語るとして、今回はマウナ・ケアについて綴っていく。
マウナ・ケアの星空ツアーは、意外と早い18時からスタートした。我々は全員お揃いのオレンジのコートと帽子を被り、ミニバスに乗って移動した。ハワイに来ているはずなのだが、南極探検隊のような人々がぞろぞろバスを降車した。
マウナ・ケア天文台は小高い丘の上に、少し雲がかかった状態でそびえ立っていた。その麓にオレンジの探検隊が集合した。この時に分かったのだが、(人間がそうなのか、私が変態なのか不明だが)人類というのは、あまりにも寒すぎて呼吸が難しくなると、逆に興奮して楽しくなってくるらしい。これは数年後に旅した雪の国でも同様だった。
危険な状態である。
我々ははぐれないように、もぞもぞ動きながら集合した。空が薄暗くなってきた。
「もうすぐかな…」
いざその時になると訳もなく急に緊張してきた。トイレは無いので注意しなければならない。
私は360度空を見渡した。青はどんどん濃くなって、そのうち紺色に染まっていった。我々はもう少し進んで、天文台の近くまで歩いた。寒すぎて必死だったので、ほとんど覚えていないが、歩くたびに白い天文台が大きくなった。
「空見てみ!」
母の興奮した声に驚いて空を見上げると、私は宇宙にいた。
視界に映っていたのは暗闇の中に立つ白い天文台とオレンジのペンギンたち、そして天井は無数の星が埋め尽くしていた。
私は首が痛くなるのも構わず目を見開いて空を見続けた。オーストラリアで見た星空も美しかったが、周囲に邪魔するものが何もないので、どこを見ても輝く白い点があった。時々流れ星が現れた。
私はしばらく星の世界に浸った。寒くて死にそうだったのに、それさえも忘れていた。ただ、どこまでも広がる星空を眺めた。この時間が永遠に続くような気がした。
色んな意味で天に昇りそうになっていると、後ろでもっと召されそうになっている者がいた。3つ下の弟である。(顔が丸いので、「お豆ちゃん」と呼んでいる)
そこそこの高所で、かつ極寒だったせいか、お豆ちゃんは高山病になっていた。弟の異変にいち早く気づいた母は、呼吸困難に陥りそうになっている息子に少しパニックになりながらガイドさんを呼んだ。
私が再度彼に視線を向けた時には、全身オレンジの豆は両手に酸素呼吸器を持ってスースーしていた。
星の光だけが輝く漆黒の世界。
自然の美しさと永遠を全身で体感した私だが、それは同時に静寂と死を感じさせた。
どれくらいいたのか覚えていないが、結局、お豆ちゃんは最後までスースーしていた。我々はまたバスに乗って町まで戻った。
ホテルに帰って、ベッドに入っても、私はまだフワフワしていた。あの時間は現実だったのだろうか。あんなに遠くの丘まで、自分は本当に行ったのだろうか。自分は、つい先ほどまで星の世界にいたのだろうか。
だが、肌はいつまでも覚えていた。
あの日の冷たい風、落ちてきそうな満天の星空、暗闇に浮かんだ白い息を。
ハワイ島は、小学生時代最後の海外でした。
そのせいか、かなり記憶に残っている旅先です。
今回のお話は星空ツアーの思い出話ですが、まさかハワイで凍えるとは思ってもいませんでした。
それでも、あの時に見た星空は今でも記憶に残っています。