第4話 ~清浄なる令嬢~
ホーク達の所属する兵舎に1人の女性が視察に訪れる。
その名はウンディーヌ。ターハル伯爵の令嬢である。
この先に待ち受けているものは一体何か!?
夜の時間を迎えた兵舎の食堂。ここでは今、兵舎に寄宿している兵士達があちこちで夕食を食べている。任務や訓練を終えた者達はリラックスした表情をしており、これから夜の警備任務に就く者達は気を引き締めている。
大勢の兵士達の中に混じって、夕食を食べているホークとナオ。彼等が食べているメニューであるが、パン、ローストチキン、サラダ、ポタージュという構成になっている。
「これで今日も終わりだな」
「そうですね」
食事を口に運びつつ、会話を楽しんでいるホークとナオ。今日は夜の警備任務もないため、後はゆっくりと休むだけである。
今日の訓練は大変だったとか、次の休日についての予定等を話しているホーク達。そうした中、ナオが思い出したように口を開く。
「そう言えば、明後日のこと知っていますか?」
「何がだ?」
「この兵舎にターハル領のお偉いさんが来るそうですよ」
「あっ!」
ナオから言われてようやく思い出すホーク。確かに今後の任務等を知らせる通達の際、視察が行われることが知らされていた気がする。
「何でも来るのはターハル伯爵の令嬢らしいです」
「そうなのか」
「何でも視察らしいですよ」
「へえ」
続けて詳細を話すナオに相槌を打っているホーク。それにしても、令嬢とあろう方が随分と男臭い場所を訪れるものだ。
「何でも伯爵令嬢は結構な美人らしいですよ」
そう言うや否や表情を下品に緩ませているナオ。基本的に悪い奴ではないのだが、たまにいやらしい表情を見せることがあるのだ。
「あのな~」
相方の振る舞いに嘆息しているホーク。民を守ることが役目の兵士とあろう者がこんなので良いのだろうか。
但し、ホークの兵士としての倫理観であるが、幼い頃に聞かされてきた英雄物語によって育まれてきたものだ。ある意味、御伽噺と現実をごっちゃにした価値観とも言える。
しばらくして、夕食を終えるホークとナオ。訓練と任務で疲れた心身を休めるため、2人は自分達の部屋に戻っていくのであった。
◇
兵舎の中に設けられた大広間。この場所は普段は閉鎖されており、特別な行事の際に用いられている。
この大広間には現在、ターハル領の新入兵士達が集結していた。その中には勿論、ホークとナオの姿もある。
任務用の防具に身を包み、規律正しく整列をしている新入兵士達。彼等が大広間に揃っている理由、この土地を治めるターハル伯爵の令嬢を出迎えるためであった。
視察のために兵舎を訪れている伯爵令嬢。これからの予定として、新入兵士達の宣誓が行われることになっている。
やがて、大広間の上座に1人の女性が姿を現す。淡雪のように白い肌、絹織物のような黒髪が印象的な美しい女性である。
この女性こそが今回の主役とも言える伯爵令嬢であった。高級感溢れる紫色のドレス、周囲から放たれる高貴な雰囲気、一目見ただけでも只者でないことが分かる。
「皆の者、私はウンディーヌと言う。よろしく頼む」
自らをウンディーヌと名乗る伯爵令嬢。清浄さを溢れさせる美貌、凛とした立ち振る舞い、まさに気高き令嬢を呼ぶに相応しいものであった。
「(何てお美しいんだっ!)」
ウンディーヌを見た途端、心の中で独り感嘆しているホーク。外見的な美しさも勿論であるが、清水のような佇まい、知性的な言動、ありとあらゆる面で美しさを感じずにはいられなかった。まさに心を射抜かれたとはこのことを言うのだろう。
ウンディーヌからの挨拶が終わり、今度は新入兵士達による宣誓が行われることになる。1人ずつ前に出て兵士としての忠誠を誓うのだ。
「私は一介の兵士として、ターハル領に仕えることを誓います」
まず、1人目の兵士が前方に出て、兵士としての宣誓を行う。忠誠の言葉としては悪くはないのだが、あくまでも形式的なものであり、肝心の熱意というものが感じられなかった。
事実、宣誓を行った兵士自身、心の底から忠誠を誓っている訳ではない。あくまでも仕事の一環として捉えていた。
1人目が終わった後、続いて2人目の兵士が宣誓を行うことになる。やはり、この兵士もまた、形式的な宣誓を述べているだけであり、とても中身が伴っているものとは言い難かった。
「(……言葉自体は綺麗だが、表面的なものだな)」
兵士達から告げられる宣誓の言葉を聞いている中、冷静沈着に断じているウンディーヌ。彼女自身、言葉の表層に囚われることなく、内側に宿る心情を鋭く見抜いていた。
その後も兵士達による宣誓が行われていき、ついにホークの番となる。緊張しながらも前へと出る。
そして、ウンディーヌと面と向き合うホーク。それぞれの視界には今、お互いの姿が映っている。
「(ああ、やはりお美しい!)」
ウンディーヌの美しさに我を忘れそうになるホーク。この時、内なる心臓は高鳴り、血液は激しく全身を駆け廻っていた。
この麗しき令嬢様のことを何としても守りたい。ホークが心の中で強く願った瞬間であった。
「私は今、このターハルの兵士として戦うことを誓います!他の誰でもない……ウンディーヌ貴方様のためだけに!!」
気がつけば、ホークは持てる力の限り、大広間で叫ぶように宣誓をしていた。立身出世のためでもなく、母親孝行のためでもなく、自らが掲げる正義のためでもなく、ウンディーヌのためだけに戦うと宣言したのである。
無論、今の宣言はホークの偽らざる本当の気持ちに由来するものだ。しかしながら、行事で用いられる建前を完全に捨て去っており、公の場で言うべき言葉ではないことは明らかである。
「(何を言ってんだか……)」
「(馬鹿だろ、こいつ)」
心の中でホークのことを馬鹿にしている新入兵士達。当然、その視線はとても冷ややかなものである。
「(何だ、この男は?)」
「(身の程知らずめ)」
新入兵士達だけではない。上官に当たる騎士達もまた、想いのままに任せたホークの発言に呆れていた。やはり、その視線も非常に冷たい。
「(うわっ!おもしろ!)」
一方で先程のホークの宣言を面白がっているナオ。今にでも噴き出しそうであるが、必死にって堪えている。
そして、肝心のウンディーヌであるが、あまりにも予想外であったため、呆気にとられていた。その後、自分に対して忠誠を誓う宣言であることを知ると、顔をほんのりと赤く染めてしまう。
「……私への忠誠、そのこと自体は大変嬉しく思います……」
その場で軽く咳払いをした後、先程のホークの宣言に対して、自らの見解を口にするウンディーネ。
「しかし、貴方はターハル領の兵士です。この土地のため、民のために戦わなければなりません。そのことをしっかりと自覚しなさい」
目の前にいるホークをしっかりと見据えた後、凛とした佇まいで説教をするウンディーヌ。しかしながら、陶磁器のような白い肌には僅かに赤さが残っていた。
「はっ!その言葉、しかと胸に刻んで任務に励みます!」
ウンディーヌからの言葉を受け、力強い口調で応えているホーク。良く言えば真っ直ぐであり、悪く言えば身の程知らずの馬鹿なのだろう。
ホークによる宣言の後、行事は粛々と進んでいき、ウンディーヌによる視察は無事に終わるのであった。
◇
兵舎内にある一室。そこには今、部屋の使用者であるホークとナオの姿があった。今日一日の任務が完了し、彼等はここで寛いでいた。
「それにしても、ホークさん、やっちゃいましたね~」
「言うな。俺も少しやり過ぎたと思っている」
今日の出来事に関して、ナオはニヤニヤしながら、語りかけてくる。一方のホークは何とか言い返そうとする。しかし、やってしまった事が事だけに思うように言い返せない。
ホーク自身、ウンディーヌへの宣言自体は間違っていないものの、もう少しマイルドに表現すべきと反省していた。
「でも、面白かったですよ」
「あのな」
心から楽しんでいる様子のナオに対して、頭を抱えてしまっているホーク。まさか、こんなことで弄られるとは思いしなかった。
「ホークさんはウンディーヌ嬢に惚れたんですか?」
「っ!!」
ナオの発言を聞いた瞬間、顔を赤くして黙り込んでしまうホーク。何故ならば、図星を突かれてしまったからだ。
「でも、相手は令嬢ですし、絶対に無理ですよ」
「そんなことは分かってるさ」
容赦のないナオの指摘に乱雑な口調で言い返すホーク。わざわざ言われるまでもないことであった。
ホークは平民であるのに対して、ウンディーヌは貴族の令嬢である。あまりにも身分が違い過ぎている。
所詮は叶わぬ高嶺の花。頭では分かっているものの、ホークは自分の中で言い様のないしこりのようなものを感じずにはいられなかった。
◇
広大な敷地を有するターハル伯爵の屋敷。この屋敷の一角に令嬢のウンディーヌの部屋がある。
豪華な調度品が配置され、アロマが焚かれたウンディーヌの部屋。本日の公務を終えた部屋の主とその従者の姿があった。
「ウンディーヌ様、お疲れ様でした」
主人であるウンディーヌに言葉をかける女性の従者。シックなメイド服に身を包み、髪をショートカットにした従者の名前はサーファと言った。
「サーファもご苦労」
主であるウンディーヌもまた、サーファに労いの言葉をかける。すると、思い出したように従者が口を開く。
「それにしても今日は大変でしたね。まさか、あんな人間がいるなんて」
「そうだな」
サーファの言葉に相槌を打っているウンディーヌ。今、彼女達が口にしている話題は今日の視察での新入兵士による宣誓であった。
本来であれば、形式的な宣誓であったにもかかわらず、1人だけ違っていたのだ。それはホークによる宣誓であった。まさか、ウンディーヌのために戦うとは夢にも思わなかった。
「見ていて面白かったですけど、何を思ってお嬢様に忠誠を誓ったんでしょうかね?」
「それは分からないな」
不思議がるサーファに微笑みながら答えるウンディーヌ。真意は分からないが、随分と個性的な人物がいるものだ。ただ、あの男は一介の兵士である。恐らくはもう2度と会うこともないであろう。
「ごほっごほっ!」
「大丈夫ですか!?」
突然、咳き込んでしまうウンディーヌ。一方、慌てて主のところに駆け寄るサーファ。
実はウンディーヌ自身、生まれつき身体が弱く、時折、咳き込んでしまう他、しばしば病を患うことがあった。
「心配ない」
「そうですか……」
サーファに言い聞かせるウンディーヌ。気丈に振る舞う主に対して、従者は心配そうにしている。
「(……私はいつまで生きているのだろうか)」
不意にそうした考えが頭の中を過ぎるウンディーヌ。ただ、あまり長く続くことはないだろう。漠然と感じていた。
その後、サーファを伴って、窓から外の景色を眺めるウンディーヌ。窓越しに広大な景色を眺めている中、自分は自由ない人間であることを認識するのであった。
◇
ターハル領内の巨大な屋敷の中に置かれた執務室。この部屋の奥に1人の男が座っていた。白髪と皺が目立つも若々しく、礼装に身を包んだ男、恐らくは身分の高い貴人なのだろう。
そして今、貴人は書状に目を通していた。それはターハル領の外部から届いた手紙であった。書かれている字は丁寧であるが、どこか歪んでいるようにも見える。
「そろそろだな」
手紙に目を通した後、貴人は独り呟いている。これまで待ち続けていたが、ついに動く時が訪れたのだ。
「これで私も安泰だ」
何やら不敵な笑みを浮かべている貴人。その笑みは何かを企んでいるようであり、邪な影がつき纏っていた。まるで自分の栄達であれば、他者の犠牲も厭わないといった雰囲気である。
今までモンスター達に脅かされながらも、この地を守る者達の手により、何とか平穏を維持しているターハル領。そうした中、領内では新たな陰謀の影が蠢いているのであった。
皆さん、お疲れ様です。疾風のナイトです。
「新入兵士が令嬢に一目惚れしたようです」を読んでいただき、ありがとうございます。
今回の話ですが、小説のタイトルを回収する内容となりました。
果たしてホークの憧れは叶うのか、それとも高嶺の花のままで終わるのか。
今後の展開をお待ちいただければと思います。