LLサイズが恋をした
年齢も、何処に住んでるかも、名前すら知らない。彼女や奥さんが居るのかも知らない。
彼のことで知ってることは働いてる会社だけ。私の勤めてるパート先に部品の納入の為、月に何度かやってくるから。
いつもペコペコ頭を下げながら入ってきて、誰にでもちゃんと顔を見て挨拶して、社員でもパートでも態度を変えず、同じ低姿勢で接してる。
LLサイズの体型で、度のキツイ眼鏡をかけた私にも態度を変えない。気持ちよく挨拶してくれるし、時々ちょっとした話をしてくれたりする。仕事中だし、ほんの少し話すだけ。
そのほんの少しの間、彼は笑顔を向けてくれる。デブスな私にも優しい。
彼の姿を見れただけで嬉しくて、挨拶出来たらドキドキが止まらなくて、ほんの少し話せたら飛び上がって踊りたくなる。
でも、消極的な私は自分から何かを起こす事が出来なかった。
彼が他の女性と話してるのを見た日は一日中マイナス思考で、自分を卑下して暗く落ち込むだけだった。
そんな何も進展しない日が続いたある冬の日、インフルエンザが大流行して、会社でマスク着用が義務付けられた。
マスクは眼鏡をかけてると曇るから困る。コンタクト、着けてみようかな。
眼鏡からコンタクトに変えたからって、デブスが実は美少女だったなんてことはないけど、ちょっと目蓋に色を乗せたりマスカラを使ってみたり、メイクが楽しくなってきた。
眼鏡でスッピンだった時は、パートのおばちゃん達にも若いんだから可愛くしなーって言われてて、ちょっとずつメイクを覚えてプチプラコスメで自分を飾っていくと可愛くなったね。恋してるの?なんて言われて、おばちゃん達にアドバイスを受けながら自分を変えていった。
ダイエットも始めてみた。思うように体重は減らないけど、食事の内容を見直して、ダラダラしていた時間をウォーキングや、ストレッチに変えると、LLはLに変わった。
彼と挨拶くらいしか出来ない間に私は少しずつ変わっていった。見た目がほんの少し可愛くなるだけで、女の子は表情も、性格も明るくなるみたいで、今まで女扱いされたことないのに、男の社員やバイトにまで可愛くなったと言われるようになった。
お世辞だろうから本気にしてないけど。
暖かい日が多くなってきて、体のサイズが変わってきたから新しい服を買いに出掛けた。
まだまだ太ってるけど、自分に自信が芽生え始めて姿勢よくショッピングモールを闊歩してると、人生初めてのナンパをされた。
その人はぽっちゃり体型が好きみたいで、私の事を好みのタイプだと言ってしつこく名前や連絡先を教えてと言い寄ってきた。
私は今まで男性に好意を持たれたこともなく、男友達もいない。初めて会った何も知らない人に個人情報を渡せる筈もなく、ただ戸惑うだけだった。
グイグイと迫るナンパさんにオロオロしてると、名前を呼ばれた。
声の先に視線を移すと、あの、優しい彼が近づいて来た。
「新山さん?ごめんね。困ってるように見えたから声をかけたんだけど、大丈夫?」
「あ、蔵前(株式会社)さん……。」
会社名で呼ぶしかなかった。
「え?何?知り合いの人?新山って言うんだ。下の名前も教えてよ。」
ナンパさんは私の手を掴んで、彼のところへ逃げようとした私の行動を遮った。
「や!離してください!!」
「止めろよ。彼女が嫌がってるじゃないか!」
彼は私を庇うように間に入ってきてくれた。
彼の背中をこんなに間近で見ることなんて初めてで、こんな状態なのに胸が高鳴る。
「邪魔するなよ。あんたが新山ちゃんのなんなのか知らないけど、見た感じ彼氏とかじゃないだろ?」
「彼氏じゃないけど、困ってる知り合いを放っておけない。手を離せよ。」
彼が私の腕を掴んだ。
キュッと胸が締め付けられて鼓動が早くなる。彼の手の大きさに、火を噴き出しそうに顔が熱くなる。
彼とナンパさんは睨み合い、口論を続ける。通行人の視線が痛い。
こんなデブスを巡って二人の男が争う姿を訝しげに見ているようで、恥ずかしいし、彼に申し訳ない。
ナンパさんの手が離れた。注目を浴びて気が削がれたのか悪態を付きながら足早に去っていった。
私は力が抜けてその場にへにゃりとしゃがみかけて、彼に身体を支えられた。
「新山さん!大丈夫!?」
彼の顔が近い。恥ずかしくて真っ赤な顔を見られたくなくて、俯いて小さな声で大丈夫と応えるので精一杯だった。
近くにちょうど喫茶店があって、彼は背中に手を回して私を支えながらお店に入った。
「助けて下さって、本当にありがとうございました。」
席に座って心を落ち着けてようやく言えた。
「たまたま通りがかって良かったよ。掴まれてた手は大丈夫?痛くない?」
「ちょっと赤くなってますけど、大丈夫です。……本当にすみません。」
「新山さんが謝ることは何もないよ。しつこい人だったし、怖かったよね。少しここでゆっくりして落ち着こう。」
優しい笑顔で彼は私の心を包んでくれる。すごく優しくて素敵な人。……大好き。
「でもビックリしたよ。歩いてたら新山さんが男に言い寄られて……あ、すみません。俺、オフモードで敬語も使えてなかったです。」
「いえ、私に敬語なんていりません。」
「敬語じゃなくてもいいの?じゃあ、新山さんも敬語使わないでほしいな。何か甘いものでも食べて、嫌なことは楽しい気分で塗り替えよう。」
メニューを二人で覗き込んで選ぶ。付き合ってるみたいでドキドキする。
彼はチーズケーキとコーヒー、私はフルーツタルトとコーヒーを注文した。
「あの……蔵前さんは私とここでお茶したりして嫌じゃないですか?」
「敬語。」
「え?」
「敬語なのは嫌だけど、新山さんとデートしてるみたいで嬉しいよ。」
ボンッと顔が赤くなって両手で顔を隠して俯いた。
私なんかとデートしてるみたいで嬉しい?信じられない言葉にドキドキが止まらない。
「新山さんこそ誰かに見られて困らない?」
「こ、困らないです!全然!!」
「………敬語のままだし、俺と居ても楽しくないかなと思っちゃうよ。それに、最近、見る度に綺麗になっていくから好きな人でも出来たのかな?と思ってたんだ。」
綺麗?私が?
好きな人は目の前にいる。私は名前も知らないあなたが好き。
「……綺麗なんかじゃ……。あ、えと、マスクだと眼鏡が曇るから、コンタクトに変えてみて、そしたらメイクが楽しくなって、みんなに褒められて、ダイエットも頑張ってる……の。」
「新山さんは可愛いよ。スッピンで眼鏡の時も可愛かった。ダイエット、無理しちゃダメだよ。ぽっちゃりしてる方が痩せてるより全然いいから。」
彼の信じられない言葉は私を混乱の渦に放り込む。綺麗?可愛い?誰が?私が?スッピンでも?太っていても?痩せてるより太ってる方がいい?デブ専なの?
「蔵前さんはデブ専ですか!?」
真顔で私にしては大きな声で聞いてしまった。
彼は肩を震わせて声を抑えて笑う。
「デ、デブ専だと思ったことはないけど、痩せてるよりふっくらしてる方が好きだな。女の子って感じがするし。でも、女性は痩せてスタイルを良くしたいんでしょ?もっと痩せたいの?」
「少しでも見映えを良くしたいなと、思った…の。」
「……そっか。うん。女の子は痩せたいもんだよね。……あ、俺の名前、桐谷 優大って言うんだ。蔵前って呼ばれると仕事しなきゃって気分になるから、名前で呼んでもらってもいいかな?」
漢字を聞いて納得する。優しい彼は名前も優しい。
温かいコーヒーと、ケーキが置かれる。桐谷さんはミルクも砂糖も入れずにブラックコーヒーを一口飲んで大きめに切り分けたチーズケーキをパクリと食べる。
美味しそうに頬張る姿が可愛くて、幸せで胸がいっぱいでミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲むことも出来なかった。
ふと名前を呼ばれたことに疑問が湧いた。
「……桐谷さんは私の名前をどうして知ってるんですか?」
「ああ、勝手に呼んでごめんね。名前を呼ばれてたのを聞いたことがあったから。……下の名前を聞いてもいい?」
「………めい、です。」
「どういう漢字なの?」
「………アニメとかの……萌えって漢字と、愛で萌愛……。似合わないでしょ?笑っていいから。」
子供の頃はモアイとか呼ばれてからかわれた。この可愛すぎる名前は私に似合わない。
「ご両親は新山さんが生まれて嬉しかったんだね。小さな可愛らしい命を愛するいい名前だよ。控え目で一生懸命に仕事して、周囲の人に愛されてる新山さんにすごく似合ってる。」
「似合ってる?ウソ!お世辞はいりません。」
「お世辞じゃないよ?ご両親が愛する萌愛さんは優しくて思いやりがあって、誰かに媚びを売って自分を良く見せようとしない純粋な可愛い子だよ?」
「優しいのは桐谷さんです!いつも誰にでもニコニコと挨拶して、私みたいなデブスにも変わらない態度で優しくて、名前が似合ってるのは桐谷さんです。」
桐谷さんはふぅと小さなため息をついて、コーヒーを一口飲んだ。
やっぱりデブスの私なんかと居ても楽しくないよね?優しさに甘えて目の前に座って居たら迷惑だ。私はレシートと鞄を持って手を付けてないコーヒーとケーキをそのままに席を立った。
「ちょっ、どこ行くの?」
桐谷さんの問いかけに応えず無言でレジに向かう。
直ぐに追いかけられ腕を掴まれる。
「ちょっと待って。俺、何か嫌なこと言った?」
なんて言ったらいいんだろ?桐谷さんと一緒に居れて嬉しいのに、不釣り合いな私が申し訳なくて、このシチュエーションだって逃げる私にすがる彼は周りの好奇の目に晒されてる。
彼に、迷惑をかけたくない。
「私と居ても迷惑でしょ?助けてもらってありがとうございました。もう、大丈夫ですから。」
「そんな泣きそうな顔して大丈夫じゃないだろ?何?俺、気持ち悪かった?嫌なこと言った?ごめん。謝るから、悪いところ直すから、せっかく会えたのにこんな別れ方したくないんだ。」
泣きそうな顔なのは桐谷さんだ。どうしてそんな顔してるの?
「……どうして桐谷さんが泣きそうな顔してるんですか……。」
「新山さんにそんな表情をさせて泣きそうだよ。お願い。俺の何がダメだったのか教えてほしい。」
チラチラと私達の様子を伺う人の視線に耐えられなくて、席には戻らずに二人でお店を出た。
桐谷さんは私が鞄を漁ってるうちにサッと会計をしてしまい、私の手を引いて歩き、エレベーターの前で立ち止まる。
「俺ともう話したくないなら、駅まで歩いて送るよ。俺のダメなとこ教えてくれるなら車で家まで送る。上と下、どっちのボタンを押せばいい?」
すがるような表情で私を見つめる。私は何も言えなくて震える手で駐車場に向かう上のボタンを押した。
エレベーターに乗ってる間もずっと手を握られていた。恥ずかしくてモジモジしてると、私を包む手は所謂恋人繋ぎに変わった。
大きな手でギュッと握られて、桐谷さんがどうしてこんな繋ぎ方に変えたのか分からないけど、嬉しくて恥ずかしくて、私は緊張で冷たくなった指先に力を込めてそっと握り返した。
駐車場に着いて真っ直ぐに車に向かって行って、助手席のドアを開けてくれる。好きな人の車の助手席に座る日が来るなんて、私の人生であり得ないことだと思っていた。
車に乗るとドアを閉めてくれる。エスコートされてることに緊張する。上着や、スカートを整えてシートベルトに手を掛けると、桐谷さんが『待って』と車のドアを開けて声をかける。
「このまま、少し、話してもいいかな?」
こくりと頷くと、ちょっと待っててね。とエレベーターの方に走っていった。暫くして戻ってきた彼の手にはブラックと微糖の二つの缶コーヒー。
「はい。さっき、一口も飲んでないでしょ?ケーキがなくてごめんね。」
「あ、いえ、すみません。ありがとうございます。」
桐谷さんの優しさと暖かいコーヒーを受け取って、切なくて、申し訳なくて涙が滲んできた。
「新山さん?え?どうして泣くの?俺、何かやらかした?」
「ちがっ、違うんです。……桐谷さんが、優しいから、こんな私に、すごく優しいから、申し訳なくて、私が情けなくて……。」
涙が目からこぼれ落ちる。車を汚しちゃうと思って慌てて手で拭おうとすると、ハンカチを差し出された。
「まだ、使ってなくて綺麗だからこれで拭いて。ねえ、新山さんはこんな私って言うけど、どうしてそんなに自分を卑下するの?」
「だって、私、こんなんだし……。」
「俺は可愛いって思ってるよ。信じられない?」
「可愛くなんてないです。昔から太ってて、男の子からイジメられたし、メイクして褒められたけど、マシになっただけです。」
桐谷さんが私がなかなか受け取らないハンカチで、涙を拭いてくれる。
「さっき、急に席を立ったのはどうして?」
優しく包み込むような声で彼は問い続ける。
「……私と一緒にいたら迷惑でしょ?……。ため息、ついたから。」
「俺、ため息ついた?ごめん。でも、誤解だよ。迷惑なんてかけられてないし、そんな事全然思ってないよ。あ!敬語が悲しかったんだ。新山さんに楽しい気持ちになってほしいのに、俺じゃダメなのかなと思って、無意識に自分にため息ついたんだと思う。」
「……そう、なんですか?」
「うん。」
涙はアイメイクを滲ませて乾いた。桐谷さんはポケットにハンカチを押し込む。
「ハンカチ、洗って返します。」
「いいよ。これは、俺が新山さんを泣かせた戒めにするから。コーヒー、開けるから貸して。」
プルタブに爪をかけて開けて渡してくれた。桐谷さんは自分の缶コーヒーも開けて、ゴクゴクと飲み干してしまう勢いで飲みだした。
「いただきます。」
コクコクと二口飲んだ。緊張と動揺で喉はカラカラだった。
ドリンクホルダーに缶コーヒーを置いて、シートに身体を預けた桐谷さんは語り出した。
「今日、さ、新山さんを見かけて嬉しかったんだよね。声かけるか迷ってたら、なんか男が近寄ってきて、彼氏かと思ってショックだった。でも様子を見てたら嫌がってるし、おかしいなと思って話しかけたんだ。取引先で口説く訳にもいかないし、どうにか話せないかなっていつも思ってたんだ。」
両手で缶コーヒーを持っていて良かった。衝撃的な桐谷さんの話に、片手で持っていたら確実に車を汚してしまっていた。
「え?え?口説く?」
「うん。俺、新山さんが好きなんだ。」
いつも顔を見て挨拶してくれる彼は、シートに預けた身体を起こし、真っ直ぐに私を見て言った。
「控え目でニコニコしてて、癖のあるおばちゃんパートの中に入っても穏やかに相手しててさ、俺が商品を運び入れる場所をいつも通りやすくしてくれてるの新山さんだって知ってるよ。」
雑多に散らかりやすい会社の整理整頓は癖になってる。桐谷さんがそれを知ってることも予想外だけど、それを彼に話した誰かがいることにも驚いた。
「新山さんは周りに注意を払えて、誰かに媚びるためじゃなくそれを実行できて、柔らかな雰囲気で周囲を穏やかにする素敵な人だよ。笑った顔がすごく可愛いし、正直、これ以上綺麗になったら新山さんの魅力に気付いたヤツが現れそうで焦ってた。」
私は固まったまま桐谷さんの話に耳を傾けていた。でもその話は私の事に思えなくて、他の女の人の話をされてるようで信じられなかった。
「………俺の告白、迷惑、かな?」
ハッと我にかえる。相槌も打たず黙って聞いてしまった。
「あ、えっ、と、………今の、話、私の事ですか?」
信じられなくてそんな質問を返してしまう。
桐谷さんは脱力して、ハンドルに右手と頭を凭れさせる。
ドリンクホルダーの缶コーヒーを飲み干してホルダーに戻して、意を決したように私に向き直る。
「新山萌愛さん!俺はあなたが好きだ。嫌じゃなければ、お試しでもいいから付き合ってほしい。優しくて可愛いあなたが大好きなんだ。」
真剣な眼差しに頭がクラクラして卒倒しそう。
桐谷さんは本当に好きになってくれたんだ。歓喜に心は踊り、身体は熱くなる。桐谷さんの真っ直ぐな気持ちにちゃんと応えなきゃ。
握りしめた缶コーヒーをドリンクホルダーに入れて、身体ごと桐谷さんに向けるよう居住まいを正した。
「私、好きな人がいるんです。」
桐谷さんは絶望的な表情をして、唇を噛みしめ頭を垂れる。
「今日まで、その人の名前も知りませんでした。知ってるのは勤める会社だけで、その人が美味しそうにチーズケーキを食べることも、コーヒーはブラックで飲むことも知りませんでした。」
ピクリと頭が動いて桐谷さんが顔を上げる。
「桐谷優大さん。私、あなたが好きです。ずっと前から好きです。桐谷さんに少しでも気にしてもらいたくて、ダイエットもオシャレも頑張ったんです。……私と付き合ってもらえますか?」
桐谷さんの手が伸びてきて抱きしめられる。
「きゃっ!」
「本当?本当に?俺のこと好きって、本当なの?」
力強く抱きしめられてちょっと苦しい。
「好き。大好きです。誰にでも態度を変えなくて、いつも低姿勢で、ニコニコ笑いかけてくれる桐谷さんが大好きです。」
「新山さん……。嬉しいよ。俺と付き合ってくれるの?」
「はい。私で良ければ。」
ギュッと抱きしめられて、私を包み込む桐谷さんは細マッチョだったんだと知って嬉しくて、恥ずかしくて幸せな気持ちに満たされる。
こんな私を好きになってくれてありがとう。
私、桐谷さんが大好き!!
読んでいただきありがとうございました。
付き合いだした二人はパートのおばちゃん達にあっさりとバレてしまい、祝福をされます。
おばちゃん達はお似合いの二人が付き合えばいいのにと、常日頃思っていたようで、新山の良さをアピールしてたのもおばちゃんです。