スケートリンクで描いたステンドグラス
私と香深は子供の頃からとても仲が良かった。とはいえそれは長く続かなかった。
ある冬の夜私たちはスケートに行く約束をした。公園付近にある川だって氷漬けになっているんだからさと香深はおそらく手を握りしめて言ったんだと思う。
きっとその日の昼にもスケートリンクで踊ったのだろう。
「スケートしに行ったら、最高じゃないかな」三十年経っても、その言い方を私は覚えていた。
その公園のスケートリンクについて語らせたらおそらく彼女の右に出るものはいなかっただろう。なぜならそのような遊びをする子供たちは私たちぐらいのものだったのだ。
周りから見れば、まだそんなことやっているのという顔つきをされた。私たちは来年には中学生になるのだから、もっと今時な遊びを身に付けるようにと訓練しているクラスメイトはそう言われたのだ。
しかしそんなことは私たちの知ったことではない。
香深がスケートリンクで語った夢に比べれば、どちらが私たちにとって大切なものかは言うまでもないのだ。
どれくらいの気温で氷が滑らかになり、それが私たちの滑り方にいかなる影響が生まれるのか熱っぽく話した。フィギュアスケートの動画を見ながら自らが目指すべきダンスを踊った。時折プログラムや振り付けそのもの変えて、次第に私たちが未だ見たことのない空気のぬかるみをかき消す新しい風を吹かせていく。
それは嵐だ。
無風の中から生まれる災害は私たちが生まれ変わるための生命力に取って代わっていったのだ。
私はそこでどんな音楽が鳴っているかを彼女に聞いてみるべきだった。
「いいよ。今日も晴れそうだし」私は言った。
「じゃあ八時にね」そう言って香深は電話を切った。どうして昼間ではないのだろうと思ったが、それはそのときになってわかった。
私たちは八時に約束していたが、待ちきれなくて七時には公園で踊りの練習をしていた。私たちは同じことを考えていた。私と香深はお気に入りのスニーカーを履いて、フィギュアスケートみたく踊った。
それはまあ酷いありさまの遊びだった。均一に広場が凍っているわけではないから、転びそうになるし、途中で滑らなくなる瞬間も出てくる。
しかしこれが人生でどうしても楽しかったことリストに入れてしまいたいと言う他ないのは、この時以上に私たちはお互いのことを深く理解し合ったときなどないからだ。
冬のほとんど毎日を、私たちはこんなふうにして午後を過ごすはずだった。公園と近くの川で。部屋に戻ってさっきのことを動画で振り返りながら、ココアを飲んで身体を休める。夢を見るために眠る。
夢の中でも私たちは月明かりの下でスケートを滑っていた。
私たちは夢の中でさえ、本物のスケートシューズのブレードでステンドグラスを描いていたのだ。