フレイヘルムお家騒動 1
神聖歴990年 夏 フレイガルド
お家騒動は大きな動きがないまま、すでに数か月が経とうとしていた。
初動はルイーゼ陣営の圧倒的優位だった。
この時代はまだ、迅速に動ける常備軍は発展途上だ。
ブルタールたちには常備軍は少なく軍の大部分を領民から徴兵したり、傭兵を雇ったりと動員に時間がかかる。
一方でこの時代には珍しくそれなりの常備軍をもつルイーゼは領内で散発的に発生していた局地的な戦いに全て勝利を収めていた。
しかし、時間が経ち、ブルタールも軍を整えたところで形勢は逆転する。
三倍の兵力を擁するブルタールにルイーゼは容易に手出しできなくなっていた。
そんな中、ルイーゼ率いるフレイヘルム軍は敵の本隊とかち合わないように本拠地であるフレイガルド周辺まで戻り陣を敷いていた。
「各個撃破は失敗か」
軽装の鎧に身を包み神器を二本腰にぶら下げた、幼き公爵ルイーゼが、頬杖を突きながら、テーブルの上の地図と並べられた駒を眺めている。
その横にはメイド服に身を包んだメリーと兵を集めて合流したマンフレート、ハーゲル、シュタインたち貴族が並んでいる
「そんなことはありません。この広い領地でよくやりました」
筋骨隆々の大男アイゼン・フォン・シュタイン伯爵が野太い声で唸る。
実際、ルイーゼはよくやっていた。初陣ながらもフレイヘルム公爵軍の機動力を存分に生かし、ブルタールのもとに軍が集結しないように敵の貴族を撃破していた。
しかし、いずれも決定打にはなっていない敵の数こそ減らせたものの依然として兵力は敵が優位だ。
「ブルタールの首を取らねば勝ったと言えない。ここで喜んでいては愚の骨頂だ」
ルイーゼは駒を指ではじく。
「しかし、これからどういたしましょう。すでにブルタールの軍はフレイガルドの目と鼻の先、エキドナ平原に集結しています。ここは籠城するほかない。幸い魔導艦の数は十分で敵の魔導艦はまだ稼働していません」
マンフレートが言う通り、敵が優位な状況にある以上、籠城が定石だ。
およそ三倍の敵に平坦なエキドナ平原でまともにぶつかれば確実に敗北する。
ルイーゼが軍を置く首都ともいえるフレイガルドは立派な城壁に囲まれているし、飛行艦も十分にあるので空から攻め込まれる心配もない。
が、ルイーゼはそれをよしとはしない。
「いや。ここは攻める」
ルイーゼの強気な発言に、この場にいる誰もがもう驚きはしない。
最初のうちは行政面では効率化だけを求める合理主義者であるルイーゼが、こと軍事においては極めて能動的かつ攻撃的な作戦を好むことにみな驚かされた。
だが、一見するとその無謀にも思える作戦の数々は戦術の基本に徹したものに過ぎない。
軍の速度は速く。敵の各個撃破に勤める。援軍が望めない籠城はしない。
どれも軍を率いるうえで初歩的なことだ。
「はい。お供いたします」
ルイーゼに次いで最年少のメリーは即答する。
「反対ですと言いたいところですが、お聞きになるつもりはないのでしょう」
マンフレートも渋々頷く。
この数か月間、マンフレートはルイーゼの手腕をその目で見てきた。その年齢にも驚かされたがそれ以上に伝統を重んじる貴族と真逆の革新的な考え方には度肝を抜かれた。
戦のただなかだというのに領内改革を断行し、中央集権的な官僚組織を作り上げ、法も丸ごと変えてしまった。おかげで貴族たちは寝る間を惜しんで働くはめになってしまったが。
様々な改革を急進的に断行するルイーゼに敵を作りすぎるとマンフレートはさんざん諫めてきたが、「民に配慮する必要があっても貴族に遠慮する気はない」と、まるでいうことを聞くことはなかった。
貴族の反発を押しのけながら結果を出してきたルイーゼにもう歯向かうものはいない。
「最精鋭の騎兵三千を選抜しろ。アイゼン、メリーは私についてこい。マンフレートとハーゲルは手はず通りに軍を進めろ」
ルイーゼは綿密な指示書をマンフレートに渡すとさっさと戦支度を整え、風のように出陣してしまう。
「ルイーゼ様は嵐のようなお人ですね」
青白くやせこけた男、ハーゲル・フォン・シュネー伯爵は戦場へと駆けて行ったルイーゼ率いる軍勢を見ながらそう呟いた。
彼はルイーゼという暴風雨に嬉々として飛び込むような男だ。
戦場に研究にと馬車馬のように日夜働いている。
「ええ、直撃を受けた我々はたまったものではありません」
げんなりした様子のマンフレートは笑う。
「ルイーゼ様という大嵐はもしかするとこの帝国を。もしかすると大陸まで飲み込んでしまうかも」
「それは愉快なことになりそうですね」
「あはは。そうですな。うちの娘もあれだけ働いているのですから負けてはいられません」
マンフレートの娘メリーはまだ十歳にも満たない年齢にもかかわらず、戦場で魔法を放ち、馬にしがみつきながら、ルイーゼとともに先陣を切って敵に突っ込んでいく。歴戦の兵顔負けの働きぶりだ。
メリーをルイーゼの従者としてフレイヘルム家に送り出した半年でどうしてこうなってしまったのかマンフレートには見当もつかない。
もちろん未来からやってきたなど考えもしない。
「私の娘たちも同じく働けたらよかったのですが」
ハーゲルには三人の娘がいる。
年頃はメリーとあまり変わらないが、当然、戦働きなどできるわけがない。まだ子供だ。
「うらやましい限りです」
マンフレートは父親として娘の成長ぶりを喜ぶべきなのだろうがそれよりも寂しさを感じていた。
たどたどしい口ぶりで抱っこをねだってきていた娘はもういない。あまりにも早い巣立ちに落胆を隠せない。
「さあ、行きましょう。ルイーゼ様に叱られてしまいます。それにまだまだメリーが心配だ」
マンフレートは自らを奮い立たせ、戦場へと向かう。
「あまり戦は得意ではないですが、終わらせなければ領地にも帰れません」
ハーゲルは浮かない表情だが、ライフル銃を手にマンフレートに続く。
マンフレートは陣を出ると馬にまたがり
「出陣だ。ルイーゼ様に後れを取るな」
と出陣の合図を出す。
「「おおおおおお」」
血気盛んな兵たちは雄叫びを上げる。
ルイーゼ率いる別動隊の騎兵三千を除く、一万二千の兵と五十の魔導鉄騎がマンフレートを大将としてブルタールの主力が集結するエキドナ平原へと進軍を開始した。
ルイーゼは精鋭の騎兵三千を率いて敵に動きを悟られないように大きく迂回しながら前進していた。
「ルイーゼ様。もうすぐ日も暮れます。今日はここで陣を張りましょう」
アイゼンはルイーゼの強行軍で疲れ切った兵士たちを慮る。
兵士たちは疲労困憊だが、えりすぐりの精鋭だけあって文句ひとつ言わずにここまでついてきた。
「そうだな。陣を敷き、飯の支度をしろ。斥候も放っておけ」
ルイーゼもさすがに疲れたのか兵士が用意した椅子にへたり込む。
気丈に振舞っていても体まだ五歳。相当無理をしている。
「ルイーゼ様。すぐにお水をお持ちします」
「メリー。お前も休め。今ここで体を壊されては困る。まだ子供の体だ。大事にしろ」
ルイーゼ同様メリーも体は子供だ。
本来ならば屋敷の敷地外に出ることもめったにない貴族令嬢のはずだが、馬に乗り長時間の行軍に耐えている。
「よい子は寝る時間だ。後はわしらに任せて寝るがよい」
アイゼンも二人を気遣い休ませようとする。
「はい。ではお言葉に甘えて」
メリーも意地を張ることなく椅子に腰かけ、そのまま、すやすやと寝てしまった。
「まだまだ子供ですな」
「私のほうが子供だ」
「とても子供としゃべっているようには思えませんがね」
アイゼンはガハハと笑う。
「確か、お前の息子も参加しているのだったな」
「はい。長男のゴルドが騎兵の指揮官の末席に。ほかの年の離れた子供らはまだ戦は無理ですな。ルイーゼ様とあまり変わらぬ年頃ですが」
アイゼンはその立派な髭を撫でる。
シュタイン家は武人の家系で軍の統率に秀でたものが多い。
アイゼンはもちろんのことその長男であるゴルドも目覚ましい働きぶりだ。
ほかにも年の離れた子供たちが三人いるが、二人はルイーゼとあまり変わらない子供で、もう一人はまだまともにしゃべることもできない。
当然、軍には加わっていない。
「私とメリーは早熟なだけだ。気にする必要はない。その分、ゴルドは良く働いているし、ほかの兄弟たちも時期に働くことになる」
「わしも心配でしたが、どうにかゴルドもやれているようです」
アイゼンは兵士から固いパンと水を受け取り、ルイーゼに手渡す。
「これでよろしいので」
「構わん。いつも言っているだろう。私だけ特別なものを用意しても負担が増えるだけだ。作戦行動に支障が出る」
ルイーゼはそういうが、ゴルドは最初ルイーゼが一般の兵士たちと同じ食事をとっていることに驚いた。
戦場において食事は唯一といっていい娯楽だ。軍を指揮する立場にある上級貴族は戦場にあっても豪華な食事をとろうとする。専属の料理人に調理させてテーブルに座って食べるのである。
しかし、合理性を重んじるルイーゼは行軍において持ち運びや調理に難のあるような食事は好まず、兵士と同じくしけたパンを食べている。
効率を追求するが故の選択だったが、兵士と焚火を囲いながら食べるルイーゼの姿に兵士たちは感動し、士気と忠誠は大いに上がった。
「さて、腹ごしらえが済んだら、指揮官を集めろ。軍議を開く」
ルイーゼは兵士にそう指示を出し、水でふやかしたパンを口に突っ込んだ。