幼き当主
「ルイーゼお嬢様。どちらに行かれるのですか」
会議場に急ぐルイーゼをホドは引き留める。
「剣を二本もぶら下げて歩くなど物騒なことはおやめください。トート伯やカーフレイル伯からわしが怒られてしまいます」
「お前の主は誰だ。マンフレートか、ブルタールか。ほんの少し前まで父上で、今は私だろう。私がどこに行こうと私の勝手だ。それとお嬢様はもうやめろ。じきにお嬢様ではなくなるからな」
ルイーゼはホドの忠告を戯言と一笑に付す。
「行かせませんぞ。このホド・ヘクセ。お嬢様にもしものことあらば、亡くなったお館様にあの世で顔向けできませぬ」
ホドも引かずにルイーゼたちの前に立ちふさがる。
いつもは好々爺然としているが、今は怖い顔だ。
ルイーゼとてこの老人が嫌いなわけではない。むしろ信頼している。ハインリヒに拾われたこの元宮廷魔術師の老人はルイーゼのためを思って行動しているに過ぎない。
常識から考えれば、まだ幼いルイーゼは実権を握りつつある家臣たちに歯向かうべきではない。危険だからだ。
人間どんなに忠誠心を持ち合わせていようと欲に目がくらめば、簡単に外道に落ちる。
そのことをホドはよくわかっている。
だが、ルイーゼもそんなことは百も承知だ。
「わかってくれホド。これが最善の選択だ」
ルイーゼはニュクスとエレボスを引き抜くと、魔力を体に激しく循環させる。
「まさか、神器ですか」
ホドは目を見開く。
目の前の幼い少女は並の人間では扱いが難しいとされる神器を二本もその細腕で軽々と持ち上げている。
だが、驚いたのはそんなことではない。赤ん坊のころから見てきた幼い少女が放つ王者と呼ぶにふさわしい気迫だ。
「よく似ておられる。御屋形様も大変利口なお方でしたが、一度決心されればこうと言ってきかない頑固さがありました」
ホドは少しの沈黙の後でそう言うと嬉しそうな顔でルイーゼに道を譲った。
「恩に着る」
ルイーゼは一言、礼を言うとメリーとともに再び歩き出した。
「子供というのは少し目を離した隙に勝手に成長してしまいますな。御屋形様」
今は亡き主君を思い、ホドは静かにルイーゼの後姿を眺めていた。
フレイヘルム家家臣の集まる部屋で行われている会議は紛糾している。
家臣たちは長テーブルを挟んでお互いに向かい合って座っているだけで話は一向に進んでいない。
「トート伯では相応しくない。次の家宰はフレイヘルム家とも血縁関係にある高名なカーフレイル伯であるべきだろう」
一人のブルタール・フォン・カーフレイルを支持する古参の貴族たちが意見するとそうだ、そうだと賛同の声が飛ぶ。
「しかし、トート伯は家宰になられてからまだ一年。今は亡き御屋形様に指名された以上、引き続きトート伯が務めるのが筋ではありませんか」
「御屋形様がお亡くなりになられた非常時だからこそ、経験豊富なカーフレイル伯に任せるのがフレイヘルム家のためになる」
マンフレート・フォン・トートを支持する新興の貴族たちは論理で攻めるが、古参の貴族たちには通用しない。数と力を背景に暴論を振りかざすばかりだ。
まったく話がまとまらない中、突然、部屋の扉が開かれる。
「何者だ。会議中は中に誰も入れるなといっただろう」
一人の貴族が慌てふためく門番役の兵を怒鳴る。
「ほう。それがたとえ、私であってもか」
部屋に入ってきたのはルイーゼだ。
背筋を伸ばして胸を張り、両腕を組んで仁王立ちしている。その腰には不釣り合いな二本の剣がぶら下がっている。
「こ、これはルイーゼ様」
貴族たちはみな一様に驚き、頭を下げる。ブルタールとその派閥の貴族を除いては。
「話が進んでいないようだな」
ルイーゼはフンとブルタールの所業を鼻で笑うと飛び上がって長テーブルの上に乗り、ドレスを揺らしながら、お気に入りのブーツでカツカツと軽快に音を立て、邪魔なグラスを蹴飛ばしながら歩き、中央に鎮座する玉座ともいうべきひときわ豪華な椅子にドカりと座り込んだ。
メリーはいつの間にか、ちょこんとその横に立っている。
「話し合うまでもない。家宰はトート伯のままだ。私がフレイヘルム家の当主となり直接、指図する。補佐の必要はない」
ルイーゼの五歳の少女とは思えぬ物言いと風格に家臣たちは度肝を抜かれる。
さしものブルタールも黙り込むしかない。
「フレイヘルム家の正統な後継者は私だけだ。父が死んだ今、私が成人する十年先まで当主の座を空けるのはあまりに長い。フレイヘルムに前例がないというだけで帝国には女が当主になってはならぬという法はない。ましてや弱年の当主が采配を振るってはならぬという法もない」
ルイーゼの言ったことは間違っていない。
これには貴族たちも反論の余地はない。いや、ルイーゼがそれを言わせない。
「これより私、ルイーゼ・フォン・フレイヘルムは父の公爵位を継ぎ、フレイヘルム家の当主となる。異論はないな」
ルイーゼは椅子の上に立ち上がるとそう宣言する。
メリーやその父マンフレート、ルイーゼを支持する新興の貴族たちは直立し、沈黙をもって肯定する。
片や古参の貴族たちは突然の出来事にどうするべきかと右往左往している。
総大将のブルタールは何も言わずに部屋を出て行ってしまった。明確な反逆行為だ。
それに追従するように次々と古参の貴族たちが逃げるように部屋から出ていった。
跪いたまま部屋に残った家臣は全体の三分の一に過ぎない。
主だったところは家宰であるマンフレート・フォン・トート伯爵、それに同じく新興貴族で学者肌のハーゲル・フォン・シュネー伯爵、そして古くからフレイヘルム家に仕え、軍事を担ってきた義に厚い武人アイゼン・フォン・シュタイン伯爵。
あとは小さな領地しか持たない新興貴族やフレイヘルム家から直接、賃金を受け取る領地を持たない貴族だけ。
この時、フレイヘルム公爵領は明確に二分され、内乱状態となった。
客観的に見れば、ルイーゼ側はブルタールに兵力において劣る。正面からぶつかれば、簡単に潰されてしまう絶望的な状況だ。
さらに実際は、行き場所がなく仕方なくルイーゼを支持する側に回ったというのがほとんどであろう。
ハインリヒに取り立てられ重用された新興貴族は古参によく思われていない。
場を重苦しい沈黙が支配する。
「お前たちはまったく物好きな連中だな。こんな童を主君と仰いでいる。どうしようもない連中だ。私がお前たちであったのならばすぐさま見限ることだろう」
沈黙を破ったのはルイーゼだ。
椅子に座り、足をぶらぶらさせながら面白そうにその場にいる者の顔を眺めている。
笑えない冗談に貴族たちはますます暗い顔になるばかりだ。
「貴族とは義を重んじますゆえ、当然の判断かと」
マンフレートが立ち上がり、そう言い放つ。
「それに我々はカーフレイル伯についたところで碌な目にはあいますまい」
「なるほど。それもそうだ」
あまりにも正直なマンフレートの言葉が逆にルイーゼの気分をよくする。
ルイーゼは貴族令嬢として生きることをやめてからは貴族を激しく憎悪し、貴族特有の回りくどい論調が嫌になっていた。
マンフレートのような物事を単刀直入に言う正直者はルイーゼの好むところである。
「御屋形様は偉大なお方でありもうした。ルイーゼ様はそれと同等の。否。それ以上のものをお持ちだ。まさに王者の風格。さればこのアイゼン・フォン・シュタイン。良き君主の下で散りましょうぞ。それが武人の誉れ。わしの本望」
筋骨隆々の体に凛々しい口髭が自慢のアイゼン・フォン・シュタインが宣言する。
シュタイン家は古参でブルタールになびくこともできたが、この誇り高い武人はそれをよしとはしないだろう。
そしてそれ以上にアイゼンはルイーゼという人間を買っている。
「しなびた老人よりも幼く初々しいルイーゼ様の方が退屈することがなさそうです。これからどのようなことになるか。とても楽しみですね」
ニヒルな笑みを浮かべ悦に入る青白い肌のやせ細った長身の男は、ハーゲル・フォン・シュネー。
狂人と呼ばれ、近寄りがたい存在ではあるが、彼は優れた魔法の研究者だ。ハインリヒにその知恵を買われて、どこぞの貴族の三男坊から新しい家を開くことになった。
「よくわかった。お前たちの忠義、嬉しく思う。私とお前たちが生き残るには勝つしかない。負ければすべてを失うだろう。言わば、一蓮托生だ」
ルイーゼの目つきが鋭くなる。
ブルタールとの決戦は避けられない。
もし敗北すればルイーゼは良くて傀儡、最悪の場合、フレイヘルム家を完全に乗っ取られて追放されかねない。
無論、ルイーゼはどちらの事態も避けたい。
「マンフレート。連中はどれほどの兵を集められる」
「歩兵が二万七千に騎兵が五千、魔導砲兵三千で三万五千」
マンフレートは部屋を出て言った面々の顔を思い浮かべ、瞬時に導き出す。
この計算能力や行政能力がこの男がハインリヒに重用された理由だ。
「ほう。敵はかなりのものだな」
恐れおののくほかの貴族をよそにルイーゼは眉一つ動かさない。
歩兵の数もさることながら機動力に優れた騎兵、火力に優れた魔導砲兵の数が多い。
「それに魔導鉄騎が百。飛行艦は三隻といったところでしょうが、動かすのには時間がかかるでしょう」
魔導鉄騎は魔力を動力に動く巨大な鉄の鎧で、成人男性の身の丈の三倍はある。騎兵を上回る機動力と魔導兵を上回る攻撃力を持つ怪物でまさに戦場の花形だ。
飛行艦は空飛ぶ軍艦で魔導鉄騎と同じく魔力を動力源とする。運用は難しいが強力な武装を多数搭載し、戦いの勝敗を分ける重要な兵器だ。
いずれの兵器も神器と共に、非力な人間が魔物を押しのけてパンゲア大陸で覇権を確立するのに大いに貢献した。
「私に従う兵は」
「私たちの領地からかき集めてきて歩兵五千に騎兵が千がせいぜいでしょう」
トート伯やシュネー伯は爵位こそカーフレイル伯と同格だが、新興貴族ゆえにその勢力は弱体で、この合計六千の兵力もそのほとんどが古参のシュタイン伯爵の兵だ。
「私の直属は歩兵五千に騎士団の騎兵五千と魔導兵千といったところだ」
フレイヘルム公爵領といってもその広大な領地は家臣である貴族たちに分け与えられている。フレイヘルム公爵の直轄地はさほど多くはない。
ルイーゼが直接、指揮権を持つ軍はこの一万程度だろう。
「魔導鉄騎は五十に飛行艦は三隻だ」
ただフレイヘルム家の兵は直轄の常備軍で、さらには騎兵や魔導鉄騎、飛行艦の比率は高い。
相手は兵力に勝る百戦錬磨のブルタールだが、ハインリヒに取り立てられた新興貴族は有能ぞろいだ。それに魔導鉄騎や飛行艦といった魔導兵器の類は劣っていない。
「大いに結構」
ルイーゼは勝利を確信する。
ブルタールにはないが、ルイーゼには使いこなせてはいないが、切り札となりうる二本の神器がある。
ルイーゼ単騎で兵力差を覆すことも夢ではない。
「私はこんなところで立ち止まっているわけにはいかない」
大陸征服を望むルイーゼにとって自らの領地を掌握することなど前哨戦にもならない些末なことだ。
「「我ら一同、ルイーゼ様に絶対の忠誠と勝利を」」
マンフレートをはじめ、その場にいるすべての貴族とメリーが再びルイーゼに平伏する。
あるものは仕方なく。あるものは誇りをかけて。あるものは興味本位に。
しかし、目的は一つ、勝利だけだ。
「このルイーゼ・フォン・フレイヘルム。必ずその忠誠に報いて見せよう」
ルイーゼは双剣エレボスとニュクスを引き抜き、炎を纏わせ天高く突き上げる。そして、火の粉を貴族たちに振りかける。これで改めてルイーゼは公爵となり、マンフレートたち貴族と主従関係を結んだ。
「いますぐ兵を集めよ。逆臣ブルタール・フォン・カーフレイルを討つ」
「「はっ」」
こうしてフレイヘルム家、お家騒動が始まった。