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落ち葉は迷子

 ぼくには神さまの友達がいる。彼女の名前はテレプシコーラ。ぼくが勝手にそう呼んでいる。ぼくの名前はアウトサイダー。彼女が勝手にそう呼んでいる。何を見て、何を感じて来たのかも違うぼくたちは、だけど何にも問題ない。だってそれはいつだって、教え合うことが出来るものなのだから。

 いつもの路地裏、テレプシコーラの巣に向かい、外付けの螺旋階段を昇っていく。さらさらという軽い音に振り向くと、色づいた木々がおもちゃめいた家の隙間から涼しい風に揺れる葉っぱを覗かせていた。人間の時間の流れからまるっきり取り残されたみたいなこの路地裏は、だけど季節感には富んでいる。テレプシコーラはそんなところが気に入っているのかもしれないなぁと、そう思いながら三階の角部屋の扉をノックした。

「テレプシコーラ、入るよ?」

「開いているよ、アウトサイダー。そうだ、素早く入ってすぐドアを閉めてしまってくれると嬉しいかな」

 ぼくは言われた通り素早く、半ば滑り込むように部屋に入ってドアを閉める。テレプシコーラはいつもの場所、宙吊りソファの中のクッションに埋もれて何かを眺めていたけれど、ドアが開くとこちらを見て、

「やあ、アウトサイダー。入る前から色々と言ってすまなかったよ。でも今日はずいぶんと風が強いみたいだったから」

 と、片手をひらひら振って笑った。

「きみからの注文が嫌なわけないよ、テレプシコーラ。頭から酢をかぶらされたりするのじゃなければね」

「確かに風はどうと吹いているしボクの注文は多いけれどね、友達を食べてしまうような趣味はないさ」

 ぼくがそう言うとテレプシコーラは手を口にあててくすくす声を立てる。言ってから、何かを思いついたような顔で手を打って

「今日のお茶にはクリームを入れようか! 山猫軒にはお邪魔したくなくたって、アウトサイダー、ぼくはあのガラスの瓶に入ったクリームには憧れるよ」

「賛成だよ、テレプシコーラ」

「それはよかった。そうだ、これ、見ていてもいいよ。少し時間がかかるからね」

 テレプシコーラの白い手がぼくの方に伸びて、さっき彼女が見ていたもの―カラフルな紙の山をぽんっとぼくの前に置いた。

「ありがとう、テレプシコーラ」

「ふふ、どういたしまして」

 そういうとテレプシコーラは弾む足取りで、ものの隙間を縫うように部屋の奥、多分キッチンがあるのだろう場所に向かう。その小さな背中が見えなくなって、ぼくは視線を紙に移した。紙を取り上げてよく見てみる。

 それは色とりどりで大きさもまちまちな―手紙の、束だった。筆跡はすべてバラバラで、しかもぼくの知らない言語だ。言葉は読めなかったけれど、それぞれ柄やインクに個性があって眺めているだけでも面白い。この手紙なんか、随分豪奢な便箋だ。箔押しの装飾が窓の落とす虹を受けてきらきら光っている。ああ、テレプシコーラはこういうの好きそうだなぁ……

「随分と熱心だね、アウトサイダー。気に入ったのかい?」

 青い陶器のカップと、透明なガラスの器に入ったクリームの乗った銀のお盆。その向こうからテレプシコーラが、ぼくの顔を覗き込んでイタズラっぽくそう聞いた。ソファに腰掛け直して、ぼくの返答を待っている。

「うん。字はわからないけれど、すごく綺麗だと思ったよ、テレプシコーラ」

「それはよかった!」

 満足そうに笑って、テレプシコーラはクリームをぽってりした銀の匙で紅茶に浮かべた。器をこっちに押しやって、照れくさそうに笑いながら言う。

「実はね、少し作りすぎてしまったのだよ、アウトサイダー。遠慮なくたくさん使ってくれ」

「さすがにそれでも無くならないと思うけれど……」

「じゃ、いいものを持って来よう」

 テレプシコーラはもう一度立って苺やクッキーを、脚付きのお皿に盛ってきてくれた。縁には猫の絵がついていて可愛らしい。濡らしてしまったらいけない、と手紙をそっとどかしたのを見て、テレプシコーラは、

「それらはねぇ、アウトサイダー」

 苺を一つつまみあげ、ひとくち齧ってから語りだした。

「ボクの押し葉のコレクションなのだよ」

「そうなの? 手紙のように見えたけれど」

「人間にはそう見えるかもしれないね」

 テレプシコーラはいつものようにそう言って、それからにこっと微笑んだ。

「もちろんそれも決して間違いではないよ? だけれどもね、アウトサイダー、それは純正の手紙ではないのだ」

「純正の……」

「そう」

 少し欠けた苺へぽとっと一匙クリームを乗せる。苺の断面の滲んだ赤とクリームの丸っこい白さが可愛くて、テレプシコーラの手によく似合った。

「手紙というのはね―そもそも、すべての言葉がね。心の芽吹いた結果なんだよ。ひとの心を種として、よろずの言の葉となれりける―。それは何もうたに限った話ではないのさ」

 テレプシコーラは今度はクッキーを一枚音高く噛み砕く。乾いた音が外の木の葉のざわめきに似て聞こえた。

「手紙は一葉と数えることもあるだろう? ただの紙だったものに文字を綴れば、それが心を行き渡らせる葉脈になる。目には見えない言の葉を、手に取れる形に落とし込んだ結果が、それなのだよ、アウトサイダー」

「でも、テレプシコーラ。これは純正ではないのでしょ?」

「その通り」

 テレプシコーラは頷いて、密やかな、だけど情感の籠もった声で言った。

「これはね―ボクの手にあるのは全部、届かなかった手紙なのだよ、アウトサイダー」

 届かなかった? と不思議に思う。でも、それならどうしてテレプシコーラのところにあるのだろう。

「ねぇきみ、さてはボクの本分を忘れてるだろう! これらの宛先はね、全部ボクじゃない誰かへなのだ」

 彼女はくすくすと笑ってから、真摯な、神さまの優美な微笑みを浮かべた。テレプシコーラの本分は、うち捨てられたもの達の神さま。誰も知らないガラクタの物語の神さま。テレプシコーラは手紙の束をそっと、柔らかなクリームを扱うよりも丁寧に掬いあげ、一枚一枚繰りながら歌うように囁いた。

「どうしても出せなかった手紙。途中でどこかに行ってしまった手紙。書き終わらなかった手紙。受け取ってもらえなかった手紙。そういう訳ありの手紙なんだ。本懐を果たせなかったこの子たちは、だからね、このボクのところにやってくるんだ。押し葉と言ったのは、それが理由さ。書いた者からは離れてしまって、依るべき相手も見失ってしまったこの子たちは、いわば落葉なのだよ。それを、ボクが仮の宿となっている訳だ。もし本来の持ち主が足りない葉を探しにきても大丈夫なように保存して持っているのだ。それなので時々こうして読んでいるんだよ。記憶が褪せてしまわないように、ね」

 そう言って、テレプシコーラはどこかにいるはずのこの手紙―葉っぱの宿主のことを思うように、そっと目を閉じる。テレプシコーラがこうして遠くに心を寄せるとき、ぼくは変に悲しいような気持ちになるのだった。それに今日は、さっきのテレプシコーラの台詞が少し引っ掛かっていた。

『これはね―ボクの手にあるのは全部、届かなかった手紙なのだよ』

『これらの宛先はね、全部ボクじゃない誰かへなのだ』

 もしかしてテレプシコーラは、ぼくのかわいい神さまは、手紙を貰ったことがないのだろうか? こんなにたくさんの届かなかった手紙に囲まれて……?

 なんだかそれは―ひどく寂しい。

「ねえテレプシコーラ。ぼく、きみに手紙を書いてもいいかなぁ?」

 そう言ってしまってから妙なことを口走ったかなと思う。より先に、テレプシコーラがすごく嬉しそうな顔をした。それこそ花がほころぶような可憐な笑顔で、ぼくは思わず見蕩れてしまう。

「もちろんだよ、ねぇアウトサイダー、今だね、ボクも同じことを……もしかしてきみ、ボクに似てきたかい? それなら嬉しいな、だからボクはきみとおしゃべりするのが大好きなんだ、アウトサイダー、きみはいつもボクが嬉しいことをしてくれるのだもの!」

 さっきまでの悲しいような気持ちはすっかり吹き飛んでしまって、ぼくはすっかり嬉しくなった。テレプシコーラの笑顔には、きっとそういう力があるのだ。

「こちらこそだよ、テレプシコーラ!」

 テレプシコーラにはどんな便箋やインクで出来た葉っぱが似合うだろうかとわくわくしながら、ぼくも笑って、クリームの入った紅茶を飲んだ。柔らかくて甘い、テレプシコーラの声みたいだった。

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