奇妙な片道切符
今日は結婚記念日だったのだが、俺はすっかり忘れて、仕事帰りに同僚と飲みに行ってしまった。給料日だからこその自分へのご褒美のつもりだった。だけど、嫁は怒りのメールをして来た。それは当然の反応だし、元来、俺も謝るはずなのだ。しかし、大酒くらって気が大きくなっていた俺は、家に向かうのとは反対方向のホームに向かった。俺は嫁に対する言い訳を考えるのをやめた。
嫁からのそのメールには、小遣い1万円カットという通告の文字が踊っていた。俺は半年前にも小遣いを7000円もカットされ、その穴埋めに換気扇掃除や風呂洗いをかって出て、真面目にコツコツ続けて来た。そして、やっと先月、その小遣いカットから解放されたばかりなのだ。
なのに今度は1万円カット。
もう、やってられるかという思いと、手元にある給料がにわかに俺を自由な気持ちにさせた。俺は、今日はもう帰らないと心に決めて電車を待った。
今思うと、終電を過ぎた時間だったのではないかと思う。不思議と道路の喧騒も聞こえず、虫の鳴き声すらない。無音の中に立つ俺の前に、古ぼけた列車が到着した。俺は何となく乗り込み、ボックス席に腰を下ろした。
アナウンスも何もなく、いつの間にか列車は走り出していた。酔いのせいか、強烈な眠気に襲われた俺は、睡魔に身を任せて眠りについた。
ふいに目が覚めると、いつの間にか車掌が俺の横に立っていた。ずんぐりとした車掌は、むにゃむにゃと聞き取り辛いしゃべりで問いかけて来た。
「帰りたくないんですね?奥さんと…ケンカでも?」
俺は寝ぼけまなこで、えぇ、まぁ、とでも言ったと思う。
「岩岡鉄朗様。あなたの願い、叶えましょう。もう、あなたは帰らなくて良いのです」
俺は車掌の言葉に何の疑問も持たなかった。俺はいずことも知らぬ地へと向かう途中、何も知らず眠りこけていた。