奴隷が見たおかしな光景
《ある奴隷が見た光景》
「す、すいましぇーーーーんっ!み、身ぐるみ剥がされて捨てられて…ここどこですかぁ!?」
突然、自分と主の間に割って入るように転がり込んできたのは太めな全裸の男。その肌艶といい、余程に良い暮らしをしていたのだろう。突然身に降りかかった不幸を話すと泣きながら主たちに縋りついてきた。
最初は驚いて剣を向けていた主たちだったが、彼の風体と情けない声を聞き警戒を解き刀を下す。だがその口元は三日月のようにいやらしく吊り上がり、碌でもない事を考えているのは容易に想像できる。
「あ?え?あの…これ、一体どういう状況…」
その視線がこちらに向いた途端、男は困惑し主と私を不安そうな目で交互にみる。私の姿に気を取られている隙に、主が男の後頭部へと刀の柄頭を一切の躊躇いもなく振り下ろす。
「ぷぎゃんっ!」
だが、刀の柄頭は運悪く振り返った全裸の男の額に当たった。プチスライムが潰れたような声を出しながら派手に後方に吹っ飛ぶと、白目を向いて気絶してしまった。
「まぁ、結果オーライか。この馬鹿を始末したらこの男も売り飛ばそうぜ?少しは金になるだろう」
「そうだな。それじゃあ、さっさと使えない下僕は始末するとしようか」
主が瓶の蓋に手をかけた瞬間、それが、消えた。
「ぐぇ」
続いて、マーブル・カウ・トードの様なくぐもった声と共に主の一人が膝から崩れ落ちる。
「何だ!?」
崩れ落ちた主の背後には丸々と太った肌色の球体…じゃなかった全裸の男が立っていた。
地面に倒れた主をまるでごみを見るような目で一瞥し、もう一人の主を睨み付ける。その表情は先程まで顔面をくしゃくしゃにして泣き叫んでいた男と同一人物とは思えない。
「下衆が物騒な事してんじゃねぇよ」
口調もがらりと変わり、明らかにその目は殺意をたたえている。
「こ、この豚!人の相棒に何しやがった!」
「豚、だと?」
全裸の男の口の端が僅かに引きつり、倒れた主の背の矢筒から槍を一本取り出した。
「今、俺の事を豚っていったか!?」
声を荒げ、槍の穂先を主に向ける。これが、先ほどまで泣き叫び助けを求めていた男なのだろうか?男の全身から漲る殺気に気圧され主の足が一歩下がる。
だが、相手は槍一本持っているとはいえ全裸、しかも動きづらいであろう脂肪をこれでもかと体に纏っている。
「黙れ!豚を豚と言って何が悪い!!」
そんな相手に一瞬でも怯んだのが悔しかったのか、主は刀を抜き男に斬り掛かる。
男はだらりと両腕を下げ、足をやや開き、槍の柄の部分を握り、そこからこぶし二つ分離れたところを握っている。しかも手の甲を相手に向けるようにして。あれでどうやって剣に立ち向かっていくのか?
もしかして、諦めてしまったのかもしれない。闘う気があるのならば、先ほどのように槍の穂先を相手に向けて構えるべきだ。
自分の頭上へと剣が迫るが男は動くことなく刃を見つめていた。主は分厚い肉の塊に深く刃を通すためか片手ではなく両手でしっかりと剣を持ち、その脳天目掛け躊躇うことなく刃を振り下ろす。
あの男は頭を叩き切られて死ぬ、私も、恐らく主も同じ事を思っただろう。
だが、
カンっ!!
響いたのは悲鳴でもなく肉を断つ重い音でもなく、木が硬いものに触れたかん甲高い音。
「豚じゃねぇ…」
剣を持つ主の両手は真下から槍の棒の部分によって抑えられていた。
男は剣頭に届く寸前右足を僅かに横にずらし、左足をやや右前方に動かしていた。これにより真正面を向いていた身体は斜めに動き、主の左の懐へと飛び込むことが出来た。後はそのまま槍を頭上に持ち上げて相手の重ねた手の下へと当てると大上段の攻撃は封じられる。
「いいか…俺は、豚じゃねぇ!」
そのまま、男は己の前方から股下へと回すように槍を動かす。すると主の押さえられていた手もぐるりと回転し己の鳩尾と槍の間に挟まれ動けなくなっていた。
「俺は、人類だ!豚じゃねぇ!!デブもしくはぽっちゃりと呼べ!!」
怒りの叫びをあげると、肩から主に体当たりを喰らわせる。至近距離から十分体重の乗った重い一撃。よく見ると主の脇腹に太い肘がしっかりとめり込んでいた。
「―――――っ!!?」
主は宙を舞い、頭から地面へと落ちる。そしてそれきり動かなくなった。
「人と動物の呼び方の違いも分からねぇのかよ、ごみ雑魚どもが」
私は、夢を見ているのだろうか?
殺されそうになった私の目の前に現れたのは丸々と肥えた全裸の男。
泣いて助けを求めたかと思うと、魔物を呼ぶ魔法薬をかけられ処分されそうになった私を助けてくれたのだ。
一応、私の主たちは弱い方ではない。そこそこ腕の立つ強盗だった。
にも拘らず、今二人は仲良く地面に転がっている。
「大丈夫か?」
男は近づくと、私を拘束していた縄を槍で斬って解放してくれた。
そして、主の着ていたチョッキやマントを剥ぎ取って羽織り、荷物の中にあった白い反物を腰と股間に器用に巻いて下着代わりにする。
やはり、この男はどこかの富豪の家の者なのだろうか?高価な絹を下着代わりに使うとは正気ではない。
「何か、大変だったみたいだな。あんた、その身なりで奴隷なんだって?こいつらが目を覚ます前に一緒に逃げるか?」
流石にズボンはサイズが合わなく諦めたのか地面に放り投げると、男は私に手を差し出し提案する。
「んんー……」
その手を取るのを私は躊躇った。その理由は私は奴隷。
彼はどういう訳か奴隷である私を拒否しない、あろうことか奴隷である私と一緒に逃げるとまで言った。
元・主のように私の鎧を売ることが目的なのだろうか?
「あ?口利けないのか。だったら地面にこれで文字書いてハイかイイエか教えてくれないか?」
そう言って、地面に落ちていた木の枝を拾って手渡してくれた。
『イイエ』
「そうか、分かった」
男は地面の描いた返事に頷くと、槍を手にして背を向けた。
「じゃあ、達者で暮らせよ」
ひらひらと手を振り歩き出す。
「むー…」
本当は一緒に行きたかった。
外見にそぐわぬ実力。奴隷と分かっていながら私を助け、共に逃げようと言ってくれた優しさ。彼となら、もし彼が主ならば、私は…
その時、ふと周りが暗くなる。月が雲に隠れたのだろうと上空を見上げると、そこには一匹の巨大な龍が私達を見下ろしていた。
「………」
その巨大さに、そして最悪の出会いに私は声を失って立ち尽くす。
ハッとして倒れた主の手の中を見ると、ビンに罅が入り中身がこぼれていた。
しまった、魔物寄せの魔法薬の効果か!
早くこの場所から離れなければならないが、長い時間拘束されていた私の足は恐怖もあってか上手く動かない。
そうこうしているうちに龍は広げていた羽を畳んだかと思うと地上に向かって急降下してきた。狙いは、私だ。
恐い、
動け、
だが、体が動かない。
竜が巨大な顎を開き、飲み込もうと襲ってくる。
それが何故かひどくゆっくりと目に映った。
私は、死ぬ。
「何ボサっとしとるんじゃボケェェェェェェ!!!」
腹にドスンと重い衝撃が走り一瞬、目の前が暗くなる。
「諦めんじゃねぇぞこのタコ!諦めたら人生という名の試合終了だぞ!!」
目を開けると、先ほどの太めの男が私を背負いながら走っている。
「ちくしょーーーーー!ドラゴン足はやぁいっっっっ!!!!」
「む、むーーー!!」
下ろせ!下ろして早く逃げろ!そう言いたいが、言葉がでない。ああ、口が不自由な己がもどかしい。
「いいから黙ってろ!喋るな舌噛むっっっひぇ、しははんだ!」
どうやら、自分で舌を噛んでしまったらしい。それから男は一切喋らずに、木の密集した地帯を走る、走る。
だが、
「ぎゃんっ!」
スタミナ切れの時が来たようだ。落ちていた木の枝に足を取られ、派手に転ぶ。そしてごろごろ私を巻き込んで走った勢いそのままに転がっていく。
「いてぇっ…あ」
「む」
木に激突して回転が止まり、男は私の上へと転げ落ちる。
「ひっ!後ろからドラゴン迫ってきたぁぁぁ!」
男は慌てて私の上からどこうとするが、それを首の後ろ…首が無いので首の後ろの肉を掴んで止める。
「へ?な、何!?」
私はもう片方の手で地面に文字を書く。
「『助かりたかったら、甲冑越しに私に口付けをしろ』?何で…」
確かに、この状況下で気でも来るっているような願いだとは重々承知している。だが、助かるにはこれしかない。
「わ…わかったお!甲冑越しだから、ノーカンだ!!」
男は目を瞑ると、甲冑の口の部分へとそっと口づけを落とした。
すると、甲冑から黄金色の光があふれだし、卵の割れるような乾いた音と共に胸を中心にヒビが入りそれが全身へと広がっていく。
「…ありがとうございます」
思った事がきちんと言葉になって口から出る。その喜びを噛み締める前に、龍が大きく羽ばたき突風が吹き荒れる。
男を抱きかかえ、起きあがると突風に呪いの甲冑の破片がすべて吹き飛んでいった。
開けた視界、全身に感じる風、そして抱き合った人の体温…ここ暫く失っていたものが一気に蘇る。
「直ぐ片付けます故、こちらでしばしお待ちください」
呆然とする男を木の陰へと下ろし、背に庇うようにしてドラゴンへと立ち向かう。今、己が身に着けているのは胸と股間に巻き付けている布きれだけ。
装備品も無く分が悪い、だが、負けられない。この恩人の為に今こそ私の全てを解き放ち、龍を葬り去ろう!
龍へ向かって走る私の背後で男は叫んでいた。
「お…女だったのかーーーーーーーー!?」
と。