2-2
結局、昨日の晩は眠る事が出来なかった。
この体では必要のない睡眠だけど毎日必ず取るようにしていたのに一睡もする事ができない。
しかし、その事については特に気にしていない。
自分でも仕方がないと思う。
手にした紙はもう何回読み返したかすらわからない。内容なんて完全に暗記しているのにそれでも読まずにはいられない。
「くっ・・・ふふ、ふふふふふ。」
不気味な笑い声すら漏れてしまう。
自分でもどうする事もできない。だって嬉しいのだ。
ここまで気分が高まったのはこの世界に来てから初めてだ。
嬉しい。嬉しくて嬉しい。とにかく嬉しい。最高の気分だ。
空が白み始めてきた頃。いても経ってもいられなくなったので宿を出る事にした。
当然、ギルドはまだ営業なんかしていない。かといって行く場所もない。
気分が高まった俺は普段は絶対にしない散歩で時間を潰そうなんて考えてしまった。
しかし店や住宅が並んでいる方へ行っても迷惑なだけなので反対に人気のなさそうな所を歩いていく。
ある程度進んでみるととても同じ街とは思えないほど不気味な雰囲気になっていった。
人が住んでいるのか、そもそも人が住めるのかさえも怪しいボロ家。たまに壊れた窓から生気をなくした目がこちらを伺っているのがわかる。
通りすぎる人も見た目だけだと死んでいるのではないかと思ってしまうような雰囲気だった。
たまに見かける不健康そうだが眼光だけはギラギラしている人が生気のない人とボソボソと話したりもしている。
まともな感覚ならきっとここに一秒でもいるだけで感化されてしまい暗い気分になってしまうだろう。俺だっていつもと同じなら憂鬱な気分になっていたに違いない。
でも、今日は特別だった。
彼等が俺を見て、怯えながら隠れたり、走って逃げ出したとしても一切構わない。どんな風に思われていようと関係ない。
俺にはネーナがいる。それだけで十分だ。それ以上を望むなんて罰が当ってしまう。
そのまま歩いていくと大きな屋敷の前まで来てしまった。大きなと行ってもここら辺の家に比べたら大きいという程でこの街全体で考えたらそれほどでもないだろう。
しかし、荒らされた様子もなく、寧ろしっかり手入れされていて小奇麗なその屋敷はここの場所からは浮いていて別次元の物のように思える。
活気溢れる街にある暗い影、そしてそこに不釣合いの屋敷。少しだけ興味を引かれて眺めてしまう。
二階の窓からの視線に気が付いてそっちに意識を向ける。そこにはネーナと同じ位の女の子が無表情でじっとこっちを見ていた。
・・・怖がらせる事もないだろう。
確かに興味を引かれていたが詮索する気にもならない。それに今はネーナの依頼で頭が一杯だった。
そろそろいい時間になっているかもしれない。来た道を戻ろうと振り向いた瞬間、ガツンッっと音がした。その音が棒で殴られた俺の鎧が発したものだと気が付く。
「こっ、ここは・・・お前みたいな化け物が来ていい所じゃないっ・・・どうしてもこの屋敷に入るっていうなら・・・お、おおおお俺が相手になってやる。」
さっきの目だけギラつかせていた男が木の棒を持って立ちはだかっていた。
震えながら声と勇気を振り絞っているのがわかる。
いきなり手を上げられた事は少しだけ気に喰わないが自分の姿を考えると仕方がないだろう。ここは広い心で許してやる事にした。
「いや、別にここに用があった訳じゃない。驚かせてすまない。」
そう言って男の肩に手を下ろす。これだけの事だが男は失神寸前という風になってしまい息もかなり荒くなっている。
少しいじわるをし過ぎたようだ。
今度はしっかり反省して男の横を通りすぎる。
時間はまだ少しあるがいつまでもここにいたら流石にここの住人達も落ち着いていられないだろう。
来た道を引き返し数歩歩くとだけでもうさっきの屋敷の事も窓から眺めていた少女の事も棒で殴られた事すら頭から離れてしまっていた。
ネーナ事ばかり考えてスキップすらしそうな勢いだった。
結局、気持ちの高ぶりは抑えられないどころか時間経過と共にどんどん高まっていき、開店時間よりもずっと早くギルドの前に到着してしまった。
開店一番に突入をしてみようと思ったがもうギルドの前には少しだけ人だかりができている。
おそらくは露店部屋の商人達だろう。昨日、露店部屋を巡回した際に素材に手を加えたものを売っていた商人が数人いた。
予想だが、自分で素材を集める作業をする事なく、ギルドに依頼して自分達は集めてもらった素材を加工して売るという具合だと思う。
他にも店の準備とかも考えられる。それにしてもこんなに朝早くから集まっているなんて知らなかった。しかしこの光景を目にするとこれが当たり前だと思ってしまう。
腕のいい人隊に依頼を受けてもらうには重役出勤なんてできないのだろう。
さて、俺がこの集まりに近づいてしまう訳にもいかない。そうしてしまうときっとあの場はもう最悪な空気になるに違いない。
幸い、まだ誰にも気付かれていないようなので物陰にじっとしていてギルドの開店まで待つ事にした。
なるべく気配を消す。自分が影に溶け込む姿をイメージする。集中さえすれば実際に影に溶け込むようになる。しかし何もしていないのにかなり疲れてしまうのであまりやらないようにしている裏技でもある。あの独特の気だるさはできれば味わいたくないが今日はだけは特別だった。こんな最高の日に朝から人々を恐怖させる必要もないだろう。
しかし、問題は別の所にあった。集中しようといくら努力してもネーナの事で頭が一杯になる。影をイメージしようとしてもネーナの顔が割り込んでしまう。
そうして格闘している間にギルドは開店したようで人々はその中に入ってしまっていた。
誰も教えてくれないのはわかっていたがむなしくなる・・・。
完全に出遅れてしまい急いでギルドの中へ入るがよく考えてみたら別に誰かと競争している訳でもなかった。
こんなに朝早くから俺の姿を見てしまい中の人達は少しざわついている。
カウンターに向かうと並んでいた大勢の商人達は俺に順番を譲ってくれた。というより俺から逃げた。
彼等も大事な用事があってわざわざ早朝から来ている訳だし、俺もそれは十分承知しているので順番待ちくらいする余裕はある。
しかし、その余裕というものはどうやら俺の中にしかないらしく、他人の目からは物凄い急いでいるように見えたらしい。俺と対峙してしまった受付の女性はもう泣き出しそうな顔になってしまっている。
そこでようやく気付けたのだが、体を覆っている黒い気配はいつもよりも暗く澱んでいた。嬉しくてもこうなるのだからますます不思議な仕組みだ。
「ああ・・・すまない。ちょっと気分が・・・・・・それで、昨日の依頼の件なのだが。」
言うまでも無く、気分は最高だった。
「ひっ・・・あの、そのっ・・・・・・昨日は本当に申し訳ありませんでした。許してください。」
謝られてしまった。別に怒ってなどいないのに。むしろその間逆だというのに。
「いや、まぁ、別に昨日の事はどうでもいい。あっ、いや、昨日の事だ。依頼の事で話があってだな。」
「うっ・・・本当に申し訳ありません。どうか許してください。」
ブルブルと震えてしまっているし顔も相当青白くなっている。
「別に謝らなくていい。そうじゃなくて・・・とにかく、依頼の件だけど・・・。」
「グスっ、本っ当に、申し・・・っ、訳ありません・・・グスっでした。」
カウンターの上に大粒の涙が零れる。遂に泣き出してしまった。俺は何もしていないのに。このままでは騒ぎになってしまう。
「いや、別にかまわない。許す、許すから、だから俺の話を聞いて欲しい。お願いだ。」
そう言ってみたが、彼女は声を上げて泣き出してしまった。
周りがざわつきだす。俺に悪意を持った目が向けられる。
このままだと困る。というかギルドで問題なんておこしたら俺はもうどこへ行ってもお尋ねものになってしまう可能性もある。
俺の焦りの読み取ったのか体から出るオーラはまた一段と黒く大きくなっていく。
やばい、やばいぞ、なんでこんな事に。焦って打開策を考えようとしても何も思いつかないでいると。
「あっ、何やってるんすか。」
後ろから忘れる訳のない声が聞こえた。振り向くとそこには、やはり忘れる事なんてできない姿があった。
ネーナは少し困ったような表情でこちらに声をかけてくれた。
「いや、何もやっていないハズだけど・・・すまない。」
こうなる謝るしかない。自分に落ち度がないとは言えなかったからだ。
ネーナの姿を見て少し落ち着いたからわかる。俺に(しかも感情の高ぶりで不安定になっている。)声をかけられて恐怖しないハズがない。それなのに話かけ続けてしまったのはあきらかに配慮に欠けていた。
「何もって泣いてるじゃないっすか。もう、お話は私がするので、何か伝えたい事があるなら教えて欲しいっす。」
とても助かる。ネーナはいつも俺の助けになってくれる。救いの女神のようにさえ感じられる。心なしか後光が差して見える。
ネーナに自分の考えというか、思っている事を伝える。とはいっても彼女にも俺の声は届くくらいの距離にはいる訳だが、俺から直接聞くよりはネーナを経由した方が落ち着いてくれるだろう。
「昨日の依頼の件で話をしにきた。」
「昨日の依頼の件で話をしにきたそうっす。」
「俺は依頼を受ける事にした。だから詳細について教えて欲しかった。」
「彼は依頼を受ける事にしたそうっす。だから詳細を教えて欲しかったらしいっす。」
「それと・・・別に怖がらせるつもりはなかった。すまない。」
「俺はお前が気に食わない。いつか捕って喰ってやる。っす。」
最後は思いっきり歪曲されてしまった。
泣き出していた受付の女性はネーナの姿を見て若干落ち着いてくれたらしく、しゃくり上げながらではあるが依頼の詳細について教えてくれた。
とは言っても隣に依頼主がいる以上は別に必要ないような気もするのだが。
「まぁ、私がいるのでギルドから聞かなくても私が直接話すのがいいですが、やっぱりギルドを経由しての依頼である以上は受付も必要っすからね。」
受付はまだ完了していないが、カウンターから少し離れた場所で話す事にした。あのまま受付にいると邪魔だし視線が刺さり続けるのはどうも落ち着かなかったからだ。
「別に悪態を付く必要はなかっただろう。結局最後まであの人は俺を見てくれなかったぞ。」
ちょっとだけ最後の謝罪を歪曲されたことを非難する。
「あれくらいは別にいいっすよ。途中からしか見てないっすけど別に悪い事してないのに勝手に泣き出して。思いっきり悪者にされてたじゃないっすか。」
最後のあれは俺の事を考えてくれたかららしい。自分の事を良い方に考えてもらえるという感覚がとても心地よい。
でも、それはそれだろう。あの人に癒えない傷を与えてしまったかもしれない。
「俺の事を考えてくれたのは素直に嬉しい。でも、やっぱり他人を怖がらせるのはあんまりよくない。もうしないで欲しい。」
会話の代理を頼んでおいて更に要求を重ねる事には抵抗があったがここだけは譲ることができない。
「・・・わかったっす。一応、声届くところにいましたから本当に怒っていない事も伝わってるハズです。でも・・・ちょっとだけ。」
ちょっとだけの先の言葉は言ってくれなかった。代わりにふてくされたような感じで「あの人にも悪い事してしまったっす。反省します。」とだけ言った。
俺もそれ以上は責めるつもりはなく、この話はここでお終いになった。
チラッと視線を送ると彼女はもう受付には立っていなかった。心配だが、彼女のケアは他のギルド職員に任せるしかない。
それにしても、もう慣れたと思っているが本当に泣き出して傷ついているのは俺の方だと何故誰も理解してくれないのだろうか。
周囲はやはり俺がなにかやらかしたという空気になっていてなんとも居心地が悪い。出来ればさっさと手続きを済ませてここから逃げ出したい。
ネーナはそんな空気なんて気にしていないような元気な声で依頼について説明してくれた。
「大体の内容は受付で聞いたのと同じっすけど一応おさらいっす。まず目的は宝剣イクシリオンっす。人類の天敵であり、超えられない壁、種の限界点である魔族すら倒す事のできるという幻のアイテムっす。世界各国の王族や貴族が欲してやまない秘宝。それがなんとこの街から西へ進んだ所にある洞窟に隠されているという情報が手に入りました。なんでも昔いた人類史上数少ない魔族を討ち取れる偉人である勇者様がある役目を終えた後に封印したとか。時が経って宝剣の隠し場所は誰にもわからなくなってしまい、ようやく発見された頃にはそこはもう魔物の巣になってしまっているので誰も手出しが出来ない・・・らしいっす。そんな訳で私一人では無理そうっす。というか普通の人間ではどれだけ集まってもムリっすね。だから貴方にお願いしました。どうか私と宝剣を取りに行って欲しいっす。」
なるほど、魔族というのがどんな奴等はなのかは知らないがとにかく宝剣の方は人類の宝なのはなんとなく理解できた。そしてそれがかなり危険な場所にあるというのも理解できる。全部理解した上でも俺なら何の問題もないだろうとも思う。ネーナには洞窟までの道案内でもしてもらって宝剣は俺が取ってくればいい。結構簡単かもしれない。
「よし、わかった。じゃあ早速その洞窟に向かおう。道案内は全部任せるから宝剣の方は任せてくれ。」
やる気が出てきたしもうここには用はないのでさっさと出て行こうと立ち上がった。
これから始まる冒険に胸を躍らせて、正にその一歩も踏み出そうとした所を引きとめられる。
「ちょっと待つっす。まだ肝心の話が終わってないっすよ。」
まだ話す内容があるのだろうか。
目的も場所もはっきりしている以上、もう何も必要ないような気がする。
「報酬っすよ。ここら辺しっかりしておかないと後々揉める事になるっすからね。それにギルドの手続きだって終わってないっす。」
ああ、報酬の話か。金なんて俺には必要ないのであんまり気にしていなかった。
「ズバリ、報酬は虹石10個っす。宝剣は値打ちなんてつけられない代物ですけどやっぱり王族貴族は凄い額で買い取ってくれるに違いないっすからね。私の予想だと虹石20個くらいなので半分ってのはなかなか太っ腹っすよ。」
別に報酬なんかいらないがギルド公式という事ではそうもいかないだろう。
でも正直、ネーナから金品を受け取ろうなんて思わない。
俺が黙ってしまったのでネーナは不安そうな表情になってしまった。
「やっぱり少ないっすかね。じゃあもうちょっと・・・」
「そうじゃない。むしろ逆というか、十分過ぎる。俺には金は必要ないし、もっと少なくていい。」
言ってから気付いてしまったが、金が必要ないなら依頼を受ける必要だってなくなってしまう。
案の定、ネーナは更に不安そうな表情になってしまった。
「え~と、じゃあ、ひとつだけ付け足したい条件がある。」
この提案は予想外だったらしく、緊張したような表情になるネーナ。
こんな雰囲気は出会ってから初めてなのでこっちまで緊張してしまう。
「なんすか・・・その条件って。」
依頼が終わってからも一緒にいて欲しい。
と言えたらどんなにいいだろうか。でもこの欲望はきっとネーナには重たすぎる。
だったらせめて。
「成功したら宴を開こうと思う。どこかの店を借り切って。思いっきりド派手にやりたい。」
これくらいは要求してもいいだろう。
きっとそれは俺にとって一生の思い出になるだろうから。
「・・・別にいいっすよ。」
それくらい。
そう言ってはくれた。しかし、複雑そうな表情から俺は初めてネーナから拒絶を感じてしまった。
それを認めない為に、目を逸らす為に立ち上がる。
外で待っていると告げて先にギルドを出る。手続きは俺がやるのはちょっと無理そうなのでネーナに任せた。
ギルドを出る直前に部屋の奥から出てくるさっき泣かせてしまった受付の女性が出てくるのが見えた。
彼女は不安そうな目で俺を見て、更に哀れむような目でネーナを見た。
きっとその視線の意味は俺にとって気分のいいものじゃない。
どうせお前には俺の事なんかわからなに。そう一言でも言えたらどんなにいいか。それができないからどれだけ毎日が辛いか。
金すら欲しくないという俺は無欲なのだろうか。その欲のなさが不気味なのだろうか。
でも、俺にだってしっかりと欲望はある。それは普通の人が欲するものよりももっと手前のモノで、誰もがもってて当たり前なのに俺には全く手に入る気配すらない。だから俺はそれが手に入らない限りはきっと他のモノに目移りしている余裕がないだけだ。
さっきのネーナの拒絶を受け入れる事ができない俺は、そのこと自体を記憶として自分の奥底へしまうことにした。
西の洞窟までは馬車を使って半日ほどかかえるらしい。
勿論、俺は馬車になど乗れないので徒歩で行く事になった。
途中に宿屋があり、そこに泊まる予定であったらしい。結果は・・・言うまでもないだろう。
ネーナを野宿させてしまった事が心苦しかったが彼女は特に気にしていない様子でいてくれたのが唯一の救いだった。
朝から歩き出してもう随分と時間が経った。休まずに進み続けたのでネーナもうクタクタになっていた。それでも目的の場所までを到着すると元気を取り戻してくれた。
「あそこが噂の洞窟っす。」
見た目は洞窟というより穴のように見える。というか穴そのものだった。トンネルのようなものを想像していたのに実物は全く別だ。
記念碑のようなものの前に開いている大きな穴、しかし意外と整備されているようで階段が奥に続いているのが見える。
しかし穴の中は暗闇で先がまったく見えないのが不気味な雰囲気を作り出している。
おそらく勇者という人物の功績を称えたものらしい記念碑の綺麗さと大きく乱暴に開けられた入口の対比がその不吉な感じを一層にかもしだしている。
さっそく洞窟の中へ入る準備を始めているネーナに声をかける。
「今日はここまでにして一旦休憩しよう。少し戻る事になるけどかなり開けた場所があったからそこで野宿だ。」
ここまで来る途中、休憩の提案を全て却下してきたネーナは、当然この提案にも反対だったようだ。
「なんでっすか、もうあとは宝剣とってきておしまいっすよ。」
「そうは言っても、もう暗くなる。洞窟から抜けた時にどこに進めばいいかわからないのは困る。」
それに俺も疲れた。
というダメ押しをする事で渋々ネーナも折れてくれた。
簡易テントを用意していたのでそこにネーナを押し込む。昨日は俺が見張りをしていたので今度は自分の番であると言い張っていたがネーナを疲れさせたままにしておくのは休憩の意味がなくなってしまう。
二時間交代という条件を付けてようやく休んでくれた。
昨日も思った事だけどネーナは意外と逞しい。トレジャーハンターを自称しているだけあって簡単なサバイバル技術や武器や道具も器用に使いこなす。道中の魔物は俺が全て追い払っているが道具の使い方を見ると彼女一人でも街の周りにいる魔物くらいならどうにでもなるだろう。
そして自分で割り切った事に未練はないようだ。今回の休憩の件でも、また見張りの交代の件も本人が納得したらそれ以上は言及する事はなく、むしろ色々考えるよりもすぐに行動に移す事で効率を重視しているようだ。
テントの中を覗いてみるともうぐっすりと眠っている。
やはり今日は相当疲れていたのだろう。この様子だと自分からは起きる事はなさそうだ。二時間交代の約束だけど元々俺に交代する気などない。
テントの前に腰を下ろす。
周囲の生物の気配を探るが魔物どころか普通の動物さえいないようだ。
静かな夜になる。
こんな静かな夜には色々な事を考えてしまう。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・頭の中に浮かんではいたが考えないようにしていた疑問が湧いてくる。
何故、ネーナは俺の事を恐れないのだろうか?
誰一人として例外なく、人間も動物も魔物さえも俺から恐怖した。
逃げたり、挑んできたり、または許しを請いたり、声をかけただけで自殺しようとする事もあった。
悪意と非難と恐怖とその他の負の感情を向けられるのが俺の日常だった。
それは避けようのない事実であり、自分の力ではどうする事のできない不条理であると理解して過ごす毎日。
でも、ネーナは違った。彼女だけは俺とまともに接してくれている。ただ存在しているだけの俺に悪意を向けない。
それどころか俺の話を聞いてくれる。会話してくれる。
俺になにか変化があった訳ではない。ネーナが特別なのだ。
その特別がどこから来ているのか、ネーナのように俺を受け入れてくれる人間は他にもいるのか。
本人に直接聞いてみるべきだろうか?
「何故、俺が怖くないのか?」という問いに彼女はどうやって答えてくれるだろう。
もしそれが「他の人とかわらないっすよ。なんで他の人がそんなに怖がっているかわからないっす。」という答えならどれだけいいだろう。
でも・・・。
そうではなかったら・・・・・・。
考えただけで怖くなってしまう。きっと耐えられない。
聞くべきか、聞かないべきか。
様々な疑問の答えは何一つでなかった。
ただ残っているのは俺がネーナに救われているという事だけだ。
感謝してもしきれない。彼女の為なら何でもやってやる。宝剣が何本だろうと構わない。全部取って来てやる。金だって好きなだけ渡してもいい。
彼女の喜びはきっと俺の幸福に繋がるだろうから。
…テントの中から聞こえる小さな寝息に意識を向けながら、この疑問に答えを出す事をやめる事にした。
代わりに明日の朝にするだろう。交代の件の言い訳に考えを廻らせることにした。
空が完全に明るくなってからネーナを起す。
ネーナは眠そうな目をこすりながら「ふにゃ。」と情けない返事をした。
「もう朝だ。そろそろ準備をしよう。」
もう一度声をかける。今度は完全に覚醒したようで、驚いたようにテントを飛び出した。
空を眺めて、今が完全に朝である事を理解したようだ。
「ね、寝すぎっす。」
寝すぎという事もない。もう十分に空は明るくなっているがまだまだ早朝と呼べる時間だ。
ネーナの言葉がそういう事を言ってるのではない事はわかっているがそんな感想を抱いてしまった。
「申し訳ないっす。見張りを一晩中やらせてしまって・・・。」
こっちに顔を向けて申し訳ないという表情で頭を下げるネーナ。起さなかった事を責められると思っていたのでこの反応は意外だった。
俺が起さなかった事が原因だしネーナに落ち度はないと思う。
「いや、気にするな。俺も悪かった。寝なくても俺は大丈夫だ。」
しかし、ネーナの表情は以前として良くならない。初日の野宿も俺が一晩中見張りをしていたので当然の反応だろう。
それにこの返事にも問題がある。普通の人間ならこの言葉を「一日や二日なら寝なくても大丈夫。」または「睡眠時間が極端に少なくても耐えれる。」という風に受け取るだろう。
実際、ネーナはそう受け取ったようなのは表情を見ればわかる。
しかし、俺は言葉通りの意味で睡眠を必要としていない。そう伝えれば気を楽にしてもらえるのかもしれないがそうはしなかった。睡眠を必要としない人間なんていない。
つまり俺は人間ではない。ネーナにそう思われたくなかったからだ。
「いや、でも・・・少しだけでも眠った方がいいっすよ。見張りやりますから・・・・・・。」
申し訳なさそうなネーナを見るとちょっとだけ心が痛む。
それを誤魔化すように。思いついた言い訳で誤魔化そうとする。
「実を言うとだな。俺も宝剣というのがどんなものか興味があってだな。それに昨日の洞窟の迫力に少しだけ緊張してしまって、どうやら眠れそうにない。」
大丈夫、この件が終わったらゆっくり休むさ。
明るく言ったつもりだが結局はただのつもりで終わってしまった。俺の声色はいつもの暗黒系で自分で出しているはずの声に自分が不気味さを感じているのだから。
ネーナはまだ少しだけ申し訳ないという表情をしていたが、これ以上この話題を引きずらないでいてくれた。
そのまま朝食の準備する事にした。といっても俺はネーナが寝ている間に済ませてしまったからネーナひとり分のだけど。
勿論、俺が触れた食材なんて口にしたいとは思えないから俺の役目は周辺の警戒になる。
しかし、夜でさえなにもでなかったこの辺に何か起きるとは思えなかった。
食事を用意する音以外は木々の揺れる音と鳥のさえずりぐらいしか聞こえない。とても気持ちのよい朝となっている。
洞窟の方へ視線を向ける。昨日と同じ道のりを歩いていくとそんなに時間もかからずにたどり着くだろう。
だからこそ、言いようのない不安を感じている部分もある。でもそれがどこからくる不安なのかまではわからない。あるいは…。
「ふ~、できたっす。」
と満足そうな声が聞こえてくる。
どうやら食事の用意が終わったらしい。
振り向いてみると。食器の上には山盛りのパンやら干し肉やらが並べれている。
見た目によらずよく食べるみたいだなと感心してしまった。
そしてそれを重そうに持ち上げるとスッと俺に差し出してきた。
「はい、どうぞっす。スープもすぐに持ってくるっすね。」
思わず受け取ってしまった。どうやらコレは俺の分らしい。
自分の分まで用意されているという事実だけで嬉しくなる。
それと同時に少しだけ悲しくなる。
ネーナの食事をは食べたい。パンや干し肉を並べただけでも人生の中で最高の食事になるだろう。
でも俺の食事風景は決していいものではない。だから俺は一人の時でしか食事をしない。
「昨日もそうだったがスマナイ。食事は先にすませてしまった。」
そういって食器をネーナに返す。
少しだけ寂しそうな表情をしたネーナがそうっすかといって差し出した食器を受け取る。
「あの…スープだけでもどうっすか?結構自信あるんすけど。」
上目使いで見上げてくる彼女にはいつもとは違った魅力を感じてしまう。
なんだか妙に照れくさいような気持ちになる。
でも…俺はそのスープを飲む事はできない。
「いや、気持ちだけいただいておくよ。ありがとう。」
冷たい態度だと思う。
そのスープを飲む事ができたらどんなにいいか。それができない事がどんないみじめか。
しかし、気にするべきは気遣いを無碍にされてしまったネーナの心情だろう。
「本当にうれしい。でも朝食をとりすぎてしまってはちきれそうなんだ。スマナイ。」
言い訳がましい。これで納得してくれるとは思えない。
それでもネーナは「そうですか。」と言って引き下がってくれた。
ネーナの食事が終わるまでは会話は何もなかった。
周囲の警戒もしなくてもよさそうと判断したので食事中に大体の荷物はまとめ終わってしまった。
冷たくしてしまった事で今後のネーナとの関係に変化があるのではないかと心配していたが出発する頃にはいつもの元気な様子を取り戻してくれた。
昨日と同じ洞窟に着くまで、後ろ髪をひかれるような妙な感覚から精一杯目を逸らしていった。
多少の問題なら解決できる自信がある。そしてネーナが喜ぶ顔を一刻でもはやく見たい。
それだけで奇妙な予感を振り切るには十分すぎた。




