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島の娘  作者: M38
25/27

第25話

「エマ……」

「オリバー……あなた……」


 オリバーは寝室でもわたしにやさしくなった。

 ぜんそくも全快した。

 社交場へも行く機会が減り、イヤなうわさ話を耳にする回数も減少した。

 ダニエルがわたしたちの前に出没することもなくなった。

 すべてが順調に見えた。


 だが、良いことばかりだけではなかった。

 ルーシー・ウォルターがケルアイユ公爵夫人の住居だった母屋へ移り住んだのだ。

 正室のわたしを差し置いて。

 そのことにわたしは、思った以上に衝撃を受けていた。

 

 眠れぬ夜は続いていた。

 オリバーは相変わらず明け方まで帰らない。

 戻りかけていたオリバーへの信頼が薄らいでいく。

 たくさんのレースが完成したころ、わたしの精神は限界を迎えていた。


 ウィンター公爵の言葉の意味がいまになってやっとわかった。

 わたしのこの胸の痛みは、怒りを我慢することによる切なさだ。

 自分で自分の心を傷付けている。


 バーバラ・パーマーのように他人に怒りをぶつける人間は自分が傷つかないので、だからあんなにも堂々と幾人もの情人との恋愛をたのしめるのだ。

 わたしはウィンター公爵の忠告に従い、自分の気持ちを押し殺すのはやめることにした。

 求めよ、さらば与えられんだわ。


「オリバー……毎晩どこに行っているの?」

「王城で仕事だと言ったろう? 夜中にこっそり王党派の連中と会って秘密会議をしているんだ」

「でも、政情は安定してきているのでしょう?」

「実は……王の跡取り問題で揺れている。りチャード王が短期間で3人もの認知を決定したからだ。王妃に子供はいない。愛妾の子供ばかりではいずれ争い事になる。あと、これは秘密事項なんだが、オランダに渡った王家もイングランドの特権を欲しがっている。そちらのほうが正当なイングランドの貴族だ。あとは世論がどちらに動くかだ。それによってリード家もさきゆきを決めなくてはならない。頭が痛いよ」


 オリバーが弱音を吐くなんて珍しい。

 でも、彼の仕事のグチが聞けてなんだかうれしかった。

 やはりこちらか質問してみないと人の本音なんてわからないものだ。


「あの……ルーシー・ウォルターのことだけど……」

「ルーシーか……。王城の舞踏会城で会ったよな。幼馴染と言っても顔なじみ程度だ。彼女はずっとオランダにいたからね。今年の頭に彼女が帰国したさい舞踏会で再会した。この前の舞踏会がそれから3ヶ月ぶりの出逢いだった。妊娠していたとは……。おれとしても想定外の出来事で混乱している」

「ルーシー・ウォルターのところに、その……ずっと通っているわよね?」

「どうして、それを?」

「窓から西の棟がよく見えるの……それで……」

「そうか……彼女にはいろいろと報告すべきことがあるんだ。渡す物もね。エマ、すまないが、いまその話はしたくない。絶対に口外してはならないことなんだ。エマには迷惑をかけてばかりだ……ごめん、仕事が忙しすぎて……」

「仕事がって……じゃあ、バーバラ・パーマーとのことは?」

「パーマー夫人? そうか……すまない。君には恐い思いをさせてしまったな……。彼女の怒りが収まるようになんとか宥めている最中だ。パーマー夫人は要求が多くて……」

「あの……ネル・グウィンのことは……?」


 オリバーに嫌われたくないと思いつつ、最後まで質問してみた。

 いましか機会がないと思ったからだ。


「どうしてそんなにいろいろ詮索してくるんだ? サロンのおしゃべり雀どもの入れ知恵か?」

「そんな……彼女たちはたしかにいろいろアドバイスしてくるけど、面と向かって聞けとは決して言わないわ。むしろ、黙って見過ごせと……」

「それが貴族の夫婦にとっては得策だろう。男なんて外じゃろくなことをしていない」

「あなたもそうなの? オリバー?」

「一般的な貴族の男の話をしているだけだ! 前に言ったろ? 君を裏切るようなことは決してしていないと! エマ、君だけは悲しませたくない。不幸にしたくないんだよ! どうしておれを信じてくれないんだ!」

「オリバー……ウィンター公爵に言われたの。わからないことは聞くようにと。ことの発端は自分だからと謝られたわ。意味はよくわからなかったけど……」

「そうか……レオが……。彼は古くから存在するある組織のメンバーらしいんだ。エジプト時代にまで起源が遡るものらしい。レオのお蔭でおれはなんとかやってこれた。君の島が不作だと小耳に挟みレオに頼んだ。レオは施すのは嫌いだ。それ相応の仕事をさせて相手を自立させるやり方をとる」

「それでウィンター公爵はうちの島へ……。オリバー……うれしいわ。陰ながらあなたが支えてくれてたのね。そうであれば良いのにと、どんなにわたしが望んだことか……。お蔭で島民の生活を維持することができました。オリバー、どうもありがとう」

「おれが君を追いやったんだ。資金があれば島に援助したかったが、あいにくおれも一文無しだったからね……。すまない」

「そんなことは……」

「このまえレオに、エマとダニエルのことを相談したんだ。君を信じるべきだと言われたよ。だから、もう1度冷静になってよく思い返してみたんだ。たしかにこの前の宿屋の一件はあまりにも出来すぎていた。エマは他にもおれに隠していることがあるみたいだが……いまは聞くのはやめておこう。いずれ話してくれるんだろう? だからエマ、いまはおれのことも聞かないでくれよ」

「オリバー……わかりました」


 わたしはそれ以上の追及はしなかった。

 そのかわり行動を起こすことにした。

 ルーシー・ウォルターは身重なので直接対峙することはやめた。

 本当はバーバラ・パーマーと接したかったがそこまでの勇気はない。

 ネル・グウィンの病院へ出向くことにした。

 ひんぱんに慰問に訪れているようなので、行けばいつか会えるだろう。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


 オリバーが仕事に行くのを見計らい、通りで馬車を拾いネル・グウィンの病院へ向かった。

 運良く慰問に訪れていた。

 劇が終わるのを待って控え室に行った。


――コンコン!

――カチャッ!


「だれだ?」

「オリバー・リードの妻と言ってください」


 わたしにとって、とても勇気のいる行為だった。

 だが、オリバー・リードの妻としてどうしても会ってたしかめたいと思っていた。

 夫とネル・グウィンの関係を。

 だが、待っている間にひどく緊張してきた。

 自分がこんな大胆な行動をとるなんて!

 だんだんと後悔の気持ちが押し寄せてきた。

 稀代の有名女優と対峙するのだ。

 足は震え胸はこれ以上ないほどドキドキしてきた。


「オリバーの奥さまがいらしているの?」


――カッカッカッカッ! バンッ!


 予想に反しネル・グウィンは大喜びで走ってきた。

 まず、強い香のにおいが鼻をついた。

 相当量の香水をつけているようだ。


 明るい茶色の瞳をめいいっぱい広げ身体中で歓待の意を表していた。

 私生活でもそうとう陽気な女性らしい。

 加えてユーモアの話術もある女優だと聞く。

 気さくで飾らない好人物だった。

 わたしの完敗だ。


 こんなにステキな女優と付き合うような男性の妻がわたしのように平凡な女では、オリバーがかわいそうだ。

 こんなところに来るんじゃなかった。

 ウィンター公爵の言葉を間違って解釈してしまったようだ。

 会ってなおさら惨めになるとは想像もしていなかった。

 でも、会ってよかった。

 オリバーをめぐってネル・グウィンと対抗しようだなんて虚しいことを、このさき考えなくなるだろうから。


「かわいい奥さま! オリバーの話どおり慎ましやかで美しいデイジーのような方ですわね!」

「…………!」

「オリバーにはたいへんお世話になっております。無事に息子も認知できました。先日はご主人に命まで助けていただいたのですよ。本当にどうもありがとうございました」


 ネル・グウィンは心底うれしそうに頭を下げてきた。

 これはいったい、どういうことなのか。

 ケルアイユ公爵夫人と同じ雰囲気を感じた。

 まさか――ネル・グウィンもまた、オリバーを隠れ蓑に大いなる秘密を隠蔽していたのではないか。

 オリバーと交際していた女性たちの息子が次々と認知されていく。

 その答えはいったい?


 面食らってしまい、ネル・グウィンにそれ以上の言葉を発することができなかった。

 通り一遍の挨拶だけしてその場から退散した。

 なにがなんだかわからなかった。

 ネル・グウィンは終始笑顔で好意的だった。

 あの悲しげな瞳の奥には、わたしたち夫婦に対するあたたかな信頼の情があった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 肩透かしをくらったような気分になりながら宮殿にもどった。

 ネル・グウィンとオリバーのことは、いくら考えてもわからなかった。

 それよりも、たったあれだけの接触でわたしの体にネル・グウィンの移り香が残っていた。

 これでは、彼女のそばを歩くだけでどの人間にも香の匂いが付いてしまうだろう。

 香りと共に彼女の瞳が思い出された。

 あの茶色い透き通るような目の奥には感謝の想いしか浮かんでいなかった。

 

「ママー!」

「まあ、ノア……」


 ノアがデイジーの花畑から駆け寄ってきた。


「花冠つくったのー!」

「わたしに? すてきだわ、どうもありがとう!」


 ノアの作った花冠はデイジーの茎をよじってくっつけただけの代物だ。

 ただそれだけの物がかけがえの無い物のように思える。

 花びらの色が掠れはじめている。

 デイジーの季節も、もうすぐ終わりだ。


「ノア! 先を越されたな! 初めて作る花冠はやはり愛する人へだよな!」

「パパー!」

「オリバー……」

「さあ、奥さん、今度は間違いなく君に渡すよ。おれもノアも!」

「あなた……どうもありがとう……」


 頭に2つの花冠を載せてもらいながら、あらためて過去のことを思い起こしていた。

 オリバーは、子供のころ結婚の約束をした相手がクロエだといまでも思い込んでいる。

 どうやってそれを訂正したらよいのだろう。

 

 ウィンター公爵に言われたとおり勇気を出して踏み出そうとしているのだけれど、事実を明らかにすることは怒りの発散よりも難しいことに気がついた。

 オリバーは本当はわたしを裏切っていないのかもしれない。

 わたしたちはちょっとした誤解や思いちがいですれ違ってしまっているだけなのかもしれない。

 偽りの花嫁であるわたしが本物の花嫁になれるときは、果たしてくるのだろうか。

 

 ノアが立ち会う花畑の真ん中でデイジーの花冠を頭に載せ、わたしは愛の告白もできぬままオリバーからの誓いのキスを受け入れた。

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