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島の娘  作者: M38
10/27

第10話

――ミャウミャウ、ミャウミャウ!


「ママー!」

「ノアー! ここよー!」


――トコトコ、コテンッ。


「まあ! ノア!」

「ハハハハ! ノアがまた転んだー!」

「ジャックにいー! わーい!」

「ノアー! メアリーもいるわよー!」

「メアリーねえー!」


 ジャックとメアリーの夫婦が羊たちと一緒にやってきた。

 彼らはおととしの秋に結婚した。

 ジャックがやせっぽちのノアをヒョイと拾いあげ立たせてやる。

 ノアは喜んでキャッキャッとはしゃぎながらまたおぼつかない足取りで走りはじめた。

  

 オリバーの元を去ってから3年の月日が流れていた。

 わたしはその年の春にノアを産んだ。

 リード家には知らせていない。

 オリバーともあれきりだ。

 リード一家がいまどうしているのか、まったくわからない状態だった。

 

 イングランドは議会派が台頭し人々は重い課税に苦しんでいた。

 幸いこの島は重税を逃れることができた。

 だが、ジャックが画策していた羊毛の糸つむぎの機械化は実現しなかった。

 議会派がギルド組合に加担したため外国人のスミス氏はイングランドで商売ができなくなりフランスに帰国してしまったからだ。

 その代わりときどき島にやってくるレオ・ウィンター公爵が、高額でニットを買い取ってくれるようになった。

 大量に買い占めてくれるので、それで島の経済はなんとか潤っていた。

 この取引がなかったら、おととしから続いている天候不良による不作や不漁を島民が乗り越えることは出来なかっただろう。

 よその島のように娘や息子を奉公へだすしかない。

 それではあまりにも辛すぎる。

 家族は一緒に暮らすべきだ。


 自分自身が家族愛に恵まれなかっただけに、ノアのかわいい笑顔を見るたびに心が痛んだ。

 この子には本当の父親がいる。

 親の都合で父と子が離れ離れになってしまった。

 子供に罪はないのに。


「ママー! デイジー、やって! やって!」

「まあ、ちょっと待っててね」


 かすれたおくれ毛をかきあげながら、花畑に座り荒れた両手でデイジーを編みはじめた。

 ノアはデイジーの花冠を頭に載せるのが大好きだ。

 まだ自分では作れないのでいつもわたしにせがむ。

 ノアはもうすぐ3歳になる。

 だんだんとまわりの状況がわかりはじめる年齢だ。

 父親のことを聞かれたらなんとこたえればよいのだろう。


「さあ、できたわよ!」

「わーい!」


 デイジーの花冠をかぶりはしゃぎまくるノア。

 その小さな頭には金色の巻き毛がおどっている。

 瞳の色もオリバーとまったく同じだ。

 なにからなにまで父親にそっくりなノアを見ていると、イヤでも毎日オリバーのことを思い出す。

 

 オリバーにもらったデイジーの花冠。

 一緒にまわった湖や植物園。

 舞踏会の弦楽四重奏がいまでも耳に届いてくるようだ。

 嵐のように過ぎ去った新婚生活。


 島に帰ってからは過酷な労働の日々が続いていた。

 ノアを産んだあとぜんそくは全快したが、身体はまた痩せ細り手も節くれだった。

 だがここには、意地悪なクロエや毎日怒鳴りつける継母はいない。

 この3年間は屋敷の従業員や島民たちと力を合わせてたくましく生きてきた。

 いまのわたしの生きがいはノアの成長だ。

 スクスクと元気に病気ひとつせずよく育ってくれた。

 素直で明るい性格は父親に似たのだろう。

 いつの日にかオリバーに会わせてあげたい。

 彼は自分が父親だとは認めないであろうが。


「エマ! ノアも大きくなったわね……わたしもこういうかわいい子が授かりたいわ」

「メアリー……あなたたちのお蔭よ。わたし1人で育てたんじゃないわ。島のみんなが大切に育ててくれたのよ。どうもありがとう」

「リード島主のお子さんだ。ノアは島の宝だよ! なあ、ノア! ノアのお父さんはエマも含めて島民全員だよな!」

「うん! ジャックにい!」

「ノア……本当に大きくなったわ……」


 島に帰ってきた当初は、だんだんと大きくなっていくお腹に不安が隠せなかった。

 だが、出産経験のある村の女たちが毎日やってきて励ましてくれた。

 出産ぎりぎりまで労働を続けた。

 幸い安産で、村の産婆がノアを取り上げてくれた。

 ノアを産んで真っ先に想ったのはオリバーのことだった。

 彼にノアを会わせてあげたい。

 ノアも父親に会わせてあげたい。

 だがそれは、叶わぬ夢だった。

 

「ゾーイ! あげるー!」


 ノアがゾーイの墓に花冠をたむけた。

 丘に建つ古い墓が寂しげに海風に吹かれている。


「ママー! ゾーイ! ほしい! ワンちゃん!」

「ノア……だめだって言ったでしょ? 島には犬を飼う余裕はないのよ。牧羊犬もいないのに……」


 島で唯一の犬だったゾーイ。

 この貧しい島で犬はぜいたく品だ。


「ヤダー! 白いワンワン!」

「わがまま言わないの!」

「ノアはどうして急に犬が欲しいと言いはじめたの?」

「屋根裏部屋にゾーイの絵があったのよ。むかしオリバーが描いてくれたものなの。すごく気に入ってしまって……」

「そうか……なにか感じるところがあるのかな……」

「そうなのかしらね……困ったわ……」 


――ジャンッ! ジャンッ! ジャンッ! ジャンッ!


「おふねー! でっかーい!」

「エマ! あれはウィンター公爵の船じゃないか?」


 ジャックの指差す方向に外国船が入港してくる。


「本当だわ! どうしたのかしら? この前いらしたばかりなのに……」

「ウィンター公爵はとても高くニットを購入してくださるから本当に助かるよ。彼のお蔭でこの島はなんとかもっているんだ」

「本当よね……ウィンター公爵は島の救世主でいらっしゃるわ」

「ちょっと見に行ってくるわね! ノア、いらっしゃい!」

「はいー!」


 ノアと一緒に丘を下り港へ向かう途中でウィンター公爵の馬車とすれちがった。

 公爵はすぐに気がつき、わたしとノアを執事と一緒の馬車に乗せてくれた。

 ウィンター公爵は痩せて背が高く知的な目をした立派な紳士だ。

 白髪まじりの様子からわたしの父親ぐらいの年齢なのだろう。


「ちょうどお宅に向かっていたところなんですよ」

「おじちゃん!」

「おお、ノア! あいかららず元気だな。ちょっと見ない間にずいぶんと大きくなった。この子は将来とても背が高くなるでしょうな」

「ウィンター公爵、いつもお世話になっております。あの……ニットはこの間の物で全部です。羊の毛を刈るのはまだこれからで、毛糸がないものですから……。糸つむぎを機械化できるといいのですが……」

「リード夫人、この島のニットが高品質なのは、糸つむぎが丁寧な手作業という付加価値があるからです。漁師の仕事着にするだけではもったいないほどの保温効果と見た目の美しさがあります。それらが大陸でもたいへん重宝されているのです。ギルドに属さずがんばっていらっしゃる島民の方たちのためにも、大量生産よりも質の向上をどうか心がけてください。期待しておりますよ」


 汚れた服を着たわたしのことをリード夫人などと呼ぶのは、この島でウィンター公爵しかいない。

 島民は皆、エマを名前で呼ぶ。


「どうもありがとうございます」

「今日はニットの件で来たのではございません。オリバー・リード伯爵の要請で伺わせていただいたのです」

「はっ? オリバー?」

「オリバーが夫人にイングランドに戻ってほしいそうなんです。わたしはその代理で参りました」

「なんですって! もしやあなたさまは……オリバーをご存知なのですか?」

「はい。オリバーはわたしの命の恩人なのですよ、リード夫人」

「命の恩人?」

「ええ。4年前の雨の日。わたしの馬車は倒木に直撃されました。この執事が一緒に乗っていたのですが、幸い彼は無事でした。ですがわたくしは……倒木と馬車に挟まれ瀕死の重傷を負いました。そのときです! 馬車で通りがかったオリバーが執事と一緒にわたくしを助けてくださったのです! あのときオリバーに出会わなければ、わたくしはいまごろこの世に存在しておりません!」

「まあ……そのようなことが……。では、それからオリバーと?」

「はい。重傷を負ったわたくしは治療のためフランスへ一時帰国いたしました。身体が回復したので再びイングランドへ参りました。すぐにリード家を訪ね、今日までオリバーとは親しくさせていただいております」

「そうでしたか。では……オリバーに頼まれて島のニットを?」

「それはちがいます。わたしの勝手な行動です。この島のニットの価値はわたくしの見立てです。本当に大陸で高額で取引されているんですよ。わたくしには様々なツテがあるのです。実家が資産家でして、各国の王族とつながりがあるのです」


 ウィンター公爵の話を聴いて少しがっかりした。

 もしかしたらオリバーがわたしを心配してニットを買い上げてくれているんじゃないかと淡い期待をしてしまったからだ。

 それにしても。

 わたしに会うために出かけた先でオリバーが助けた男性に、いまはわたしたち島民が助けられているとは。

 運命の歯車に不思議な縁を感じた。


「ですが……オリバーはどうしていまごろになってわたしを呼び寄せたいのですか? いまさら、なぜ?」

「それは……ノアに聴こえない場所で説明いたします」

「……わかりました」


 女性関係なのかもしれない。

 わたしは覚悟を決めた。

 そのことはこの3年間、極力考えないようにしてきたことだ。

 わたしの父親もそうだったように、貴族の男にはよくある話だ。

 ましてオリバーは若く美しい。

 社交界の女が放っておくわけがない。

 裏切られたと思っているオリバーが、偽りの花嫁のわたしに義理を通すわけがない。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 馬車がカーライル家の屋敷に到着した。

 迎えに出てきたメイドにプディングとハーブティを用意させた。

 

「ママー! もっとー!」

「ノアったら、お行儀が悪いわ。ウィンター公爵、申し訳ございません。しつけが行き届いていなくて……」

  

 子供用の銀のスプーンでノアのためにプディングをすくって口に入れてやった。

 ノアは満足そうにニッコリと笑った。

 この笑顔を見ると誰もがなんでも許してしまう。

 島に子供はいない。

 ノアは皆に甘やかされて育った。


「こどもなんてそんなものですよ。ところで、リード夫人。その銀のスプーンは随分と高価な代物ですね。王族が使う高級品ですよ。お宅に代々伝わる宝物ですか?」

「えっ? 本当ですか? いえ……これは丘で拾った物なのです。どうしましょう……落とし主の方はたいへん困っていらっしゃるのかしら? どこかに届け出たほうが……」

「そこまでしなくて大丈夫でしょう。一族の跡取りに代々贈られることが多いようですよ」

「まあ、そうなんですか……」

「リード夫人、執事を従えてお宅の庭を拝見させていただいてもよろしいかな? わたくし共もそろそろ宿に帰らねばなりませんので」

「これはどうも気がつきませんで、申し訳ありませんでした。ノア! プディングを食べていてちょうだい。ひとりで出来るわね? お母さまはウィンター公爵とお庭を散歩してきますから」

「行くー! ノアもいっしょー!」

「まだプディングが残っているでしょう?」

「リード夫人、そばで遊ばせておく分には構いませんよ? 男の子はじっとしているのが嫌いなもんです。一緒に参りましょう」

「はあ……申し訳ございません」


 ノアを連れウィンター公爵と執事と一緒に庭へ出た。

 オリバーの真似てたくさんのデイジーを植え花畑を作ってある。

 たちまちノアはわたしの手を離れ、デイジーの花の中を駆けめぐりはじめた。


「このような野草しか植えられませんで、お恥ずかしいですわ……」

「そんなことはございませんよ。オリバーも宮殿の中庭に見事なデイジーの花畑をこしらえています」

「宮殿? オリバーはいま宮殿に住んでいるのですか?」

「はい。王家の住んでいた東の離宮におります。リード家の屋敷は差し押さえられました」

「そんな……! どうしてそのようなことに……?」

「議会派の台頭で王党派の人々はイングランドに住めなくなりました。貴族たちに払いきれないほどの課税がなされたからです。リード一族はいまフランスで暮らしております」

「そんなことになっていたとは……。では、どうしてオリバーだけが離宮に?」

「彼だけが……議会派に寝返ったからです」

「なんですって! それは本当のことですか? オリバーだけは絶対に議会派にはならないと信じていたのに……。では、この島とは敵対関係にあるのですね」

「リード夫人はご存知ないのですか? この島は3年前から議会派です。なぜなら、所有者のダニエル・リードが3年前に議会派に寝返ったからです。だからこの島は課税が少ないのです。本来なら議会派はギルド組合に入らなければならないのですが、そこはわたくしが外国人の権限を行使して阻止いたしました」

「そうだったんですか……? まったく知りませんでした……。お恥ずかしい話です。ちょっと考えればわかることだったのに……。ウィンター公爵には重ね重ねお世話になっております……なんとお礼を言えばいいのか……。それにしても……わたしの島が議会派に……先祖に申しわけがたちません」

「あなたは命の恩人の奥方です。お礼をいただく義理などございませんよ。それとリード夫人、先祖には申しわけがたちますよ。土地が狭すぎて課税対象になっていないだけで、あなたの所有する島の丘は王党派カーライル家の物です。あなたは議会派から、先祖の土地を立派に守っているのです」

「まあ……そうでしたか! それは不幸中の幸いですわ」


 ウィンター公爵はずいぶんとこの島やイングランドの内情に詳しいようだ。

 もしかしたら、ただの外国人ではないのかもしれない。

 敵国のスパイだったらどうしよう。


「今回オリバーさまがリード夫人を呼び寄せることになったきっかけは……申し上げにくいのですが……」

「どうぞ。覚悟はできています。なんなりとおっしゃってください」

「実は……クロエという女が原因です」

「クロエ? クロエ・カーライルのことですか?」

「はい。自分はオリバー・リードの許婚で、彼の子供がいると突然主張してきたのです」

「なんですって!」


 4年前に自分たちがしでかしたツケが今になってやってきた。

 わたしと関わったことが原因で、オリバーはまた大きな不幸を背負ってしまうのだろうか。


――サアー……。


 どこからともなく一陣の風が吹きデイジーの花畑を揺らしていった。

 4年前のように、花々がわたしに再び別れの合図を送ってきた。

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