実戦
「母さん。俺は、ミレミアと一緒に逃げようと思うんだ」
真っ直ぐ母さんを見上げて言えば、小さく溜息を漏らされた。
「ミレニアちゃんの家は集会所の近くだったわね。良いわ。一緒に行きましょう」
「良いの?」
てっきり反対されると思っていた。
「あなたは普段が良い子な分、一度こうと決めた事は絶対に譲らないでしょう」
ここで押し問答するよりも、譲歩した方が良いと思ったわけですね。流石は母さん。よく分かってらっしゃる。
反対されてもゴリ押しする気、満々でした。
頑固ですみません。でも、有り難いです。
話が決まれば、後は迅速な行動あるのみだ。
まだ村の北側には直接的な被害がなかった為、ミレニアの家付近まではあっさりと辿り着くことができた。
しかも、ちょうど良く玄関から華やかな金髪が出てくるのが見える。
向こうも俺に気付いたようで、一直線に駆け寄ってきた。
「どうして此処にクルルガがいるんですか?」
「約束通り迎えに来たんだよ。入れ違いにならなくて良かった」
「約束?」
「指切りしただろ」
「指切りって……夏の話ですよね。あれって確か頭の……」
「細けぇことは良いんだよ」
分かってるよ。
小っ恥ずかしくなってくるから、突っ込んでくるな。
「逃げるところだったんだろう。さっさと行くぞ」
「ちょちょちょ。待って下さい。置いていかないで」
俺たちは母さんたちに別れを告げ、揃って北に駆け出した。
ミレニアの家は辛うじて村の北側に位置しているが、かなり中央部分に近い場所に建っている。
時間が経過している上に南側に近付いたせいで、危険度は一気に跳ね上がっている筈だ。
事実、聞こえてくる騒音が先ほどと比べて格段に大きくなっている。
「何処に向かうんですか?」
俺の右後方を走りながら、ミレニアが聞いてきた。
「花畑を抜けて岩山に向かう予定だ。他にいい場所があるなら、そっちでも良いぞ」
「いいえ。お母さんの指示も岩山でしたし、私もそれが良いと思います」
「それじゃあ、このまま北に……っ⁉︎」
何だ?
全身の毛穴が開く様な悪寒を感じた。
考えるより先に体が動く。
剣を引き抜き、ミレニアを押し退け、頭上に向かって防御の構えをとる。
一連の動き全てが無意識だった。
腕に重い衝撃が伝わってきて、初めて俺は自分が攻撃され、それを受け止めれたことを認識した。
っぶねぇぇぇ。よく分からんが、助かった。次はこの状況をどうにかしねぇと。
このままじゃ、押し負ける。
切りかかってきた相手は、胸当てをつけた中年の男だった。おそらくは一般兵士だろう。
体格差に加えて上から切りかかられているせいで、状況は圧倒的に俺が不利だ。
何か、おっさんが気をそらすようなことでもあれば……
「クルルガ!」
ミレニアの声が響く。
まるで俺の心を読んだかのような絶妙の頃合いだった。
男の視線がちらりと動き、その口元がだらしなく歪む。
不愉快な気配を察知した。
おいおい。随分と下衆い笑い顔じゃねぇか。ミレニアは美少女だからな。お気に召したってところか。
っは!巫山戯てんじゃねぇぞ。
元女として、そっち方面の悪事は絶対に許さねぇよ。その気配だけでも怒り倍増だ。
男の力がわずかに緩んだ隙をついて、相手の剣を跳ね除ける。
突然のことに男の体が一歩分だけ後方へと下がった。
その一瞬の隙があれば十分だ。
俺は愛剣を腰の辺りで構え、思い切り踏み込んだ。
「この、下衆野郎がああぁぁ!」
体当たりの要領で叩き込んだ一撃だ。
俺の剣は、男の腹部に深々と突き刺さった。
「な……くそ……」
男の腕が微かに動いた。
腹部では流石に即死は狙えなかったらしい。が、それが最後の悪足掻きだったようだ。
俺が剣を引き抜くと、男の体が大きく揺らぎ、そのまま後方へと倒れていった。
無防備になった下半身を見て、しばし考える。
潰そうか。
想像すると、現男としては嫌な感覚もあるが、放置するのも不満が残る。ここは不快感を堪えるしかあるまい。
一歩、足を踏み出した時。
「クルルガ……?」
不安気な声につられて、俺は即座に身を翻した。
ミレニアが地面に座り込んだまま、こちらを見上げていた。
「もしかして足を痛めて立てないのか?」
男が最初に狙ったのはミレニアだ。
それから庇う為に押し退けてしまったから、怪我をさせたかもしれない。
「いえいえ! 情けないんですが、腰が抜けて立てなかっただけです」
ホッとした。
今の俺の体格じゃ、ミレニアを背負って逃げるってのは無理があるからな。
「良かった」
「私よりもクルルガの方こそ大丈夫なんですか? 怪我は? 手当てしますか?」
俺の答えを聞く前に、ミレニアが所持していた鞄から何かを取り出してくる。
「いや、大丈夫。俺も何ともないから。それより、ミレニアが大丈夫なら移動したい。立てるか?」
あの男が北側にいたのは変則的な出来事だと思いたいが、他にもいないとは限らない。
一度でも襲われた以上、既に北側も危険だと思った方がいいだろう。
「はい。もう大丈……危ない!」
振り返った先に見えたのは、倒れていた筈の男の憎悪に歪んだ顔だった。
男の手が剣を振り下ろそうとしているのが、視界の端に映る。
腰に手をやるが、今からでは間に合わない。
男の剣が俺の体に触れる方が先だろう。
その先は考えたくもない。
それでも、目を閉じないでいられたのは稽古の賜物だろう。
例え切られる瞬間であっても、敵と相対している時に目を閉じるな。どんな時でも反撃の機会を見逃してはならない。
抗え。諦めるな。
そんな声が、今にも飛んで来そうな気がした。
駄目元で剣を引き抜く。
俺の顔スレスレを何かが横切った。
何か、は男の胸当てにぶつかると、パリンと音を立てて盛大に壊れた。
独特な匂いとともに、液体が飛散する。
直後、男の悲鳴があがった。
空いていた方の手で腹部を抑え、剣を握っていた腕が軌道を変える。
振り下ろされた剣は、俺の肩を軽く切り裂いて通り過ぎていった。
いってぇぇ! 死ぬより全然マシだけど、めっちゃ痛い!
今すぐ肩を押さえて蹲りたい。
しかし今こそ絶好の機会だ。
俺は迷うことなく男の胴を薙ぎ払う。
「っらああぁぁ!」
男は仰け反り、そのまま後方に倒れ込んだ。
今度こそ倒したと思うが、先程と似たような状況なので油断はできない。俺は警戒したまま男に近付いた。
男の息は間違いなく止まっていた。少し待ってみるがピクリとも動かない。
「念には念を入れておくか」
俺は更に近付いた。
大の字で倒れている男の足の間まで行き、右足をあげる。
死体に鞭打つ行為であろうとも、知ったことか。
ここまできたら慈悲はない。
また起き上がってこられては、たまらないしな。
掲げた足を、股間目掛けて一気に踏み下ろした。