指切り
回避に重点を置き始めてから、俺の負傷率は目に見えて低下していった。
ボコボコにはされるものの、ボロ雑巾になることは少なくなったのだ。十分に快挙と言えよう。
ラーズの方は相変わらずだったが、翌日にはケロッとした顔をしていたりする。ラーズの回復力、マジで凄い。
切り傷や擦り傷はともかく、打撃系に対する耐久性は高いなんてもんじゃない。
打ち身、筋肉痛、何それ美味しいの。って感じだ。
実はゾンビなんじゃないかと疑ってしまう。 わりと本気で。
「ミレニアは良い匂いのするゾンビっていると思うか?」
ラーズからは腐敗臭なんてしない。
むしろ爽やかな柑橘系な香りを漂わせてることがある。
「何ですか? 急に」
「ラーズのことを考えていた」
「なるほど」
あれだけで俺の言いたいことを理解するとは。
きっとミレニアも同じようなことを考えたことがあるに違いない。
「お父さんも、ラーズの打たれ強さには感嘆してました」
「おじさ……師匠が褒めるとか、本当にラーズは凄いな」
ミレニアの父親はクール系イケメンで、剣術稽古の時は輪をかけて無口になる。褒め言葉なんてものは滅多に聞くことができない。
「クルルガのことも褒めてましたよ?」
「え! 本当に?」
どんなことを言ってたんだろう。
凄く気になるけど、内容を聞くのは緊張するな。
「はい。引っ掛けを入れたり、連撃を出しても回避されることが多くなった、って褒めてました。なので、もっと手数を増やそうかな、とも言ってましたね」
「やめてください!」
あれ以上、手数を増やすとか何言ってんだ。そんな事されたらボロ雑巾化、待った無しじゃないか。
馬鹿じゃないの。
鬼! 悪魔! 鬼畜! でも、稽古外では優しい人格者なのを知っているから、嫌いになんてなれない。それどころか憧れてます。悔しい。
「天は二物を与えずなんてのは嘘だったんだ」
外見良し。性格良し。腕っ節良し。ちなみに頭も良かったりする。
改めて考えると師匠って無敵じゃね? 完璧超人は存在したんだ。
「また急に訳の分からない事を。今度はクルルガ自身の事ですか?」
ミレニアが呆れた視線を向けてきた。
違うぞ。断じて俺のことじゃないぞ。どう考えたら俺のことになるんだよ。
俺はナルシストじゃありません。
「お前の親父さんの事だよ」
ミレニアの表情が苦笑へと変わった。
「確かにお父さんは二物どころじゃないですね。女に生まれたことを感謝するくらい、同意です」
「あの親父さんの息子だったら、劣等感が凄いことになりそうだもんなー」
「ですよねー」
一つだけ言っておくが、決して俺は俺の父親を見くびっているわけではない。優しくて面白い良い父親だと思っている。
ただ容姿的には普通よりやや格好良いくらいなだけだ。
つまりミレニアの父親が規格外すぎるのだ。
何と言っても完璧超人だもんな。仕方がない。
「クルルガだったら大丈夫だと思いますけどね」
「いや、無理だろ」
何を言ってんの、この子。
「そんな事ないですよ! 絶対」
満面の笑みで断言してきた。
いやいや。本当に何を言ってんの、この子。
前から思っていたのだが、ミレニアは俺の事を過大評価しすぎだ。
少女漫画の主人公の相手役や、少年漫画の主人公みたいに思われている感がある。
なんでやねん。
一つどころか多弁したい。
無理だよ? 危機に瀕した時に颯爽と助けに行くとか出来ないから。白馬に乗った王子様よろしく格好良く決めるとか不可能だから。
俺は、ちょっと見た目が良いだけの、ただの、通行人だからな!
過度な期待はやめろ。切実に。やめてください。
そう何度か注意してる筈なのに、一向に考えが訂正される気配がない。おかしいな。
「何かあったら、一人でさっさと逃げてやるからな」
「また話が飛躍した⁉︎ しかも酷いことを言われてます」
ミレニアが溜め息を吐いた。
「まったく……他の人と話す時は普通なのに、どうして私と話す時だけそんななんですか」
「わざとだ。当然だろう」
「冷たい! クルルガは私にだけ冷たいです。ツンデレにも程があります」
「あ゛ぁ?」
自分でもビックリなドスの効いた声が出た。
ミレニアが盛大に震えてみせたが、本気で怖がっているわけじゃないのは分かっている。
誰がツンデレだ。勝手に変なキャラ設定してんじゃねぇよ。俺の愛情表現は直球だ。
男だったらぶっ飛ばしてるところだぞ。
「決めた。やっぱり何かあっても、ミレニアだけは放置する」
「酷い! 冷たさが悪化してます」
ミレニアがキャンキャン吠えているが、俺は無視を決め込んだ。
「もう良いです。良いですよ。何だかんだ言っても、クルルガが優しい事は知ってますからね。もし本当に何かあった時、見殺しにできるような人じゃないですもんね」
見殺し、なんて生々しい言い方はやめろ。決心がちょっと揺らぐだろうが。
「だから、万が一にクルルガに見捨てられるようなことがあったとしても、それはそうするしかない状況なんだと思うんですよね」
ヤバい。ミレニアの俺に対する信頼度が半端ない。良心の呵責も半端ない。
何でお前はそんなに俺を英雄の如く扱おうとするんだ。
「くっ。卑怯な。いつの間にそんな精神攻撃を身につけたんだ!」
「はい? ……あの、ごめんなさい。最早、何を言ってるのかさえ分からないです」
無自覚、か。薄っすらと勘付いてはいたさ。知っていたともさ。
これが無邪気故の残酷さってやつだな。
なんという攻撃力。
師匠。本当に恐ろしいのは、あなたではなく、あなたの娘さんでした。
「負けたよ。完敗だ」
「いや、だから意味が分からないですから! 何に負けたんですか? て言うか、何と戦ってるんです?」
答えはミレニア、お前だよ。
「しょうがない。何かあった時、ミレニアのことは意識の片隅くらいには置いといてやろう」
「何かあった時ですら、デレが小さい!」
「文句があるなら、この妥協案もなかった事に……」
「ああぁぁ! 駄目です。認めません。あ、そうだ。小指出してください。指切りしましょう。指切り」
食い気味に拒否された挙句、半ば無理やりに小指を絡められた。
師匠の猛攻さえ回避する俺に嫌がる隙も与えないとは。やはり本当に恐ろしいのはミレニアだったようだ。
驚愕する俺をよそに、ミレニアは指切りの歌を高速で歌っていく。
俺もミレニアも、本気で何かあるなんて微塵も思ってもいないからこその、おざなりな指切りだった。
まさかこの晩、その何かが起きるなんて夢にも思わず……なんてお約束な展開もなく。
あっという間に夏が過ぎ、秋が来て、もうすぐ冬がやって来そうな気配がしていた。