剣術稽古
十二歳を迎えてから一ヶ月が経った。
俺は今、使い古したボロ雑巾のごとく地面に倒れている。
先に言っておくが、決して虐めだとか喧嘩だとか、そういった争い事関連ではない。
では何かと言えば、ちゃんとした剣術稽古の結果がコレなのだ。
正式な剣術稽古でボロ雑巾にされるんだぜ。嘘みたいだろう。紛れも無い真実なんだよ。畜生。泣きたい。
前まではそんなことはなかった。
稽古内容が豹変したのは十二歳になってから。
基礎的な事がほとんどだった剣術稽古が一転。一気に実戦向きのものへと移行された。
素振りや組み手、模擬試合をしていた日々が懐かしい。
今思えば、あの時の訓練は子供のお遊戯会練習だったんじゃないかと思えてくるよ。
訓点中でも笑う余裕があったからな。
比べて今は、悲鳴をあげないだけで精一杯だ。
指南役から木刀でコテンパンにやられ、時には拳や足蹴りで殴り倒される日々。
こっちは軽く殺意すら含ませて挑んでるってのに、まともに一撃すら入れられないとかどうなってんだよ。くっそ。
師匠は化け物か。化け物だな!
師匠曰く、お前達は筋がいいから特別な、とのことだが冗談じゃない。
こちとらボロ雑巾化に慣れすぎて筋の欠片すら見えねぇよ。
「おい。大丈夫か?」
俺はもう一人の被害者……もとい同胞に目だけを向けた。
その人物は、仰向けに寝転がっている俺から見て左側でうつ伏せになって倒れていた。
ここからでは黒髪の後頭部しか見えないが、おそらく息も絶え絶え状態に近いに違いない。
日々の稽古中で俺以上にボッコボコにされてるからな。
少年の名前はラーズ。
俺より三ヶ月前に十二歳を迎え、俺が来るまでたった一人で殺られ……鍛えられ続けてきた被害……猛者だ。
ラーズの状態を知っていただけに、俺も特別枠に振り分けられた日は膝から崩れ落ちたものだ。あの日の絶望感は今でも忘れられない。
自主的に鍛錬なんてするんじゃなかったと何度、後悔したことか。
故に俺はラーズを尊敬している。
だって三ヶ月もの間、たった一人でこの状況に耐え続けてきたんだぞ。心身共に耐久力が凄い。俺の中では拍手喝采ものだ。
しかも、俺とは違って前もって鍛錬なんてしてなかったんだぞ。
ラーズは天才ってやつなんじゃないかと俺は思っている。
故に、例え日々の稽古で俺以上にボロ雑巾化していたとしても、この尊敬の念は決して揺るぐことがないのだ。
「ねぇ、クルルガ。何か変な事考えてない?」
いつの間にかラーズがこちらを向いていた。
顔色が少し悪いが、とりあえず喋れるくらいには回復したようだ。
「変な事なんて考えてないぞ。ラーズを改めて尊敬してただけだ」
「クルルガが、僕を?」
ラーズの漆黒の目がまん丸になった。
「そんなに驚く事か?」
「そりゃ驚くよ! 他の皆が聞いても驚くよ。僕がクルルガを尊敬したとしても、逆なんて考えられるわけがないじゃないか」
「他の奴は知らんけど、俺はラーズのことを凄いと持ってるぞ」
「僕なんかのどこが?」
ラーズは心底、不思議そうだった。
決して卑屈になっているのではなく、本当に心当たりがないといった感じである。
そんなに自分を卑下しなくて良いんだぞ。俺はラーズの凄いところをいっぱい知ってるぞ。
これは今すぐ褒め称えて、自信を持ってもらわねば。妙な使命感が沸いた。
「まずは耐久力が高いところ。んで、心も強いだろー。その上、優しくて真面目。勤勉でもあるから博識だし、それなのに驕った感じはない。分からないことを聞いたら、いつも丁寧に教えてくれるもんな。ラーズの説明は本当に分かり易……」
「もういい! もういいから!」
跳ね起きたラーズが、両手を降って静止をかけてきた。
ラーズ謙虚だから止められるとは思っていたが、予想以上に早い静止だった。
さっきまで息も絶え絶え状態だったのに、もうそんな機敏に動けるのか。
耐久力だけでなく回復力まで凄くなっていたとは、やるな。いつの間にレベルアップしていたんだ。羨ましい。
「えぇー。じゃあ、最後に一つだけ。努力家なところが一番、凄いと思う」
「もうぅぅ」
ラーズが両手で顔を覆ってしまった。
が、耳や首筋が真っ赤に染まっているので、照れていることはバレバレである。
俺はラーズがこちらを見てないのを確認した上で、思う存分ニヤニヤしておいた。
これで多少は自信をつけてくれれば万々歳である。
ラーズが再び顔を見せてくれたのは、ミレニアがやって来てからだった。
本人も顔を上げ辛かったんだろうな。多分。
「二人とも何かあったんですか?」
俺たちの間、と言うよりもラーズから俺に向けられる微妙な空気にミレニアが首を傾げる。
「え、別に……何もないヨ」
ラーズ。嘘をつくのが下手な子だ。
ミレニアが疑いの眼差しを俺に向けてくる。
コラコラ。俺がラーズに何かしたみたいな疑惑を向けるのはやめなさい。冤罪で訴えるぞ。
まったく。仕方がないので話を逸らしてやろう。ラーズは俺に感謝しろよな。
「そんなことより治療を頼みたい。一発、避けそこなってさ。師匠の足蹴りがもろに鳩尾に入っちゃったんだよ。ずっと地味に痛いんだよな」
「大変! 早く見せて下さい」
予想通りミレニアの表情が一変した。
照れて気不味そうだったラーズまで慌てている。
ミレニアは遠慮なく俺の服を捲り上げ、打って変わって慎重な手つきで腹部を触っていく。
痛くない。痛くない。痛い。痛くない。痛い。超痛いぃ。
「ミ! レニア」
「うん。良かった。骨は大丈夫そうですよ」
ミレニアは俺が呻いた場所を中心に湿布薬を貼っていく。
俺とラーズの治療はもっぱらミレニアの担当なので、その手つきは慣れたものだ。
「いやいや、流石に骨がどうこうなったりはしないだろ」
俺は笑い飛ばしたのだが、ミレニアとラーズからの反応がない。
それどころか、そっと視線を逸らされた。
やめろよ。不安になるだろ。え、マジか。マジなのか。
「ラーズ?」
「あー、その、うん。僕が稽古を受け始めて、二週間くらいの時に、ちょっと、ね」
ミレニアがキリのいいところで手を止め、ラーズに向かって深々と頭を下げた。
「その節は父が本当に申し訳ありませんでした」
実は、俺たちの剣術師匠はミレニアの父親なのである。
ミレニアが治療担当をしてくれているのも、それが理由だ。
「ええ⁉︎ だ、大丈夫だよ。ちょっとヒビが入っただけだし。おじさんも久しぶりだから、力加減を間違えちゃったって言ってたし。謝ってもくれたし!」
「本当にごめんねぇぇ!」
あ。ミレニアが土下座した。
フォローしてるようでフォローになってなかったもんな。ドンマイ。
ラーズが助けを求めてこっちを見てきたが、俺は今、物騒な内容にドン引き中だ。自分でどうにかしてくれ。
下手したら骨折してたとか笑えない。
俺は決めた。次からはもっと全力で回避しよう、と。