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~ 6 ~

 結局コレラットから連絡が来たのは、丸一日経った翌日の早朝だった。その間俺達は、食事の差しいれ時以外はずっと一心同体だった。

 ‥フハハ、最高だったぜ。まさにこの世の天国。人生最悪の出来事の後には、最高の一時が待っていたと言うわけだ。これまで抱いた女の中では、コレラットかチーフスの娼婦フィラリアが最高だと思っていたが、二人一緒にかかってきてもセレウスには及ぶまい。あのあどけない顔でとんでもないテクを駆使して、俺の官能を燃え上がらせピーなピーを‥

 ‥わかった、わかったよ、俺の負けだ。結論、セレウスは最高の女だ。俺はあいつの為なら死ねる!

 そんなわけで、再び薔薇の間から出てきた時にはやつれた顔をしていて、コレラットに呆れ顔を浮かべさせたが、予定を変えるには至らなかった。

 コレラットの立てた脱出計画は、これから俺達を街の外にある修道院行きの荷馬車に乗せ、城門を抜け出ると言うものだった。もちろんただの荷馬車ではなく、禁輸品を密かに持ち運びするため、荷台に隠し場所を作った特別製だ。さすがに人二人は窮屈かもしれんが、なんとか入れないこともない。それより問題は城門の警備だ。どうやら俺達を逃がさないため厳戒態勢がとられているらしく、いつにもまして警備が厳しい。もっともこの時間帯にこれから向かう西の城門は、コレラットの店のお得意さんが守衛を勤めており、彼女が御者を務めればチェックも甘くなるようだ。上手く城門を抜ければ、後は修道院につく前に俺達を降ろし、コレラットは何食わぬ顔で街に戻ればいい。修道院行きの荷馬車は定期的に出ているものだし、疑われることもないだろう。

 聞く限り計画に問題はなさそうで、早速特別仕立ての荷馬車に潜り込む。剣だけは何とか持ちこめそうだが、さすがに鎧を着たままでは無理で、どの道音も出るから置いていくことにする。出発する前に聞いたところによると、俺達が地下で乳繰り合ってる間、街中では相当厳しい異端狩りが行われていたらしい。立つ鳥跡を濁すようで後味悪いが、この街に戻ってくることは二度となかろう。さらば、リステリア!

 荷馬車の隠れ場所は狭い上に揺れる、暑い、そして臭いと散々だが、セレウスと抱きあうように一緒だったから文句も半分だ。城門で荷台を調べられてる間は見つかるんじゃないかと冷や冷やしたが、どうにか無事通り抜けることができた。ここまでくれば脱出は成功したも同然で、いつしか俺はこれから始まる二人の未来を思い描いていた。

 たしかにこの女はいかれた亡者使いかもしれんが、死体さえ側になければ最高にいい女だ。傭兵稼業から足を洗って、どこか人里離れたところで二人で暮らすのも悪くない。剣で身を立てれる者などほんの一握り。ここらで生き方を変えてもいいのではないか。そんな幸せな夢想に浸っていると、唐突に馬車の動きが止まる。いよいよ新しい未来へ向けて踏み出す時が来たようだ。

 ところが世の中ってのは、そううまくはできていない。明け方の薄い光の元、馬車から這い出た俺の前には絶望的な光景が広がっていた。

 計画通り馬車は街の外にある修道院に向かっていたようで、最初に目に映ったのは、エルシニア教の聖印が屋根に輝く修道院の建物だった。だが、さびれた建物は無人のようで、周りを背の高い塀で囲まれた、中庭にいるようだった。唯一の出口である頑丈そうな門はしっかり閉ざされ、そして馬車の周りは輝く鎧に身を固めた神殿騎士達に完全に囲まれていた。

 おう、これは凄い。総勢十五、六人はいるだろうか。蟻の這い出る隙間もないほどぴったり包囲されており、馬車から出るや、緯丈夫な騎士達が一斉に抜剣する。まさに絶体絶命。これまで悪運だけは強い方だと思ってきたが、どうやらここで尽きることになりそうだ。

 初めて剣で人を殺した時から、いつかこんな最期を迎えるだろうと覚悟してきたが、この事態に陥った原因だけは見過ごすわけにいかねえ。俺はこそこそと騎士の陰に隠れる裏切り者に向かって、怒りも露わに叫んでいた。

「コレラット、てめえ俺達を売りやがったな!仁義がどうこう言ってたのは、ありゃ嘘か!」

「だって~、貴方達二人で金貨百枚も懸賞金がかかってんのよ。多少の仁義は曲げても仕方なくない?」

 なくねーよ。こっちは命がかかってんだ、ふざけんな。

「それにさ、あんたったらあたしを置いて出て行くつもりだったんでしょ。ふんっ、だったら未練なんてないわよ~だ」

 こう言う時の女の嫉妬は全く可愛いくねえ。くそぅ、まさか女に裏切られて死のうとは、人生何があるかわかったもんじゃねえな。

 そうこうしている内に、包囲の輪の中に二人の騎士が進み出てきた。その内、兜を脱いでいる騎士は見覚えのある顔だった。どうやら無事に助け出されたらしいノロ副長は、むっつりした表情を浮かべている。もう一人の小柄な騎士も、勝利はゆるぎないものと感じたのか。兜に手をかけると、美しい金髪がはらりと広がる。噂で聞くよりはるかに美しい神殿騎士アニサ・キースは、冷徹な緑の瞳で俺を厳しく見据えていた。

「異端者どもよ!」

 凛とした美しい声が、朝の光を切り裂くように響き渡る。吟遊詩人達は彼女の事を、神の僕には慈愛に満ちた聖女であり、神の敵には冷酷な断罪の執行者であると唄っているが、どうやら俺は神の僕とは思われてないようだ。

「聖地リステリアを穢しし、汝等が狼藉許し難し。神の御名において、この場にて成敗致す。覚悟を決めよ!」

 死刑執行を宣告する彼女の声には、愛も慈しみも全くと言っていいほどこもっちゃいねえ。騎士達が一歩前進し包囲の輪を狭めると、まさに覚悟を決めねばならなくなった。ところが、救いの手は意外なところから訪れた。ノロ副長が片手を上げて制すると、騎士達はぴたりと歩みを止めた。

「戦士ウェルシュよ、聞け、最後の慈悲だ。理由はどうあれ、お主には命を救われた借りがある。剣を捨て、神の門をくぐれ。エルシニア神の僕として生涯を捧げると誓うなら、命だけは助けよう」

 おお、人助けってのはしておくもんだな。どうやらおっさんは、俺の為に救済の道を用意していてくれたようだ。要するにこの場で投降して、司祭になる道を選べば命を助けてやると言ってるわけだ。一度異端の疑いをかけられた俺にそこまで寛大な処置を求めるとは、相当な苦労があったろう。なるほど、たしかに悪い話じゃない。悪い話じゃないんだが‥

「悪いなおっさん、あんたの慈悲には感謝するよ。昨日までの俺だったら、それもありだったかもしれん。だが、ちょっと譲れない事情ができたんでな。この女は殺させねえぜ!」

 所詮、剣士の道は血塗られた道。この生き方を選んだ時から、死に方は決まっていたはずだ。はらは決まった。俺は妙に落ち着いた気分で剣を引き抜いた。鞘は地面に捨てる。おそらく二度と戻すことはないだろう。

「‥そうか、ならばもう何も言うまい。せめて儂の手で葬ってやる。潔く戦士として散るが良い!」

 散りたかないが、どうやら本当にそういうことになりそうだ。せめて一矢たりでも報いたいところだが、いくらなんでも分が悪すぎらぁ。背中でセレウスを庇いながら、最初に飛び込んできた奴だけでも斬り倒そうと、剣を固く握りしめる。

「くそっ、死んでも守ってやると言いたいところだが、今度ばかりはさすがに無理そうだ」

 思えばこいつのせいでトラブルに巻き込まれたようなもんだが、最後にいい思いをさせてもらったんだ。恨み事は言うまい。今生の別れのつもりで背中越しに声をかけたのだが、返ってきた返事はひでえものだった。

「あら、死んでも守ってもらうことはできるわよ」

「‥って、おいっ!」

 お前が言うと洒落にならねえんだよ、と言いかけるも、ふと違和感に気付く。この絶望的な状況において、セレウスは焦りも取り乱しないどころか、むしろ余裕すら覚えているようだった。その証拠に振り返ってみると、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。

「もうっ、冗談よ。心配しないで、これは私の計画のうちなんだから。ほら、見て。あそこに希望の光が見えるでしょ」

 彼女が差した西の空には、掠れる様な月がかかっていた。新月を明けたばかりのそれは、俺の運命をあざ笑う口の形のように見える。

「私が契約を交わした悪魔は、死と生を司る、狂える月の女神エロモナス。新月の夜以外には絶大な魔力を与えてくれるのよ」

 そう言って彼女は胸の前で印を切り、唄うように呪文を唱え始めた。

エロモナス(エロモナス)を讃えよ(・ソブリア)、偉大なる月の女王(エロモナス)エロモナスを(・ハイドルフィア)讃えよ、我()()()()()力を与えよ(アセルブリナ)‥』

 この期に及んで魔法がどれほどの役に立つかはわからないが、何もしないよりはましだ。死中に活を見出すつもりで、俺は僅かばかりの時間を稼ぐことにした。気勢の声を上げ、捨て身の突きを繰り出す構えをとると、神殿騎士達も迂闊には突っ込んでこない。その間にセレウスの詠唱は続く。

『荒れ狂う(マク)天空ロギに満(ルダ)ちし(クテ)雷の王(ィルス)よ、時は来たれり(ポリプティ)、蒼穹の彼方より御姿を現しブルーストリパノソーマ給え‥』

「いかん、魔女に呪文を唱えさせるな!」

 彼女の動きに気付いたノロ副長が、いち早く檄を飛ばす。おっさんは目の前でセレウスの魔法を見たことがあるから、誰よりも脅威を知っているのだ。かつて騎士ビブリオを一撃のもとに葬った時のように、空気が生温かくなり、妙な臭いが漂い始める。これはあの強力な雷の魔法の前兆だ。

『空()りては(クロ)をな(ボラ)し、地()りては(タネン)とな()す。天を焦がし地を穿つ(ユーグレゾノア)、汝が槍は至高の(ヒストモナス)玉印、今こそ偉大なる御力(フォーラー)我が前(ネグレリア)に示せ!』

ついにノロ副長が突撃してくると、我も続けとばかりに、周りの神殿騎士達も一斉に襲いかかってくる。これではどんな魔法を放ったところで、死は免れねえ。やはりここが俺の死に場所か!その時、セレウスの魔法の完成とともに、辺りをつんざくような轟音が響き渡った。

紫電狂乱(アフラトキシン)!』

 カッと紫の強烈な閃光が閃いたかと思うと、あまりの眩しさに目が見えなくなってしまう。瞼の裏に光が焼き付いたようで世界が紫一色に塗りつぶされてしまう。だが、見えなくなる前のほんの一瞬、止まったような時間の中で俺は見た。荒れ狂う紫色の雷光が、迫り来る騎士達を打ち倒すのを。

 それからしばらくの間、俺は文字通り何もできなかった。先の閃光で目が見えず、轟音で耳までおかしくなっていたからだ。戦場で見聞きできないなど死んだも同然だが、案山子のように立ち尽くしていても、誰に切りつけられることもなく生きていた。その内耳が回復してくると、剣戟の音や悲鳴のような叫び声が聞こえてきて、まだ戦いが終わってないことが分かる。そしてようやく目が見えるようになると、眼前では悪夢のような戦いが繰り広げられていた。

 戦況は一変していた。絶対的優位な立場で、たった二人の異端者を取り囲んでいた神殿騎士達は、今や全く別のものを相手にしていた。黒ずんだ鎧をまとい、隙間から白煙を上げる不気味な騎士達が神殿騎士を、いや生者を襲っていた。生き残った騎士達は円陣を組み、襲いくる敵から身を守っているが、そう長くは持ちこたえれそうにない。

 規模こそ違えど、これはまさに昨日の戦いの再現だった。円陣の一角で、腹を刺されて倒れていた騎士が断末魔の痙攣を見せると、そいつはむくりと起き上がるや、腹から血を流したまま襲撃者の群れに加わる。共に戦っていた仲間が、亡者となって向かってくるなど、襲われる方にしては堪ったものじゃないだろう。

 清らかな女性の声が響き、神聖魔法のものと思われる白い光が弾けると、襲撃者の幾人かが糸の切れた人形のように崩れ落ちるが、もはや戦況は多勢に無勢。すぐさま別の亡者が襲いかかり、一人、また一人と神殿騎士が倒れて行く。そんな中、セレウスはまるで楽団を指揮する指揮者のように、亡者の群れを操っていた。

 結局、一合も剣を交えることなく勝敗は決した。血の匂いと焦げ臭さが漂う地獄にはもの言わぬ亡者共が佇み、生者は俺とセレウス、そして死者に取り押さえられた、聖女アニサだけとなった。

 血と煤で汚れた凛々しい面立ちには、愕然とした表情が張り付いていた。無理もない、忠実なる神の僕として戦う彼女にとって、悪に負けるなどありうべからざる事態なのだ。あのセキリキンの悪魔ですら退けた聖女の力が異端の魔術師に及ばず、あまつさえ亡者にされた部下に押さえつけられるなど、死にも勝る屈辱だろう。

 愕然とする思いは俺も同じだった。アニサ・キース率いる神殿騎士の小隊と言えば、列強の騎士団でも一目置く戦闘集団のはずだ。それが、こんな無名の霊術師を相手に手も足も出ず敗れるなど、この目で見ても信じられん。一体こいつは何者なんだ?

 当のセレウスは相変わらず茫洋たる笑みを浮かべ、ゆったりとした足取りで聖女アニサに近づく。彼女を押さえつけていた亡者騎士が、髪をつかんで乱暴に顔を引き起こすと、俺は憮然とした表情を浮かべてしまう。顔の半分が焼け爛れ、顎から下がなくなっているが、その亡者の顔は見紛う方なくあのおっさん、ノロ副長のものだった。

「うふふ、高位の霊術師を相手にするのに、多勢を持って攻めるなんて逆効果になるのよ。そんなことも知らないなんて、神殿騎士も大したことないわね」

「‥おいセレウス、一体彼女をどうするつもりだ?」

 何やら嫌な胸騒ぎを覚え、聞かずにはいられなかった。こいつは命が尊いとか平和が大事とか平気な顔してほざくが、自分の敵の命に関しては、鳥の羽毛ほどの重さも感じちゃいない奴だ。わざわざ彼女だけ生かしておいたのには、何か理由があるのだろう。ところが、セレウスと聞いて反応したのは聖女アニサの方だった。

「‥セレウス‥‥セレウス?‥貴様、もしやあのセレウス・B・フィルミクテスなのか!」

「まぁ、驚いたわ。神殿にはまだ私の記録が残っているの?」

「その紫の瞳、雷と死者を操る魔術‥いや、そんなまさか‥‥信じられん‥」

「何だ、お前ら知り合いなのか?」

 事の成り行きが理解できず、思わず二人の顔を見合わせる。おかしい、昨日の話が本当ならこの二人は初対面のはずだ。それなのに、アニサは俺も知らないセレウスの姓名まで言いあてたのだ。相変わらず表情を変えないセレウスとは対照的に、アニサは緑の瞳を驚きに見開いている。やがて彼女は震える声で、とんでもないことを口にした。

「‥貴方本当に知らないの?この女は‥五百年前、太古の秘術で自らの魂を悪霊化させ、人間に乗り移りながら生き続ける伝説の魔女なのよ」

「何ぃ、ごっ、五百年!」

 正体を看破されてなお、表情を変えることないセレウスだが、落ち着いた声がその事実を肯定した。

「‥そうよ、私の研究には膨大な時間が必要なの。だからどんな手段を用いてでも、生き続ける必要があったのよ」

「何が研究だ!不浄な亡者の王国を作りあげるのが貴様達の目的であろう!」

 ‥‥不思議だ、昨日の同じ頃、似た様な事を聞いた覚えがあるぞ。だが、今はそんなことはどうでもいい。セレウスが魔女で五百歳?本人が否定してないとはいえ、にわかには信じられん。俺は全く別の怪物を見るような目で、彼女を見てしまう。

「悪いけど、貴方と問答する気はないの。それより私の命を狙ったんだから、今度は私の役に立ってもらうわよ」

 そう言ってセレウスはアニサの額に手を当て、聞いたこともない言葉で呪文を唱え始める。それは先程雷を放った魔術言語と異なり、どちらかと言うと楽器の出す音のような、言葉と言うより音楽のような響きのものだった。程なく変化は訪れた。二人の身体が淡い燐光を放ち始めたのだ。

「あっ、ああーっ!うああっー!」

 魂が迸るような悲鳴がアニサ・キースの口をついて割る。見れば彼女の身体は小刻みに震え、苦悶の表情を浮かべている。何か恐ろしいものでも見ているように、理性をかなぐり捨てた悲鳴を上げ続け、ついに白目をむいてしまう。その彼女を苦しめているセレウスは、額に汗を浮かべながら極度に集中した面持ちで、一心に呪文を唱え続けている。

 大気がびりびりと震え、大地も唸るように震え始める。気のせいか、光まで薄れてきたようだ。魔術の素養など全くない俺でも、何か強大な力が働こうとしているのが分かる。なんだか知らんがひどく悪い予感がする。セレウスが何をしているにせよ、これは止めたほうがいいんじゃないのか?

 だが、止める間もあらばこそ。一際高い声でセレウスが何かを叫ぶと、それが魔術儀式を完成させたようだ。二人の身体が白光に包まれたかと思うと、嘘のように辺りの異変は治まった。何が起きたかわからないまま、二人を包んでいた光も薄れ、やがて完全に消え去った。しかし光が消えるなり倒れたのは、セレウスの方だった。

「セレウス、おい、大丈夫か?」

 まずいぞ、もしかして魔法に失敗したのか?倒れ込んだ彼女はピクリとも動く気配を見せず、逆にアニサは意識を取り戻したようで短く呻いている。慌てて駆けよって身体を抱き起こすが、全く生命の気配がない。まさか、死んだのか?

「‥大丈夫よ、その身体はもう抜け殻だから」

 頭を抱えながら奇妙なことを口走ったのは、アニサだった。慌てて飛びのいた俺の前で、彼女は亡者騎士の手を振りほどき、ゆっくりと立ち上がる。見れば亡者騎士達も元の死体に戻ったようで、今まで動いていたのが嘘のように、次々と地面に倒れこんでいく。

 それは紛れもなく神殿騎士のアニサ・キースであったが、どこか様子がおかしかった。今しがた、自分で伝説の魔女と呼んだ女が倒れていると言うのに、のんびりとした様子で身体を伸ばしている。一体どうなってるんだ?

「ふふ、わからない?それはもう私じゃないの」

 訳がわからぬままアニサの様子を窺っていると、おかしなことに気がついた。悪戯っぽい笑みを浮かべたアニサの後ろに、驚いた顔のアニサがぼやけて見える‥、いや、違う!あの白い影とも見えるのは、まさか霊なのか?

 それは先日見た白いキノコのようなものと違って、アニサ・キースの霊は鮮明だった。全体が白い靄に包まれて見えるのは変わりないが、顔は生前の面影を宿し、そこにははっきりと驚きの表情が表れていた。アニサの霊は自分の身体が大きく伸びをするのを眺め、次いで虚ろな自身の姿に目を向けた。

「こレハなんナノ‥ドうしてワタしが‥」

 頭の中に響くような霊の声は、動揺が露わだった。しかしそれに答えたのは、他でもない。当のアニサ自身である。

「私はね、現世に留まるためには誰かの身体に入りこまなければならないの。だから原初の古代魔術で貴方の霊魂を肉体から剥奪し、乗っ取っちゃったのよ」

 ‥と言うことは何か?今俺の前にいるアニサ・キースはアニサ・キースでなく、セレウスの霊がアニサの身体に入り込んでると言うのか?それが信じられないのは俺だけではないようで、アニサの霊も茫然とした表情を浮かべている。

「さぁ、貴方はもうこの世界に留まるべき存在ではないわ。大好きな神様の元に向かいなさい」

「そンな‥ワタしハ‥わ‥タシ‥は‥」

 彼女の霊は、騎士バクターの時と違っていきなり消えたりはしなかった。それどころか、その場ですすり泣きを始めたのだ。それは魂に訴えかけるような悲しげな声で、心が潰れそうになる悲哀に満ちていた。

「あらあら可愛そうに。でもそこに留まると悪霊になってしまうわ。悪いことは言わないから、もうお逝きなさい」

「いやヨ、ワタしハ‥ヨわイひ‥とヲた‥スケる‥ノ‥、か‥ミのオ‥シえをマも‥らなイト、まタ‥」

 アニサが、いや、アニサの身体を乗っ取ったセレウスが、アニサの霊に優しく触れると、その白い身体は次第に薄れ始めた。彼女は最後まで現世に残りたいことを訴え続けたが、ついに霊体が透けてしまい、悲しい声が虚空に消え去ると、彼女の存在はこの世からなくなってしまった。こうして故郷の村を悪魔から救い、幾多の異端者と戦い続けたアニサ・キースの人生は幕を閉じた。それはあまりにも哀れな最後だった。

「さぁ、後始末をしてさっさと逃げちゃいましょうか」

 エルシニア教の英雄に非業の死を与えてなお、アニサの顔をした女はあっけらかんとした表情を浮かべている。たしかに俺の知ってるセレウスなら、こんな非道なことを平気でやってのけるだろう。だが、それでもセレウスが五百年も生き続けている悪霊で、アニサの身体を乗っ取ったとは信じられん。よもやこれは神殿騎士団の打った芝居で、本当はたばかられてるんじゃなかろうか。

「‥お前、本当にセレウスなのか?」

「あら、信じられない?じゃあ私達が一緒に燃え上がった時、どんなことしたか話しましょうか。えっと、最初にソファで押し倒されて‥」

 俺の懸念などあざ笑うかのように、聖女の唇が次々に卑猥な言葉を紡ぎ出す。それは二人しか知りえない昨日の情事の詳細で、上目使いに俺の目を覗き込んでくる仕草は、まさにセレウスのそれだった。

「あっ、お前、その目‥」

「ああ、これ?身体を代えても何故だか目の色だけはこうなっちゃうのよね。やっぱり、あれかしら、ほら、目は心の窓って言うじゃない」

 美しい緑色だったアニサの瞳は、今や紫に変わっていた。その瞳の奥に聖女のものとは思えない、無邪気で残酷な魂の輝きを見て取り、ついに俺は確信した。間違いない、こいつはセレウスだ。アニサ・キースの顔と声をしていても、やはりこいつはセレウスなんだ。

「ねぇ、それより、ちょっとこの鎧脱がすの手伝ってくれない?」

 臥所ふしどを共にしてからと言うもの、馴れ馴れしい口調で話してくるようになった彼女だが、今の今まで敵だったアニサの声で言われると、奇妙としか言いようのない違和感を覚える。大体これがセレウスだと言うなら、昨夜愛を交わし合ったあの黒髪のセレウスは一体何者なんだ?

「もー、ウェルったら、これどうやって外すのぉ?」

 胸甲板ブレストプレートをガチャガチャいわせだし、心ここにあらずだった俺はようやく我に返る。それにしても鎧を着ている本人が、脱ぎ方を知らないとはどういうことだ。

「待て待て、それは肩甲ボールドロンから外すんだ。ちょっとじっとしてろ、今外してやるから」

 駄々をこねる聖女の身体から金属鎧の部品を外していくと、スラリと引き締まった身体が現れる。鎧から解放されるや、セレウスは新しい身体を確かめるかのようにあちこち触ったり、とび跳ねたりして見せる。

「ちょっと待っててね、たしかこの辺だったと思うんだけど‥」

 ひとしきり身体を動かし終えると、セレウスは死体の転がる馬車のほうへと向かう。どうやら何かを探しているようだが、程なく彼女は目的のものを見つけ出す。ずるずると引きずってくるのは、変わり果てた姿となったコレラットの亡骸であった。

 彼女もまた、あの紫の雷にやられたのだろうか。仰向けに倒れた身体には傷一つないが、夜の華と称えられた美貌は、親が見てもわからないほど無残に焼けただれていた。

 しげしげとその死体を見下ろすと、やりきれない思いが込み上げてくる。たしかにこいつには最悪な裏切られ方をしたが、やはり情を交わした相手となると、若干の憐憫れんびんを覚えずにはいられない。せめて安らかに眠ってくれと哀悼の意を捧げていると、セレウスはおもむろにコレラットの服をはだけ始めた。死体から金品を漁っているふうでもなく、藍色の短衣チュニックを脱がせるや、見る見るうちに下着まで剥ぎ取っていく。

「おい、一体何する気だ‥って、おわっ、お前まで何脱いでんだよ?」

 コレラットを裸にひんむいたと思ったら、今度はセレウスまで服を脱ぎ始めたので、さすがに慌てて声を上げる。いくら中身がセレウスとは言え、聖女と称えられたアニサ・キースが柔肌をさらし始めたのを驚かずにはいられない。しかし彼女は動じた風もなく、白い身体を惜しげもなくさらしていく。

「彼女には聖女様の身代わりになってもらうのよ。あっ、この子に鎧着せるのお願いね」

 コレラットの短衣に袖を通しながら、セレウスは悪魔の計画を話しだす。淡々と語る彼女の話に、俺は驚くより呆れる思いだった。どうやらこいつは最初っから、コレラットを身代わりにする腹積もりでいたらしい。

 この惨劇の場は、いずれ神殿関係者によって発見されるであろう。そこに聖女の鎧を身にまとい、顔がズタズタになった金髪女性の亡骸が見つかれば、当然アニサと思われるはずだ。事情を語れる者もなく、おまけにお尋ね者の霊術師の死体も転がっていれば、神殿側も体面を守るため、聖女を名誉の戦死として弔う他ないと言うわけだ。だが、待てよ‥

「おい、じゃあお前はコレラットが裏切ることも、神殿騎士団に囲まれることも知っていたのか?」

「騎士団の出方はともかく、この子が嘘をついてることは、ちゃんと分っていたわよ」

「何でそんなにはっきり言えるんだ」

「私はね、生きてる人間の霊も見ることができるの。人間はね、嘘をつくと、霊とは違った表情をするのよ」

 すっかり街娘の衣装に着替えたセレウスは、意味ありげな表情を浮かべて、俺の顔を覗き込んでくる。

「だから貴方が私を厄介払いしたがっていたことも、今はそんな気ないこともちゃ~んと分ってるのよ」

 ぎくっと動揺を覚えるも、セレウスはさっと身をひるがえすや、アニサが使っていた剣を片手に、かつてセレウスと呼んでいた黒髪の娘の元へ歩み寄る。彼女は今、自分だった者の死体を眺めているわけだが、一体胸中にはどういう思いがあるのだろう。

「じゃあね、エボラ。貴方でいた五年間は、楽しかったわ」

 そう言うなり、かつて自分だった身体に深々と剣を突き刺す。そのあまりにもあっけない行為を見て、俺は唐突に理解した。つまりセレウスにとって、肉体は単なる魂の器に過ぎないのだ。まるで服を着替えるように、新しい器に乗り換えては、古い器を捨てて行く。こいつはそれを五百年も繰り返してきたのだろうか。

 俺は今まで運命なんてものを信じちゃいなかったが、どうやらとんでもないものに関わってしまったらしい。エボラと呼んだ娘から剣を引き抜き、二人が相討ちになったように偽装を始める姿を見て、行く末に不安を覚える。こいつと関わってからと言うもの、生と死の認識がおかしくなりそうだ。一つだけ間違いなく言えるのは、今後も彼女に関わり続けたら、ろくな死に方ができねえってことだ。ある意味、これが最後のチャンスだろう。今からでも逃げ出すべきか?

 だが、血塗れの剣を引っ提げて帰ってきたセレウスは、俺の首に手を回して、耳元に口を寄せてくる。

「ねぇ、この身体、まだ処女みたいよ。今夜が楽しみね」

 ゴクリと喉を鳴らし、俺は逃げ出す気力が萎えて行くのを覚える。ああ、そう言えばどこかの神話であったな。一度黄泉の国の果実を口にした者は、二度と離れることができないのだと。誘惑の笑みを浮かべるセレウスを見ながら心に思うことは一つ。はたして、俺は安らかに死ねるのだろうか。

今回は少しライトな感じのファンタジーを書いてみました。本編はここで終わりますが、このあとおまけが続きます。

nameless権兵衛 権藤直紀

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