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~ 1 ~

 俺は運命なんてものを信じちゃいねえ。たとえそれが偉い神様の決めたことだとしても、未来があらかじめ決められてるなんて真っ平だ。どんな未来が待ち受けてるにせよ、自分の力で切り開くのが人生ってもんだろう。

 だが世の中には抗いようのない大きな流れってもんがあって、そいつに巻き込まれると、どうあがいても逃れようがないらしい。それを運命と呼ぶんなら、俺はとんでもない奴に巻き込まれたことになるな。

 そう、あの日から俺の運命とやらは狂いだしたのだ。

 ‥それは新月を迎えた日の、何の変哲もない朝から始まった。 


「ふああぁ‥」

 何度目かの欠伸(あくび)に、俺は眠気を払おうと大きく伸びをする。まったく、報酬が良いから引き受けたが、夜警の仕事は眠くて仕方がねえ。交代の兵士に持ち場を譲ってようやくお役御免となるが、街を守る城壁の向こうでは東の空が白み始めていた。

 朝靄に包まれたリステリアの街は、聖都に相応しい穏やかな静けさに包まれている。もっとも、そんなものに情緒を覚えるほど俺の感性は繊細にできちゃいねえ。さっさとベッドに潜りこみたくて宿へ足を向けるが、小腹が空いたんで大通りまで足を伸ばしてみる。下町の道は一応石畳で舗装されているが、隙間から雑草が伸び放題で、道の脇に押しやられた動物の糞がすえた臭いを放っている。これが巡礼者の訪れる街の上流区画となると、清潔で常に掃き清められているんだが、こちらは雑多で不衛生で、実に俺向きだ。

 まだ夜の開けやらぬ早朝にもかかわらず、城門前の大通りでは近隣の農村から農作物を売りに来た農夫達が、早くも市を開く準備をしている。爽やかな柑橘類の香りに惹かれ農夫の一人に声をかけると、年老いた男は帯剣した俺に胡乱な目を向けるが、すぐに客と察したようだ。騾馬に積んだ麻袋からオレンジを取り出し、二つで銅貨一枚だと値段をつける。新鮮な朝飯を受け取りながら、ふと、すっかりここの生活にも慣れたことに気付く。

 俺の名はウェルシュ、流れの傭兵だ。ここ数年は東西交易の要所、商業都市チーフスを拠点に、戦の噂を聞きつけては稼ぎに行くという生活を続けていた。

 そんな俺がどうして神聖王国リステリアなんかにいるかと言うと、恥ずかしながら先立つものが原因だ。傭兵稼業とは因果な商売で、安定した収入など得られない。だから金が底をついた去年の秋、リステリアへ向かう隊商護衛しか仕事がなかった俺に、選択の余地などなかったのだ。

 チーフスから北西へ三週間。雪が降ったら越えることは不可能とされる難所、プレシオモナス山脈を越え、大陸全土であまねく信仰されるエルシニア教の総本山、神聖王国リステリアの王都リステリアにたどり着いたのは冬も間近な頃だった。どの道路銀もなかったが、チーフスへ戻ることも叶わず、やむを得ずこの街で仕事を探し始めたのはこう言った事情からである。

 こんな神のお膝元みたいな街で俺の様な傭兵に仕事なんかあるかと思っていたが、意外なほど仕事にあぶれる日はなかった。たしかに王城や神殿周辺ではお呼びでないが、どこの町でも下町は似たようなもんだ。借金の取り立てから酒場の用心棒まで、あらゆる街の荒事全般。他にも近隣農村に出没する害獣退治など仕事には事欠かず、今日なんかも、最近増えている夜盗対策として夜間警備に駆りだされる始末だ。悪霊が力を失うと言う新月の晩も、悪党にとっては仕事の好機。偉大なるエルシニア神の威光も下町までは及ばないと見える。

 宿への近道に狭い路地を抜けながら、早速買ったばかりのオレンジにかぶりつく。瑞々しい果汁が口の中に広がり、実に旨い。剥いた皮はその辺に投げ捨てておく。その内豚か何かの餌になるだろう。おっと、屁が出た、臭いぜ。

 それにしても、ここに腰を落ち着けてから、もう半年以上が経つだろうか。今の生活が気に入らないわけじゃないんだが、いかんせんここは戦とは疎遠な地。小さな仕事こそ事欠かないが、立身出世を夢見る俺にはやはりどこか物足りない。それにここは周囲を山に囲まれた完全な山岳国家で、新鮮な魚料理が恋しくなってきた。雪も解けたことだし、そろそろ東へ向かう隊商護衛とか巡礼者護衛の仕事でも探して古巣へ戻るとするか。

 そう考えると、最後に何かでかい仕事がしたくなるんだが、世の中そうそう都合良くは出来ちゃいねえ。国の大事にかかわる事件に巻き込まれて騎士に取り立てられるとか、ラーキン王家の姫君に見染められるなんてのは、お芝居の世界の出来事だ。とは言え、せっかくエルシニア教の聖地にいるんだ。神の御利益とやらを期待して、せめて色っぽい美人とお近づきになれる仕事とか‥

 慌ただしい足音が、虫のいい夢想を中断させる。何事かと思う間もなく、足音は曲がり角の先から近づいて来るや、黒い塊となってぶつかってきた。

「うぉっと」

 すっかり油断していたせいで、避ける間もあらばこそ。これが暗殺者の類だったら今頃命もないだろうが、俺の胸に飛び込んできたのは、何と若い女性だった。長い黒髪を乱して息を切らせ、さも慌てて逃げてきた様子が窺えるが、彼女は俺の顔を見るや切羽詰まった声をあげる。

「助けてください、悪漢に追われてるんです!」

 おぉ、可愛い!

 顔を上げた彼女はなかなかの美人だった。年の頃は俺よりちょっと若いくらいで、二十歳そこそこってところか。純朴そうなあどけない顔立ちに、黒髪には珍しい紫の瞳。しかしその表情には不安がありありと表れており、言われるまでもなく、助けを必要としているのは明らかだった。

 ちくしょう、神様ってのは粋な計らいをしてくれるぜ。さすがに色っぽい美人とまでは言わないが、あんなことを考えた矢先に、こんな可愛い子が飛びついてくるとは夢にも思わなかったぜ。やはりご利益ってのは本当にあるんだな、今度神殿に寄付でもしとくか。

 ああ、それにしてももったいない。彼女は不安げに身体を震わせてしがみついてくるが、鋼鉄の胸当て越しでは、その柔らかさを堪能できない。どうせ出会うなら、もっとムードのあるところで、鎧を着てない時が良かったんだがな。

「大丈夫だ、俺に任せろ。守ってやるぜ」

 ちょっといい気になっていた俺は、軽い気持ちで安請け合いをしてしまった。まぁ、悪漢と言ってもどうせ街のチンピラか何かだろう。これでも腕には覚えがある方だ。ただのチンピラ風情なら、例え武器を持っていようと四、五人位まとめて相手にしてやれるぜ。

 いい所を見せようと彼女を背で庇いつつ、剣が振り回せる広さの通りに出て追手が来るのを待ち受ける。ところが、現れたのはチンピラなんて生易しい相手ではなかった。

 荒々しく響く蹄の音が聞こえてきてから、なんとなく悪い予感はしてたんだが、その予感はすぐに的中した。通りに現れたのは、なんと戦馬に跨り完全武装した騎士が三人。それもただの騎士じゃない。光り輝く白銀の甲冑に身を固め、十字の聖印が入った盾を持つのはエルシニア教の守護者、神殿騎士団だ。

 さっと顔から血の気が引くも、迂闊に動くことはできなかった。騎士達が馬を諌めると、高らかないななきを上げて、俺達の前に立ち塞がる。馬も騎士も気が立っているのは見て明らかだった。

「くそっ、やはり仲間がいたのか!」

 栗毛の馬に乗った騎士の一人が、苛立たしげな口調で怒鳴る。って、おい待て、仲間ってのは俺のことか?

「構わぬ、悪の信徒は全て神の身許へ送ってくれる!」

 弁解の余地もなく、先頭の葦毛の馬に乗った騎士が、いきなり剣をかざして馬に拍車をかける。

 ‥やばい!

 恐怖を覚えながらも、俺は身を守るための行動を選ばねばならなかった。騎士は問答無用で、馬上から俺の首を凪ごうと突っ込んでくる。ただでさえ重装備な相手に馬の突進力が加わってるんだ。攻撃を受けようものなら剣ごと叩き折られるのは必至だ。かと言って避けようものなら、俺はともかく、後ろの女が真っ二つになっちまう。眼前に迫り来る騎士から目を放さず、剣を水平に構え‥

 ーギイィンッ‥!

 滑るように迫る剣を下から添わせるように跳ね上げ、攻撃の力を受け流す。

 あ、危ねぇ。今のはまじでやばかった!なんとかうまく逸らしたが、もう一度同じことやれと言われても、上手くやる自信はねえ。攻撃を捌かれた騎士は馬上で体勢を崩すも、落馬することなく駆け抜けるや、すぐさま馬の首を巡らせる。まずいな、通りの前後を挟まれたぞ。状況は悪化しているじゃねえか。

「刃向かうか、貴様!やはりその女の仲間だな」

「‥待て、待ってくれ、誤解だ!」

 ようようそれだけ口にするも、騎士達は包囲を縮めてくる。くそっ、なんだってんだ一体。俺が何をしたって言うんだよ。

「何なんだよ、いきなり。あんたら弱きを助け、正義を守るエルシニアの神殿騎士だろ。それが何だって、こんなか弱い娘を狙うんだ」

「何を白々しいことを。よもやその女が何者か知らぬとは言うまいな」

「知らねえよ、この子とはたった今知り合ったばっかりの初対面だ」

 そうだよ。悪漢に追われてるって言うから助けようとしたんじゃねえか。そりゃ下心がなかったとは言わんが、一応正義の行いだろ?

「馬鹿を申せ。そもそもこんな早朝から武装して、我等の前に立ち塞がるなど不自然も甚だしい。下手な言い訳など聞く耳持たぬぞ」

 ‥なるほど、そりゃあ怪しい。

 ‥って納得するわけにもいかねえ。とは言え、夜警の仕事の帰りだと説明しても、本当に聞く耳持ってもらえそうにない。それにしても一体何だ、騎士達はやたらと後ろを気にするような素振りを見せるが、何かあるのか。

「‥待て、その男の顔には見覚えがある」

 その時、それまで押し黙っていた黒馬の騎士が初めて口を開いた。他の二人の騎士より年配そうな声で、どうやら隊長格らしい。

「お主、熊狩りの時に武勲をあげた‥、そう、たしかウェルシュとか言ったな」

 そう言って騎士は兜の面甲を上げ、顔を見せる。見覚えのある顔だった。たしかこの冬、農村に出没する熊狩りに参加した時、たまたま村に逗留していた神殿騎士のおっさんだ。あの時、暴れる熊を弓で仕留めたのは俺だったから、その時のことを覚えていたのだろう。たしか名前はネロだったか、ノロだったか‥

 とにかくこの騎士なら話を聞いてもらえるかと甘い期待を抱いたが、俺が口を開くより先に、その希望は打ち砕かれることとなった。

「つまりそれほど前から、貴様等はこのリステリアに潜伏していたと言うわけだな」

 ‥どうやら神殿騎士と言うのは、どいつもこいつも思いこみの激しい石頭のようだ。今やすっかり敵と見做された俺は、三人の騎士に迫られ絶体絶命だった。ちくしょう、なんてこった。これが戦場での出来事なら、俺も戦士だ。文句は言わねえ。だが、こんな理由もわからぬまま命を脅かされるのはさすがに納得がいかん。なんとか打開策はないものかと必死で頭を巡らすも、都合良く天啓は訪れない。そして止めとばかりに、通りの向こうに新たな騎士が姿を現す。万事休すか!

 ところが、この新たに現れた騎士が俺達の救世主となった。馬が怯えたように嘶き足並みを乱したかと思うと、三人の騎士達は一斉に四人目の騎士に目を向ける。

「くそっ、もう追いついてきたのか!」

 栗毛の馬に乗った騎士の言葉には、どこか恐怖の響きが混じっている。何だ、彼は援軍じゃないのか?

 よく見れば、新たに現れた騎士は満身創痍だ。甲冑は傷つき、盾もなく、その上馬にも乗っていない。それなのに彼は怒涛の勢いで迫ってくると、身の毛のよだつような雄たけびを上げる。

「おおぉぉん!」

 恐ろしいことに新たな騎士は、栗毛の戦馬に駆けよるや体当たりをくらわした。堪らず馬上の騎士が投げ出され、戦馬も横倒しに倒れるが、俺は信じられないものを見る思いだった。いくら甲冑を着ているとは言え、生身の人間が馬を押し倒すなど考えられん。一体神殿騎士ってのは、どれだけ化け物なんだ。

 裏切りの騎士は、地面に転がった騎士に容赦なく襲いかかり、刃こぼれした幅広剣ブロードソードを振り下ろす。間一髪で転がって逃れられるも、騎士の剣は石畳を砕き、辺りに破片が飛び散る。とんでもない力だ。

「ごああぁっ!」

 もはや人間のものとは思えない唸りを上げ、騎士は再び剣を振り上げるが、葦毛の馬から降りた騎士が裏切りの騎士をくい止める。たちまち金属と金属のぶつかり合う音が響き、二人の騎士は壮絶な戦いを始めた。

「やめろ、カンピーロ。俺がわからないのか!」

「よせ、バクター、そいつはもうお前の知ってる奴じゃない!」

「‥しかし、ノロ副長!」

 呆気にとられる俺は、誰かに袖を引かれてようやく我に返った。見ればずっと背に庇っていた女が、声を潜めて路地の方を差している。

「この隙に逃げだしましょう」

 ‥そりゃ名案だ。俺は一も二もなく、その提案に従った。

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