第2話 尊敬
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今年の春、私は変わった……いや、どう考えても変わっている特別第零部隊へ入隊した。入隊して、早1週間。下官が上官を罵るのにも、殴るのも見慣れてしまっていたが、未だにアケミ少将とロッタ大佐以外の部隊員を見ていない。
基本的な事務仕事などは、図書館の一室――特別第零部隊の部屋兼アケミ少将の自室――で行っている。そもそも、帝城内にある図書館の一室を自室として確保していること自体が大きな問題に思えるが、誰も何も言ってこないのが怖いところだ。
この1週間、主な仕事は部隊運営の為に必要な事務処理――本来は、私が入隊する前にする処理――と、アケミ少将の言葉を借りればあらゆる軍用の魔法技術装置で遊んで過ごしていただけだ。仕事は、軍の規定通り朝の9時から始まり、12時から14時まではお昼休み。そして、夕方の5時ピッタリに終わる。その後は自由時間なのだが、新人である私はロッタ大佐の元で訓練をすることになっていた。
ロッタ大佐の得意分野は魔法剣士だ。私は近衛兵士希望だったので、総合近接戦闘と護衛術に重きを置いて士官学校時代を過ごしてきたので、丁度良かった。魔法技術装置に造詣が深いのは、近衛兵士として暗殺の類を未然に防ぐ為に学んだことと、純粋に興味があったから学んだのだ。その結果として、特別第零部隊に引きぬかれてしまった要因の1つになってしまったが……。それほど後悔はしなかった。
何故なら、大佐クラスの実力者に一対一で新人の私が、直接指導してもらえる機会など皆無と言っていいからだ。通常なら、数人、或いは数十人単位での指導になる。私自身、あらゆる方面で力不足を感じているので、今の環境を考えると特別第零部隊への入隊は正解だったかもしれないと思う。何しろ、給料が多い。新人の初任給が支払わられるのは月の上旬だと聞いていたが、声を出して驚くほど、私の銀行口座に給料が振り込まれていた。
……それに私を鍛えてくれているのが、難攻不落のリステア要塞を落とした主要人物の1人である……あのロッタ大佐なのだ。
自分を鍛える事が出来て、その上給料も多いとなると文句は無いが、充実した仕事は無かった。事務処理は士官学校卒業した者なら誰にでも出来そうな物だったし、軍用の魔法技術装置を民間に卸す為の試験的な民間運用の提案は……主にアケミ少将が魔法技術装置で遊んでるのを見て感想を言うだけだし。
もう1つ驚いた事は、アケミ少将の年齢が今年25歳になるということだった。正直、私と同い年か2、3歳くらいしか変わらないと思っていたのだが、9歳も離れていたとは思わなかった。それに、25歳で少将と言う事実も驚きだった。あの怠け者でサボり魔でぐうたらで、隙さえあれば本ばかり読んでいるアケミ少将が何故、少将なのだろうと何度も疑問に思ったし、今でも謎だ。その謎が解けることは、無いと思う。アケミ少将に関しての資料はほとんど無いし、少ない資料は閲覧禁止なのだ。どういった権限を使えば軍人の軍歴が閲覧禁止になるのか。想像するだけで末恐ろしい。恐らく帝国軍最高階級の元帥閣下と帝国そのものと言える帝王が絡んでいるはずなのだ。藪をつついて蛇を出すどころか、竜が出てきそうだったので、諦めた。
「この部屋も綺麗になりましたね」
「毎年春に新人メイドの研修場としてこの部屋が清掃されてしまうからね。春からの1年間、定期的にメイドが清掃にくるし、給仕も日替わりで行ってくれているから非常に楽で良い。私が部屋を汚すのはメイド達の仕事を無くさないためだとも思えてくるね」
物は言いようだが、メイドの研修場としてこの部屋が常に汚いと思われるのは嫌だなぁ。それにしても、この人は何時この部屋を出るのだろう? この1週間、ずっとこの部屋から出ていない気がするし、部屋を出たところを見ていない。
確かにこの部屋は生活に必要な物は全て揃っているが、外に出て日を浴びない生活など不健康そのものに思える。定時でこの部屋を出て行くので、定時後に外出している可能性もあるが……。
「アケミ少将はこの部屋から出ないのですか? この1週間、部屋から出ていないように思えるのですが」
慣れ、というやつだろう。疑問に思ったことを率直に聞けるようになった。むしろ、積極的に思ったことを口にしていくと良いと、ロッタ大佐から言われたのでそうしている。
「あれ? もう1週間も経った? うーん……週に2回は運動不足解消の為に部屋から出て散歩するという目標は早くも失敗か。参ったな……」
「今日は午後から新人が配属された全ての部隊で合同演習ですが?」
「丁度良い。私達もどうせ参加になってるから運動不足解消の為に外にでるかな。1ヶ月ぶりに……」
最後、聞いてはいけない事実を聞いたような気がしたが、健康に気をつけるのは個人の自由だ。それに、毎回のことだが、仕事の予定を知らないのはわざとなのだろうか。部隊としての仕事の予定と、軍全体の仕事の予定があり、少将にも伝達されているはずなのだが。未だに、この人の為人は掴み切れない。確実に分かっているのは、怠け者で、怠け癖があるところだろう。
◆
「合同演習と言っても、主に、新人が多く配属された部隊が参加することになっているし、部隊員全員が参加するわけじゃない。部隊が参加してれば良い。最低でも部隊長と副隊長がいれば体裁は整う。普通に任務中の隊員もいるわけだしね。部隊長がどうしても出られない場合、代理を出せば事足りるが、基本的に自分の部隊価値を高めるためにも部隊長は出るのが普通だってさ。まあ、部隊長が暇してるご時世だからそれが普通なんだろうね」
「あの、余り大きな声でいうと周りの人に聞こえます」
事実だからしょうが無い。気にするなよ、エイラ少尉。いいじゃないか、軍人が暇している。平和な証拠だね。それにしても、軍隊の編制は相変わらず、無茶苦茶だと思う。部隊の単位というか、1つの部隊に何人所属しているかかで、名称を分けるという方法を取っているが……結構大雑把だ。総軍は全ての帝国軍人を集めた総数なので、その時の総人数により数が変動するが、師団は1000人以上、旅団は500人以上、連隊は100人以上、それ以下は全て部隊といった感じだ。時代の経過により軍人の総数が減少していったので、現在はこうだ。
……そもそも、この世界の戦争はおかしい。隊列を組み、陣形を作って真正面からぶつかり合う。それしか戦い方を知らないのか、バカのひとつ覚えの戦法をずっと続けていたのだ。普通、試行錯誤を繰り返して、戦法など進化していくはずなのだが。いや、進化というか進歩はあった。しかし、戦法などを引き継ぐ間もなく戦場で死んでいったのだろう。後世の俺達から見れば、消耗品としての軍人使用としか思えない戦争をしていた。どうしてそんな戦争を? と思うが、地球の歴史でも同じような思いをすることがあったので、やっている当人達は真剣だったのだろう。いつだって困るのは、先人たちが残した問題を押し付けられる後世の人間だ。
「合同演習と言っても、部隊同士の連携、集団行動の後に実戦形式で部隊同士の格闘、個人戦と目白押しだが、私達は適当に流すぞ? 始めから全力だと、持たないからな」
ロッタは力の抜き方を覚えたらしい。出会った当初はエイラ少尉より酷かった気もする。命令されれば死地に喜んで赴くような感じだったのになぁ。
「そ、それでいいのですか?」
「合同演習で1番忙しいのは部隊長だ。副隊長の私は部隊長が戦闘不能、もしくは死亡した場合の代理演習を終えれば基本的に部隊員と変わらん。適当は言いすぎたな。適度に肩の力が抜けばいい」
「ウゲッ、他部隊の部隊長及び副隊長の戦闘不能、もしくは死亡した場合の部隊再編成訓練に、他部隊の指揮権を譲渡された場合の訓練? 各部隊の指揮官の為人を知るための措置ですだぁ? ……戦場じゃそんな暇ないだろうに。ああ、アレか。有能な敵を知るより、味方の無能な指揮官を探し出すってやつかな。ハハッ……」
新人による指揮官評価もあるらしい。逆も当然ある。国として、戦争が終わったとしても武力は必要だからな。
……それにしても、訓練していくのは良いんだが、それが次の敵を見つけるまでの準備期間だと思うとやる気がゴッソリと無くなるね。上の人間も馬鹿じゃないから、あと数年、いや数十年は戦争出来ないと理解している……。特に帝王は『予が生きている間、再び戦争を開始することはないだろう』と公言しているが。それが守られるかどうかは分からない。
「元気そうじゃないか、アケミ少将」
おお、ハゲ。じゃなかった。ジジイじゃんか。理解ある上の人間の1人でもあるな。このジジイが現役でいる限りは、戦争を起こそうとは思わないだろう。なにせ、生きる帝国の英雄様だ。不良中年おやじを通り越して、不良老人の域に達しているのだが、現役バリバリの帝国軍人のトップ。
「ビノス元帥に敬礼!」
誰かが敬礼の指示を出した。多分合同演習を取り仕切る奴だろう。訓練の性質上、新兵教育担当をする軍曹あたりかな。顔は知らんが。
「おいおい、合同演習に顔を出しただけだ。敬礼はいらんぞ。楽にせい。仕事がある者は引き続き続けよ。無駄はいかんぞ、無駄は」
相変わらずだ。無駄を嫌い効率を求めるおっさんだ。これが元帥じゃ軍規も乱れると言うものだ。
「そっちこそ相変わらず元気そうで。ビノス元帥。どうしたんだ? 合同演習なんて見て得るものなんて、ないだろうに……」
「ハッハッハ。そちらこそ相変わらずだな。何、貴公が合同演習に出ると聞いたのでな」
「暇潰しかよ」
「貴公のおかげで、随分と暇をしておるさ。隠居するには早いと言われるし、孫を甘やかしすぎると叱られるし、今では軍人同士の仲人役じゃて」
「何? 結婚斡旋でもしてんの?」
「それもある。仲裁もある。軍の潤滑油として日々働いておる」
禿頭だからよく滑るだろうね。軍の最高司令官でも、仕事が無いみたいで結構だね。敬語を使わなくて良い上官ってのも楽で良い。このハゲ元帥は、正しい敬語より、正しい報告をしろとよく言うしな。
「久しいな、ロッタ中佐、いや今は大佐だったな。それにそっちはアケミ少将のところの新人か」
「ハッ!」
どうにもロッタは元帥相手だと俺みたいな扱いはしないようだ。当たり前か。エイラ少尉は物凄く緊張した様子。元帥が少尉に話かけるなどあまり無いからなぁ。スキンヘッドのマフィア顔の見た目とは思えないフレンドリーさがあるのに、見た目で損をしている。
「楽にしてよろしい。どうだロッタ大佐? アケミ少将は相変わらずか?」
「その通りでありますっ!」
「新人の娘はなんて名前だ?」
「エイラ少尉でありますっ! 元帥閣下にお声を掛けていただき光栄であります!」
「うむ。よき帝国軍人になりたまえ。で、エイラ少尉。アケミ少将はどうだ?」
「立派な上官であります!」
ニヤけるなよ、気持ち悪い。元帥は在り来りなエイラ少尉の発言でニヤけてやがる。
「上官想いの良い部下じゃないか。怠け者が働き者になったわけじゃないだろうに。では、合同演習を楽しみにしておるぞ」
「見学してくのか?」
「当然。怠け者の働きぶりを見てこいとの事だ」
うげぇ……。適当に済ませるつもりだったのに。
「あの、ロッタ大佐……」
「聞きたいことはわかっている。元帥閣下と馬鹿は困ったことに知己なのだ」
驚愕する顔と、呆れた顔だ。元帥とは、昔とある事件で知り合いになってそっからの付き合いだ。冬にはよくチェスしながら飯を食う仲だ。大体俺が負けるがな。チェスの実力の程は俺が下の下、元帥は下の中くらいだろう。チェスは弱いが、戦争は巧いのだ。そのあたり、人間を動かすのと駒を動かすのでは大きな違いがあるということだろう。たぶん。
「チェス盤持って遊びに行けば門を簡単に開くただの元帥だ。それよりも、元帥が見てるからって訓練以上の動きをしようとしないこと。訓練以上の動きは絶対に出来ない。むしろ、周りの奴らが元帥閣下自らの見学ということで、奮起するから冷静に対処すればかなり有利になる。現状で力み過ぎな新人が多いからそれを見逃すことはないね」
「小官は驚く事に慣れたと思ってましたが、まだまだでした。元帥閣下からお言葉を頂けたのにも、アケミ少将のまともな助言にも、驚きを隠せません」
「元帥閣下自ら馬鹿に手を抜いて適当な事をするな、と釘を刺したからな」
やだやだ。どいつもこいつも、俺がまともに合同演習を行わないと思ってやがる。まあ、やる気など無かったが、流石に元帥が監視してるからなぁ。手を抜いたら後々グチグチと言われ続けられるだろう。遊び友達でもあるからそれは遠慮願いたいね。
◆
アケミ少将のところのロッタ大佐はやはり、傑物だな。見事に相手を手玉に取るわい。部隊同士の合同演習とはいえ、ここまで指揮官の差がでるとは。いやはや、アケミ少将は弟子でも取ったのか。それは無いな。勝手に学んだのだろう。
それに、エイラ少尉の動きは新人の中では1番良い。軍曹にロッタ大佐と仕事後に訓練をしていると聞いた。なるほど、自主性か。あの面倒くさがりめ。
……冒険者時代のアケミが懐かしいのぉ。あの頃は、働き者じゃったのに。
「それまで! ロッタ大佐率いる部隊の勝利」
審判役の判断は正確だ。ただ、大勝利と言わないのは相手を思ってのことだろう。次の演習は連隊での実戦形式。しかも自分の部隊じゃない、別の部隊を5つ率いて行われる集団戦で、この合同演習の目玉じゃな……実戦形式の集団戦闘演習は見栄えが良い。高い指揮能力と、真新しい部隊員を統率する統率力が必要な指揮官向けの演習だ。新人達は指揮官の評価をこの演習で判断するだろうし、指揮官達は新人達の評価をするだろう。
数百人規模がぶつかる陣形戦闘になるだろうが、はたしてどうなるかな。
「元帥閣下はこの後の演習をどう思いますか?」
「軍曹、それはわからんよ。これまでの演習で指揮官が新人達の動きをどれだけ把握していても、急造連隊を率いて敵と戦うようなもんじゃ。新人達は今のところ素直に指揮官の命令を聞くだろうから、この演習では指揮官の能力が勝敗を分けるじゃろう」
「今年は実力が突出した新人が少ないですからね。こういった年は元帥閣下のおっしゃる通り、指揮官の能力で勝敗は決まるでしょう。気になる指揮官はいますか? 私としては今年になって指揮官になった者達が気になっていますが」
「普通なら経験ある指揮官が勝つだろうが。今年は面白い奴が参加しているのでな」
そう、面白い奴がいる。数回に分けてこの演習が行われるが、本気を出せばまず間違いなく勝率が高いのはあやつじゃろう。全勝しろとは言わんが、友人としては納得できる勝率は出して欲しいものだ。
「失礼ですが、その面白い奴と言うのは誰でしょうか? 珍しい人物はいますが私は彼の実力を知らないので、ある意味では気になっていますよ」
「それを言っては詰まらなくなるが、ヒントとしては今年始めて指揮を取ることになった者だな」
さて、準備も終わったようだ。
「それでは、合同演習を開始する! 両部隊の健闘を祈る! 始め!」
1回目の演習ではアケミ少将の出番は最後か。となると、2回目は始めの方になるな。連戦で指揮を取るとなると怠けないか不安だな。
うーむ。流石にこの演習は見応えがある。なかなか上手く指揮を取る者が多いではないか。今年は新人で実力が突出した者が少ない代わりに、新人指揮官の方ではなかなかの実力者が多く育っているようだ。
「では、小休止の後1回目最後の演習に入る」
さて、アケミ少将の出番だ。配布されている資料に目を通した。……相手は中堅の指揮官か。なかなかの軍歴じゃないか。久しぶりに合同演習に顔を出したが、随分と新しい世代が育っているな。今後は定期的に顔を出すかのぉ。
「1回目の最後の演習が終わったら、勝利した指揮官は2回目の演習では一番始めに指揮を取ることになる。指揮官の連戦演習である。敢えて告げた理由は、わざと力を抜いて2回目に疲れを残さないよう考える愚劣者がいないと信じているからだ」
勝率は大切だが、演習で力を抜いては本末転倒。確かに大人数を指揮すると心身ともに大きく疲労する。だからといってこれが本当の戦いなら1回目に力を抜いて負けたら2回目などない。新人指揮官の顔を見る限り大半はそれを理解出来ていないようだ。1人、お気楽な指揮官が食事をしているが。腹が減っては戦はできぬ、だ。演習場には軽食が置かれているが、皆は演習の休憩中に食事を取るものだと勘違いしている。別に食事を取る時間の指定はない。休息時間はあるがの。だが、ロッタ大佐が皆が気付かないところでお気楽な指揮官に蹴りを入れていた。開始直前まで、呑気に食事とは……困ったものだ。それに、軽食が置かれている近場にとある魔法技術装置が置いてあるのじゃが。ロッタ大佐に蹴りを入れられる前の行動は儂くらいしか見ておらんじゃろうが……アケミめ。相変わらず悪巧みが好きじゃの。
「――それでは開始!」
アケミ少将の相手は伝統的な……先頭に重装歩兵を置いた密集陣形。アケミのあの陣形はなんだ? 斜めに陣形を作っている。そうさなぁ、名前を付けるなら見たまま斜線陣形と言ったところか。
大体、昔からの戦場では先頭に身体強化魔法が優秀な重装歩兵を置いた密集陣形が長らく使われ続けてきているし、今でも主流じゃ。だからこそ、伝統的な陣形と言われているし、正々堂々たる戦いができるから使われ続けているのだが……正面から正々堂々と戦うという考えはアケミならしないだろうな。
「元帥閣下、あの陣形は始めて見ますが……。正面には重装歩兵を集め、主力部隊は左側に集めているようですな。アケミ少将は密集陣形を変形させた陣形を取ったようですが……」
「うむ。私も始めて見るが、斜線陣形と名づけてみたがどうじゃ?」
「確かに見たままの、わかりやすい名前ですが。彼は武人として正々堂々戦わないのでしょうかねぇ」
「まあ、正々堂々戦う、戦わないは置いておいて、結果がどうなるか……心躍るわい」
なるほど、重装歩兵は左手に盾を持つ。つまり防御力が左側に向きやすく、右側に向きにくい。ならばその右側から攻めれば良い、か。それも兵力を集中させて一挙に襲いかかるのか! 型にはまった伝統的な陣形を躊躇無く捨てるか。いや、陣形研究はされているが机上の空論が多い上に、伝統的な密集陣形を使うのが常となっているから、新しい陣形は早々に受け入れられないのは悪習じゃな。
「驚いたわい。新人の隙を上手く付いておる」
「そのようですね。剣と盾を使いながら、更に魔法――主に身体強化魔法を使って戦うというのは、士官学校時代に習ったでしょうが、いざ実戦形式でやってみろと言われて実行できる者は少ない。それに、アケミ少将は集中させた兵力……兵士達には2つの魔法しか使うな、とでも命令しているのでしょうね。戦場では魔法を打ち消し合う技術が確立されているとはいえ魔法は使えますからね。しかし、幾ら訓練とはいえ、魔法を打ち消す……相殺魔法技術装置の稼働をいつの間に停止させていたのでしょうね。いやまあ、反則なんてものは戦場ではありませんし過去の戦争で同じような事をされて多大な魔法攻撃に晒された記録もありますが……」
「演習開始が戦術的な行動ならば、相殺魔法技術装置の稼働停止は戦略的な行動だろうて。それを活かすのも殺すのも指揮官であるアヤツなのじゃが。軍曹のいった、兵士達に使わせた魔法は、身体強化魔法と炎か。人間とはいえど本能的に火は恐れてしまう。それに目眩ましにも使える、か」
アケミ少将の相手、右側の新人達は混乱を起こし始めている。相手の指揮官が仕切りに声を張り上げているが、具体的な対処法を伝えていないから意味が無いのぉ。そもそも、演習訓練開始前に勝利は決まっていたようなもんじゃ。
「右側に兵全体の注意が引きつけられてますね。ほう! 軽装備兵を使うか! それも魔法で更に身軽にしておりますぞ! 上手く右側に注意を引きつけその左側から挟撃ですか。相手からしてみれば正面と後ろ……つまり挟撃される形になると!」
「上手く挟撃しおったわい。勝負あり、じゃな」
「それまで! 勝者、アケミ部隊!」
時計を見ると演習開始から10分を過ぎたばかり。兵は拙速を尊ぶと言われているが、そこまで出来が良いとは言えない新人達を使って、ここまで早く決着が付くとは……。悪巧みというか、戦略的勝利じゃな。それに、戦術的勝利も追加されるわい。なにせ、新しい陣形で勝利してみせたのじゃから。
◆
馬鹿が、馬鹿みたいな短時間で勝利していた。その実力の程を知っている私でも驚いたのだ。周りの人間はもっと驚いているだろう。
アケミが指揮していた新人達は喜び合っているが、当の本人は軽食が置いてある場所で呑気に紅茶を飲んでいた。
……確かに、相殺魔法技術装置の稼働停止をしてはならない決まりはないが。一度きりの方法だわね。だって、次の訓練の指揮官達が互いに監視役を出した。次からはいつも通りの訓練になるだろう。
「次の相手にエイラ少尉がいるけど、どうするわけ?」
「どうせ相手の指揮官は斜線陣形を真似してくるだろうから、密集陣形で迎え撃つかな」
「さっきの陣形、斜線陣形って名前なのね? 新しい陣形を使って劇的な勝利を得た指揮官殿が次は自分の使った陣形で負けるんじゃ?」
「良いかい? 相手が斜線陣形で来るとわかってるんだよ? 負けるわけ無いじゃん」
「どのように勝利するのか伺いたいですわ、アケミ少将殿」
わざとらしく聞いた。それにしも、だ。やはり、軍事に関しては天才的だな。新しい戦術を訓練とはいえ、ぶっつけ本番で使って勝つとはな。
「敵が右翼から攻めてくるってわかってるんだから、全体右向け右で終わりさ。多少陣形をアレンジするけどね。その辺りは見てのお楽しみ」
普段の勤務態度は最悪だが、どうにも、嫌がらせを考えている時の顔はしっかりとしている。元より女性的な顔立ちが凛々しくなったところで、凛々しい女性的な顔なのだが。仄かに男性を魅せるのだ。
普段からこう言う顔ができれば随分と女性軍人にモテそうなものなのだが。
……それは、困る……。
「怠け者……」
「働いてるじゃん。さっさと終わらせて読みかけの本を読みたいね」
何をしていても本質は変わらないものだ。結局のところ、こいつは早く仕事を終わらせたいが為に短期的に演習を終わらせようとしているらしい。
「あと4回も指揮を取らなければならない。後半になるにつれて、全員の疲労が溜まって動きが悪くなる。連戦で疲労が蓄積した兵士たちを勝利に導くには何が必要なのか分かる? 答えは宿題ね」
「気合と根性で戦って勝て。それが正解じゃない事くらいは理解している。ま、宿題は受け取ったので次も頑張ってください」
時たま出る宿題がここで出たか。ま、考える時間はあるはずだ。早くも馬鹿の演習が始まった。
……それにしても、2人きりの時にわざとらしく女性らしい口調を使っているのに、何も反応が無いのは寂しいものね。まあ、期待はしていないけど、多少なにか言ってくれてもいいのに。
「うわ、本当に相手が斜線陣形を取ったわね」
半ば、馬鹿の相手は密集陣形を取るものだと思っていたが、馬鹿の予測が正解だった。
――本当に右向け右で対応。うわぁ……劣るわね。斜線陣形を使う指揮官の能力差がはっきり分かるものだ。重装歩兵で相手主力を防いで、相手指揮官の元へ軽装備兵が強襲。指揮官が捕らわれて、あっという間に部隊が混乱に落ちて決着。さっきよりも早い決着だ。先程よりも2分短縮されて8分で決着した。
「お早いお帰りで」
「兵力の集中が過多だったね。数分頑張って防げば見ての通り、指揮官を襲えるくらいに防御陣が薄くなるわけさ。どうにも新人指揮官は新しいモノ好きって予測は正しかったな」
「しかし、新しい陣形の攻略法は考えた本人が皆に教えることになったわけだが?」
「軍人としては訓練に参加している軍人達の、それも全体の練度が上がった事を喜んだ方が良いと思うけどね。次に俺の出番が来るまでに皆が斜線陣形を経験するだろうから、手強くなるね」
「ああも見事に斜線陣形を使って勝って、さらにその斜線陣形の対応策でさらに見事に勝ったとなれば皆使うだろうな。密集陣形と斜線陣形の練度は高くなるが、勝てるのか?」
現在も演習をしている部隊も片方が密集陣形でもう片方が斜線陣形だ。まあ、馬鹿の指揮に比べると劣るが。
「皆がどう動けばいいのか理解し始めて集団行動に慣れる事は良い事じゃないか。それでこそ演習の意味があるというものだね。そして慣れた頃に予想外の動きをすれば、対処に困る。戦う前から勝機を作るのが正しい戦略だよ。相殺魔法技術装置の稼働停止させたのが良い例になったね」
戦慄に近い震えが全身を襲った。まさか、この馬鹿は新しい陣形を軍全体の兵力向上……そこまで考えて使ったのか? 改めて実感する。こいつは、正真正銘の戦争の天才だ。
……忘れた訳じゃないし、生涯忘れる事が出来ないだろう、あの難攻不落のリステア要塞を落としたのはこの馬鹿の作戦があったからだ。
「何時からですか?」
その戦略を何時から考えていたのだ? 昔を思い出したのか、つい敬語を使ってしまったな。
「軍の年間スケジュールが発表された辺りから薄っすらと考えてたかな」
となると、新春と同時に考えていたのか。約1週間前から用意周到に戦略を構想していたわけか。新しい陣形構想となるともっと前から頭にあったはずだ。
「斜線陣形については? まさか1週間程度で思いついたなど言いませんよね?」
「そう睨まれても困る。そしてその問の答えは出来ないね。まずは宿題の解答を提出してからだよ。なんでもかんでも質問すれば答えてくれる人間なんてそうそういないからね」
チッ。私は随分と甘やかされている。なかなかどうして、ちゃんとこの馬鹿は上官として働き始めているじゃないか。確かにこいつの言う事は正論だ。
「では、今後もアケミ少将が勝つ方に賭けます」
「アレ? 博打してんの?」
「普通に軍運営で賭博してますよ。まあどんなに賭博で勝ってもお小遣い程度でしか儲けられないようになってますが」
最大1・5倍なのよねぇ。まあ、今のところ勝ってる。それはつまり全てアケミ少将の勝利に賭けているわけだが。私以外にも義理でエイラが賭けていると教えてくれたし、何故か元帥閣下も誰かに賭けているようだ。顔からは勝っているか負けているか読み取れないが……たぶん勝っているのだろう。軍曹が悔しがってるからね。
◆
果たして何度目の驚愕だろう。最後の演習も見事にアケミ少将が勝った。最後の演習は両者とも密集陣形。それでも、アケミ少将が勝った。3、4回目は布石だった。軽装備兵を使って相手を翻弄して勝つというのがアケミ少将の常套手段だと思わされた結果、最後は見事に外された。軽装備兵を囮に、遠距離魔法攻撃――訓練場近場にあった大きめの石や岩を投げ飛ばしてきたのを魔法といって良いのか不明だが、身体強化魔法を使って投げ飛ばしていたので遠距離魔法攻撃なのだろう――による撹乱で相手を分裂させて各個撃破に持ち込んで鮮やかに勝利。戦場において、遠距離魔法など使い物にならないという常識を覆す結果だったわ。ある意味、身体強化魔法の新しい使い方とも言えるかもしれないけど。常に相手の考えの斜め上方向に上回るか、罠に嵌めて落とす戦法で全勝。正面切って正々堂々と戦ったのは最後くらいだろうが、それでも最終的には囮という罠に嵌った相手は負けた。
「のぉ、アケミ少将。真の狙いは軍全体の底上げか?」
「そんな大層なものじゃないさ」
「遠慮はいらぬよ? 新しい陣形で新しい風を巻き込んで、暴風にでもしてやろうという腹じゃろう? 皆こぞって新しい陣形の検討と議論をすると息巻いて作戦本部に乗り込んでいったわい」
いくら知己でも馴れ馴れしいと思うが、元帥閣下が良しとしているので口を閉ざすしかない。
「そりゃ勤勉で結構。陣形なんてもんは兵力……戦闘力を効率良くかつ最大限に使うためのもので、それを研究していくなら文句はないけど、必ず勝てる陣形ってのは存在しないという点は考慮してほしいね」
「指揮官の問題か? それとも陣形に対処する陣形の問題か?」
「戦場に出て、陣形作って戦ってる時点で私としては負け戦に等しいのさ」
「ほう。して、必勝の策はなんじゃ?」
「元帥が少将に聞くかね」
私も必勝の策とやらを聞きたい。というか、この人の頭の中はどうなっているのだろう。身体強化魔法を使って石、岩を投げるなど、原始的な戦い方は確かに結果だけ見れば有効な戦法だが、普通は実行しようと思わないだろうし剣という武器があるのだ。剣を捨てて、自然物を武器とするなど発想が柔軟だと思う。通常、剣が壊れたり失った場合素手で戦うか、相手から奪って戦うと考えそうなものなのだが。
「聞くとも。老い先短い老兵としては今後戦争が起きなければ良いと思っておるしな」
「東側諸国に攻め入るとか、馬鹿なこと考えなきゃあと数十年は戦争は起きないだろうよ。西側諸国は帝国が併呑したんだしさ。余り攻め気になられても困る」
アケミ少将の予測は正しいと思う。確かに西側諸国は帝国が支配しており、その支配も今のところ上手く行われている。それに、兵士の数が圧倒的に足りていないから出兵は無理だと思う。
「東側諸国が攻めてくるとは考えんのか?」
「可能性としてはかなり低い。長年、それこそ数百年単位でネビスト連邦とカムイ魔王同盟は小競り合い……中小規模の戦争はしても大きな戦争は起こしてない。それは歴史が証明している」
「急に気が変わる、わけがないか。まあ良い。質問の解答を求めるぞ? このジジイは知りたがりなのでな」
「……兵站ですよ。どのような戦略と戦術でも兵站無しでは実行出来ない。食うものなけりゃ戦えないし、戦いに必要な物がなけりゃ素手で殴りあうしか無い。殴りあうのにも肝心の飯がなきゃ餓死が待ち構えている。必勝の策というのは、敵に充分な兵站を用意させないことにあり、と思いますがね。あくまでも、個人的な意見ですがね……」
……いつもと違う。この人は誰だ? そう思うのは失礼だろうが、普段の体たらくっぷりが嘘のようだ。いや、演習中もそう感じたが、凛とした口調と顔で語る姿はまさしく私が理想とする少将像に見える。
「ほう、ほう……! 理解も納得もしたが、言葉は単純じゃが、実行するとなると困難じゃな」
「戦略レベルで必勝したいなら相手よりもより多くの……出来れば5倍以上の数の兵力を揃えて完全に兵站を揃える。そして戦術レベルでの必勝は語るべきことはない。戦略レベルで相手に負けていたら戦術レベルでどれだけ勝っても無意味だからね。そして、敵に充分な兵站を用意させないという策は戦場の外で戦争の勝敗を決めてしまおうって策なのさ。だからこそ難しい。軍人の仕事ではなくどちらかと言えば、政治屋の仕事だからね。そして何より、この策なら多くの軍人が死ぬことが無いと思う」
始めて、私はこの人を心の底から尊敬した、と思う。一介の軍人の許容を超えている考え方だわ。
……確かに、アケミ少将の考え、発言した必勝の策は的を射ていると思う。それに、戦場で勝つことが全てじゃないと知ったわ。必勝の策ね……。今まで考えもしなかったことだし、考えられなかったことでもあるわ。
「さて、読みかけの本が私を待っているので失礼する」
ずるっと――この場にいた、元帥閣下、黙って話を聞いていたロッタ大佐、そして私――全員の身体の力が抜けた。
実は小説一冊分の文量を書き終えている作品です。
自分では発見できていない推敲する部分や修正する点があると思って投稿した次第です。
誤字脱字等見つけたら報告していただけるとありがたいです。