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第一章  黄金の砂丘

「だぁかぁら、何で、こんなとこ俺が来なきゃなんないんだよ」

それはそれは耳に心地の良い、ヨーグルトを一口含んだかのような滑らかなテノールが、不機嫌そうに返ってきた。からりと晴れ、汗が滲む7月の午後のことだった。整備のされている、白い石造りの道の先は、陽炎がゆらゆらと揺れて、霞んでいる。自分の視界というものに限りがあるせいで、別世界が待ち受けているようにも見える。

「おい、聞いてんのかよ」

先程より険のある声が、背中の後ろから聞こえる。

「何だ」

溜息交じりの声で、レオンは背後を振りかえった。途端、しかめ面をした親友がつんのめってこけそうになる。上体が大きく傾いだ。

「何だ」

すばやく身をかわして、レオンはもう一度、同じ問いを口にする。無様に膝をついたスカイが、恨めしそうにこちらを睨んだ。

「……この野郎」

凄む瞳は猛獣よろしく、金の輝きに黒い怒りがメラメラと燃えている。眉根を(ひそ)めた顔は、完璧そのもので非の打ち所がない。この荒々しい一面でさえ、女たちは黄色い声援を上げて彼を愛でるのだろう。やれやれ、世界というものは実に不公平なものだ。

レオンは、腕を気難しく組んだまま、彼が立ち上がるのを待っていた。風に翻るマントに悪態をついたところで、口を開く。

「お前は何が気に食わないんだ」

レオンの懇切丁寧な問いに、

「全てがさ」

と、ぶっきらぼうに答えるスカイ。そのふくれっ面ときたら、まるで不良少年ようにふてぶてしく憎たらしい。レオンは、飛び出しそうになる拳をぐっとこらえ、剣の柄を力いっぱい握り締めた。

「悪いな、俺は理解能力が足りないようなんだ。だから、子羊にも分かるような説明を頼む」

小憎たらしい男は、その形の良い瞳を眇めると一気にまくし立てた。

「まず、新しくなったこの衣装がきにくわねぇ。お前はともかく俺は王子様じゃないってことを上司(うえ)に伝えたい。それから、何でこんな暑い日にサルドに呼び出されたのかが分からん。真夏のサルドだぞ?人を丸焼きにする気かっつーの。そして最後。親友とはいえ、このクソ暑い中、魚が死んだみたいな目をしているお前の隣を歩くのはうんざりだ」

「……なるほど」

レオンは、深く息を吸った。そのまま深呼吸を繰り返すと、一息つく。そして、目の前にいる野獣に、にっこりと微笑んだ。

「?なんだよ、こっちを見て」

「いや」と、答えた瞬間、左手の拳が相手の腹部にめり込む。

1秒間だけ間があり、

「ぐぅ」

という奇妙な音を発して、スカイは道端にうずくまった。それをよそ目にレオンは再び歩き始める。

「さて、サルドの都市はまだかな?」

大して意味もない彼のささやかな呟きを、左右に広がる砂地が吸い取っていった。灼熱の太陽が嘲笑うかのように首筋をなめる。レオンは舌打ちをした。やはり馬を持って来るべきだったか。

今は無きアーリア人の古語で『砂の海原』という意味の名を持つ国、サルド。その名のとおり、はてしない砂地と砂丘を、焼け付かんばかりの太陽が照らしている。この辺鄙な土地にあるものといえば、過去の栄光を物語る空虚な城跡や、爬虫類・甲殻類の魔物、人が住んでいる唯一の都市ゴレアンぐらいだ。所々に、太陽神ラーを祭っていたのであろう祭壇を見かけることもあった。レオン・ハークネスとスカイラー・ウェルテルがこの地に立ったのは、2日前。母国スヴァナヘイムの首都、フラーリアを出発してから5日目の朝だった。サルドとスヴァナヘイムの国境にある宿屋までは馬に乗って旅をしてきたのだが、この先の酷暑ではそれらも役に立たないことを知り、宿屋に預けてきたのだった。それから先は徒歩での道のりだが、思っていたほど楽ではなかった。何しろサルドは辺境の地。宿屋があるわけもなく、夜は瞬く星を数えながらの野宿で、朝と昼はひたすら白い道を辿るばかり。馬鹿でかいトカゲの魔物は襲ってくるわ、スカイは拗ねるわ、足は痛いわ、暑いわで、レオンは心身ともに疲れていた。だというのに、空気の読めない阿呆(あほう)がまだ文句を言っているようだったので、彼は彼式の『制裁』をその阿呆に下してやったというわけだ。鋼の筋肉を殴ったせいで左手は痛んだが、ここ一週間の中では恐ろしく痛快な気分だった。

「つーかさぁ、いつになったらゴレアンに着くんだよ。俺が知りたいのはそれだけだ」

レオンは緩みかけていた頬を引き締め、ゆっくりと首を横に傾けた。案の定、美しいスカイが、腕を手持ちぶさたに組んで立っていた。腹が痛むのか、金の瞳を引きつらせてこちらを見ている。

「……」

「暑いな」

じっとりとしたレオンの視線を、気にする素振りもみせずに手で空を仰ぐ。それを馬鹿にするかのごとく、回転草(タンブルウィード)が砂地を駆けていった。

「今日中には都市を見つけておきたいな」

レオンは剣の柄を握り締め、低い声で応答した。この面倒な用事が済めば、故郷に帰って握力を鍛えよう。そう心に誓いながら。

「今日中、ねえ……。でも、何でまた砂漠のど真ん中に都市を作ったんだ?おかげでこっちは苦労しっぱなしだぜ。地図が役に立たないんだから」

再び歩きながら、スカイはいった。七日前にもらったぼろぼろの地図を、ひらひらとはためかす。レオンは鼻で笑った。

「地図っていったって、どうせガヴィル爺さんにもらったヤツだろう?あってないような物だよ、そんなもの」

「……だな」

「この前の魔物退治を覚えてるか。東と西を逆に描かれていた地図。町の広場に出るはずが、農夫の畑を荒らしてしまっただろう」

「よく覚えてる。農夫のオッサンに説教喰らった上に、脱走した鶏探しを手伝わされる破目になった。」

「畑の土のにおいは?」

にやりとして付け加えたレオンを見て、スカイは顔をしかめて唸った。

「あれは臭かったな。でも、その後の長靴を脱いだ時のオッサンの足の方がもっと臭かった」

「だろう?そんな物見ない方がいい」

レオンは、半分からかうような口調でそういうと、前を向いた。スカイのように文句を垂れるつもりはないが、来る日も来る日も同じ風景なのは困る。水は底をつきそうで、食料はからからに乾いた塩辛いビーフと中身のない果物が少しだけ。このままでは二人揃って砂漠の乾物になってしまう。いや、スカイはともかく、レオンはそんな運命になってしまうだろう。スカイは生きるためなら、トカゲの生肉や甲殻類の血液だって一飲みしてしまうのではないのだろうか。レオンは、そう考えて一人笑いをしそうになり、慌てて顔に険を滲ませた。こんなことを考えていたとスカイに知れたら、それこそレオンは生きて帰ることができなくなってしまう。幸い、スカイは役立たずの地図に夢中になっていて、レオンの奇妙な顔芸当に気づいてはなかった。薄い唇をくしゃりと歪ませ、不満の声を漏らす。

「砂漠の真ん中ねぇ。この道以外に近道はないのかぁ?」

レオンは、自分の中の思考が読み取られていないことに安堵しながら、うんざりしたようなため息を吐いた。

「また文句か。仕方ないだろう、砂地には魔物がうようよいるんだから。中には砂地の下に巣を作ってから砂地獄を起こして、その上を通るものを糧とする性悪なやつもいるくらいだ。砂塵に飲み込まれたくもないし、これが一番安全なんだよ」

「俺とお前なら大丈夫だろ。……ああ、お前は鈍感だからカブトムシに食われちまうかもな。ま、どちらにしろ俺は生き残れるってわけだ」

「勝手に言ってろ。この自惚れが」

のほほんとした表情でしゃあしゃあとほざくスカイに、冷たい表情で毒舌を吐くレオン。

……この先、何度コイツと馬鹿らしい会話を続けるのだろうか。

彼は、本気で不安になっていた。

とはいえ、歩む足と感覚を研ぎ澄ませることを怠ってはいない。空腹と苛立ちで万全というわけでもないが。

レオンがスカイを睨むと、その美少年は何も言い返してこなかった。会話のタイミングを失ってしまったらしい。どうやら、レオンの不機嫌な一言で会話の幕下げのようだ。

照りつける太陽は、情熱を超える暑さでこちらを見守る。黄金の海原は穏やかに、しかし容赦なく行く手を阻む。唯一の白い道には標識もなく。同じ風景がただひたすらに流れていった。孤独な砂漠にポツンと浮かぶ二人は、上空から見れば完璧な絵にたかる小虫のように見えることだろう。藍のマントがはためき、黒い革靴が乾いた音を立てる。腰にかけた水筒代わりの水袋は、歩くたびに疲れたように揺れる。出発当初は水で一杯に満たされていて、風船のように膨らんでいたから、もっと楽しげに揺れたものだ。今ではもうわずかな水しか残っていない。

レオンとスカイは、崩れた祭壇や外壁をそれとなく見つめながら歩いた。最悪の場合に備えて、今日の野宿に最適な場所を探していたのだが、人の姿がないか、微かな希望を抱いていたのである。今日歩いてから6番目に訪れた岩陰に、焚き火の燃えカスが残っていたが、二日ほど前の代物に見えた。もちろん、人影はどこにもない。スカイは悪態をつきながらでも気長に構えていたが、レオンは内心では大いに焦っていた。傾き始めた太陽の位置からして、今は夕暮れ時の時間だと推測する。幸い、砂漠の日暮れは遅いが、急がないとまずいことになる。枯れ果てたタンブルウィードが幾重にも重なるこの通りに差し掛かってから、甘ったるい麝香の香りが漂ってくるからだ。経験上、その香りを放つのは、この辺りに住むトカゲの魔物だけだと言えた。しかも、その臭いの強さからして、ここはトカゲ達の最大の住処だと予想ができる。早くしないと、二人は、この乾いた砂地では最高のご馳走となるだろう。いくらこちらが剣を持っているとはいえ、夜になれば相手に負けてしまうからだ。暗い夜はヤツらの時間だ。悔しいことに人は昼の生き物だから、トカゲの方が夜目はきく。レオンは、足元に這い寄ってきた昆虫を蹴った。どこぞのサソリを真似たような、性悪なそいつに近寄られるのはものすごく不快だった。そして、踵についた体液を振り払う。サソリだろうと、カブトムシだろうと、砂漠で新鮮なミンチにされるのだけはご免だ。

「レオン」

控えめなテノールが、諭すかのように名を呼ぶ。わずかに棘を含んだ音だった。

「何だ?」

「みだりに生き物を殺すんじゃねぇよ。じゃないと……」

「分かってる」

スカイがこの麝香に気づかないわけがない。しかも、歩みを進めるほどに濃度が濃くなってきているのだ。生き物の血は魔物を興奮させる。いつヤツらが襲って来るか分からない。

「それにしても、同じ風景が続くな。このままだとマジで餌にされちまうぜ」

スカイが冗談混じりの警告を発す。レオンは値踏みするような目つきで彼を見た。

「お前も焦るのか?」

「は?」

「このままの状況に焦っているのか?」

「ああ。さすがにこれはな。つか、焦らねぇほうがおかしいだろ」

「そうか。じゃあ、引き返して野営の準備をするか?見たところ、広い一帯が魔物の巣窟みたいだぞ。危険を覚悟で進むならそれはそれでかまわないが」

「俺は進みたい」

険しい表情をしていったスカイを、今度は、珍しい獣を見るように見つめるレオン。

「どうした。休み大好きなお前が、そんなことを言うなんて」

「どうせ、野宿はあの岩陰でするつもりなんだろ」

「ああ」

「俺は嫌だね。あんなとこ」

「どうして」

レオンの問いに、馬鹿らしい質問をするなといいたげな顔のスカイ。

「決まってんだろうが。あんなとこで寝てみろ、それこそ魔物の餌食じゃねえか」

「あの岩陰かが?」

「お前、気付いてねぇの?あの岩陰はマークされてたんだよ。随分前のものに見えたけど、あれはトカゲの小便だな。人の嗅覚では判断できないほどの量で、岩の隅っこに」

「じゃあ、あそこで野宿していた跡を残した人間は……」

「今頃お陀仏だろうよ」

「薄汚い爬虫類もどきがやってくれるな……。ちょっと待て、お前、そのことを何で早く言わなかったんだ。これじゃあ野宿する場所も、人がいるという可能性も全部消えただろうが」

「いやぁ、今になって思い出して」

「この馬鹿が」

レオンは、おかしいほど堂々としているスカイに頭を抱えた。休む場所がないということは、睡眠なしで歩き続けなければいけないということだ。それも、夜のトカゲの温床を。ああ、神よ。なんとありがたき馬鹿を、私の元へと引き寄せてくれたのでしょう。

レオンは歯軋りをしそうになりながらも、何とか堪えた。くそっ、太陽神ラーなんぞ永久の闇に葬ってやる。

苛立ち紛れに剣を抜くと、真横に生えていた樹を斬りつけた。樹がどさりと倒れこむ。レオンは鼻息荒く剣を払うと鞘に収めた。そして、その樹を跨ごうと……、ん?待てよ、俺は樹を斬ったのか?こんな砂漠に樹があるはずがない……。

レオンは、跨ぎかけた足のブーツを見つめた。次に、剣を抜いて刃を調べる。

ブーツは傷ひとつなく、剣は刃こぼれせずに鋭さを保っている。そして、両方にべっとりとついた、紫の甘い臭いのする液体。

時が一瞬止まった。

隣を見ると、スカイもこちらを見つめていた。ただし、引きつった恐ろしい顔で。

「噂をすれば本人ってか。動物にもあるんだな、そういうことって」

硬いテノールの声を聞いて前を見ると、仲間の死に唖然としている、馬鹿でかいトカゲが三匹。

「だが、その本人は『一人』ではなかったな」

気持ち悪いほどに黒く、丸いボタンのような目と視線がぶつかる。大きな口から、赤いニ叉の舌が現れた。

「シャレになんねぇよ」

スカイの疲れたような呟きで、戦闘開始の火蓋が切って落とされた。



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