余命五年の姫様に、恋をした
**カイル7歳、ローズ5歳
ぼくの名前はカイル。もうすぐ7さいだ。ママと兄ちゃんといっしょに、王さまのおうちでくらしている。おしろに住んでるなんてすごいでしょ?
庭もすごく広いし、馬もいっぱいいるし、夏は大きいみずうみで泳いだり、魚をつったりできるんだ。おしろの生活は、春も夏も秋も冬も、ずーっと楽しい!
それに、王さまってすごいんだ。ぼくはちらっとしか見たことがないけど、その時はたくさんの宝石がついたかんむりと、すてきなマントを着てた。
すっごくカッコよかった! だから、大きくなったらぼくも王さまになるんだ。
王さまになったらなんでも思いどおりだ。ママには怒られないし、兄ちゃんだってぼくの子分になる。ご飯は毎日、お肉とアイスクリームだけ。夜の歯みがきはなし! 夜ふかしもしていい。そして、お庭を広くして、世界中からめずらしい動物をつれてきて、放しがいをするんだ。
でも兄ちゃんはいじわるだから、「お前は王さまになんかなれない」って言う。ぼくが王さまになったら、兄ちゃんなんて追い出しちゃうんだ。あやまったって、おそいからね。
✳︎✳︎
王さまには、こどもがいっぱいいる。そのこどもたちのお世話をするのがママのしごとだ。ぼくが知ってるだけで、7人もいるんだ。しかも全員女の子で、みんなすごくうるさい。
一番下のお姫さまは赤ちゃんだからわんわん泣くし、一番上のお姫さまはすごく元気で、兄ちゃんといっしょになってぼくをいじめる。リイナさまと兄ちゃんは、こないだ10さいになって「わたしたちは大人だから、カイルとはもう遊べない」と言うんだ。そして、ぼくをおいて、ふたりで外に遊びに行ってしまう。悲しくて泣いてるぼくを見て、ママが言った。
「カイルはローズさまと遊んであげてね」
「ええ〜っ!! イヤだ……。男の子がいい」
そんなぼくのことばに、ママはカンカンに怒った。
「絶対に――そんなことを――人前では言ってはいけません!!」
あまりにもママが怒るので、ぼくはもっと涙がとまらなくなった。
つれてこられたロザリナさまは、まだ5さいの姫さまだ。くるくるしたまき毛の、はなみずをたらした女の子……。
「まだ赤ちゃんじゃん……」
「ちがう、もう5さいだもん。おそと、いく?」
外には出たかったから、「いいよ」とは言ってあげたけど……。
「ローズ、おはなのかんむり、つくりたい」
「ええ〜……」
がっかり。
せっかく外にきたのに、花かんむりなんてつまらない。でもせっかく来たんだし、お花をあつめることになった。
「ピンクのかんむりにする〜。カイルはなにつくる?」
「ぼくは男の子だから、そういうことはしないんだ」
胸をはって言う。でも、ぼくたちに付きそっていたママたちに怒られた。
「カイル、ローズ様の言うことをきくのよ」
「でも、この子はぼくより年下だよ。年下は年上の言うことを聞かなきゃいけないんだよ」
だから、兄ちゃんもリイナさまも、ぼくにえばったことを言ってるじゃないか。
ママは首を横にふった。
「ローズ様は特別なの。言うことをききなさい」
「なんで?」
ママはぼくの質問を無視した。
ちぇっ。赤ちゃんの言うことをきかなきゃいけないなんて、面白くない。
ママともう一人の子守りは、ぼくたちそっちのけですぐにおしゃべりに夢中になった。バスケットにワインをしのばせていることに、ぼくは気づいていた。ママはワインが大好きなんだ。布をかぶせてぼくたちに見えないようにしてるけど、バレバレだよ。
ローズさまは夢中になってお花を集めている。
「ねえ、あっち、いっぱいおはなある〜。いこう?」
「えー……」
「カイル、はやくぅ!」
「仕方ないな……」
ママたちも話にいそがしそうだし、ちょっとうらがわに回るだけだから、いいよね。ローズさまはおおはしゃぎだ。
「カイル〜みてみて、てんとうむし!」
にっこり笑っている。
いいなぁ、赤ちゃんは。てんとうむしであんなによろこべるなんて。
ふとみずうみの方を見ると、リイナさまと兄ちゃんが水遊びしているのが見えた。足までつかり、生き物を手でつかまえてるみたい。お付きのマーリーンが「はやくもどりなさいっ!」って真っ赤になって怒ってるけど、兄ちゃんたちがやめるようすはない。
(すごく楽しそう……)
ぼくはガマンできなくなって、兄ちゃんたちの方にかけ出そうとした。
そのとき――。
「うわあーん」
大きな泣き声がした。
「ローズさま!?」
見ると、大きなカラスが、ローズさまをおそっていた!
ぼくはゾッとした。カラスはその係の人が「くじょ」する決まりなんだけど、たまに庭に忍びこんじゃったりするんだ。
「こ、このっ」
ぼくはベストを脱いで、カラスを一生けんめい追い払った。するどいクチバシと、ビー玉のように光る目……。怖くてたまらないけど、
(年下のローズさまを守らなきゃ――!)
その気持ちがぼくに勇気をあたえてくれた。
「ど、どうしましたか……!」
さわぎを聞きつけて、ママたちも駆けつけた。そのころにはもうカラスは飛んでいなくなってたけど、ローズさまはえんえんと泣いていた。
「ローズ様っっ、お怪我はありませんか?」
ママは真っ青になって一番にローズさまに駆けよった。
……ひどいや。
(ママは僕のママじゃないの? ぼくだってすごく怖かったのに。がんばってカラス、追い払ったのに……)
怖いのと、ホッとした気持ちと、寂しいのとで、涙がこぼれそうになった。そのとき、ローズさまがママたちをふりはらって、ぼくの胸に飛びこんできた。
「ロ、ローズ様!?」
「カイルぅぅぅ、こわかったよっっ……」
泣きさけぶローズさまを抱きしめて、ぼくは涙をゴシゴシとぬぐった。
(ぼくは年上なんだから、しっかりしなきゃ。ぼくがローズさまを守るんだ)
✳︎✳︎
ローズさまは外で遊ぶのが大好きだった。
ぼくたちは毎日のように外で遊んだ。鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり、かけっこしたり。
――まあ、全部ぼくが勝ったけど。ローズさまは負けずぎらいみたいで、負けるとえんえん泣く。
(……仕方ないなぁ)
「じゃあもう一回やろうか」
「うんっっ」
はなみずをたらしながら、にっこり笑うローズさま。そして勝たせてあげると、「やったぁぁ!! カイルにかったぁ!!」ってもっとうれしそうに笑うんだ。
(わざとなんだけどなぁ)
でも、すごくうれしそうだから、ぼくもちょっとだけうれしい、かも。
ローズさまは元気いっぱいだけど、すぐにかぜをひく。外で遊んだ次の日は、寝こんでしまうこともよくあった。
「ローズ様をお外に誘っちゃいけません!」
「ぼくじゃなくて、ローズさまが『外に行きたい』って言いだしたんだ」
「それを断って、安全に遊んであげるのがあなたの仕事でしょ」
ママもひどいよなぁ。ぼくばかり責めるんだから。
でも、たしかにローズさまは体調をくずしたとき、すごくかわいそうなんだ。
顔を真っ赤にして、くるしそうにぜいぜい息をする。
(すごくつらそう……)
そういうローズさまをぼくも見たくない。だから、外遊びはへらした。水遊びはぜったいだめ。何日も寝こむことになるから。
「チェスをしよう」
「ちぇす? なにそれ」
「教えてあげるよ」
「いや。おそといきたい」
「僕に勝ったら連れて行ってあげるよ」
「うん。じゃあ、どうやってやるの?」
チェスだけじゃなく、カードゲームや面白い本をいっぱい教えてあげた。だんだん、ぼくたちは部屋の中で遊ぶことが多くなった。ローズさまはカードゲームは下手だったけど、チェスはメキメキ強くなった。すぐにぼくではかなわなくなって、お城中の人が駆けつけて、ローズさまとチェスをやるようになった。
ローズさまもチェスには自信があって、ぼくにお願いごとがあるときは、決まって言うんだ。
「カイル、チェスしよ」
「やだよ、ローズさまとやっても面白くないもん」
「チェス、やろ? ローズがかったら、おそと、いこう」
(……ローズさまもずるいよなぁ。外行きたい時は、必ずチェスしようって言うんだから)
そして、やっぱり毎回負ける。
「わーいわーい、おそと!」
(強いいいい……!!あーあ、負けちゃった……。カッコ悪……)
年下の、しかも女の子に負けるなんて大ショックだ。
✳︎✳︎カイル10歳、ローズ8歳
ローズ様は大きくなるにつれて、どんどん身体が弱くなっていった。でも、チェスの実力は、それと反比例するようにどんどん強くなっていった。
先生であるはずのぼくより強くなっちゃって、悔しい気持ちもあるけど――ローズ様の暇つぶしになったみたいだから、まあよかったのかな。女の子だってこともあるかもしれないけど、前ほど外遊びに興味もないみたいだ。外遊びをかけてぼくとチェスをすることも減っていった(それか、実力差が大きくなりすぎて、つまらなかったのかも)。
8歳になる頃には、城の大人たちじゃほとんど歯が立たなくなって、国中から名人と呼ばれる人が呼ばれるようになった。
「ローズ様は天才だ!」
うん、ぼくもそう思う。
ぼくはローズ様とまったくチェスを差さなくなった。それでもローズ様はぼくと遊ぶことが好きだった。朝起きてすぐ、「カイルは?」と聞くんだって。
「ローズ様、今日は何して遊ぼうか?」
「そうね、お絵かきでもしようかしら。ねえ、今日はビスコ先生をかいて!」
ビスコ先生はローズ様の家庭教師だ。すごく痩せてて、背が高くて、魔女みたいな鼻をしてる。とにかく厳しくておっかない。出来上がった絵を見て、ローズ様はお腹を抱えて笑った。
「そっくりだわ!! みて、このおっかない顔ったら! ねえ、デュポン先生もかいて。その次はね……」
ぼくは頼まれるままにたくさんの人の似顔絵を描いた。いつもうっかりしてる洗濯係のラリーに、コックでおデブのトリターニさん。ローズ様は大笑いした。
「もう……おかしくってたまらないわ! カイルは絵の天才ね」
「まあね……もうぼく10歳だから、こんなの朝飯前だよ。もっと見たい?」
ほめられて、満更でもなかった。
ニコニコ笑ってくれるローズ様の反応が嬉しくて、調子に乗ってビスコ先生に鬼の角が生えた落書きを描いてたら、ビスコ先生本人に見つかってしまった。ぼくはお尻を百回叩かれて、一週間おやつも抜きになったけど、絵を描くことはやめなかった。
✳︎✳︎カイル十三歳、ローズ十一歳
ローズ様が十一歳になった冬、流行り病にかかって、今までで一番長く寝込んだ。一週間はずっと高熱がひかず、苦しそうにうなされていた。
「熱が引いても、後遺症が残るかもしれない」
後から知ったけど、それくらい深刻な状態だったらしい。
もちろんその間、ローズ様と遊ぶことは禁止された。僕は必死で祈った。
(神様、どうかローズ様を元気にしてください。代わりに僕が寝込むことになっても文句は言いません)
ローズ様と会えたのは二週間後だった。
「調子はどうですか?」
「カイル! 来てくれたのね!」
「これ、お見舞いです。早く隠して」
ローズ様の好きなおかしを持っていった。甘い物は栄養にならないからという理由で、ずっと前からローズ様はおかしを禁止されていた。台所から少し失敬して、こっそり差し入れるのが、僕たちふたりの秘密だった。
「ありがとう! クッキーが食べたくてたまらなかったの」
うれしそうに笑う姿に、ぼくもうれしくなる。
「ずっと寝てて、もう退屈しちゃった。でも、お医者さんがまだ寝てなきゃだめよって言うの。南棟にフグマリの巣ができたってほんと?」
「はい、こんな大きなフグマリのツガイが引っ越してきました」
「見たいなぁ! でも、ベッドを出たらお医者さんに怒られちゃう……」
悲しそうに俯く姿を見て、僕も心が痛くなった。ローズ様はすぐに疲れてしまい、面会は十五分くらいで終わってしまった。
(明日はなんのお見舞いを持っていこうかかなぁ……あの面白かった本、貸してあげようかな)
そんなことを思いながら歩いていると、ローズ様の医者が、侍女と立ち話をしているところに遭遇した。立ち聞きをするつもりは全くなかったが、声が石の回廊に響いて聞こえてくる。
「……それで、あとどれくらいで完治しますでしょう?」
「あと一週間もすれば、熱も完全に引いて、咳も収まるでしょう。ただ、肺に水が溜まっているようでして……。たちの悪い風邪にかかるようなことがあれば、次は危ないかと」
「……長生きはできないと?」
「もって五年というところでしょうな」
「そんな……かわいそうなローズ様……」
僕の頭は真っ白になった。
(ローズ様があと五年しか生きられない……? そんな馬鹿な)
僕は駆け出した。信じたくなかった。確かにローズ様は体が弱い。外に出れば必ずと言っていいほど風邪を引き、何日も寝込んで……。
でも、五年なんて。
(十六歳までしか生きられないなんて、そんなひどいことが)
僕は一晩中、声を押し殺して泣いた。なにも出来ない自分が情けなくて、消えてしまいたかった。
翌日、僕はローズ様の部屋を訪れた。
「カイル! もう今日は来ないのかと」
「ローズ様、これを」
「え!! これって!」
南棟に住み着いたフグモリのスケッチだった。それだけじゃない、今朝初めて凍った湖に、雪の重みでしなだれたモミの木、雪原を歩くイトイマの親子。
「すっごく上手! なんてきれいなのかしら」
「そんな大袈裟な。どれも十五分くらいでさっと描いただけですよ」
本当はどの絵も何度も描き直した。そのせいで一日がかりになってしまったのだが……。
「十五分で!? やっぱりカイルは天才だわ!」
「これからは僕がいっぱい外の絵を描いてきます。ローズ様が外に出られなくても寂しくないように。だから、無理しないでください」
「次は海を描いてほしいなー」
「海って……ここからどれだけ離れてると思ってるんですか」
「いきなり無茶ぶりしちゃった」
「久しぶりにチェスでもしますか?」
「うん! でも手加減しないよー。どれくらい強くなったかな?」
「ぐぬぬぬ……」
僕は絵を描くために「観察」する力を磨いてきた。でも、なんで今まで気づかなかったんだろう?
チェスの駒を動かすローズ様の手が、こんなに細いことに。
顎のラインが、こんなにくっきりとしていることに。
医者に言われなくても、気づけたはずのサインがあったのだ。
(余計なことを考えるな……負けたくないだろ)
結局大負けだった。すごくショックで、翌日まで引き摺った。
「ローズ様がチェスの天才ってことは知ってるでしょ? 何を今さら、そんなに落ち込んでるの」
「……母さんには分かんないよ」
「あら、ついに反抗期かしら……」
(そう、母さんに分かるわけない)
こんなにショックなのは、僕のプライドが傷ついたから、ということにしておく。
実際、この頃くらいから、自分でも自分のことが分からなくなり始めた――いや、むしろその逆で、客観的な自分というものがわかり始めたからこそ、着地点が分からなくなっていたんだと思う。
十三歳にもなれば、さすがに「大きくなったら王さまになる」なんてありえない話だと気づくし、僕の家系は貴族としては低位の子爵で、その爵位も長男の兄さんが継ぐことが分かった。次男の僕は、騎士、聖職者、あるいは法廷弁護士になるしか道がない。
(その中だったら騎士がいい……ずっとローズ様のそばに居られる)
僕は確かに無力だ。ローズ様を病気から救うこともできない。でも、ローズ様が長生きできないとしたら、なおのこと充実した時間を過ごしてほしい。そのためなら絵の練習も武芸の稽古も、チェスだって――頑張る。
(僕にとってローズ様は――カラスに襲われて泣いてた、あの女の子のままなんだ)
やっぱり僕は、「ローズ様を守る」という目標を諦めることができなかったんだと思う。
でも、そんな思い上がりを、粉々にする出来事が起きた。
**カイル十六歳、ローズ十三歳
僕が十六歳になった夏、兄さんとリイナ様が駆け落ちした。結局未遂で終わったのだが、王は激怒。兄さんは爵位を剥奪の上、僕と母さんも含めて宮廷から追放されそうになった。
「セドリックを追放するなら、死んでやるわ!!」
激情家のリイナ様は命をはって猛抗議した。こうなるともう、誰も手を付けられない。バルコニーから飛び降りたり、服毒で自殺未遂までおこして、王を根負けさせた。
「セドリックの処分は取り消す。だが、あいつはもうここには置けん」
我が家は爵位剥奪を免れたが、兄さんは外交研修との名目で異国送りに。
僕もローズ様とは接触禁止にするべきということになった。
(もうローズ様の成長を見ることは出来ないのか……。宮廷に残れるだけ幸運か)
心底がっかりしたが、受け止める覚悟は出来ていた。そもそも、今回の件ではっきりと分かったのだ。
(僕がずっとローズ様の側にいることはできない)
子供の頃は、おそらく誰しも、「自分だけは特別なのでは」と思う。根拠のない自信というやつだ。
「大きくなったら王さまになれるかも」「ローズ様を守れるかも」
そんな子供じみたものから、「功を上げたら出世できるかも」「そうすればずっとローズ様の側にいられるかも」、などなど。
そんなのはすべて、夢物語に過ぎないと気づく。
(子爵を持った兄さんでも無理なら――次男の僕じゃ、まったく話にならないだろう)
自分の人生の天井がはっきりと見えた瞬間だった。どの道、ずっとローズ様の側にいることなどできないのだ。
僕は命令に素直に従うつもりだったが、ローズ様は違った。
「嫌よ。カイルには側にてほしい」
そしてローズ様なりの抗議を始めた。体調が悪い、風邪を引いたと訴えたのだ。
「……カイルを呼んで。カイルがいれば元気になる気がするの」
仮病だったのか本当だったのか――知る由もない。でもこうなるとローズ様も頑固だった。僕を側に置いてくれと食い下がったのだ。
(リイナ様と違ってローズ様は大人しく見えるが……やっぱり姉妹なんだな)
顔も性格も似てないと言われている姫二人だが、この頑固さと意志の強さは、血がなせるものなのかもしれない。
「カイル!」
僕と会うたびに、ローズ様は輝くばかりの笑顔を浮かべた。
「ねえカイル聞いて。今日、お医者様がね――」
(ローズ様は昔から変わらないな……)
その一方で、ローズ様が次第に少女から女性へと変化していることにも、気づかないわけにはいかなかった。笑うたびに揺れる髪の光や、ふと伏せたまつげの影に、心がざわつく。
(ローズ様ってこんなにキレイだったっけ――……)
その気付きとともに、俺の子供時代は終わりを告げたのだと思う。
✳︎✳︎カイル十七歳、ローズ十五歳
「ローズ様のことを好きなのかもしれない」
時間が経つにつれ、その思いは確信へと変わっていった。十七になる頃には、ローズ様を異性として見ている自分をはっきりと自覚していた。そして、その気づきは苦痛をもたらした。悲恋で終わることが決まっているからだ。
(俺は平民貴族で……ローズ様は一国の姫様。身分違いもいいところだ)
ローズ様はいずれどこかの王子か貴族に嫁ぐ。それを止める権利はない。俺も一緒に新生活へ、なんて許されるわけもないのだ。
(そもそも、ローズ様は俺のことを男として見てないだろうしな……)
ローズ様と一緒にいられる時間は幸せでも、離れたときに現実が襲って来る。虚しさ、嫉妬、怒り――なぜ自分ではいけないのか、なぜローズ様は姫様なのか。
十六で社交界へのデビューが済んでからは、女性と接する機会は増えていった。俺はどうやら見てくれが良いようで、女性からの受けは悪くなかった。それでも、誘われて時を共に過ごしても、
「今、ローズ様は何をしてるんだろ……」
そんな事ばかりが頭を浮かび、まったく楽しめない。気づけば俺は「落とせない男」として噂になっているらしかった。そうするとかえって躍起になる女性もいたが、熱量を向けられるほど、ローズ様への想いは募っていった。
(俺、呪われてるのかな……)
その頃、国境線の戦禍が激しくなり、若手の騎士達は、軒並み前線に派遣されることになった。そうした中でも宮廷警護を希望し続ける俺を、「臆病者」「贔屓」などと陰口を叩く者もいた。
(何を言われようが俺は構わない――。ローズ様と過ごせる時間を大切にするんだ)
俺は毎朝早起きして、宮廷の周りをスケッチすることを続けていた。その他にも兄に頼んで珍しい土産物は頼んだり、書物を取り寄せたり――できることはなんでもした。
「カイルの絵、大好き。温度が伝わってくるの。もう春めいてきたのね」
「モグリリスが庭に降りてきましたよ」
「いいなぁ。私もお外に行きたいわ」
「もう少しの辛抱ですよ」
「本当にそう思う?」
「……もちろん」
「ねえカイル、お願いがあるの。私を描いてくれない?」
「いいんですか? 俺、容赦しませんよ」
「あら、望むところだわ。モデルがいいもの、さぞ美人に描いてくれるんでしょうね」
「どの口が言ってるんだか」
軽口を叩きながら、木炭を取った。ローズ様の細部を観察し、木炭を走らせる。
(また少し……痩せたみたいだ)
ローズ様の絵を描くたび、残された時間を突きつけられる。
静寂の部屋の中で、木炭を走らせる音だけが響いていた。西日が部屋に差し込む頃、絵が完成した。
「はい、できましたよ」
「……これ、本当に私?」
正真正銘、俺の目に映ったローズ様だ。
「……なんだか今日はいい気分で寝れそうだわ」
そんな笑顔のために、俺は今日もローズ様に会いに行く。
✳︎✳︎
俺が十八、ローズ様があと少しで十六歳になる頃だった。覚悟はしていたが、終わりは突然やってきた。
「姫様が……結婚するそうよ!」
しかもローズ様だけじゃない、リイナ様もあわせてだ。
「最近、戦況が悪かったものね……」
「お世継ぎがなかなか生まれなくて、一時期はどうなるかと思ったけど……皇女様が多いと助かるわね」
そんな声が宮中からしてきて、吐き気がした。
(他人事のように……どうかしてる)
政略結婚が皇女の宿命であることは分かっていたが、こんなにも早く訪れるなんて。ローズ様はまだ十五歳だ。しかも体調も……優れないのに。
「ローズ様は……誰と結婚するんだ?」
グループになって噂をしていた侍女に話しかけると、侍女は声を潜めていった。声は低くしているが、興奮を隠しきれていない。
「インテルヴィア国の公爵様らしいわ。でもまだ噂、ね」
「インテルヴィアだと……!? なんであんなところに」
「ほんとにお気の毒よね」
内緒よと念押ししながら、その侍女は他の侍女を見つけるなり声をかけて、また噂話に興じていた。俺の気持ちは地にまで落ちていた。インテルヴィア国は、我が国の南方にある内陸国で、十年ほど前に新国王に変わってから、評判がすこぶる悪い国だった。
その国の公爵だ。どんな奴かは分からないが、ろくでもない奴だろう。
(ローズ様はどう思ってるんだ……?)
その晩に部屋にうかがうと、ローズ様は読んでいた本から視線を外し、明るい声で俺を迎えた。
「あら、カイル。遅いじゃないの」
「すみません。実は――」
「早く早く。久しぶりにチェスしたいなぁって思ってたのよ」
「え――……あ、はい」
ベッドに腰をもたせたままのローズ様。俺はサイドテーブルにチェス盤を並べ、イスに腰を下ろす。
「ポーンE2からE4。……今日ね、シエラが私の羽ペン折っちゃったの。ポキって」
「ポーンE7からE5。あの人、すぐ物壊しますからね」
ローズ様は笑いながら、今日見た夢の話や、侍女の新しいドレスの話を次々と口にした。今日は随分と興奮気味だ。
(……もしかして、結婚のこと知らされてないのか?)
「クイーンE2からH5。そういえば、何の本読んでたんですか?」
先ほどまでローズ様が読んでいた本を顎でさす。
「ナイトF6からG4。えーっとえーっと……なんだったっけ」
「ポーンH2からH3。つまんない本だったんですね」
ローズ様はそれから急に黙り込んでしまった。指す手もキレがなく、いつものローズ様らしくなかった。
「ルークF1からE1。……ねえ、私が結婚するって言ったら、どうする?」
(やっぱり……知っていたんだ……)
チェスを動かす手が震えていた。腹がズドンと重くなる。空気が暗くならないよう、必死に気丈な様子を取り繕った。
「クイーンD8からH4。お祝いしますよ。お相手の方は幸運ですね」
「……ポーンG2からG3。それだけ?」
「ビショップE7からG5。……私になにを期待してるんですか。チェックメイトです」
「……負けちゃった」
ローズ様はうなだれて悲しそうに笑った。ローズ様にチェスで勝ったのは十年ぶりだった。
「らしくないですね。もう一局やりますか」
ローズ様はそれには答えず、震える声で言った。
「カイルはどう思ってるの」
あまりにも重い、答えられない質問だった。
「何がですか?」
――白々しくて、自分でも吐き気がする。
「私はもう、長生きできない。自分で分かるの。そんな私でも国のために役立てるなら――貢献してほしいと望まれるなら――頑張って、務めを果たそうと思うの」
「……王女の鑑ですね」
「あれするな、これするなって言われてばかりの人生だったけど、カイルはいつも私の気持ちを大切にしてくれたわ。だから私はずっとあなたが――」
ローズ様は言い淀んだ。
「……カイルが『行くな』と言ってくれれば、私は残る」
真っ直ぐな――そして怯えたような瞳に、目眩がした。
(そんなこと……言えるわけがない)
身分の差、背負った義務や期待――。あまりにも俺とローズ様は違う。そしてそんな身の上にどんなに同情しても――俺が彼女を救うことはできない。兄さんがリイナ様を救えなかったように。
もう目を見ることができなかった。背を向け、チェスセットを急いで片付けた。
「カイル」
ローズ様の悲しそうな声が響いた。俺はそれに答えることも出来ず、「幸せになってください」とだけ言い残し、部屋をあとにした。
**
ローズ様の縁談は異例の早さでまとまっていった。
何でもインテルヴィア国の方でも、早急にまとめたい事情があるらしかった。
(信用できない国だ……)
ローズ様の護衛として、インテルヴィア国への同行が義務付けられた。これが最後の任務となる。
インテルヴィア国では、それなりに手厚いもてなしがなされた。それでも、体調が悪いのに長旅で疲れたローズ様には荷が重く、接待は早々に切り上げて、部屋に引き上げることになった。
「ローズ様、体調はいかがですか?」
「……そんなに悪くないわ。ちょっと疲れただけ」
今回の全権大使を任されている左大臣のモルグは、心配そうにローズ様を見つめ、質問した。
「無理は禁物ですぞ。公爵との面会は延期にしてもらいましょうか?」
「いいえ、いいの。予定通り進めてちょうだい」
モルグもローズ様を赤ん坊の頃から見守っているのだ。微妙な気持ちはあるのだろう。
ローズ様の婚約者であるリアクロンビー卿は、午後にやってきた。
ーートントン。
扉が開かれ、現れたのは、端正な顔立ちの男だった。
(この人が……ローズ様の相手)
はきはきと喋り、威圧的なところもない男だった。気品に溢れ、上級な人間だと人目で分かる。ローズ様の頬がピンク色に上気しているのを見て、胸がチクリとした。
(俺とは大違いだな。根本的な『質』が違う)
安堵と、嫉妬と、諦念と、色んな思いがないまぜになった。
ローズ様は気力を振り絞ってリアクロンビー卿に挨拶をしようとした。
「お会いできて嬉しいです。ロザリナです。……ローズとお呼びください」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、崩れ落ちそうになった。
「大丈夫ですか?」
咄嗟に抱きとめていた。ローズ様は「だ、大丈夫……」と答えたが、声に力がない。結局、安静が必要ということになり、面会は仕切り直しになった。
去っていく公爵を追い、声をかけた。どうしても伝えたいことがあった。
「ローズ様を……よろしくお願いします」
リアクロンビー卿は驚いた顔をしたが、俺の名前を尋ねた。
公爵は、ローズ様が病弱なことにいち早く気づいたようだった。しかもどうやら彼にも思い人がいるらしく――公爵自身、この縁談の破談を望んでいるのだという。
「……では、誰も望んでいない結婚ということですか」
「国と国――勝手な思惑に振り回されてるだけだな」
「それにまだ――ローズ様は子どもじゃないか」
その言葉は、この人物を信用するのに十分だった。
それからの数日、公爵は連日のようにモルグと密談を重ねていた。そしてとある日の朝、疲れ切った顔でローズ様の部屋を訪れた。
「体調はどうでしょうか」
「ええ……大分良くなりました」
ローズ様は咳をこらえながら微笑んだ。それが空元気なのは誰の目にも明らかだった。
「ローズ様。率直にお聞きします――あなたは、この結婚を望んでおられるのですか?」
「……私の務めだと、理解しています」
「義務ではなく、“どうしたいか”を話してほしいのです」
公爵の声に静かな熱がこもる。
「実はこの国は、大きな変革の時を迎えようとしています。もしこの国に留まりたいと仰るなら――全力でお守りします。結婚相手は私ではなくなるかもしれませんが、あなたが決して不遇な立場にならぬよう、約束します」
公爵は言葉を切り、まっすぐにローズ様を見つめた。
「けれどもし――あなたの心が違う場所にあるのなら。どうか、その想いを偽らずにお話しください」
ローズ様はモルグと俺を不安げに何度も見て……堪えきれず涙をこぼした。
「アラシア国に帰りたいです……カイルと……一緒に過ごしたい」
俺は言葉にならず、ただローズ様の細い肩を抱きしめた。
✳︎✳︎
その日の真夜中。リアクロンビー公爵の手配した馬車に乗り、俺たちはインテルヴィア国を後にした。ローズ様は泣き疲れたのか、ぐったりとしている。
「あと……どれくらい?」
「まだあと七時間くらいありますよ」
「そう……わたし、海が見たい」
「海――ですか。よりによって、ここは内陸の国ですよ。体にもよくない」
「今を逃したらもう……見られない気がするの。本当の海が見たい――」
「……西南に進路を変えてくれ」
「わかりました」
海に辿り着いたのは、夜明け前だった。馬車では砂浜を渡ることはできず、俺はローズ様を抱きかかえて馬車を降りた。
腕の中の彼女は軽く、頼りないほど静かだった。それが衰弱からではなく、ただのまどろみのせいだと信じたかった。
「ローズ様、着きましたよ」
目の前には波が押し寄せ、海の音が鳴る。ローズ様はゆっくり目を開けると、波を見て「……きれい」と呟いた。
「これが本物の海ですよ。俺の絵と、どっちがいいですか?」
「こっち」
「……そこはもう少し気を遣ってくださいよ」
「だって……香りがするもの。海と、カイルの匂い」
そう言って笑うと、ローズ様はゆっくりと瞼を閉じた。その笑みはまるで時間が止まったように、いつまでも消えなかった。
俺はその体を抱きしめ、額にそっとキスをした。
「……おやすみ、ローズ」
ただ波の音だけが残り、俺たちを包んでいた。
(完)
読んでいただきありがとうございました。
もしよろしければリアクションや評価していただけると嬉しいです。
✳︎この作品は拙作『醜いはずの私は絶世の美女でした』の番外編です。




