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《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第二章

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第43話 暴かれて(2)

 ロイ・アダムスは司祭だった。三百年前からずっと、司祭だった。一時期だけ、彼は司教となり、大司教となった時があった。それまで彼がこなしてきた、教会の意向に沿った活動が功を奏し、彼は規定の三十五歳を迎えたその日に、大司教に叙された。場所はヘルギだった。

 当時、ヘルギのある教区は北の蛮族によって支配されていた。ダルヘイムと陸続きでありながら、他国の干渉を受け続けている哀れな教区。だが、度重なる政争と飢饉によって、統治者の権力は確実に削がれつつあった。

 ロイ・アダムスの使命は、そんな教区において、人々の支持を自分にーーーひいては教会に、集めることだった。教会はその長い歴史の中で、時に統治者の懐に入り込み、時に対立し、統治者と同等か、それ以上の権力を振るってきたものである。ロイ・アダムスが目指したのは後者だった。それが、この地域の新たな統治者になることを目論む、ダルヘイム王室の望みだったからだ。すなわち、ロイ・アダムスは自身の教区をダルヘイムに捧げることにより、ダルヘイム王国の権力者の一人になろうとしていたのである。

 ところで、ロイ・アダムスには、公然の秘密として、内縁の妻がいた。表向きは家政婦だ。だが、実際は妻だった。ヘルギの北にある、川沿いの豪華な大司教の館で、ロイ・アダムスは、妻と何人かの本物の使用人とともに暮らしていた。妻は間もなくして子供を身籠った。法的には他人である二人は、まるで本当の夫妻のように愛し合い、生まれてくる子供を楽しみに待っていた。

 だが、世の中はひどい状態だった。冷夏による飢饉、病気の蔓延、重税に反発した市民による、度重なる苦情申し立てや、反乱、小競り合い。

 ロイ・アダムスは大司教としてできる限りのことをしながら、世の中がこんなにも苦痛に満ち溢れているのはノース人のせいだと説き続けた。一部の人々はそれを信じたが、一部の人々は信じなかった。当時すでにその教区の住人は、三分の一かそれ以上の人々がノース人の混血だったからだ。

 当時の統治者、シグルズ・ハラルドソン伯爵も、大司教の言い分に真っ向から否定した。


ーーー教会は市民が苦しんでいるのに何もしてくれない。それどころか、我々に罪をなすりつけようとしている。本当に罪深いのは教会のほうだ。


 そして、悲劇は起こった。起こるべくして起きたことなのか、それとも何か避ける方法があったのか、今となってはわからない。だが、ロイ・アダムスは怒れる市民の暴挙に遭い、燃え盛る炎の中で死んでしまった。復活の日を信じる教会の人々にとって、身体ごと焼かれて死ぬのは永遠に死ぬことと同じだった。

 一方の妻も、火の手の迫る寝室で恐怖に怯えていた。駆けつけた使用人から、大司教は助からないと宣告された妻は錯乱した。そして、その悲しみと絶望、愛する人を助けたいという思いにすがりながら、炎に包まれた部屋の中で、子供を生んだ。三つ子だった。最初が蛇、次は狼。最後に出てきた女の子は、半分死んでいた。

 妻は子供達に告げた。


ーーーあなたたちのお父様を救いなさい。


 妻は死んだ。火の手に囲まれて、三人の子供達を生んだ後で、もう起き上がる気力もなかった。

 やがて、暴徒達が去り、炎もすっかり消え去った頃、廃墟となった大司教の館から一人の男が立ち上がった。ロイ・アダムスだった。


***


「それが、三百年前に起こった出来事です」


 ロイ・アダムスはにやりと口の端をつり上げて言った。にわかには信じられないような話だった。

 その頃、エマとアンソニーはブレンドンを見送って、既に廃墟にやって来ていた。そして、気を失って倒れていたシグルズを助け起こし、目の前の男(ロイ・アダムス)と向き合っていた。

 彼らは、どう受け止めたら良いのか分からなかった。この男の言い分を馬鹿正直に聞き入れるとしたら、彼は三百年前に死んで蘇った挙げ句、今もなお生き続けている、不老不死の男ということになる。そんなことがあり得るだろうか。


「どうやら、信じられぬといったご様子」


 ロイ・アダムスは言葉を失った面々を見て、嘲笑った。


「私は嘘はつきません。正直な性格でね、嘘をつくこともできないし、つこうとも思わない。私が見せられるのは真実だけなのです」


 シグルズがよろよろと体を起こし、立ち上がった。


「つまり、ここで私に見せたことは全て真実だと?」


 ロイ・アダムスは嬉しそうに頷いた。


「分かっていただけたかな?実際、違和感はなかったでしょう。屋敷で起こった火事も、あなたの身体の中に潜む蛇の血も、全て本物だ」


彼は続けて言った。


「人の思いほど強いものはこの世に存在しない。だからこそ、妻は燃え盛る炎の中で三人の子供を世に生み出し、私を助けることができた。子供達は私にとって、肉体であり、精神であり、魂である。子供達なくして私は存在できない。正真正銘、私は彼らによって生かされているのです」


 ケネスがロイ・アダムスをじっと見据え、口を開いた。


「もし、あなたの話を信じるとしたら…」


彼は珍しく動揺しているような様子だった。


「その子供達は、いったい今どこに?」


 ロイ・アダムスはゆらりと顔を傾けて、面白そうに彼を見た。忠実な僕は一人だけかと思っていたが、実際はそうではなかったらしい。この三者三様の面々が、揃って自分に注意を向けているのが、ロイ・アダムスにとっては実に興味深かった。


「あなたは賢そうだから、本当は分かっているんじゃないのかな?」


ロイ・アダムスは唇の傷を指先で撫でながら答えた。


「残念なことに、私の最初の子供達は三人とももう死んでしまいました。仕方がないことです、生き物には皆寿命というものがあるのです、普通はね」


ケネスは視線を逸らすことなく尋ねた。


「では、あなたを生かすために、その力を受け継いだ者がいると?」


「その通り」


「それが」


シグルズが口を挟んだ。


「私が…、ハラルドソン家が、蛇である理由なのか?」


 ロイ・アダムスは面白そうに口元を歪めた。それこそが、この話の真髄とでも言いたげな顔だった。

 燃えるような赤い夕日は、ますます色を濃くして、今まさに地平線の向こうに沈み始め、男の背後で、今日最後の茜色の光が空へと手を伸ばしていた。ぽってりとした液体のような太陽の灯りが、雲間に滲み出るように広がっている。逆光で、男の顔は黒く陰って、不気味な亡霊か人形のようだった。


「血ですよ」


と、ロイ・アダムスは言った。


「私の子供達も、生まれたときは赤ん坊だが、当然、だんだんと大きくなり、年をとる。やがて、肉体は老いに勝てず、朽ちていく。普通の人間や動物と同じです」


 では、普通の人間や動物はどうするだろうか。体が大きくなり、年をとり、成熟したら?人間も動物も、それどころか、魚や、虫や、植物だって、生きとし生ける者はみな考えることは同じだ。いや、考えることもしないかもしれない。もはや自然の摂理であり、それは本能だ。


「簡単なこと、子孫を残せば良いのです。子孫さえいれば、その血が途絶えることはない。血が途絶えなければ、思いも消えない。私も消えることはない」


 まるで大樹を支えるため、脈々と枝分かれしてどこまでも広がってゆく根っこのように、三百年もの間、三人の子供達の血はずっと受け継がれてきた。父から子へ、またその孫へ、曾孫へと。途切れることなく、どこまでもどこまでも、根を下ろしていく。

 それは終わりのないアザミの群生にも似ている。アザミは濃いピンク色の花を春から夏の終わりまでずっと咲かせ続け、それが終わると、種をつくる。その種は秋には成熟し、綿毛を広げて空へと旅立つ。風に乗ってどこまでも運ばれて、力尽きたところで眠り、翌年目を覚ます。すると、その年にはまた新たなアザミの群生ができている。


「では、ハラルドソン家には、その蛇の血が流れていると?三百年前、おまえの子供と交わった者がいると言うのか?」


 シグルズは額に手を当てた。冷や汗が滝のように噴き出してくる。頭がガンガンと痛む。


「そうとも、蛇だって子孫くらい残せますからね」


ロイ・アダムスは当然のように答えた。


「馬鹿げている!私は人間だ!」


シグルズは声を荒げた。


「だから?」


ロイ・アダムスは少し苛立ったように言った。


「蛇の血が混じるのはおかしいと言いたいのですか?蛇を生んだ、私の妻もおかしいと?」


「そういうことではない」


「当然です、私の妻もただの人間だった。美しい女だった。素朴で、聡明で…。だが、ただの女も思いが強ければ魔物にもなる。それが人間というものなのだ」


 シグルズは首を横に振った。


「蛇の呪いは解けないのか?」


「呪いだと思いたければ、そう思えばいい。これは血脈なのです。私なら神からの贈り物と思ってもう少し上手くやるところだが、どうもあなたは血の濃さのわりに、あまり出来が良くないようだ」


 ロイ・アダムスはため息をつくと、小馬鹿にするようにシグルズを見下し、笑った。

 シグルズは途方に暮れていた。それまでずっと、何か、呪いを打ち解くような、根本的な原因か理由がどこかにあって、それを突き止め取り去ってやれば、どうにか道が開けてくるのではないかと彼は楽観視していた。

 だが、その呪いの核と思われる存在は今まさに目の前にいて、彼の命を支えているのもまた自分達に流れる血なのだという。


「私は、これ以上、この苦しみを後世に残したくない」


 シグルズは絞り出すような声で言った。


「あなたは、三百年も生きてきて、消えたくなったことはないのか?」


 と、シグルズが項垂れながら尋ねると、ロイ・アダムスは一瞬、神妙そうな顔をした。まるで、見てはいけないものを見てしまった時のような、触れてはいけないものに触れてしまった時のようなーーーそしてそれを、人から悟られまいと、必死に隠そうとしているような、そんな顔だった。

 ロイ・アダムスは、奥歯にものが挟まったような言い方で、少し目を逸らしながら答えた。


「…妻にもう一度会えるなら、消えてもいい」


 だが、すぐに気を取り直すと、はあと大袈裟なため息をつき、天を仰いで言った。


「でも、あの女はもういない。死んだのだ。もう二度と会うことはないだろう。それに、言ったはずです。子供達の血がこの世に存在する限り、私は私であり続けると」


「それなら、その命で証明してみせろ」


 苛立ったアンソニーが、剣の柄に手をかけ、勢いよく抜き取るとロイ・アダムスのほうへ足を踏み出した。


「アンソニー!」


 慌てて、エマが彼の腰にしがみつき、思い止めるよう訴えた。ロイ・アダムスは怯んで後ろに下がった。ケネスは冷静に二人の間に割って入った。


「およしなさい、彼を傷つけたところで何の意味もありませんよ」


と、ケネスが諭すように言った。ロイ・アダムスは彼の背後で、額から冷や汗を流し主張した。


「殺したいならやってみればいい。ただし、いくら試したところで結果は同じことだ。私は死なない」


「でも、傷をつくることくらいはできるんだろ?その唇の傷跡みたいに!」


 アンソニーは顔を赤くして、威嚇するように怒鳴ったが、エマがしっかりと彼を押さえつけていたので、それ以上前に進み出ることはできなかった。それに、そんなことをしたって事態が良い方向に動くことなどないと、実際は彼もよく分かっていた。

 だから、彼は渋々剣を鞘に戻した。ただ、このもどかしい思いをどうにかぶちまけたかっただけなのかもしれない。今すぐ誰かがここに来て、「こいつは頭がイカれているんだ、こいつの言うことなんて信じちゃいけない」と言ってくれたらいいのに。

 だが、誰も来ないばかりか、アンソニーにも、他の三人にも、この男の話には嘘などないと思わずにはいられなかった。そうさせられるだけの、妙な説得力がロイ・アダムスにはあったのだ。


「さあ、もう聞きたいことはないかな?君達の旅のお役に立てていたら嬉しいのだが」


 ロイ・アダムスは胸を撫で下ろした。いくら死なないとはいえ、痛いのはごめんだ。怪我をするのも、病気になるのも、好きじゃない。


「司祭様」


 エマが声を上げた。彼女はおずおずとロイ・アダムスを見上げると、言葉を選ぶように、慎重に尋ねた。


「もし、もし…、あなたが、あなたの子供達より先に消えてなくなるなんてことがあったら…」


エマは、ごくりと唾を飲み込みながら続けた。


「その時は、あなたの血を継ぐ者達も、皆死んでしまうのですか?」


 ロイ・アダムスは目を見開いて彼女を見つめた。濃い緑の瞳と、それより少し薄い、エメラルドのような瞳が、お互いに、お互いの姿を映し合っている。

 ロイ・アダムスは、彼女の瞳の中に映し出されている自分の姿を見て、昔のことを思い出した。あの女も、昔、こうやって自分のことを飽きることなくいつまでもじっと見つめていたっけ。でも、今となってはもうどんな顔だったかもはっきりと思い出せない。当然だ。あれから三百年も経ってしまったのだから。


「百歩、いや、千歩、万歩譲って、仮にそれが起こったとして」


 ロイ・アダムスは、無理やり言葉を捻り出すようにしながら口を開いた。


「どうなるかは、私にも分からない。これは、妻の思いなのだ」


 だが、結局は首を横に振るしかなかった。

 彼は子供達のことなら何でも分かった。まるで自分のことのように、思い浮かべるだけで、彼らの目にしているもの、耳にしているものが全て映像となって頭の中に流れ込んでくるのだ。

 ところが、あの女のこととなると別だった。死んだ者には目もないし、耳もない。もちろん、言葉を話すこともない。だから、彼には全く分からなかった。仮に彼女がまだ生きていたとしても、やっぱりよく分からなかっただろう。


「三百年生きてきて、これだけははっきり言える」


ロイ・アダムスは両手を広げた。


「女の考えることというのは、理解不能だ」


 そう言って、彼は踵を返した。もう教会に戻る時間だった。シグルズ達は引き留めなかった。辺りはすっかり夜の帳が下りていた。

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