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《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第二章

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第39話 恋と結婚と因縁と(1)

「食事を終えたら、早速教会へ行ってこようと思う」


 宿屋の食堂で昼食をとりながら、シグルズは言った。昼時を少し過ぎていたので、食堂内には彼らの他にはもう誰もいなかったが、主人の失態を取り戻そうとした女将が気を遣って、どんどんたくさんの食事ーーー魚の煮込みや、パン、チーズ、果物、ジョッキに並々と注がれたエールなどを大盤振る舞いで持ってよこしたので、食卓はさながら大宴会のようだった。しかも、どれもこれもが驚くほど美味い。この宿はオンボロだし、主人もイマイチだが、料理だけは格別だと誰もが思っていた。


「お供します」


と、アンソニーは答えた。だが、シグルズは首を横に振った。


「いや、いい。ただ様子を見てくるだけだ。一応同業者だしな。おまえ達はここで疲れを癒していてくれ。ケネス、一緒に来てくれるか?」


 アンソニーがちらりとケネスを見ると、「私も疲れているんですが」と彼は憮然とした表情で言った。


「教会にお出かけになるので?」


 少し離れた場所から、宿屋の主人が愛想笑いをしながら口を挟んだ。


「そりゃあ、いい!今の司祭様はね、見た目も麗しくて、頭の良い、素晴らしいお方なんですよ。私はあの方を心から信頼してましてね。ああ、いやいや、でも見た目の麗しさはあなた方も引けを取らないが…」


 空気の読めないこの男は、金持ちの一行にどうにか取り入ろうと話しかけてきたらしい。だが、両手にジョッキと大皿を持った女将が、横からじろりと睨み付けたので、主人はびくりと肩を震わせた。一行は返す言葉も見つからず、エマは一人苦笑いをこぼした。


 そういうわけで、例の()()()()()()には、シグルズとケネス二人だけで向かうことになった。

 暑いくらいの午後の日差しを頬に浴びながら、凸凹とした古い石畳の道をゆっくりと歩く。二人の間に会話は少ない。もともとケネスは口数が少ないほうだから、二人の時、いつもならシグルズばかりが一方的に喋っている。だが、今日はシグルズも静かだった。ケネスは沈黙なんて全く気にならないというか、むしろ大歓迎に思う性格なのだが、それでも普段と違う様子の上司が気になり、尋ねた。


「なぜアンソニーではなく私を連れていくんです?あなた方の事情は私より彼のほうがよく知っているでしょう」


 シグルズは前を向いたまま答えた。


「いや、別に…」


 言葉を濁す彼の横顔を見ながら、何もないというわけではなさそうだ、とケネスは眉をひそめた。といっても、端から見たら、ケネスの表情は何も変わっていないように見える。こんなに暑いのに、相変わらずフードを頭から被って、涼しげな様子だ。


「あの二人に遠慮なさっているので?」


と、ケネスは尋ねた。「なに?」とシグルズが部下を見て、表情を歪めた。彼の顔はとても分かりやすい。


「アンソニーとあの娘が知らないところで夫婦ごっこをして親睦を深めたようなので、後押ししようとなさっているのかと」


は?とシグルズは素っ頓狂な声を上げた。


「そんなわけない」


「そうなのですか?」


「そうだ」


 多少動揺しながらも、シグルズは頷いた。だが、ケネスは素知らぬ顔で続けた。


「あの二人、なかなか似合いだと思いますが。家格はアンソニーのほうが上ですが、次男ですし。あの娘ももう実家には戻れないのですから、家を出た者同士、一緒になるのもいいのでは」


 シグルズは頭を抱え、首を横に振った。急に何を言い出すのかと思えば。

 たしかに二人が自分の知らないところで夫婦を装っていたのはちょっとした驚きだったが、素性を隠すためだ。そこに深い意味など何もない。

 二人は気心の知れた同僚であり、それ以上でも以下でもないと、シグルズは信じていた。だから、二人が一緒になるとか、ならないとか、彼はそういう話は今まで全く考えたことがないし、そういう目で二人を見たこともなかった。


「馬鹿なことを。今はそれどころではない。私達はまだ旅の途中なんだぞ」


「だから何です?一生旅をし続けるわけではないでしょう。この地方の視察が終わったら、一度フォートヒルに帰るのでは?」


「そうだ」


「だったら、考えなくては。あの二人はとっくに結婚していておかしくない年齢です。むしろ遅すぎるくらいですよ。相応しい相手を探してやるのも、主人の務めです」


「おまえは、まるで母親みたいなことを言うのだな」


「仕方ないでしょう。あなたには家のことを取り仕切ってくれる奥方がいないのですから。それに、本来、司祭が家政婦を置くのも禁じられているのですよ。いつまでも未婚の娘を側に置き続けるのはおすすめできません」


 シグルズは、もういいとばかりに手を上げ、大きく首を横に振った。この男の言うことはいつも正しい。寡黙な性格なのに、必要なときには遠慮なく助言をくれる。一見すると冷たいようにも思えるが、私利私欲に囚われず、公正で、至極真っ当な意見が言える彼を、シグルズは好ましく思っていた。だからこそ、この旅にも連れてきたのだ。

 だが、今はとてもあの二人の将来のことなど、考える気にはなれなかった。やらなくてはならないことがたくさんあるのだ。呪いを解くための手がかりを見つけなければならないし、自分達を付け狙うメイウェザー家の思惑から、上手く身を守らなければならない。それに、王命もある。


「何故アンソニーを連れてこなかったのかと、聞いただろう?」


 シグルズはちらりとケネスを見ながら言った。


「迷っているのだ。このまま彼を私の旅に付き合わせるかどうか」


 ケネスの表情は変わらなかった。ただ、フードの隙間から、じっと上司の目を見ていた。迷いの正体が何なのか、読み取ろうとするかのように。


「メイウェザーがあからさまに動き出している。あの家の攻撃が激しくなればなるほど、アンソニーは両家に挟まれ、苦しむだろう」


ケネスは首を傾げた。


「それのどこが問題なのですか?」


シグルズは肩をすくめた。


「だから、アンソニーが苦しむと。この前の襲撃で、あいつは傷ついていた。私には分かる」


「ですから、それの何が問題なのかが私には分かりません」


ケネスは語気を強めた。


「彼が両家の板挟みになることなど、今に始まったことではないでしょう。本人も、それは承知の上であなたについてきているのです。そんなことを言ったら、彼を怒らせるだけですよ」


「ああ、まあ、たしかに…、そうかもしれないな」


「それに、彼のことはいずれ、このまま側に置き続けても、見放しても、どちらにしても問題になるでしょう。陛下はなんと?」


「使えるものは使えと」


「では、そのようにさせてもらいましょう」


 シグルズは、大きなため息をついた。悪いところが出たな、とケネスは思った。ハラルドソン家の次期当主である弟のロジャーがいつの日か言っていたように、彼は時に優しすぎて、決断力に欠けることがあるのだ。幼い頃から、いつ誰に恨まれて命を狙われるやもと、警戒することばかりを教えられて育ったので、もしかしたら人を傷つけることが怖いのかもしれない。

 ケネスは煮え切らない態度のシグルズを、ちょっとからかってやろうと思って、言った。


「本当に彼のことを思うなら、私がさっき言ったことを真剣に考えてほしいですね」


何を?とシグルズが顔を上げた。ケネスは口の端をやや上げながら答えた。


「結婚ですよ」


 シグルズは口を開けたが、言葉が出てこなかった。ケネスは素知らぬ顔で続けた。


「アンソニーのあの目に気がつかなかったのですか?」


「目?」


「彼の、あの娘を見る目、あれは恋する男の目です」


 もう少しで、シグルズはおかしな声を発するところだった。彼は返す言葉もなく、目を見開いてケネスを見た。フードの男は、横目でちらりとこちらを見て、なんだかほくそ笑んでいるように見えた。

 恋?誰が?誰に?


「何を馬鹿な。いつからおまえはそんなロマンチストになったのだ?」


 と、シグルズは思わず苦笑し、答えた。それ以外に言葉が思い付かなかったのだ。しかし、内心は焦っていた。アンソニーがエマに恋しているだって?いつの間に、そんなことになったのだろう。エマはどう思っているのだろう。

 頭の中が混乱していた。というより、心が乱されていた、と言ったほうがいいかもしれない。どちらにしても気分の良いものではない。

 ケネスは困惑する主人を呆れた表情で眺め、わざとらしくため息をついた。


「あなたは恋したことがないから、分からないのですね」


シグルズはあからさまにむっとして答えた。


「なんだ、偉そうに。おまえだって、恋したことなんかないだろう」


 ケネスはすぐには返事をしなかった。だが、ふと考えたように視線を前に戻すと、


「ありますとも」


と、短く答えた。


「もうずいぶん昔のことですがね」


 シグルズは拍子抜けしたように、しばらくぼうっと無表情な部下の横顔を眺めていた。相変わらず、その頭の中で何を考えているのか彼には全然見当がつかない。

 だが、やがて、そんなことはどうでもいいか、と一つため息をつくと、シグルズは歩くことに集中することにした。ヘルギはどこもかしこも道が悪い。考え事に気をとられていると、つまずいて転んでしまいそうだ。ケネスももうこれ以上、この話を続ける気はないようだった。

 シグルズは自分に言い聞かせるように、胸の中で呟いた。

 アンソニーもエマもいずれは伴侶を持つだろう。だが、それはまだ先の話だ。今ではない。

 そして、その近い将来、彼女が伴侶を持つときが来たとしても、それは自分ではないだろう、と彼は思った。当然だった。司祭は結婚なんてできないのだから。そして、そんな当たり前のことを改めて思ってしまう自分に驚いていた。いつの間にか肩を落として歩いていることに、彼は気がついていなかった。

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