第27話 魔女の巣窟(1)
「また変なのを連れてきたね」
路地裏の奥の、さらに奥、細くて入り組んだ小路をずっと奥まで入っていくと、にわかに独特の草っぽいような青くて苦い匂いが鼻をついた。
先頭を歩いていったのはベラだ。彼女は細くてやつれているのに、歩くのがすごく速い。エマもアンソニーも置いていかれないように、ついていくだけで精一杯だ。
しかもベラは頭の上に薬草がたくさん入った大きな籠を乗せている。エマも野菜の入った籠を持っていたが、頭の上に乗せるとどうしても落とさないか気になってしまって、結局両手で抱えて歩いている。アンソニーは一番たくさんの荷物を持っていて、スペルト小麦に、蜂蜜、卵、豆、それから何に使うか分からないが、ガチョウの脂まで持たされていた。
そして、辿り着いた先で彼らを出迎えたのは、頭から足先まですっぽりローブで覆った小柄な老婆だった。
「男は連れ込むな、っていつも言ってるだろう」
老婆は鼻から口元も全て布で覆っていたので、落ち窪んだ、濁った灰色の目玉しか表に出ていなかった。だが、ぎょろぎょろとこちらを舐め回すように見るその様は、どうしたって不気味で、ベラが言っていた「魔女の巣窟」という言葉を思い出さずにはいられなかった。
エマとアンソニーは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「いい男だろ?市場で助けてもらったんだ」
ベラは薬草の入った籠を放り投げると、得意気に言った。エマとアンソニーは、本当に彼女を信用してついてきてよかったものかと、ちらちら視線を送り合った。今からでも品物を置いて、引き返したほうが良いのでは?
だが、奥のほうから呻き声が聞こえてきて、エマはハッとした。男の声のようだ。見ると、二人の男が部屋の隅で簡素な布団の上に横たわり、苦しそうにしている。
「ヴァイキングの人達?」
思わず口に出てしまっていたらしい。老婆がちらりとこちらを見た。エマは口をつぐんだ。
老婆はつかつかとこちらへやって来て、値踏みするように上から下までじろじろと見て言った。
「頬が腫れ、唇が切れてる。体の動かし方もちょっとおかしい。服の下は痣だらけってところだね。その男に暴力でも振るわれたかい?」
アンソニーはかっとなって反論しようとしたが、エマは慌てて彼を制すると、
「違います、彼は命の恩人で、大切な仲間です」
と言った。老婆はふんと笑った。
「ベラを助け、その娘の命の恩人か。随分いい人のようだねえ」
そして、のっそりのっそりと病人の側へ行き、額に乗せていたタオルを冷たい水で洗って交換すると、吐き出すように言った。
「よそ者は帰りな。これ以上、面倒事はごめんだよ」
アンソニーは肩をすくめると、どさっと荷物を置いた。この人数で使い切るには多すぎるくらいだが、やはり、あまり深く関わり合いにならないほうが良さそうだ。
彼はエマが持っている野菜籠も受け取って端に置くと、
「帰ろう」
と言った。エマは苦しんでいる男二人に後ろ髪を引かれながらも、「ええ」と答えた。
だが、奥に引っ込んでいたベラが、ひょいっと顔を出すと言った。
「もう帰っちゃうのかい?今からお粥を作るよ」
「ベラ!」
老婆が声を荒げた。小柄でしわくちゃの老婆に似つかわしくない、あまりに大きな声だったので、足元にいた病人達は顔をしかめて呻いた。
老婆は彼らを見下ろし舌打ちすると、早足で勝手口にいるベラの元へ行き、小さな声でまくし立てた。
「勝手なこと言うんじゃないよ!こいつらを家に上げていいなんて許可した覚えはないよ!」
ベラは戸口に手をついて、きょとんとして老婆を見下ろしている。戸口の向こう側は明るい。どうやら中庭になっているようだ。井戸もある。老婆は彼女を見上げながら、大体おまえはいつもそうやって次々新しい男を連れ込んで、娘がいるっていうのに恥ずかしくないのかい!など、ガミガミと怒鳴り散らした。
だが、彼女にはまるで効いていない様子で、ただ肩をすくめると、
「だって、協力するって約束したもん。今日の買い物だって、全部この旦那が払ってくれたんだよ」
と言って、するするとアンソニーにすり寄り、ねえ、と色目をつかって囁いた。アンソニーはびくっとしたが、金を払ったのは間違いなかったので、「ああ」と頷いた。老婆は額に手を当て、大きなため息をついた。
「まったく、なんてこったい」
そして、首を横に振って、様々な薬草や呪術用品のひしめき合う、怪しげな棚に近寄り、いくつかの草や花や実や瓶を取り出すと、おもむろにすり鉢に放り込んですり潰し始めた。更に、ベラの持ってきた買い物籠をちらりと見て、その中の一つを鷲掴みにすると、乱暴に放り込んでゴリゴリと音を立てて混ぜ込んでいく。
やった!とベラが小さく声を上げるのが聞こえた。
「いいってさ!こっちに来て!お粥作ってやるよ」
そう言って、ベラがアンソニーの腕をぐいぐいと引っ張った。痩せているのに、すごい力だ。アデルと呼ばれた老婆が、すりこぎを握り締めながら、「いいなんて言ってない」とぶつぶつ呟いている。
アンソニーは慌ててベラを引き止めると言った。
「待ってくれ、本当に協力してくれるのか?お粥と言いながら、変なもん持たせる気じゃないだろうな」
なに、疑ってんの?とベラが腰に手を当て、憤慨した。
「見た目はちょっと怪しいかもしれないけどね、うちはちゃんと金を払った奴には、それ相応の対応をするよ!病人には栄養と休息、そうだろ?」
うーん、とアンソニーはまだ信用し切れない様子で頭をかいた。たしかにここでお粥や病人に食べさせる食事や飲み物を確保できれば助かる。食材は充分に買ってきた。十人の弱ったヴァイキングだって、三日は食べさせられるくらいの量だ。
すると、薬を煎じていたアデルがゆるりとこちらに顔を向けて言った。
「そこに薄めたエールがある。大瓶に移して船の連中に持っていっておやり」
アデルは顎で、勝手口の向こうを指し示した。井戸のある中庭には、扉が開け放たれたままの食料庫があり、中には、いくつかの瓶とともに木樽が置いてあるのが見えた。
アンソニーは躊躇いながらも、つかつかとそちらのほうへ向かっていくと、試しに木樽の蓋を一つ開けてみた。控えめながら、ふんわり芳ばしい良い香りがする。上等なエールのようだ。
「それ、あたしの。美味しいよ」
不意に後ろから小さな声が聞こえてきて、アンソニーは振り向いた。そこにいたのは五、六歳くらいの小さな女の子だった。痩せているが、綺麗な目をした可愛らしい子供だ。
その横からベラが声を上げた。
「ジョー、出てきちゃ駄目って言っただろ!こっちは病人がいるんだよ!」
しっし、とベラが、ジョーと呼ばれた女の子を急き立てるように背中を押して、更に奥の部屋へ追いやろうとした。この家は一体どこまで続いているのだろう。
女の子は「えー」と不満そうにしながら足を踏ん張っている。
「だって、つまんないよ!せっかくいいお天気なのに、部屋の中ばっかり!」
「カーラ達と一緒に遊んでなって!神様ごっこは?」
神様ごっこ?とエマは首を傾げた。ジョーはぷりぷり怒りながら答えた。
「もう飽きちゃったよ!カーラもイレインも同じことしか言わないんだもん」
エマとアンソニーは呆気にとられながら二人のやり取りを見ていた。どうやら、この家はまだまだ奥まで続いているだけではなく、思った以上にたくさんの人が住んでいるらしい。まさに魔女の巣窟だ。
ベラはため息をついて、二人に向き合うと言った。
「この子はあたしの娘。ジョアンナっていうんだ」
良い名だろ?昔この辺に住んでた貴族の奥様の名前だよ、とベラは言った。小さな女の子は、小指を立てて可愛らしくスカートの裾を持つと、片足を後ろに下げてお辞儀した。あら、まあ!とエマは感嘆の声を上げた。
「ジョアンナです。特別にジョーと呼ぶことを許します」
エマは思わず笑って、背筋をぴんと伸ばすと、同じようにスカートを両手で持って片足を斜め後ろに引き、もう一方の膝を軽く曲げて腰を落とした。ジョーの顔を真っ直ぐ見つめながら、小さな淑女に敬意をもって。
「お会いできて光栄です、ミス・ジョー。わたくしはエマと申します」
エマはアンソニーに目配せした。アンソニーは思い至ったようににっこりと笑い頷くと、ジョーの前で跪き、その小さな柔らかい手をとってキスをした。
「私はアンソニーです。可愛らしいあなたに神のご加護がありますように」
ジョーは真っ赤になって慌てふためいた。隣で腕を組んだベラが目を丸くして二人を見下ろしている。エマは眉を下げて、可笑しそうにくすくすと笑った。
「知らなかった!旦那は幼女趣味だったんだね!」
あたしには握手しかしてくれなかったのに、とベラは大袈裟に肩をすくめて見せた。は?とアンソニーが不本意そうにベラを見上げたが、エマは気にすることなくその場でしゃがみこむと、ジョーと目を合わせて尋ねた。
「ねえ、さっきあなたのお母様がおっしゃっていた、神様ごっこって、なあに?」
ジョーは少しもぞもぞしながら、なるべく堂々と見えるようにと、しゃんと背筋を伸ばすと答えた。
「古い神様のお話、ご存知ない?ノースガルドの王様とお妃様は神様の子孫なのよ」
エマは真っ直ぐ彼女の瞳を見つめ、頷いた。そういう言い伝えなら聞いたことがある。眉目秀麗な豊穣の神と、愛と美の女神の話だ。
彼らの子孫を王に擁するノースガルドは、寒く厳しい国土の中でも生命力に溢れていて、人々は皆美しく、逞しく、おおらかで、互いに尊厳を守りながら暮らしているという。
語り手によって少々誇張されているかもしれないが、それでも北の商人連中を見る限り、逞しくておおらかというのは間違いなさそうだ。
エマはジョーの澄みきった瞳を見て微笑んだ。とても綺麗な目だ。子供の目というのは、どうしてこんなに一点のくもりもなく透き通っているのだろう。
「それじゃあ後で、私にも神様ごっこを見せてくれない?」
ジョーはおずおずと頷いた。隣でベラが、ふんと鼻を鳴らした。
「後でと言わず、今遊んできなよ!旦那は酒を届けに行くって言うし、どうせあたしは大量のお粥を作んなきゃなんないし!」
ベラは不貞腐れたように、つんとそっぽを向くと、炉のほうへ向かっていった。
エマは慌てて彼女のほうへ近寄って、「私も手伝うわ」と申し出たが、
「悪いけど、お粥なんて大して手伝うことないの。カーラとイレインもいるし。暇なら後で野菜でも切っといてよ」
と一蹴されてしまった。エマのスカートに、しっかりとジョーの手が握られていた。
アンソニーは困ったように頭をかいた。
「つまり、エマはここで子守り…、いや、失礼、レディのお相手を?」
エマは肩をすくめた。
「そのほうが、あたしとしては助かるよ!大丈夫、とって食いやしないって!」
ベラは言った。そして、アンソニーのほうへまたするすると寄ってくると、彼の胸をつつきながら、
「それとも何?やっぱり、あたしと一緒にいたいって?」
と、にんまり微笑んだ。アンソニーは思わず後ずさって、やんわりと彼女を手で押しやりながら、顔を背け苦笑した。
エマはじっと自分を見上げてくるジョーを見た。何かを期待しているような、きらきらした真ん丸の目だ。ベラとアンソニーは何やら言い合っている。
エマは、ジョーと彼ら二人を見比べて、それからもう一度ジョーを見て、決めたとばかりに、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、アンソニー。私、ここにいるわ」
ジョーの小さな顔がパッと輝いた。アンソニーは「えっ!?」と声を上げると、ベラを押し退け、エマのほうへずかずかとやって来て、言った。
「だけど、おまえ、こんなところに一人で…」
こんなところとは何さ、とベラが腕を組んでアンソニーを睨み付ける。アンソニーはたじろいだが、エマは笑いながら答えた。
「お粥が出来るまでにはまだ時間がかかるし、あなたは先に飲み物を持っていって差し上げて。きっと船の人達は皆喉がカラカラよ」
アンソニーは頭をかいた。たしかに彼女の言い分はもっともだ。病人が食べれるような消化の良い食事はすぐには作れないし、その間ここでずっと待っているのは時間の無駄だ。それに、必要なのは飲み物だけではない。毛布もだ。何しろ、船の連中は朝から晩までずっと冷たい潮風にさらされ続けているのだから。
アンソニーは肩をすくめた。
「わかったよ」
そして、樽から瓶にてきぱきとエールを詰め替えながら言った。
「俺はこれを届けて、毛布を探しに行ってくる」
エマは頷いた。ジョーが嬉しそうに足元でぴょんぴょん跳ねている。そして、飛び跳ねながらアンソニーのもとへ駆け寄っていくと、
「これも持っていったら?蜂蜜酒、甘いよ!」
と言って、奥の瓶を指差した。こら!とベラが声を上げたが、ぐつぐつ鍋に湯を沸かしていたアデルが「いいよ」とばかりに手を上げた。
アンソニーはそれらを全て抱えて持ち上げると、
「じゃあ、行ってくるよ」
と、少し心配そうにエマを見た。ジョーが今度はアンソニーの足元で「力持ち!」と飛び跳ねている。
エマは頷いた。
「気をつけてね」
おまえも、とアンソニーはそう言いたかったが、小さなレディがあまりにも嬉しそうにぴょんぴょん走り回っているので、もうそれ以上何も言うことができなかった。




