第24話 流行り病(2)
アンソニーは頭を抱えていた。宿舎の仮眠室では、あまりよく眠れなかった。布団が悪いとかそういうわけではなくーーーいつもはどこでも寝れるのに、隣にエマがいるという妙な緊張感と、久しぶりに子供の頃の夢を見たせいで、全然頭はすっきりしなかった。
それに付け加え、港から戻った警備兵の報告が、更に彼の頭を悩ませていた。
「ノースガルドからの商船にハラルドソン司祭とお付きの方がいらっしゃるのは間違いありません。ただ、港は今、出入りが非常に厳しくなっておりまして、船に限っては、一度中に入った者は、病が集束するまで一切外に出るのを禁じられております」
「一切?」
アンソニーは思わず聞き返してしまった。一切です、と兵士の男は繰り返し答えた。
「それは我々警備兵の管轄ではないのです。町役場がそのように取り決めたのでしょう。病気を町中に広めないために、致し方なかったのかと」
アンソニーとエマは顔を見合わせた。船から出られないということは、病気の商人らとともにシグルズとケネスはずっとそこに閉じ込められているということだ。
エマは兵士に尋ねた。
「でも、港には入れるんですよね?」
兵士は頷いた。
「私と一緒なら大丈夫だと思います」
エマはアンソニーのほうを向くと言った。
「それなら、港に行ってみましょう。船の様子も分かるかもしれないわ」
うん、とアンソニーは頷いた。だが、浮かない表情だった。
港に行ってどうする?船の中には入れないし、もし入ったとしても、病が消え去るまで出てくることはできない。それはいつまで?本当に治るのか?
それに、実を言うと、彼はシグルズ達に会うのが少し恐かった。もちろん、所在が分からなかった間は本当に心配していたのだが、いざ安否がはっきりして、いよいよ再会できるとなると、一体どういう顔をして会えばいいのか分からなかったのだ。
ーーーシグルズ様は、あの時の追手がメイウェザー家の兵士だとすぐに分かっただろうな。
実家と縁を切って久しいとはいえ、自分がメイウェザー家と通じていないと証明できるものは何もない。もしかしたら疑われているかもしれない。そんな不安が彼を足踏みさせていた。
そのような彼の心境など全く知るよしもないエマは、何故、彼がそんなに憂鬱そうにしているのかさっぱり分からなかった。
「行くの?行かないの?どっち?」
エマははっきりしないアンソニーに、やや苛立った様子で尋ねた。兵士の男も、早く決めてほしそうにそこに立っていた。
アンソニーは肩をすくめ、答えた。
「もちろん、行くよ」
そして、三人は港へ向かうことになった。
今朝早くに到着したときは分からなかったが、ストールヘブンは本当に賑やかな町だ。行き交う人々のなんと多いこと。あまりに人が多いので、女達は籠に入れた荷物を頭の上に乗せて運んでいる。平民から裕福な中流階級まで、色々な格好をした様々な人々が道に溢れ、その真ん中を二頭立ての馬車がゆっくりとかき分けるように進んでいた。
エマはこのような大きな町に来たのは久しぶりだった。ほとんど故郷のローランから出たことのない、ある意味で箱入り娘の彼女だ。ストールヘブンへ来たのはもちろん初めてで、目に入るものは皆新鮮で面白かった。
「すごいわ!どこまでも建物が並んでる。この町は専門店もたくさんあるのね!」
目を輝かせてあちらこちらをきょろきょろと楽しげに眺めるエマを、アンソニーは愛おしげに見つめていた。シグルズがいないので、今の二人は侍女でも従者でもなかった。
アンソニーは彼女の手を自分の腕に引き寄せ、掴まらせると言った。
「はぐれるなよ」
エマは彼を見上げ、「ええ」と言って微笑んだ。
「もしかして、お二人はご夫婦でしたか?」
先導するサンクレール兵が尋ねた。アンソニーは思わず顔を赤くして、おかしな声を発しそうになったが、すかさずエマが「いいえ」と答えた。
「でも、優しいでしょう。とても気遣いのできる人だから、シグルズ様も信頼なさっているのですわ」
そう言って、エマは屈託のない笑顔を二人に見せた。アンソニーはそっぽを向いて、緩みそうな顔を誤魔化した。兵士の男は「さすがですね!」と感心したように声を上げると、また前を向いて歩き出した。
しばらく歩いていると、どこまでも連なっていた建物は徐々に途切れ始め、代わりに潮の匂いが濃くなってきた。背の低い木造の小屋が立ち並び、大きな倉庫のようなものもあり、やがて海が見え、たくさんの船が並んでいるのが見えた。
「大きな港ね」
エマは感嘆の声を上げた。ローランやティンカーとは比べ物にならない。停泊している船も巨大だ。特に目立つのが、大きな帆と、幅広で丸みを帯びた形の優美な商船で、エマは一目でヴァイキングのものだと分かった。
「止まれ、この先は立ち入り禁止だ」
どこからか、男がやって来て一行を制した。見たところ、港で働く職員のようだ。二人に随行してきた警備兵が前に出て、事情を話すと、男はふむふむと頷いた。
「なるほど、たしかにどこぞの貴族の方がそこの船に入っていくのは見ました」
男は一番大きな船を指差していった。
「昨日の夕方のことです。午前中はまだ商人達も出入りしていました。ただ、午後になってから急にバタバタと倒れ始めて、騒ぎを聞き付けた役人が船を閉鎖するよう命じたのです。商人連中は怒ってましたがね、そいつらも倒れちまったから、今頃は船で苦しんでいるんじゃねえかなぁ」
貴族のお二人はそんな頃に船にいらっしゃったから、出るに出られなくなっちまったんですよ、と男は付け加えた。エマは憤慨した。
「ひどいわ!それでずっと閉じ込めたまま?誰も何もしていないのですか?」
男は肩をすくめた。
「食べ物くらいは差し入れてやりたいとは思いますがね、熱病が蔓延ってると分かってて近寄りたい奴なんていませんよ」
エマは下品な罵り言葉が口から飛び出しそうになるのを、すんでのところでこらえた。この男を怒鳴り付けたところでどうにかなることではないし、それなら自分が食料や薬を運んだほうがいいと思ったからだ。
すると、彼女の心の内を察したかのように、アンソニーが口を開いた。
「それなら、俺が支援する。桟橋まで行くことは構わないんだろう?」
それは構いませんがね、と男はしどろもどろになりながら言った。どうやら彼はここの責任者というわけではないらしい。あるいは、勝手なことをして、役人に叱られるのを恐れているのかもしれない。
アンソニーが男の肩を叩き、言った。
「大丈夫だ、誰かに咎められたら、メイウェザー家の男が来てやったと言えばいい」
「は、メイウェザー家?」
男は目を真ん丸にして、素っ頓狂な声を上げた。サンクレール家の警備兵は、この方はメイウェザー家の次男で私の剣のお師匠様だと得意気に話した。師匠になった覚えはないと、アンソニーは兵士を微妙な顔で見た。
職員の男は船を指し示すと言った。
「そういうことならば仕方がありません。ただし、あまりうろうろされるのは困ります。出入りは桟橋の中央までにしてください。搬入は置き渡しにして、決して中の人々に接触しないこと。それから、船の中のものを運び出すことも禁止です」
アンソニーは頷いた。
「ありがとう、恩に着るよ」
男は無言で頷き返し、詰所に戻っていった。サンクレール家の警備兵も、役目は終えたとばかりに、本来の仕事に戻っていった。その場にはエマとアンソニーだけが残された。
アンソニーは頭をぽりぽりと引っ掻いた。あれほど家を嫌って、家族にも虐げられていた自分が、自らメイウェザーの名を出すとは思ってもみなかったのだ。ちらりとエマを見下ろすと、彼女はアンソニーの視線に気付き、何事もなかったかのように微笑み返した。
「さあ、シグルズ様達に会いに行きましょう」
彼は頷き、二人は船へ向かった。病に侵された、ヴァイキング達のもとへ。シグルズとケネスが元気でいてくれればいいと、エマは胸に手を当て、祈った。




