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《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第二章

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第16話 狙われた女(1)

 頭がガンガンと痛み、エマは意識を取り戻した。そこは見知らぬ部屋だった。口をふさがれ、手と足を縛られている。

 やってしまった、酒にもグラスにも何も問題はなかったので、すっかり油断してしまったのだ。手首と足首が締め付けられて、ぎりぎりと痛む。

 彼女が寝かされていたのは、狭い独房のような地下室だった。出入り口は落とし戸一つ。薄暗いが、半地下になっているらしく、天井近くにある格子の嵌められた小さな窓から仄かに光が差している。そこから誰かの泥のついた靴が見え隠れして、動いているのが見えた。耳をすますと、男達の怒鳴り合うような声も聞こえる。


「いないって、どういうことだよ」


「知るかよ!連絡を取ろうとしたら、もぬけの殻だったんだ!」


「どうも俺達に何も言わず撤収したらしい。早朝に警備兵が来たんだと」


「どうなってんだよ、せっかく女を捕まえたっていうのに」


 どうも男達は複数人いるようだ。それも、二、三人ではなく、もっとたくさんの人数だ。

 エマが這いつくばって、聞き耳を立てていると、格子窓から一人が顔を出して覗き込んできた。彼女はびくりとして肩を震わせた。


「おい、女が目を覚ましたぞ!」


 落とし戸が開き、男達が下りてきた。先頭に立っていたのは、バーナードだ。上着を脱ぎ、スカーフの結び目を緩めて着崩している。貼り付けたような商売人らしい笑顔もどこかへ消え、気だるそうな顔つきだ。


「お目覚めかい、奥様」


 バーナードは先程までのへりくだった態度から一転、横柄な様子で話しかけた。


「気の強い女が怯える様はいいね」


 しゃがみこみ、エマと視線を合わせてにやりと笑うと、彼は彼女の口を塞いでいた布を外した。


「ここから出して」


 エマははっきりと言った。バーナードは笑って答えた。


「そうしてやりたいのは山々なんだがね、こっちも少しばかり困ったことになっててさ」


 バーナードは顎に手を当て、何か考えるように、うっすらと生えている髭を撫でた。


「おまえをご所望だった方々が不意に行方を眩ませちまったんだ。捕まえたら報酬をくれるって約束だったのによ」


「誰なの?」


 彼は明らかに苛立った様子で舌打ちをすると答えた。


「そんなこと知るか。身分の高そうな嫌味な連中だったがね。俺達商人を馬鹿にしやがって」


 そう言って、バーナードはエマの顎をすくい上げ、じっとりと品定めでもするような目で見ると尋ねた。


「そういうおまえこそ何者なんだ?ただのサンクレール家の使用人がなぜお尋ね者になっている?可愛い顔して、実はスパイか?犯罪人か?」


 エマはきっぱりと答えた。


「答える義理はないわ」


 バーナードはエマの頬を叩いた。エマは床に倒れ込んだ。


「言葉遣いには気を付けるんだな」


 バーナードは彼女の頭に唾を吐き掛けると立ち上がった。


「何も、生きたまま渡せとは言われてないんだぜ。死んだってかまわないと、そういう契約なんだ」


 エマは顔を背けたまま、男の言葉を聞いていた。頬がじりじりと痛む。屈辱だ。頭に血が上って、今ならとんでもない罵詈雑言を浴びせかける自信がある。

 だが、そんなことを言ったら次は何をされるか分からない。エマは唇を噛み、男達の顔をなるべく見ないようにして、垂れ下がった自分の赤毛で視界を覆って叫び出したいのを我慢した。

 バーナードは見下すように突っ伏したままのエマを眺めると言った。


「大人しくしてるなら命だけは助けてやらんこともない。その生意気な態度を改めるんだな」


 彼の横で別の男達が下卑た笑みを浮かべながら、エマを一瞥し、去っていく。バーナードも出ていき、再び彼女は一人きりになった。扉は固く閉められ、かび臭く、湿っぽい地下室には薄闇が広がった。


***


 一方、アンソニーは湖の北部を中心に、シグルズ達の行方を探していた。だが、走れど走れど辺りには荒れた湿地が広がるばかりで手がかりは見つからず、陽が傾き、馬も疲れ始め、彼は途方に暮れていた。

 やはり、無闇に探し回ったところで上手くいくわけないか、そう思って、そろそろ町に戻ろうかと考えあぐねていると、街道を粗末な馬車に乗った親子が通りかかった。立て付けが悪く、歪んだ車輪がガタガタと揺れて大きな音を立てている。

 つぎはぎの帽子を被った子供が、アンソニーを見て声を上げた。


「あ、神父様のお馬!」


 アンソニーは振り返ると、丁寧に帽子を取って親子に挨拶をすると尋ねた。


「こんにちは。俺はティンカーから来た旅人です。神父様の馬って、どういうことか教えてくれるかい?」


 子供は一瞬たじろぎながらも、小さな声で答えた。


「昨日うちに神父様が来たんだよ。お兄さんみたいな大きくて立派なお馬をくれたんだ」


「馬を?」


 固い表情で前を向いていた父親が答えた。


「旅の神父様で、馬が怪我をして困っていらしたんでさ」


 アンソニーは目を見開いた。


「それはもしかして、長い金髪の美しい神父様ですか?フードを被った亜麻色の髪の男と一緒だった?」


 父親は顔を背けると黙って小さく頷いた。


「その神父様はその後どちらに?」


 あまりにも矢継ぎ早に質問しすぎてしまったのだろうか。彼が問い掛けている最中から、父親は手綱を握り直し、馬を発進させた。田舎の人々は総じて余所者を信用しないものなのだ。

 アンソニーは慌てて並走して、ぶつぶつ呟くような小さな声を、耳をしっかりそばだてて聞き取らなければならなかった。

 父親は目を合わせることなく答えた。


「さあ…、本当はヘルギに行きたかったらしいがね、徒歩では無理だってんで、ストールヘブンのほうに向かっていきなさったよ。新しい馬を欲しがってたから、その辺りで探すおつもりなんじゃないかねえ」


 もういいだろう、とばかりに、父親は馬の速度を上げた。

 アンソニーは確信した。間違いない、シグルズとケネスだ。やはり、昨日の襲撃の際に馬が怪我をして動けなくなっていたのだ。

 彼の口ぶりからすると、二人に何か問題があったわけではなさそうだ。今頃はストールヘブンで馬を調達しているか、もしかしたら留守にしている間にもうヘルギへ来ているかもしれない。


「そうか、恩に着るよ!」


 アンソニーは子供にも「ありがとう」と手を上げ、急いで去った。子供も遠慮がちに小さく手を振り返したが、彼はもうヘルギへ向かって全速力で馬を走らせた後だった。

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