第12話 狼の呪い、蛇の呪い
ダルヘイムでは、まことしやかに囁かれる、二つの家門の噂があった。
一つ、メイウェザー家。この名の家は狼の呪いにとり憑かれている。狼のように獰猛で、武芸に優れ、戦においては敵知らず。だが、強さを求めるあまり、戦いに明け暮れ、一族は戦いの中で死ぬ。
一つ、ハラルドソン家。この名の家は蛇の呪いにとり憑かれている。蛇のように狡猾で、学識に優れ、賢者のように国を助ける。だが、その賢しさ故に人の恨みを買い、一族は最も信頼のおける者から裏切られ死ぬ。
これを迷信ととる者もいれば、恐れおののいて、とても関わり合いになどなりたくないという者もいる。だが大多数の人々は、それが真実であろうとなかろうと、どっちでも良い。無関心だ。自分の一族のこと以外は気にしない、それがこのダルヘイムという国である。
だが、狼と蛇がいなくてはこの国は成り立たない。三百年前から存在する古い血筋の一族であり、その長い歴史の中で、ずっと彼らはそれぞれの方法で国を支えてきた。二つの家門の呪いの上に、ダルヘイムは冠を戴いている。
それが、この国で囁かれている、ちょっとした噂話だ。
***
西の大都市、ギャラルストーン近郊にあるメイウェザー家の館では、長男のダリルが妹のマリアンに詰め寄っていた。
「なぜ勝手な真似をした」
ダリルはほっそりとした体躯に色白の肌が扇情的な、女のような顔をした美しい男だ。柔らかそうな黒髪の隙間から、琥珀色の耳飾りがゆらゆらと揺れている。だが、その見た目の艶やかさとは裏腹に、彼は燃えたぎるような恐ろしい目で妹を睨み付けていた。
マリアンはたじろぎながら答えた。
「ごめんなさい、お兄様。でも、わたくし我慢ならなくて」
一方のマリアンは、これもまた長い黒髪が美しい、豊満な体つきの妖艶な女だった。一度は結婚したものの、子を成す前に死別したため、昨年メイウェザー家に戻ってきたのであった。
「兵を派遣すれば、うちが関わっていることが誰の目にも一目瞭然だ。それが何故分からない?」
ダリルは苛立っていた。せっかく裏で糸を引いてクローストン卿にサンクレール家の当主を始末させようと思っていたのに、反乱は失敗し、シグルズを捕らえることもできなかった。挙げ句、失望した妹のマリアンが、気が急くばかりに独断で派兵してしまったので、せっかくの計画が全て水の泡になってしまったのだ。
今回向かったのは彼女の私兵だったが、それでも、多少なりとも貴族の動向に知見のある者が見れば、それがメイウェザー家だとすぐに分かるだろう。
マリアンは落ち込むような素振りを見せながらも、全く悪びれる様子はなく答えた。
「あら、私が兵を動かさなくても、頭の良いシグルズ様なら既に勘づいていらっしゃったのでは?」
ダリルはマリアンを睨んだ。マリアンは「まあ、恐い」とわざとらしく肩をすくめ、兄を上目遣いで見つめると、くすっと笑った。赤い唇の端が弧を描くようにつり上がった。
ダリルはため息をついた。
「まあ、いい。どうせあの男が失敗したら次は直々に捕らえに行ってやろうと思っていたのだ。良い挨拶になっただろう。だが、次はないぞ」
マリアンは返事をしない。まったく、とダリルはビロード張りのカウチに深々と腰を下ろし、背中を預けると両手を頭の後ろで組んだ。
あの男と肩を並べて、時代の寵児だの何だのと持て囃されてから何年が経っただろう。十年か、いや、それ以上か。
当時からあいつは嫌な男だった。才色兼備で、人目を引く華やかな容貌に柔和な物腰、学問においては右に出る者はなく、おまけに弓の名手だ。誰もが彼と近付きたがったし、彼も来る者は拒まずで、あの男の周りにはいつもたくさんの人だかりができていた。
ダリルはいつか彼を見返してやろうと思っていた。反目する二つの家の次期当主同士として、競い合い、どちらがより優れた功績を残すか、共に王宮に上がる日を今か今かと待ちわびていた。
だが、シグルズが選んだのは、聖職者になる道だった。彼は当主の座を捨てたのだ。それは戦いに身を投じ、強さこそが至上との教えの中で育ったダリルにとっては「逃げ」だった。
ーーー腹が立つ。
ダリルはギリギリと爪を噛んだ。
「だけど、お兄様、わたくしどうしても気に入りませんわ」
苛立つダリルを他所に、マリアンは腕を組み、何か考えながら、不満そうにため息をついた。
「だって、シグルズ様だけを罪人に仕立て上げるつもりが、つまらないおまけまで付いてきてしまったんですもの」
ダリルはぎろりと鋭い目を向けた。カウチに肘をついて脚を組み、低い声で釘を刺す。
「その話はするな。それはあの男が勝手にやったことだ。うちは関係ない」
マリアンはとぼけるように首を傾げた。
もう一月前になる、サザーランド邸での殺人事件。真犯人はいまだに捕まっていない。当然である、裏から手を回しているのだから。
ダリルはそれを知っている。だが、発案者は彼ではない、別の人間だ。彼は元来そういう小賢しい真似は嫌いだったし、そんな茶番にあの男がそう上手く引っ掛かるものかと、それほどまともに取り合っていなかった。ただ、ウィルダネス家とサザーランド家に一波乱起こすことで別の利も得られそうだったので黙認しただけだ。ついでにシグルズも排除できるなら、それはそれで都合が良い。
だが、思わぬところで余計なお荷物が増えたのだ。
「まあ、あれは誤算だったな。まさかあんな真夜中に女が一人でうろついているなんて誰も思わないだろう。しかも、前日に脅されているのにも関わらずだ。余程、頭の悪い女なのだろう」
ブライアンも見る目がない、とダリルは軽蔑するように肩をすくめた。その女のせいで、シグルズ一人に汚名を着せるはずが、容疑者が二人に増えてしまったのだ。しかも、あろうことか、その女は今、シグルズと共に行動しているというではないか。
だが、まあ良いだろう。邪魔な女はさっさと始末すれば良いだけだ。それに、見方によっては、使い道もあるかもしれない。
すると、マリアンが何かを期待した面持ちで兄にすり寄り、囁いた。
「ねえ、お兄様、わたくし物足りないの。分かるでしょう?」
マリアンはダリルの手に、そっと自身の白くしなやかな手を重ねた。彼女の瞳はまるで悪戯っ子のように輝いている。だが、その心に秘めているのは本物の邪心だ。純粋な、と言っても良い。彼女にとって、家のことは取るに足らない、例えて言うなら料理の付け合わせのようなもの。望みはただ一つ、シグルズだけだ。
ダリルはじろりとマリアンを一瞥した。
「分かってる。仮に捕らえたとしても、罪状が確たる証拠もない一件の殺人容疑だけではお粗末だ。もっと、完膚なきまでに…、何の疑いの余地もないほどに追い詰めなければ」
ダリルにとって、更に気にくわないのは、あの男がただの聖職者でありながら議会に議席を持ち、その上、国王ジェームスからも絶大な信頼を寄せられているということだ。やったかどうかもはっきりしない案件で足元が危うくなるほど、シグルズは求心力のない人間ではない。下手をすればこちらの立場が悪くなるだけだ。
ーーーハラルドソン家の跡取りでもなければ、文官でも大臣でもないくせに。
ダリルは舌打ちした。聖アンドレアスの首席司祭というだけで我が物顔で王宮に出入りして政治に口出ししてくる。そんなあの男も、聖職者に過剰な権力を与えているこの国にも、ダリルはほとほと嫌気が差していた。
「それで、どうなさるおつもり?」
マリアンが尋ねると、ダリルは気だるそうに座り直して答えた。
「決まってる。我が家が派兵するに相応しい、誰の目にも明らかな罪を犯していただく」
マリアンは目を細め、にんまりと口の端を吊り上げた。
今、シグルズら一行はガンヒースの西の端、ストールヘブン近郊にいると聞く。あの地域は何かと特殊な事情が多い。ノース人が多く、土着の古臭い信仰がまだ残り、サンクレール家は滅茶苦茶で、その上《北の大陸》ノースガルド帝国との国境でもある。
ウォーデンもすぐそこだな、とダリルはほくそ笑んだ。
「罪って大好き。素敵な響きだわ。どんな罪を犯していただくの?高潔な聖職者の方々は、血はご法度でしょう」
「そう、血はご法度だ」
ダリルはにやりと笑った。マリアンは嬉しそうに微笑んだ。
「お兄様、いけないお顔をされてるわ。わたくし、血生臭いのは苦手でしてよ」
マリアンの瞳が不気味に歪み、ちらちらと金色に輝いている。
「ああ、わかってるよ、マリアン」
ダリルは答えた。
「大丈夫、あの顔には傷一つつけずにおまえに渡すと誓うよ。私はあいつが消えればそれでいい」
ダリルの目的はシグルズの失脚だ。なんとしても、この国と、この家のために、あの男には消えてもらわなければならない。
だが、ただ死ねばいいというものではない。彼にとって、殺すことなど簡単だ。しかし、それではメイウェザー家が悪者になってしまう。それは彼の望むところではない。
彼は、あくまでも正当な理由でシグルズを社会から追放したかった。そして、窮地に陥ったハラルドソン家を蹴落とし、この国をもう一度正しい方向に導かなければならないと思っていた。それが父からの教えであり、メイウェザー家の悲願だからだ。
「楽しみにしているわ、お兄様」
マリアンの手がダリルの肩に絡みついた。燃えるような指先が頬を撫で、真っ赤な唇が耳元でそう囁いた。




